内乱勃発す2

 ダリアスライスは、幸いにして嵐の直撃を受ける事は無かった。

 相応の雨は降ったが、南西三国から見れば可愛らしいとさえ言える程度で、河川の水位が普段より幾らか上昇したというのが精々である。


 当国王都は普段通りの朝を迎えていた。

 上空から鳥瞰すれば、都市の姿は大きな同心円に見えるであろう。街は王家居城を中心に円を描くような形で築かれており、都心から七つの大通りが外周に向かって伸びている。


 王冠都市タステリクと呼ばれるゆえんである。

 その放射状に伸びる街路を挟んで、道筋に商店が軒を連ね、商店街の裏側に人家が密集している。


 目抜き通りには、都市近郊に村落を成している農耕民族トライア人が毎朝農村から出て来、畑でとれた野菜や穀物を露店を構えて商っている。


 彼らを目当てに、裏路地から住人達がぞろぞろ現れて、賑やかな高声をあげつつ品定めしながら値段の交渉にかかってゆく。


「何でこんなに高いんだ、昨日の倍じゃないか」

「旦那、ばか言ってもらっちゃ困る。昨日と何も変わっちゃいないよ」

「いいや、昨日の方が安かったぞ」


 あるいは


「その鳥を絞めてくれ。二羽だ」

「塩漬け肉はあるかね」


 といったやりとりも見られる。

 都市生活者達は、大陸の平民階級にある民族が主だった。


 ヘリム人、同根のポルトール人と呼ばれる人々である。どちらも栗色の髪を持つ民族で、ちょっと見には区別がつけにくく、両民族の混血者も珍しくはない。


 買い物は男性の役割と見えて、黒い髪のずんぐりしたトライア人農夫達と値段の折り合い巡り、丁々発止やりあっている中に、女性の姿は稀である。主婦の仕事は、朝食の支度なのだろう。

 騒々しいがなり合いが、歩道の至るところで展開している。


 露店商は野菜売りだけではなく、ツェノラから仕入れた干魚を売る者、食用の鳥や小獣を注文に応じてその場で捌く者、乳製品を売る者、とまことに多様である。

 更には


「クエラが焼けたぞう、たった今だぁ」

「肉団子入りの合いダイジェは如何、おまけをつけるよ」


 露天商の空腹を当て込んで、弁当屋の屋台も出ている。

 まだ店を開けていない商店街の軒下で、朝市は活況を呈しているのだった。


 一年を通じて変わる事は無い、朝の風景である。

 活気に満ちた俄か市場を両脇に並べる大通りを、荷馬車が何台か行き交っている。

 店を構えているのは、大概が飲食店か衣料品店、または加工業である。


 馬車に乗るのは、本日の商品を仕入れに来た者もあれば、逆に売れ残りを引き取る回収業者もある。

 一台、黒髪の男達が曳く荷馬車が、ある露天商の前で停止した。


「よう、繁盛してるか」

「カムオか。よく来たね。

 今日は何を持って来てくれたんだね」


 いかにもトライア人らしい老農夫が、声を掛けてきた黒髪の男に笑顔を見せた。

 売り物の作物を並べる手を休め、中腰から身を起こす。


「あんたが卸してくれる生乳は、随分と売れるんだよ。ありがたい事さ」

「そいつは良かった。

 もちろん、生乳もあるさ」


 カムオと呼ばれた男は、自分の背後を振り返った。荷台から、若い衆が五人ばかり、威勢よく飛び降りて来るところだった。


「樽を三つ下ろせ。大樽だ」

「ノイ、バズ」


 若い衆は大声で返事をし、言いつけられた作業に急いで取り掛かる。

 黒髪と短躯ながら、がっしりした筋肉質の体をもつ男達、トライア人農夫とよく似た見かけを持っているが、肌はより日焼けして、どの男も顎に髭を蓄えた、精悍な強面だった。


 大陸に幾つかる先住民族の一つ、イローペの民。草原を移動して生活する遊牧民である。

 両者が似ているのは当然と言える。彼らは元々は同族で、定住して農業に従事するようになった人々が、現在「動かない(トライア)人」と呼ばれている。先祖伝来の遊牧生活を今も捨てていない人々が「家畜を追う(イローペ)人」を称する権利を得た。

 カムオは、自ら手にしていた品を農夫に差し出した。


「それと、今日は久々に毛皮を持って来たぞ。

 冬が近いからな、いい儲けになるだろう。

 あんたの女房に着せてやってもいいしな」


「そりゃ助かる。

 おお、こりゃあ上出来だ。

 店に持って行けば、高く売れるだろうに。

 いいのかね、わしに卸してくれたりして」


「あんたに持って来たのさ。

 後はどうでも、好きにしてくれればいい。

 おれ達は、これから南へ行くんだ。また、春までお別れだ」


「そうかい。ありがとうよ」


 農夫は節くれだった両手を広げて、毛皮を大事そうに受け取った。

 代金が支払われた。カムオも一般の流通貨幣である銅貨を、ありがたそうに腰の袋へしまい込みつつ、晴天を見上げて


「いい案配の空になったな。

 商売繁盛を祈っておく。

 昨日までは、客足はさっぱりだっただろう」


「ははは、さっぱりだったよ。

 あの雨じゃ、食料の商いならまだいいが、うちのような雑貨だと客が来やしない。生乳も無かったしなあ。


 もっとも、南西三国だったら商いなんて話じゃなかっただろうさね。

 カムオ、くれぐれも気を付けて行きなされ」


「ありがとうよ。

 確かに、この辺りであんな雨具合なら、南西なんぞはえらい騒ぎだっただろうな。

 昨日の出発を取りやめて良かった」


「それは本当に良い考えだった。きっと大地のランダイリスが、あんたにその考えを授けて下すったんだよ」


「おれもそう思う。ありがたい話さ。

 おれもしても、悪天候の真っ只中に南端へ向かうなんざ、ぞっとしない」


「そうだろうとも。

 まあ、南西部は嵐さえ無けりゃあ、のんびりと暮らしやすいって噂だ。

 冬の終わりまで家畜を労わって、ゆっくり過ごすといい」


 トライアの農夫は皺がれた笑声を立てた。

 話題はそこで途切れ、カムオには出発の潮時となった。彼の部下達は、既に準備を終えていた。


「じゃあ、達者でな」

「あんたもな。

 カムオとその部族に、大地の神の恵みがありますように」


 ユピテア教徒ではない遊牧民のために、老農夫はイローペ人が信じる大地の守護者ランダイリス神へ祈りを捧げて、旧友への別れとした。


 カムオは右手を軽く上げて、大地に根づいた遠い日の同族の好意に謝すると、部下を率いて立ち去って行った。



 騒がしい朝は下町のものである。

 上流貴族たちの邸宅街には、露店は一つも出ていない。森閑とした厳格な空気が、王城と美しい邸宅の周囲を包んでいる。


 とりわけ、華麗にして厳然たる雰囲気を漂わせる一角がある。

 老チュリウス・アドレオンを総帥とする、ダリアスライス王国最大門閥の一族、ティエトマール家が占める区画である。


 ダディストリガ・バリアレオンも同様で、父の屋敷に設けられた離れにおいて妻子と起居している。

 祖父からとある厳命を受けている彼は、このところ頭を痛めていた。


 食欲からも見放され、今朝も食卓に着いてはみたものの、盛られた料理をつつきまわすだけだった。

 半刻がかりで飲み込んだ料理と言えば、口直し用の煮こごりで、これでは五歳になる長子はおろか、二歳の娘よりも食べていない。


 夫の極端な食欲不振を、夫人はもちろん看過していなかったが、差出口は慎ましく控えて、動かない夫の手先をじっと見つめていた。


 名をジュリシア・パドラという。当年二十二歳、一男一女の母である。

 食欲を見せない夫のために、彼女は出来るだけ料理の見映えを良くし、最近は食べ易い品を選んで食卓に供している。

 今も、黙って様子を伺っていたが、夫の手がついに止まったと見て、給仕役のへリム人女性を呼び寄せた。


「旦那さまに、果物をお持ちして」

「済まん。

 子供達の躾に悪い事をしたな」


 食事を諦めたダディストリガは、食器を定位置に戻して吐息した。

 夫人は労わりのこもった優しい視線を、武骨な夫に送った。有体に言って美人とは称しにくい容姿ではあるが、内面の美徳においては当国でも屈指の女性と評判である。


「お加減でもお悪いのですか。

 近頃は、あまりお召し上がりになられないご様子ですが」

「いや、体調は良い……何でもない。

 済まんな、そなたには要らぬ気遣いをさせる」

「気遣いを、させて下さいませ」


 ジュリシアは物柔らかに微笑んだ。丁度、果物が運ばれて来た。彼女は籠ごと受け取ると、手ずから果実の皮を剥き始めた。


 鮮やかな赤みを帯びるその南国の果実は、皮だけでなく身も果汁も鮮紅色である。

 形は丸く、表面は細かなうぶ毛に覆われている。たいそう柔らかな果肉で、指で強く押すとたちまちへこんでしまう。きつい甘やかな香りを放つ。


「お義父さまから頂戴致しましたの。

 旬は過ぎておりますが、まだお味は宜しうございますわ」

「マープの実か。

 昔はよく食べた。ランスフリートと二人、顔中を真っ赤にして行儀悪くかぶりついていたものだ。

 今はもう、あいつとはマープの実を分け合うどころではないが」


 感慨を込めてダディストリガは言い、妻が剥いてくれた赤い実を噛みしめた。

 その途端、食堂の入口が慌ただしくなった。

 何事かと問う暇もなく、屋敷の勤め人が駆け込んできて


「旦那さま。

 ただいま、火急の用件にてお目通りを願いたいとの由、お城より使者が参られ」

「何」


 彼は素早く立ちあがった。

 妻に目配せは不要である。彼女も心得たもので、侍女へ子供達を預け、応接間に客を招き入れるための準備を始めた。

 早朝の来客が、夫にとって重要な案件を携えていない筈が無い。

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