第8話 噂の姫君

「権大納言は、今日も物忌ものいみか?」

「御意に御座ります」

「……ふむ」

 

 九条の1の姫(咲花)が女官として参内したと聞き、早速その日の内に顔を拝み、入内じゅだいの話はことにしてやろうかと思っていた雅永まさなが帝だったが。残念ながら、今日までその機会に恵まれることはなかった。



 ──と言うのも……ひと月ほど前のこと。



 陰陽寮おんみようりょうの長官である陰陽頭おんようのかみが、ドタバタと血相を変え慌てて清涼殿の昼御座ひのおましへとやってくるや否や、


『昨夜からの占い・天文・時・暦などといった吉凶占いによりまして。お畏れながら、帝に於かれましては、麗景殿けいれいでんと温明殿が在る東の方角は、ただいま不吉にて。しばらくは穢れを避け、近寄らぬがよろしいかと思われますれば……』

 との、急な上奏が舞い込んできたからだ。



(しかし……この陰陽頭おんようのかみ。あの摂政・関白 松殿師久まつどの もろひさが、推挙した男であるからな。それをどこまで信じてよいものか、正直なところ眉唾ものなのだが……ふむ )



 一度はそう思ってみたものの、『穢れがある』と言われては、慣例でもあるので仕方なく。雅永は、このひと月もの間、温明殿はおろか十和皇后が居る麗景殿けいれいでんへさえも近付かなかった。


 だが、このところ。ある噂を耳にするようになり、再び気になり始めた。



「それはそうと、こないな噂があるのを御存知であらしゃいますやろか?」

「噂? それはどないな??」

「左大臣さんとこの近衛少将 忠房ただふさ殿が、とある姫に恋文を山のように送ったそうであらしゃいまするが、まったくの音沙汰なし」

「ほぅほぅ、家格に申し分無き近衛少将殿からの文を袖にしなはるとは、実に世間知らずな姫が居ったものよ。

が、まこと興味深い。

それで、その姫とは?」

「それがその筈で。その姫は、既に宮中にお入りになられ、間もなく入内の予定であらしゃいまするとか」

「それはまた、仕方のない……。少将殿も、運のないお人であらしゃりまするなぁ~。ほっほっほっ♪」


「おほん、うほん!」

 そこまでの話を黙って聞いていた、左大臣・近衛忠道がわざとらしく咳払いをし、不愉快そうに、蛙をニヤリと見る蛇が如く舌をしゅるしゅると鳴らし遠くから睨んでいる。

 その様子を伺い見て、大臣たちは「くわばら くわばら」と、しばらくの間は静かにしていたが。まだ話足らないらしく、今度は檜扇を開いて、ヒソヒソと噂話を始めた。


「……それが、それだけではあらしゃいませんのや」

「ほぅほぅ?」

「吾が親戚の殿上人が申しまするに、十和皇后様が居られまする麗景殿へと渡るその姫の姿を度々目撃致はりまして。流石は、九条の1の姫やと思われる、色鮮やかであでやかな細長ほそながに包まれた、柔らかにして華麗な姿が、!」

「なんとも?」

「「「──なんともッ?」」」


「……ゴニョゴニョ…然々しかじかにて…」

「ほぅほぅ!」

「「「──がタンッ☆!!」」」


 何故かその時だけ、声が小さ過ぎて、雅永まさなが帝にもよく聞こえなかった。


 気がつけば、噂話に戯れる中納言と聞き役の右大臣 中御門是長なかみかど これながの回りを、興味津々に他の大臣や殿上人らが顔を出し、身をのりだし、まるで積み木をするがの如く集まっている。


 その様子に対し、左大臣・近衛忠道も太政大臣・忠政もただただ呆れ顔を向けていた。


「中納言、今のような声の大きさでは、ここまで聞こえませぬぞ」

「「「そうだであるそうだである」」」

 大臣、公卿、殿上人揃っての大合唱……である。


「そうは言われましても、左大臣さんの前では畏れ多く、とてもとても……」

 それを聞いて、左大臣は仕方さそうに中納言を見て言った。


「そこで辞められては、返って皆、気になるばかりではないか。もう良い。この場にて、皆にお話しせよ。

但し、誤解なくな」

 それを聞いた中納言、「それならば」とばかりに調子に乗りおって、檜扇を片手にゆら~りゆらり~と大袈裟に揺らめかせながら語り始めおった。


「それはまさに、この世の者とは思えぬ美しさ♪」

「「「ほぅほぅ!」」」


「未だ12歳とは思えぬ、その身のこなしたるや♪」

「「「ほぅほぅほぅ!」」」


かぐわしきは、その薫りにて♪」

「「「ほぅほぅ!ほぅほぅ!」」」


「あどけなさの残る、その瞳、その横顔に、思わず酔いしれば♪」

「「「はぁはぁ!はぁはぁ!はぁ!」」」

「……」

 終いには、『お主らは犬か?』と言いたくなるほどのじゃれつき様……あぁ我が部下ながら、情けない。


 そこで中納言は、檜扇をぴしゃりと打ち鳴らし、『ここだけよ?』といったオカマ風情に独り酔いしれ言う。


「今や、紫宸殿ししんでんを警備する随身ずいじんたちの噂となり。ふと見渡せば、恋の虜となり。はたまた骨抜きにし、この京の都中に広まっているのだという噂にあらしゃりまするぅ~っ。

はいなぁああ~っ、ちょん♪」

「「「へぇへぇ!へぇへぇ!へぇ!」」」


「………」

 これはもう完全に、皆、犬化しておるな?


 雅永が呆れ顔にそう思い、ふと向こう側を見れば。あの左大臣も太政大臣も気になっている様子だ。


「それならば……確かに、噂には聞いたことがある。いま中納言が申したこと、そればかりではなく。時折、麗景殿に続く渡殿に腰を卸しては、なにやら遠くを見つめ、思い耽りたりて、まるで小鳥のように歌を囀っているのだと言う。

それがまた、耳障り良く満ち満ちて、心地良いとのことだ」

「……ふむ。それは1度、見ておきたいものよ…」


 左大臣に続き、太政大臣までもが興味深そうに、その噂を口にする。



(それにしても………麗景殿に続く、渡殿?)


 今になってようやく気づいたが、麗景殿に続く……となれば、その先にあるのは『温明殿』。さらに、『宮中から、入内の予定あり』となれば、恐らくはあの者しかいないだろう。


 これは、興味深い。

 否……いい機会だと、言うべきか?


 雅永帝は、そこで檜扇を軽く開いて、手元でぴしゃりと打ち鳴らした。


「それはもしや、例の九条の姫ではないのか?」

 そう聞くと、左大臣 忠道が畏れながらと控え応えた。

「その様にも、聞いてはおりまするが。これはあくまでも、噂にて……」

「……そうか、噂か。ならば──」

 言うと、雅永帝はスッと立ち上がり、告げた。


「これから、温明殿へ参る」


  ◇ ◇ ◇


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