第9話 温明殿の蛍

「へっ? 今から?? こちらへ?」

「ええ。もう間もなく主上おかみが、温明殿から麗景殿こちらへと参られる。心構えは、既に出来ていますね。咲花さな


「……」

 きっと基近もとちかの義兄さまが言う『心構え』とは、帝から気に入られるように努める為の、心構えのことだと思う。


 わたしはそこで、困り顔に俯き。それからキッと真剣な顔に改め、基近の義兄さまを覚悟の思いで正面に見つめた。


 義兄さまには悪いけど。どうするかだけは、ハッキリとしている。主上に、気に入られない様にすること。それで、入内じゅだいの話は、始めから無かったことにする。

 白紙に戻してやる!

 だけど、幾ら気に入られないようにするにしても、主上から余計な不興をかい、九条家におとがめが来るのだけは何としてでも避けないといけない。

 そうしないと、御父上様おもうさまが益々、東二条邸に引き籠ってしまい兼ねないからなぁー……。



 そう、問題はなのよねぇ~っ。



尚蔵くらのかみ

「はい?」

「このままに進めて、よろしいのですね?」

「……」

 わたしがそうこう悩んでいると、十和皇后様が心配して、声を掛けてくれたのだ。

 それに対し、わたしは直ぐに真顔で頭を軽く下げ応える。


「はい。宜しくお願いします!」

 十和様はそれを見て、微笑み。わたしも同じく、微笑み返した。


 実は、十和様も今回の事情をよく知っている。というのも、このひと月の間にお互いのことを色々と話し合っていたから。

 なので、今日のこの時(帝が来た際)の対応も、事前に打ち合わせ決めていた。



 先ず、帝が訪ねて来たら、わたしがどことなく元気のない素振りをわざと演技して見せる。すると、雅永帝はその優しい性格からして(十和様談)、それを気にして聞いてくる筈だから、そこで十和皇后様がこう答える。

『実は、咲花には 恋する相手が居る。しかしこの度のことで、もはや叶わぬ夢だと気に病んでいるのです』と。

 それを聞いて帝、こう返す(予想)。


『それは、なんと可哀想なこと。ならば、ここは私が涙をぬぐいて、この者(咲花)の前から去ることで、一件落着としよう』

『あらあら、何とお優しい~♡』


 とまあ~、こういう都合の良い作戦シナリオなんだけど……。


 どの程度、予想通りに行くか分からないけれど、やってみる価値はある。予想通りに運ばなかったとしても、そこはアドリブで何とかしてみせる!


 うっし!!


 わたしがそんなこんなで拳をギュッと握り気合いを入れていると、基近の義兄さまは『はて?』とばかりに怪訝な表情を見せ、わたしに問うて来た。


「計画? 計画とは、如何様なことなのですか? 咲花」

「あ、それについては……」

 わたしに気を使った十和様が自ら進み出て途中まで言い掛けたが、結局は困ってしまわれた。そりゃあ、言いにくいことだからなぁ~。

 なので、十和皇后さまに代わり、わたしがその理由を伝えることにする。


「帝よりの入内の件。義兄さまには大変申し訳ないのですが、わたしにはお受けでき兼ねますので。この度は、わざと気に入られない様に致し。その御意ぎょい(主上からの意向)をもって、お断りするつもりです。

なので、この事で九条家に迷惑を掛けることは無いと存じ上げます」

「……断る? それは、何故です?」

「……」

 そう問われ、わたしは基近義兄さまをチラリと少し見つめたあと。再び俯き、恥ずかし気に頬を真っ赤に染めながら、上目遣いに義兄さまを見つめ、キッパリと申し上げた。


「わたしには、他にお慕いする御方が居るからです……」

「「──!!?」」


 と、その時。何故か、それを基近義兄さまの隣で聞いていた近衛忠房やんちゃが、ぬか喜びをして、自分のことを指差してアピールしてる。


 いや、やんちゃアンタじゃないから……。


 そんな中、基近の義兄さまは軽くため息をついて「それは、どなたか?」と、わたしに問うてきた。

 その反応を見た十和皇后とわたしは、『なんて鈍感なんだ……』と半眼の呆れ顔。特に十和皇后は、そのあと直ぐに真顔を見せ、口を御開きになられた。


「なるほど……中将殿が大変有能なのは分かりました。しかしながら、もう少しというものを、察する努力をなさってみては如何かしら?」

「これはまた……相変わらず、手厳しいことを」

 そのあからさまな嫌味を受け、基近の義兄様と十和皇后さまの二人の間で目が合い、バチバチ☆と火花が散っていた。


 うは!



 実をいうと十和様は、今でこそ帝の正室として皇后となっているが。今から7年前までは、近衛家の1の姫として、実家に住んでいた。そして、兼ねてより近衛忠房やんちゃを含む近衛家と縁の深い九条家は、お互いの家を訪れ合うことも多く。基近の義兄様と十和様は、その頃から見知り合う仲となっていた。

 

 因みに……十和様は、ひとめ見て基近の義兄様に恋をしてしまったらしい。


 だけど、程無くして、当時はまだ東宮(皇太子)だった雅永帝との婚姻が決まり。政略結婚が常の世にあっては、それに逆らうことなど出来ず、そのまま嫁ぎ、皇后となって現在に至っている。

 そんな経緯もあって、十和様はわたしのこの度の件に対し、まるで自分事のように親身になってくれていたのだ。



「ほぅ、これはまた賑やかなこと」

「「「──!!?」」」

 急に背後からその様な声が聞こえてきたので、驚き見ると。南側のひさしに、見慣れない若い男の人が姿を現し立っていた。

 すると、十和皇后は檜扇で軽く顔を隠して会釈をし、馴染み深く挨拶をする。

「これは……主上おかみ。お久しゅう御座います」



 ──えっ? 主上!!?



 それに遅れ、びっくり眼のわたしも檜扇でサッと顔を隠し、畏まりも会釈しようとしたが。その前に、『帝ってのが、どんな面構えの方なのか?』という興味が先に立ち、少しばかり会釈しつつも、その方をチラリと上目遣いに窺い見る……。


「ぅわ!!」

「──!?」

 迂闊にも、主上と目がバッチリと合い。そのあとで、わたしは慌てて檜扇を大きく開き、身を低くして隠れた。


 やっば! さすがに今のは、不味かったかも……??


 わたしがそう心配し、再び顔を、檜扇越しに恐る恐るソッと上げ窺うと。主上は、随分と動揺した表情を見せていて、

「まさか……そなた、……!?」と呟いていた。



 あさひ? なんじゃらほい??


 わたしがそうこう疑問な表情を浮かべ、目も点にキョトンと不思議がっていると、主上は急に顔色が青ざめ、「……いや、すまない。そんな筈は無い…あろう筈も無かったな……」と申し。檜扇を軽く開いて、顔を隠し「また、改めて参る」と言い残し、再び庇から清涼殿の方へと戻って行かれた──。



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