セイレーン(180分:「誰もいない海」「ホラー」「狂想」)
リア充と釣師とサーファーの居場所。
すっかり日も沈んであたりが暗くなっているが、あたりの建物から、そして海の向かい側に立っている建物から発せられる光、そして彼の頭上で光っている街灯が砂浜に押し寄せるさざなみを照らすのである。
彼は遊び疲れてしまったのだった。何を遊んでいたか、何をしていたか、彼は覚えていなかった。ふと気がつけば全身を包み込む疲労感と共に街灯の柱を背もたれにして、彼らを眺めているのだった。心地よささえ感じるだるさには彼らと遊んだ果てのものであるという確信があった。
眺める先にいるのは波打ち際で盛り上がる男女の一団。九人ほどの集まりだったが、それぞれがそれぞれ、思い思いに海を楽しんでいる様子だった。男らしき人は学生服を、女らしき人はセーラー服の上着にもんぺといういで立ちだった。
海を眺める人。
海の中に足を入れて水遊びに興じる人。
砂で山を作っている人。
楽しげに騒ぐ声を耳にするとなんだか彼も楽しい気分が高ぶってくるのだ。自身は休んでいるのに、まるでその騒ぎの中に身を投じているかのような感覚に陥る。
はてさて、と彼は考える。彼らとの関係性は何だったろうか。友人同士だったか? 同級生だったか? 同僚だったか? 飲み仲間だったか? 全く関係のない連中がその場ののりだけで集まったのか?
彼らの声が聞こえるなり、彼は考えるのをやめた。考える必要なんてない。楽しいという事実、感覚が大切だった。
「ほうら、そろそろおいでよ、もう十分休んだんじゃない?」
誰かから声が投げかけられる。声を聞くなり彼の体に力がみなぎってくる。背中を柱にこすりつけるような格好で立ち上がれば、おぼつかない足取りで彼らの元へと戻ってゆくのだ。まるで歩くことすらままならない様子、しかし彼は満面の笑みで歩くのだ。
彼らは各々の海の楽しみ方を止めて彼を見やった。近づけば手を差し伸べてくる者がいて、彼は彼女の手を取ると、
「ありがとうタエ」
と言葉するのであった。
いつしか彼が一団を先導する形になって、海をずんずんと進んでいった。足が濡れても、膝が濡れても、胸が濡れても。
彼は満面の笑みで進み続けるのだ。
分析官としての私見を述べさせていただくならば、この水死体A、身元調査によるとある精神病院から脱走した元日本陸軍兵だが、この大脳から抽出した記憶からは彼の最期は幸せだったのではと考えられる。あくまでかりそめであるが。
海浜公園より入手した監視カメラの映像を確認したところ、彼が見たと認識していた人物は存在しなかった。街灯の下で座り込んでいた彼が突如大笑いしながら入水自殺する様子が映されているだけだった。
では彼が見たのは何だったのか? 彼が見た姿の服装から考えれば戦争の時代の服装であると想像できる。水死体Aの年齢と照らし合わせれは十代後半から二十代前半の時代である。唯一登場する名前と思われるものが「タエ」であるが、本人と彼女との関係は不明である。
彼が施設を脱走した理由、そして最期の砂浜に至って、どうして自殺を成し遂げてしまったのか。これから先の分析は分析官の領域ではないのでお任せしたい。
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