北方騒然4

 街は騒がしい。

 エルンチェア王都は複雑な造りをしている。


 目抜き通りでさえ道幅は狭く、すぐに交差路が現れる。裏道は慣れた者でも迷いかねない。

 特に冬が近い今の時期、主だった街路は薪を扱う商人の荷台、輸送馬車の往来でごった返す。


 その上、晩秋の恒例行事である豊穣祭の準備も重なり、街は喧噪に満ちている。

 人々と荷役の馬が忙しく行き交う中、少し開いた場所では立札の設置が急がれていた。


「また西国境で紛争だとよう」

「今度は、随分と人死にが出たんだそうな」


「いや、ひどいもんだよ」

「祭りが近いっていうのに、不吉な話もあったもんだ」


 札に目を通し、または読み上げ係の語る内容を耳にした市民達は、眉をひそめて噂し合う。

 朝から慌ただしい雰囲気の中、昼過ぎには歩兵達が姿を見せた。


 冬支度と祭りの用意で人出が多く、ただでさえ混雑しがちな街路を武装集団が練り歩き、続々と街の外へ向かってゆく。


「今度は軍隊のお出ましだよ」


 市民達は、皆ぼう然と行軍の様子を眺めた。


「お味方の敵討ちかね」

「人が足りなくなったから、新しい兵士を送るんだろう」


「南に向かっている隊もあるらしいぞ」

「南国境でも何かあったのかねえ」


 見送る人々は、尽きない噂の種を巡って、あれこれ取り沙汰するのだった。



「そ、総勢二百ッ」


 報告を受けた内務卿は仰天して、軍事を統括する大剣将の元へ自ら走った。

 城の内部には行政所と軍事部があり、普段はほとんど交流しない。


 彼らにしてみれば、行政組織の中で最も格が高い部門の長官が突然に姿を現した事で、驚くのも無理はなかった。


「ツァリース閣下に面談致したい」


 内務卿直々の要請とあって、取り次ぎの下級兵士も無碍にはしかねた。

 面談を待つ軍人達を飛び越える形で、彼は執務室に通されたのである。


「何事ですか、内務卿閣下」


 大剣将は冷淡だった。机から動こうとせず、応接の客間に通すどころか、一部門の長ともあろう相手を立たせたままで面談に臨んでいる。


「先日の論戦の続きを御所望なら、別の日に願いたい」

「そうではないっ」


 内務卿は興奮を露わにして、執務机に詰め寄った。手には書類が一枚握られている。


「総勢二百もの街路行軍とは、どういう事ですかっ。

 わたしは、何も聞いていない」

「それはそうでしょう。

 決定は、つい先程です」

「そんなばかな話があるものか」


 書類を突き出す。


「人員が十かそこらの小隊ならともかく、二百名もの一隊が動くのに、先程決まったなどという事が有り得るものですか。


 事前の準備はあったはず。なぜ、内務庁にお届けなさらなんだ。

 街の中を行軍するなら、その旨の通達はせめて十日前にはあって然るべき」


「役所仕事に付き合う暇はございませんでな」

「何ですとッ」

「内務卿どの」


 大剣将の目が、にわかに据わった。


「先日の議論も似たようなものだったが、そこもとは少し事態を軽く見ているきらいがある。

 東国境では、戦死者三十二名を出しておる。もはや紛争を超えて、局地戦と言わねばならぬ」

「戦とお考えか」


「その可能性、無きにしも非ず。

 あらゆる可能性を考慮に入れずして、国の守りを語れようか」

「先走りに思えますな」


 内務卿も退こうとはしなかった。


「書面には、南方面へも軍を差し向けるとあります。

 これは、ブレステリスに対して刺激が強い行動と言えます。

 東はやむを得ないとしても、南にまで軍を動かす必要がどこにあるのですか」


「軍事に関する決定は、わたしの専断事項につき、答える必要は認めない。

 そこもと。つい先日、文官は軍議については預かり知らぬと申したばかりではないか」

「時と場合によります。

 ブレステリスの塩における臨時取引要請を却下し、直後に軍を南へ派遣する。


 まるで、戦を仕掛けると言わんばかりの態度ではありませんか。

 誤解されたら如何になさるご所存か。


 軍隊を動かして要らぬ対立を招き、後始末は我ら文官に任せるというのでは、納得しかねる」


「先走りはそこもとであろう。

 誰が、後始末を文治派の衆に頼むと申したか」

「なっ……」


 ツァリースは明らかに意図して威圧の姿勢をとっている。そう見た時、アローマ内務卿は肌がざわつくのを覚えた。


(この男、戦を企図しているのか)


 むろん、大剣将の背後には国王が控えている。むしろ、王こそが戦を望んでいると思われてならない。


「今のところは、戦時下ではございませぬ。

 街の警備に関しては、内務庁の管轄です。

 警備兵への周知を行う必要があるからには、当日に突然の街路行軍など、以後はお控え願いたい」


 そこまで言うと、彼は憤然と軍事部を後にした。不毛な議論に時間を費やす気にはなれなかったのだ。

 大剣将は、相容れない客の背中を冷然と見やっていた。



 当宮廷においては、南隣国との関係を巡って、古くから親和論と強硬論が対立している。

 内務卿を筆頭に行政担当の責任者達、とりわけ外務卿及び外商卿は、親和論の根強い支持者だった。


 彼らの目には、軍事の総裁こそが「物事を軽く見ている」ように映っており、危機感を高めざるを得ないのである。


 軍事部から戻った内務卿は、自分の執務室奥にある応接の間に同志二人を招き、先刻のやり取りを語った。

 部屋の主と相対して席についている二人のうち、外務卿が見る間に眉間へ皺を寄せた。


「信じ難い。

 東についてはまあ、判らぬでもない。が、南に軍を向けて何の利益があるのか」

「強気一辺倒で、聞く耳をまるで持たんのだ、あの頑固な老人は。

 若い時分に南隣強硬論を学び、時代が変わった今も有効と信じ込んで、疑っておらんのだろうよ。


 ブレステリスが、我がエルンチェアの直参だった時代であれば、それも通じたかもしれん。

 しかし、現代は違う。

 曲がりなりにも独立した一国だ。手下呼ばわりは、先方の反発を招く」


 盟友の言葉に、アローマは腕組みして不機嫌に応じた。外商卿が同意したように深く頷いた。


「まったくだ。

 反発の結果が峠封鎖という形で表れないと、誰が保証出来よう。

 先方とて、その程度の知恵はあるに違いないのだ。


 武力をちらつかせれば意のままになるなどと、他国に思われたら先方も堪るまい。

 手厳しい反発を受けて、南方圏との商取引が不首尾に終わったら――なぜ、そこに思いが至らぬか」

「それが軍人の悪癖よ」

 

内務卿は吐き捨てた。


「親和論は、決して機嫌取りを佳しとする策ではない。

 軍人にはそれが判らんのだ。


 残念ながら、陛下におかれても強硬論を御支持におわす。

 御考えを変えて頂けるとは、もう期待はしかねる」


 彼は言い、盟友二人を等分に眺めやった。両者とも異論はないようだった。


「事ここに及んでは、進発した軍を止めようはない。

 対策は別途に考えるとして、喫緊の課題は……ご両人、承知であろうと思う」

「もちろん」


「今更引くわけにはいかん。

 おそらく、向こうも同じ考えと思われる。

 内務卿どの。我らとしても、早めに動かねばなるまい」


「わたしも外商卿どのに賛成だ。

 幸い、御理解を賜る見通し。

 急ごう」


「お覚悟の程は了解した。

 我らの策、早々に御承引を賜ろう」


 三人は互いの顔に、それぞれ視線を走らせた。どの表情にも、固い決意の色が乗っていた。



 物見の兵達は、我が目を疑う光景に出くわし、全員が硬直していた。

 北国境、即ちエルンチェア側から国旗を掲げる一団が姿を見せ、どっとばかりに一隊が押し寄せてきたのである。


「これは何事……」


 目の前で、軍隊は迅速に整列してゆく。

 愕然としている彼らに、隊長らしい人物が従者を従え駆け寄って来た。


「ブレステリス軍の者か」

「は、はい」

「騒がせておる。

 演習につき、懸念は無用」


 それにしては、物々しい。剣士の隊のみならず弓兵までいる。

 もし彼らが一斉に弦を引き絞ったら、たった五名の国境巡視班などひとたまりもない。


「歩兵隊、突撃用意ッ。

 抜刀、構えっ」


 エルンチェア軍の指揮官は、部隊が南を向いた状態でありながら、いきなり下知した。

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