第5話 宮中での噂

 それから数日後の朝、宮中では──。

 光賢天皇こと雅永まさなが帝 (今上帝)が、内裏にて深いため息を吐いていた。それというのも日々自分が苦手とする和歌を詠ったり、公務としての『子作り』にも励まなければならなかったからだ。正直、好きでもない相手との公務は、精神的に苦痛にすら感じている。

 それというのも今年17となる雅永帝もまた、咲花さなと同じく、幼い頃に出逢った忘れられない初恋の想い人が居て。その為に、摂関家などが競うようにして入内させてくる姫君とは、どこか本気になれず、場合によっては途中で寝所から去ることも多かった。

 今回、またしても九条家から姫君が入内してくることになりそうだが、そういう意味でも気が重たく感じている。


「……それもこれも、私が迂闊にも興味を惹かれてしまったのがいけないのだがね…はぁ」


 数日前の歌会にて、九条の姫君が詠ったという和歌を耳にし、雅永帝はどこか懐かしいものを感じ。それで一言二言、大臣に訊ねたことでそういう話になってしまった。

 要するに、大臣たちが察し、忖度そんたくしてくれたのだ。

 何故、その時に『懐かしい』などと感じてしまったのかは雅永帝にも未だに分からないが。それは不思議と、この退屈な大内裏へ連れられてくる以前の甘く懐かしい幼少時代を思い起こさせてくれるものだった。


 実を言うと、雅永帝は6歳の頃より、京の外れにある宮家筋の屋敷に居を移し住んでいた。というのも、当時は帝となれる継承権にはほど遠く。更には、御父上様が先帝と摂政である関白・松殿師久まつどの もろひさらから煙たがれていたことで。それに関わる直系の雅永を、政治の場から引き離そうとする謀略の中に居たからだ。


 理由はどうあれ、雅永としては結果としてありがたいことであった。お蔭で、宮家屋敷近くにある畔にて、初恋の姫君と知り合い。そして、その姫君の娘で、やたらと元気で活発な『蛍の姫』とも出逢えたからだ。それは僅か3年余りの歳月であったが、未だに忘れられないとても良い想い出である。


 しかし、程なくして状況は変わった。


 疫病により、宮中内にて次々と皇族の後継者が御隠れ(亡くなる)になり、遂には雅永ともう1人しか選べる近親の皇族後継者が居なくなっていた。その為、まだ幼少であった雅永 (当時9歳)が、東宮 (皇太子のこと)として内裏へ入ることに決まり。京の外れにある宮家の屋敷より、半ば強引な形で連れ出されるに至った。


 それ以来、『蛍の姫』とは会って居ない。



「蛍の姫……か」

 内裏にある天皇の政務の場となる清涼殿の昼御座ひのおましにて、雅永帝は、そう懐かしく遠い昔を想い出し、吐息を吐くかのようにゆるりと呟く。

「あの活発だった姫君も、今頃は姫らしく、御しとやかにしているのだろうね……」


主上おかみ

 気付くと、太政大臣・近衛忠政このえ ただまさら大臣達5名が畏まり控え。南側の離れた廂には、当直の公卿や殿上人が数名ほど控えていた。


「ああ、太政大臣。すまないね。少しばかり考えごとをしていたのだ」

「少々、お疲れのご様子。後ろの御帳台にて、御休になられては?」


「いや、大事ない。そのまま続けておくれ」

「……御意に」

 雅永帝の言葉を受け、太政大臣・近衛忠政は畏まり、大臣等を前に話を続ける。


 正直、この場に居て雅永帝のやることなど何もなかった。ただただ、参議らが集う会議にて決まった事柄や、このところ京の都内で囁かれている噂話などを耳にし、この座にて宮中での退屈を凌ぐばかりであった。


 実務的なことの殆どは、この近衛忠政や摂政・関白である松殿師久まつどの もろひさが決め、執り行われている。



(この場では、私など、ただの飾りだな……)



 雅永は周りの者たちから気付かれないよう、小さくため息を吐いた。

 間もなく、この日の政務は終わり、雅永帝は奥にある御帳台へと入った。そのあと、公卿達は各々に噂話を始める。



「それはそうと、こない噂があるのを御存知であらしゃいますやろか?」

「噂? それはどないな??」

「権大納言さんの1の姫さんが、宮中へ入るとの噂があらしゃいましてなぁ~。今朝方それを知りまして、飛び上がるほどに驚きましたわ」

「……そんなことなら知っている。主上よりの命であろう? この私が、九条権大納言殿にそう伝えたのだからな。驚くことではない」



 ──……九条? あの九条家の姫のことか?



「それが、そうではあらしゃいませんのや。宮中は宮中でも、女官・・として、後宮に入るとの噂でありましてなぁ~」

 内大臣の話を聞いて、皆騒ぎ始めた。


「それはまた……主上より、入内じゅだいの誘いがあらしゃいましたのに。権大納言さんも思い切ったことをなさる。あれで案外、怖いもの知らずやなぁ~……」

「こわばらこわばら」

「それはそうと、今朝は当の御本人が見当たりあらしゃいませぬが、どうしたのや? まさかもうから逃げ出したんかいな?? えらい準備がよろし」

「権大納言さんなら、今日は物忌ものいみらしく、主上に迷惑を掛けてはならぬと、東二条の屋敷にて籠っておいでです」


「それは仕方のない…」

「いやはや、まこと仕方のないことであらしゃいますなぁ~っ。ほっほっほ♪」

「それで、理由は?」

「……有り体に言えば、サボってはるのであらしゃいますのやろ? 太政大臣さんも意地の悪い」

「いや、そうではない。何故、1の姫を女官とするのかの理由だ」

「ああ、それであれば噂によりますと」

「──いや。それにつきましては、私の方から御説明を」


 左大臣・近衛忠道がそこで慌てて話を遮り、かくかくしかじかと説明した。


 それは、要約するとこういう事だった。



 咲花姫は12歳で、未だ裳着もぎ (成人の儀式)前である。よって、その間は女官として蔵司くらのつかさの長・尚蔵くらのかみとして後宮へ参内させ、入内はその後とする──。



(これは……何とも都合のよい)

 雅永帝はその話を聞き、檜扇で口元を隠し、小さく笑んだ。


 一方、太政大臣・忠政の方は、左大臣を厳しい眼差しで見つめている。

「……左大臣。何故、お前がそのことを知っている?」

「実は、権大納言いとこ殿の1の君より相談を受けておりましたもので……実はそのぅ…権大納言が1の君は、我が2の姫と懇意があり……」

「というと、右近衛中将 基近殿か?」

「左様です」

 それを確かめ、太政大臣・忠政は小さく唸っている。


「左大臣。これからそういう大事なことは、私か主上に必ず相談してから進めるように」

「──よい! 左大臣。、もう少し詳しく聞かせておくれ」


「「「──!!?」」」

 雅永帝が檜扇をピシャリと鳴らし、鋭い口調でそう訊くと。その場に居た公卿・殿上人たちは驚き、一同に顔が青ざめた。


  ◇ ◇ ◇


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