第17話 呪詛
「このわたしが下人の子? 酷い言い掛かりだわ!」
咲花は温明殿で、
「まあ、入内なんか諦め。自分の元へと来れば良いじゃないですか。そうしましょう、そうしましょう」
そんな呑気な近衛忠房を、咲花は半眼に見つめ、溜め息をついた。相談した相手が間違いだったと。
「父上様が言うには、咲花は先帝の子です。そもそもしばらく家で預かっていたのですから、下人などと関わり様もなかった。疑いは時期に晴れる筈ですよ」
「そうだと良いんだけど……」
なにせこの温明殿でも、ヒソヒソ話が絶えない有り様であった。宮中内はその話で話題の筈だ。何かハッキリとした証拠が無ければ、疑いが晴れないだろうと思われるほどだった。
「──うっ!? こほっ…コホッ……」
「どうした? 咲花」
「この所、急に体調が悪くなる時があって……」
「急に……?」
不思議と、数日前から急に吐き気がしたり、咳き込むことが多くなっていた。初めは風邪かと思ったが、熱はないので風邪ではなさそうだし……。
すると基近義兄は何を思ったのか真顔でスッと立ち上がり、部屋中を隈無く調べ始めた。ほどなく、一枚の紙のようなものを見つけ出していた。
「これは……呪詛ではないか」
「呪詛!?」
「なんと恐ろしい……」
呪詛とは、誰かを呪ったりする札のことである。
余りのことに、わたしは気を失いそうになる。下人の子と噂されるばかりか、呪詛までも……気が狂いそうだった。
「……これは誰かの差し金かもしれぬ」
基近義兄がそう言った。
「誰かとは、誰?」
「それは分からないが……立て続けにあり過ぎだ」
「そう言われてみれば、そうですね」
「一度、十和皇后様に相談してみよう……何か御存知かも知れない」
「十和皇后様に? でも迷惑にならないかしら……こんな時だし」
「こんな時だからこそ、十和皇后様に相談するべきじゃないですか。何せ呪詛ですよ、呪詛!」
次の日、わたしは
「呪詛とは、なんと恐ろしい……。
「いえ……それが全く」
「そう……」
十和皇后は暫し考え耽ったあと、近くの女房にこう言った。
「これより
「はい」
それから半刻ほどして、陰陽頭が現れた。
「これは十和皇后様、何用でしょう?」
「この呪詛……見覚えはないか」
「……さて。わたくしには全く身に覚えがありませぬが」
そう平静を装ってはいるが、一瞬顔色が変わったような気がする。十和皇后もそれに気づいた様子だ。
「誰の差し金ですか? 正直に申せば、事を荒立てるつもりはありません」
「……そう申されましても…わたくしにはとんと……」
「正直に申せ! 申さねば……」
「ひいっ! 関白様ですっ、関白様にそう命ぜられ仕方なく……」
「関白が?」
想像もしていなかったことに、十和皇后も咲花も驚いた。
「もう良い。下がれ」
十和皇后に言われ、陰陽頭は慌てて出て行った。
「関白・
「だけど、どうして関白様がわたしを……?」
「咲花が下人の子だと噂を広めたのも、関白様かも知れませんね」
基近義兄がそう付け加えた。もしかすると、そうなのかも知れない。でも、理由が分からなかった。
「
女房がそう言うと、間もなく雅永帝が姿を現した。
「これは主上、
「それはよいこと」
主上に上座を譲り、十和皇后はその側にお座りになった。
「して、今日は何の話をしておったのだ?」
主上に機嫌よくそう問われ、一同顔を見合わせ、陰陽頭とあった話を聞かせることにした。
「関白か……」
雅永帝は困り顔を見せている。
「関白には、咲花尚蔵の噂の真偽を確かめるように命じたばかりだ。これは頼む相手を、間違えたかもしれないね……」
「そんな他人事のように……主上、何とかしてあげてください」
「わかっている」
それを聞いて、咲花はホッとした。
「それにしても、どうして関白が咲花尚蔵に呪詛などを……」
これには誰もが言葉に詰まってしまう。
「咲花尚蔵を陥れて得する者……か」
雅永帝のその言葉のあと、皆は十和皇后の方をチラリとみた。
「ちょっ、ちょっと、わたくしではないですわよ! わたくしは寧ろ喜んでいるんですから!」
「分かっている、冗談だ」
「悪い冗談ですわよ、まったく!」
そう言って怒っている十和皇后を見て、咲花は思わずくすくすと笑ってしまう。
「しかし、そうなると他に誰が……」
雅永帝は思案のあと、軽く扇で手のひらを叩いた。
「居た」
「それは誠ですか?」
「誰です?」
「その者なら、関白を動かすことも考えられる」
「それだけ力のある御方ということですか?」
「ああ、ある」
雅永帝はそう言ったあとで、咲花を見た。
「ところで、咲花尚蔵」
「はい?」
「咲花尚蔵は先帝の子と九条は言うが、誠か?」
「はい。そう聞いております」
「……なるほど。先帝の子だとすると格が格段に上がる。咲花が中宮となり男子が産まれれば、つまり今帝の子となり直流の子、わたしがもし一言いえば……それで東宮直仁の立場が危うくなると考えたのかもしれないね」
「あの……それはつまり?」
「まさか皇恵門院……ですか?」
十和皇后の問に対し、雅永帝は扇を口元にあてた。
「証拠が無い今、迂闊なことは言えませんね……」
確かに今は証拠が無い。全て推測でしかなかった。
だけど、呪詛までされ此処に居続けるのも辛く感じてきた。これからまた何をされるのかと考えるだけで、ゾッとする。
「そうですか……ですがもう、温明殿に居ることも怖くて……一度、里に帰ろうかと思っております」
咲花がそう言うと、十和皇后も雅永帝は顔を青ざめた。
「……それは困る。
わかった。咲花尚蔵の寝所を隈無く調べさせ、膳なども不審なものが入れられていないか調べさせよう。
「だから、もう暫し居なさい。咲花尚蔵」
「……わかりました」
本当は怖いけど、十和皇后や雅永帝に言われては仕方がなかった。
その後、雅永帝が言う通り、咲花の寝所を隈無く調べさせ、膳なども不審なものが入れられていないか調べさせた。すると、その膳に不審なものを入れようとする女房を捕えることができた。
誰の差し金か吐かせようとするが、その夜、その女房は死に絶えていた。毒殺によるものだった……。
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