内乱勃発す3

 妻の見立ては外れていなかった。

 使者と面談したダディストリガは、面差しも厳しく倉皇と着衣を改めて、駆け出すように屋敷を後にした。


 馬車は用いない。余程の悪天候でない限り、馬に乗る。

 まだ日も昇り切ってはいない薄暗い中、まずは祖父宅へ向かう。

 いま聞いた話を早急に一族の総帥へ報告しなければならない。


 詳細は王城にて、との指示を受け、慌ただしく城を目指す。

 馬は、幅員が広く取られてよく手入れされている道を、軽快な足取りで進んで行く。


 程なく城の正門が見えて来た。

 ダリアスライス王家居城リッツェンテーゼ城である。


 正面門の両脇では国旗が翩翻とはためいている。鮮紅色の布地に白い刺繍糸で丹念に縫い取った、羽ばたく猛禽の図案が、見る者の目を引く。


「脇門、開けっ」


 国旗に目礼しつつ、ダディストリガは鞍上から命じた。正面を守る衛士二名が、すかさず臣下向けの小

振りな門を左右から押し開けた。


 門をくぐる瞬間には刀礼が捧げられ、若い軍司令官も謹厳な返礼を施した。

 本日の彼は、多忙を極めている。


 祖父との話し合いは後程の事としても、大陸の共通習慣である神殿拝礼、会議、軍事教練と、たいそう目まぐるしい。

 そのうえ、もう一つある。


 まだ緑の衰えていない城内の敷地を西へ向かう。教会へ行くのである。

 この頃には、日の出が遅い冬の南国も、空はようやく薄明に達した。


 彼が城内に置かれている教会に到着した時、南刻の一課午前六時を告げる鐘の音が鳴り渡った。

 教会の正面玄関では、下級僧侶らが清掃に勤しんでいる。


 周囲を入念に掃き清める者、扉を磨く者、神像の埃を払う者、と大勢いる。

 このような作業に従事するのは僧籍に入ってまもない者で、ほとんどは少年少女である。中には、水汲み桶を引きひきずるようにしてよちよち歩いている、明らかに幼児と見える者もいる。


 大部分の者はシアの民、蜜のような金髪と青い瞳をもつ高級民族だった。

 ガロア大陸における公式宗教であるユピテア教は、歴史を辿れば彼らの至高神思想に端を発する。そこへ大陸の先住者達が有していた民間信仰が取り入れられ、現在の形が成立したのだ。


 その、大陸随一の敬虔な神僕民族達は、拝礼時刻前に現れた、彼らを凌ぐ上級の支配者民族に属する青年に気がついて、一斉に仰天した。

 最年長と思われる少年が飛んできて立礼した。彼も、少年僧侶に立派な刀礼を返した。


「ティエトマール剣将ダディストリガ・バリアレオンである。

 司教猊下にお会い致したい」

「は、はい。

 ただいまお取次致します」


 少年は扉を蹴破る勢いで、教会内に転がり込んで行った。

 ダディストリガはさほど待たされる事もなく、やはり慌てて駆けつけて来た上級僧侶に導かれ、儀式の準備に騒然としている教会の中へ入って行った。


「こちらへどうぞ、剣将閣下」

「多忙なところを突然にいたみいります、司祭どの。

 ゆえあって、司教猊下にぜひお目もじ致したく、まかりこした次第。

 よしなにお伝え願います」

「かしこまりましてございます」


 司祭の先導を受け、式場の中を歩いて行く。

 彼にとっては、初めて目にする儀式準備の情景である。


 礼拝堂の中を忙しく駆け回っているのも、稀には僧籍を得たレオス人も居るが、大部分はシア人だった。


 ダディストリガは、作業の手を止めて立礼する僧侶達の間を縫うように進んでいたが、神体が安置されている祭壇の近くで足を止めた。


 供花を両腕に抱え佇んでいる若い尼僧を、彼は注目していた。

 青い瞳が印象的な、まだあどけなさを残す顔立ちの少女、ティプテ・ワルドがそこに居た。


 大きな目を瞠って、剣将ともあろう身分の青年を、しげしげと遠慮なく眺めている。

 彼が珍しいのであろう。


 その率直な様子は、有体に言って、ダディストリガを感心させなかった。

 彼は目を伏せようともしない尼僧を、厳しく凝視した。が、少女は一向に恐れ入らなかった。

 恐れ入ったのは司祭の方であった。


「これ、ワルド神僕女。剣将閣下にご無礼であろう。下がりなさい。

 ご奉仕はどうしたのか。神へのご奉仕を疎かにしてはならぬ」


 気色ばんで、不埒な若い尼僧を追い払いにかかる。すると


「あら、ごめんなさいませ」


 事もあろうに、軽やかな笑声が立った。彼女は、ダディストリガに向けて微笑んで見せ、早々に歩き去って行った。


 女性がこのような態度を男性へ表わすのは、レオス人の感覚には到底合わなかった。殊に評判の貞女を妻に持つ彼には、その奔放さは充分に衝撃だったであろう。


「な、何だ。あの娘は」


 少しぼう然となってから急いで立ち直り、冷ややかに司祭を見やった。彼の従弟には大いに験を発揮した天真爛漫さも、今は逆効果だったようだ。


 視線で監督不行き届きを弾劾された司祭は、卒中の発作を起こしかねない程に赤面して、何度も至らぬ尼僧の無礼を詫びた。

 この失態で、彼女は叱責と懲罰を受ける事になるであろう。


 不快げに眉をひそめていた剣将だったが、しかし、いつまでも些事に拘泥してはおれぬ、と思い直したらしく、再び表情を引き締めた。

 が。長くは続かなかった。

 神殿を通り抜け、僧侶たちの宿舎にあてられている教会の奥へ入り、司教の控え室へと急ぐ途中で、またしても不快感と直結する人物に出くわしたのである。


「や、これは」

「おお。これはこれは。

 ティエトマール剣将どの」


 先方も同感であるらしかった。

 嫌なやつに行き合ったものだ、と言外に表現している声が、ダディストリガの前方から沸き上がった。

 五十歳に届くかどうかといった風体の、痩せた男である。


「バースエルム盾爵閣下」


 ティエトマール家を目の敵にする一族の頭目の一人だった。

 ダディストリガにすれば、好感の抱きようが無い人物だが、年長者には違いない。脇へ退いて歩みを止め、礼儀正しく先行権を譲った。


 盾爵は大きく頷くと、胸を張り、さも当然のように足を早めた。この尊大な態度が、ダディストリガの非好意の所以であった。


 もっとも、こちらにも言い分はある。若輩者が年長者に礼を尽くすのは大陸の常識であり、それを不快がる方が間違っているのだ、と。


 こちらの目には、ダディストリガ・バリアレオンは門閥意識に凝り固まった鼻持ちならぬ若造、としか見えていない。


 顎を上げて胸を反り返らせ、昂然と若者の目前を通過した盾爵は、だが何かを思いついたような様相になって立ち止まり、鋭く振り返った。

 肉付きが薄く血色の悪い顔に、薄笑いが張り付いている。


「いやいや、剣将どの。

 名門ティエトマール家のご嫡孫ともあろう御仁に、小生の如きが閣下と尊称を賜るのは恐れ多い。


 裏手口からでないと教会にも入れぬような数ならぬ身に、そのような尊称はご無用になされるが宜しい。


 神殿から堂々とご入場あそばす貴公子どの」


 次いで、底意地の悪い口調で皮肉を浴びせると、ようやく気が済んだらしく、盾爵は足早に去って行った。


 痩身を後ろから蹴り飛ばしてやりたい衝動に襲われていたとしても、不思議はないところだが、ダディストリガは無表情を保った。


 彼は歯を食いしばり、黙って歩き始めた。

 連続して襲来する不快感に耐え抜き、やっと司教の控え室へ辿りついた。


 司祭の取り次ぎの後、教会の最高責任者が直々に、ダディストリガを出迎えるため部屋から出て来た。

 皺深い老人である。司教はしきりに


「本日は、レオスさまがよくお見えになる」


 首を傾げながら若い客を室内へ招じ入れ、対座した。

 彼の態度から、バースエルム盾爵もつい先刻、この司教と面談したらしいと思われた。

 それについては特に触れず


「ティプテ・ワルドなる尼僧について、少々お聞かせ願いたいのです」


 即座に、肝心の用件へと入った。

 この場合は、身分が上であるダディストリガの方から口火を切っても、非礼にはあたらない。


「かの尼僧は、我らレオスの者とシアの民、両方の血を受け継いだ者にございますか」


 まず重要な事を訊ねる。司教は慎重な様子で頷いた。


「お名前は申し上げられませぬが、さる高貴な御方と、我がシアの女人との間に生まれました者にございまする。


 ワルド神僕女は、幼少時に母と死別し、お父上はかの者をご養育あたわぬ御身にあられましたゆえ、当寺院にて引き取ったものにございますが。

 それが何か」


「ふむ。やはりか」


 ダディストリガは顎をつまみ、不審がる司教を無視して考え込んだ。

 ティプテが混血者である事は、ランスフリートからも聞いていたし、先刻自分の目で確かめてもいる。間違いのないところである。


 次に、より重要な件に踏み込まなければならない。


「ご父君のお家柄を明かせぬ旨はごもっともながら、枉げてお明かし願いたい」

「えっ。

 いや、それは」


「司教猊下。

 本件は、我がダリアスライスにとり、非常に大切な事なのです」

「御国にご大切な……」


「左様。

 詳細は国事に障るゆえ申し上げられませぬが、かの尼僧の存在が、我が国に重大な影響を及ぼす事は必至と、ご理解頂きたく存じます。

 ティプテ・ワルドのご父君は、どなたですか」


 丁寧な口調ながら、語気は強かった。

 厳しく問われて、司教は狼狽しつつも、しかし即答は避けた。


 彼にすれば、慎重を期したいのは当然であろう。剣将は、だが司教の立場に理解を示したりはしなかった。


「猊下。重ねてお願い申し上げます。

 ユピテア大神に誓って、また我がティエトマール家の名誉にかけて、猊下と貴院にはご迷惑をお掛け致しませぬゆえ、正直にお明かし願いたい」

「……」


 司教は困惑したが、ダディストリガに引き下がる意志は毛頭無い。

 老僧侶はしばらく逡巡した末、ついに決断した。

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