第7話 麗景殿の十和様

 蔵司くらのつかさは、かつて帝や皇后の衣服や三種の神器を保管・管理する役職であったが、今ではその実態はほとんど無く。実務はすべて、内侍司ないしのつかさが行うようになっている。

 その為、蔵司の長である尚蔵くらのかみとして、この度、参内することになったものの……。職務として、やることなどまったく無く。神鏡(三種の神器の1つ)が置かれてある温明殿から割と近くにあった麗景殿れいけいでんへと度々顔を出しては、近衛家が1の姫である麗景殿の十和とわ皇后様のところへ遊びに行くのが常……つまり、いつの間にやら日課となっていた。


 そしてこの日も、「はぁ……なにも相手(神鏡)が足を生やして逃げる訳でもなし」と、軽く溜め息をついてそう呟き。骨董品紛いの古ぼけた神鏡の御守りなどは、仰々しくもそこを本来の持ち場とする内侍司ないしのつかさの女官たちに任せ、皇后様の元へと向かうことに決め。この度の宮中入りに合わせ、御父上様おもうさまが新調し用意してくれた色鮮やかな細長ほそながの装束を左右にふわっと広げ、スッと立ち上がり、檜扇を大きく開いて、帝が居るかもしれない左手に見える大きな紫宸殿ししんでんの向こうを、檜扇越しに遠くへと見つめた──。




「あら、これは咲花さな尚蔵くらのかみ。いらっしゃい」

 麗景殿れいけいでんへと続く渡殿を通っていると、間もなく、十和とわ皇后様付きの女房達が直ぐさまにこやかに中まで案内してくれた。


「十和皇后様も御元気そうで、何よりです」

 要所々に女房達が控える麗景殿の御座所おましどころに入り、わたしがそう静々と挨拶をすると。皇后様はそこでクスリと笑みを浮かべ、可笑しそうにくすくすと笑ってる。


咲花尚蔵くらのかみも、今ではすっかりと宮中に馴染んだものね?」

「余りそうやって、からかわないでやってください……」 

 十和様にそう言われると、何だか嬉しくも心がくすぐったくなる。


 この宮中へ来て、もう間もなく1ヶ月。当初は早々に主上と会い、気に入られることなく、むしろ不興をかってやり、ここを追い出される事を目論み行動していたものの。その主上にはなかなか出会えない日々が続き、いつの間にやらここの居心地に馴染み始めていた。


 因みに、十和様はわたしよりも3つ上の15歳。とてもそうは思えないくらいに、その立ち居振舞いは落ち着き洗練されていて、しかも肌が白く、綺麗な顔立ちをしている。その唐衣裳からぎぬも姿(俗にいう十二単じゅうにひとえ)も堂々としたものだった。


 わたしは東二条邸でも、この宮中に来てからも、好んでこういう細長ほそながを着るけれど。改めてこうやって見ると、やはり唐衣裳は良いなと思う。


 考えてみるとさ、暇さえあれば小弓こゆみで射的あそびをしたり、碁を打ったり、庭先で蹴鞠をしていたわたしとは色々な意味で対象的かも?



 間もなく皇后様が、「いつものあれを」と女房に命じ。暫くして、美味しそうな御団子と見るからに苦そうな濃いお茶が、数人の女房たちの手により運ばれて来た。


 ──わお!


「あなたはとても甘いものが大好きなようだから、今日は特別に濃い茶を用意させました。

良薬、口に苦しですよ? ちゃ~んと最後までお飲みなさいね、咲花さな

「いえいえ。わたし、実はこれが大好きなので!」


「あら、それはまぁ~。良きこと良きこと♪」

 十和皇后様は、そこでまたクスクスと可愛らしく笑み、檜扇で口元を隠す。それはとても幸せそうに見えた。

 でも間もなく、顔を曇らせ、改まった様子で口を開いてくる。


「それはそうと、咲花尚蔵くらのかみ

「ふぁい? ……モグモグ」


「吾が御父上(左大臣・忠道)より聞いたのですが……やがて頃合いの良き時に、この宮中より離れる構えであるというのは、誠なのですか?」

「モグモグ、ゴクン! ──あ、はいっ。主上の御尊顔を拝しましたあと、できるだけ早々に立ち去るつもりです。

でも、それが何か??」


「……」

 皇后様はそれを聞いて、とても寂しそうな表情を見せ、再び口を開いた。


「それは……どうしても、そうせねばならぬが故のことなのですか?」

「え?? いえ、どうしてもという訳ではないのですが……」


 そういう訳ではないんだけど、わたしがここへ来た理由は2つあって。その1つは、義理の兄との約束を守るため。もう1つは、主上から気に入られることなく、そもそも入内じゅだいの話など最初から無かったことにするためにある。

 だってその2つをクリアしないと、どの道わたしは九条家の行く末を人質に、入内させられる羽目に陥りそうだったから。

 何せ御父上様おもうさんは、あれからずっとそのことで東二条邸に引き籠ったままなのだという……はぁ。まさかこの歳で、家の行く末を背負うことになるだなんて、思いもしなかったよ。


 わたしはそうこう思い悩み、溜め息をついて十和皇后様の方を見た。すると、十和様は目の前で、はらはらと落ち着かない様子で気を揉んでいる。


「そ、その……咲花尚蔵さな くらのかみ。それがもし、どうしてものことでないのであれば、このままわたくしの傍に居て貰いたいと願っているのですが。それは無理なことですか?」

「えっ!?」


「もちろん、それ相応の待遇は用意するつもりです」

「……」

 何だか、十和皇后様から口説かれているような気がして、わたしは急に頬が赤らみ、恥ずかしくなってきた。

 異性でもないのに、何だかドキドキしちゃうよ。


 見ると、十和皇后様も顔を朱色に染めていた。


 前に、『歳の近い者が傍に居なくて、長く寂しく思っておりました。

咲花、そなたが来てくれて、本当に嬉しく感じ入っている』と微笑みながら言ってたから、きっとそれでだと思うんだけど……。



「皇后様、こちらへ忠房少将様がおみえですが。如何なさりましょうか?」

「あら、うちの弟が?? 突然に何かしら? ともかく、直ぐにお通しなさい」

「はい、畏まりまして御座います」


 ン?

 忠房少将って……やんちゃのことだよね??


 そう考えていると、どこかで嗅いだことのある香の薫りと共に、色鮮やかで小生意気そうな直衣のうし姿のイケメンが現れた。

 やっぱり、腹は立つけど。顔とスタイルだけは文句のない、やんちゃだ。問題は、わたしと同じで、性格の方。


「お、咲花姫! やはり、こんな所に居たのだな。随分と探したぞ」

「ハぃ?」

 ほらっ、これだ。会う早々に、これだよ。


「少将殿、実の姉を前にして『こんな所』呼ばわりとは何事ですか。口を慎みなさい」

 颯爽と皇后様から不機嫌顔でそう言われ、やんちゃは戸惑い困り顔を浮かべている。

 んで、周りの女房達からは『また始まったか……』という様な表情を向けられていた。


 それからまるで打ち合わせていたかの様に、十和様の女房たちは一斉に周りの御簾を全て下ろし、几帳を周囲に隙間なく並べ立て、誰一人として侵入を許さぬぞと思われる程にガードを固め始めていた。


 そんな中で、姉弟喧嘩がいよいよ始まる?!



「いや、私は何も嫌みで言った訳では……」

「今のは、十分、嫌みにも聞こえるものでした。主上に遣える者として。また、のちの左大臣として……さらには、太政大臣である御祖父様の跡を継ぐ者として。今後はもう少し、言動に注意して頂かなければなりませんっ!

この宮中に於いては、四方敵だらけなのです。足をすくおうと画策する者は、それこそ数え知れず。無用な敵を作るは、愚策であるを学び、何事にもこれからは慎むのです。

少将殿、よろしいですね?」

「は、はぁ……分かりました。今後は気をつけますので…」


 やんちゃは、十和皇后様からあっさりと言い負かされていた。案外、情けないなぁ~……。

 それにしても、十和様の意外な側面を見てしまった気がする。あ~、びっくりした。


 その後、皇后様は改まった様子で口を開いた。


「それで……少将殿、咲花尚蔵くらのかみに何用ですか」

「あ、いえ。私が用というよりは……」

「十和皇后様。咲花に用があるのは、この私です」

「「──!!」」


 そう言って、南側にあるひさしの方かスッと現れたのは、基近の義兄さまだった。

 それには周りの若い女房達が頬を染め、悲鳴を上げ、中には泣き出す者まで現れるほど。


 そしてよくよく見ると、十和皇后様もまた頬が赤く染まっていた。


  ◇ ◇ ◇


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