第4話 平安の世の習い

 それにしても、わたしが入内じゅだい? そんなのっ、冗談じゃないよっ! 相手が例え帝でも、まだ見も知らない殿方の元になんて、行ってたまるもんですか!!

 だいたいが、そもそもみんな頭可笑しいんじゃないの? 和歌のやり取りだけで、美しいだの、愛してるだの、恋をしただのと、よくもまあ~そんな歯の浮くような台詞や言葉が出てくるものよねっ?? まだ実際に会っても居ないのに。まったくもって、わたしには理解できないよっ。しかも、なに? 婚姻成就に寝込みを襲われ?(夜這よばいされ) それが連夜続き?? 3日目に出される三日夜餅みかよのもちいを食べて成立???

 はっ、なにそれ? 美味しいのっ??(お餅は美味しいかも知れないけど……) マゾじゃあるまいし、わたしからすればそんなの変態の極みよっ! みんな、頭のネジがどうかなってんじゃないのぉーッ!?



「──はぁっ、はぁっ! はあぁ~……春野はるのぉ~っ、わたしはきっと不幸な運命になるべくして産まれて来た身の上なのよぉ~…」


 西対にしのつい (母屋から西側に突き出て建てられた寝殿。つまり、自分の部屋のこと) へ怒り心頭になりながらそうこう思い考え戻ったわたしは、その勢いのまま、散々回りの物を蹴飛ばした挙げ句、最後は「……はぁはぁ! ぜぇぜぇ!」と疲れ果て座り込み、女房 (世話役)の春野はるのにそう愚痴を溢していた。

 春野は、それを聞いて困り顔を浮かべている。


「そんな、まさか。それは姫様の思い過ごしですよ」

 倒れた几帳きちょう御簾みす壁代かべしろなどを立て直しながら、春野は困り顔ながらもそう優しく言ってくれた。

 その様子を見て、わたしは急に申し訳なく感じ。なんだか間抜けだけど、一緒に部屋の中を片付けながら話を続けることにする。


「そもそも基近もとちかの義兄様は、鈍感過ぎるのよっ! もう何年もお慕いしているのに、まったくこちらの気持ちに気付いてくれないんだからさぁーっ!!」

咲花さな姫様、お声が少々大きゅうございます。側柱の向こうの簀子すのこ (濡縁・通路のこと)には、随身ずいじん (警備)なども居りますので……」


「わ、わかってる……ご、ごめん…春野、わたし油断してた……。義兄様とのこと、他の人に知られたら困るものね? ありがと…いつも感謝してる」

 女房・春野の忠言に、わたしは小さく頷き肩をすくめ畏まった。


 春野は、よく出来た女房だった。

 本来なら、上級貴族の元へ嫁ぐことも可能な名家の出自であるが。わたしがこの東二条邸へ来て間もなく、女房 (世話役)として付き添ってくれるようになった。歳が近いこともあって、習いごとも共に学び、その優秀さも理解している。だから春野とは、気心が知れていた。わたしが基近の義兄様をお慕いしているのを知っているのは、その為でもある。


 と、その時。側柱の内側、しかもひさしの中から、急にカタリと音が聞こえてきた。春野とわたしは驚き、そちらの方を見つめ怯える。


「そ、そこに居るのは、誰っ!!?」

「……私ですよ。咲花さな


「義兄様……?」

 基近の義兄様はそう言って、几帳と御簾みすの向こう側にその姿を静かに見せた。先程は内裏だいりから帰ったばかりだったので、帝に仕える近衛中将としての束帯そくたい姿だったが。今は、私邸用の直衣のうしに着替えていた。束帯姿も格好よく素敵だったが、直衣姿もまた華やかで素敵だった。思わず頬が、ポッと赤らんでしまう。


「中へ入ってもよろしいか?」

「え、えぇ……」

 わたしがそう応えると、春野が手早く御簾を上げた。それを義兄は確かめ、御簾と壁代かべしろを雅に潜り抜け、わたしが居る几帳の向こう側で膝を崩し、スッと座った。だから、お互いの顔は余りよく見えはしない。

 それでもわたしは檜扇ひおうぎを開いてその顔を隠し、義兄様の次の言葉を待った。

 しばらく静かな時が経ち、やがて義兄様は口を開いてくる。


「先程は御父上様の手前、ああは言ったが。咲花がその者を本当に慕っているのならば、力になってもよい、そう考えている」

「──!!」

 基近義兄様の言葉を聞いて、わたしは嬉しくなり、思わず目の前にある几帳を押し退け、義兄様の表情を直に見つめた。


「が……それも、による」

「──へっ?」


咲花さなも分かってはいるだろうが、婚姻には政治的な意味合いが関わる。この九条家にとって、よい縁談でなければ、賛成は出来ない。

これは、咲花のことを思ってでもあるのだから、くれぐれも勘違いしないでおくれ」

「……」

 要するに、から考えても、わたしと義兄様との婚姻は絶対にあり得ない、という事をいま改めて再確認させられたも同じ事であった。

 わたしは義兄様のその言葉を聞いて、とても悔しく悲しく、また腹立たしくもあり、唇を噛み締めた。ところが、


「……と言ったところで、本題に入ろうか?」

「──は?!」

 基近義兄様はそう言って片膝を立て、ウィンクをしている。わたしの方は、虚を突かれた感じで、びっくりだ。


「その好きな相手とは、あの左大臣様のかぁ?」

「えっ!?」

 左大臣のやんちゃとは、藤原氏の嫡流ちゃくりゅう(氏族の直系)で、名は近衛忠房このえ ただふさ。わたしとは1つ上、基近義兄とは2つ下の従兄いとこ。その父親である左大臣・近衛忠道様は、次の藤氏長者とうしのちょうじゃ (藤原一族全体を束ねる氏の長者……つまり一番偉い人のこと)になるだろうと囁かれている程の実力者だった。

 御父上様おもうさまの代から落ち目である九条家とは、対照的で大違い。


「あれは性格に難はあるが、左大臣様に似て、とても要領がよく、出世も早い。見た目も美しい男子であるしな。主上おかみ (帝)からの覚えも目出度めでたい。御所内でも評判の公卿であるし、家格としても申し分ないと私は思うよ」

「……」

 基近義兄は、ニヤニヤと笑いながらそう言った。だけど、わたしとしてはまったく面白くない話だ。直ぐに顔をツンと横に背け、返してやる。

 

「わたしは、あの者は大嫌いです!」

「まあ、そう言うな。子供の頃は、よく一緒に遊んだ仲ではないか?」

 

「その……子供の頃に、散々いじめられていたんですけど…?」

「あ、いや……あれは、アイツなりに、お前から構って貰いたい一心で出た行動だよ。そう思えば純粋だし、可愛いもんじゃないか?」


 あれが可愛い? 純粋?? はっ、どこが?


 部屋の中へ池の蛙を忍ばせたり、蛇やトカゲを捕まえては、わたしの直ぐ目の前で放ったり、挙げ句の果てにそれを見て下品にもゲラゲラと指まで指して大いに笑っていた。今思い出しても腹立たしい限りよっ。


 まあ……そのあとで同じくらい。ううん、それ以上に倍仕返してやったから、もう精々しているんだけどね?



「実は先日も、近衛忠房近衛少将からお前との縁について頼まれてな。話によれば、幾ら恋文を書いて送っても、全く返さないそうじゃないか。そう言っては随分と悲しんでいたぞ」

「そんなの当たり前ですっ! その始めの恋文の中に、干からびたトカゲが入っていたんですから!!」


「…………」

 それを聞いて、義兄様は「アイツも相変わらず子供のような真似を……どこまで本気なんだ?」と呟き、困り顔に頭を抱えている。

 

「まあいい。分かったよ。とにかく、咲花がお慕いしている相手は、近衛家のやんちゃ……いや、忠房いとこ殿ではない、そういうことだね?」

「当然です」

 わたしは、ツンとしてそう返した。


 それから今更ではあるんだけど、一度は押し退けた几帳を自分自身の手でいそいそと立て直し、義兄様との間に置いた。春野もそれを見て、直ぐに手伝ってくれる。

 義兄様はその様子を、見慣れた光景であるのに、初めて見たかのような呆れた表情で見つめ、軽くため息を吐き口を開いてくる。


「ならば、どなたなのだ?」

「……」

 そんなこと、言える筈がない。それが、基近義兄様だなんて……。


「言えぬか。言えないような家格 (家柄)の者が相手なのか? まさか、屋敷内に居る家来がその相手ではあるまいな?」

「──!? ち、違いますっ!! そういう事ではなくて、私はただ…」


、なに?」

「……。相手の顔も、どんな方なのかも分からない殿方とそのままズルズルと一緒になるなんて、とても考えられないんです」


「だからこそ、恋文のやり取りをするのではないのか?」

「──!! 恋文なんかで、相手のことなんて何も分かりませんよっ! こんな方法でしか結ばれない恋なんて、わたしには納得できないんです!」


「……だが、現に皆そうしているし。恋とは、今の時代、そういうモノなのだ。咲花、余り強情を貼るのも程々になさい」

「…………」

 ダメだ。これでは話にならない。話が平行線どころか、解り合うことも無理だ。基近義兄様の言ってることは、平安いまの時代では正論過ぎて、勝てる訳がない。だけど……!


 わたしがそれで暫く黙っていると、義兄様は諦めたかのように軽くため息を吐き、スッと立ち上がった。


「咲花の言い分は、よく分かった。ならば、その相手の顔をことさえ叶えば、咲花はそれで納得するのだな?」

「えっ? ……えぇ。それならば…」

 わたしがよく理解出来ず、でもその条件ならば確かに納得できるのでコクリと頷いた。すると、義兄様はそこで『ふっ……』と優しく笑み「可能な限り、手は打ってみよう」と言い残し、この西対にしのついから東対へと立ち去っていった。



「……よく分かんないけど。今回はこれで、何とかやり過ごせたのかな??」


 ところがこの事で、わたしは後になり、後悔することになる──。


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