北方騒然3
一連の経緯は、王の知るところである。
会議が解散になった後、主君の元には外務卿の他に一名が残った。
「外務卿。
改めて、その方の労苦には礼を申す」
「勿体なき御言葉」
「次なる手は、既に講じておろうな」
「御意にございます。
まずは先手を取れたものと思し召されませ」
臣下の自信に満ちた返答は、王を満足させた。
彼は頷き、次いで別の初老男性を注目した。
「内務卿よ。
民の気運は高まっておる。
今であれば、下々は耐えてくれような」
「御意。
先日の国境紛争において、多数の死者が出た事については、市井の隅々まで知れ渡っております。
臣の得た知らせによりますれば、宮廷が号令をかけるまでもなく、打倒西沿岸を叫ぶ声が随所で聞かれ、義勇の兵を志願する者まで現れている模様。
元から、西への不満は民の間でも大いにたぎるところ。今や戦を厭う者など、一人もおりますまい」
「殊勝である。
西国境で散った者達も、安んじて神の国へ旅立てよう。
予は、あの者達の死を無駄にはせぬ。
戦は始まっておるものと覚悟しておる」
主の言葉に、二人とも深く頷いた。
当国は、背後に北海を臨んでほとんど山が無い平らな国だった。大陸の沿岸国家は、南北を問わず似たような地理である。
しかし北国の場合は、暖房無しで冬を越す事は不可能であり、国土が平野部という状況は過酷と言える。
連峰の麓に属国を持つ特有の事情が、これまでは当国の救いだったが、昨今は需要に応じかねる事態が深刻になりつつあった。
その属国領は、北方諸国の中で最も小さく、山裾にかかる領土が致命的に狭い。
南方圏から暖房用の木材を輸入しなければ、越冬に支障が生じるのが現況なのである。
ここで、問題が生じている。
ブレステリスはエルンチェアを非常に優遇し、他国には何かと冷淡な態度をとる。
グライアスにとっては不満どころではなく、今となれば死活問題と言っていい。
「我がグライアスは、その方達もよく知る不均衡に長年悩まされてきた。
西側と大差ない領土の構成でありながら、燃料不足のゆえ産塩事業に参入もかなわず、冬を越す薪の手配すら不如意にすぎる。
木材輸入にはタンバー峠を通行する以外の道が無い現在、やつらの既得権に対して、紳士的な感想を抱いてはおれぬ。
先方も一度手にした特権を、やすやすとは放棄すまい。
ならば、実力を持って状況を変える他に何があろう」
祖国の未来を拓く為に、戦を選択する。
王は決断を下し、描いた構想を着実に実行へ移していた。
西にはまだ、気づかれてはいない。
裏切り。あるいは独立の第一歩。
どちらにしても、ブレステリス王国には重い事実だった。
長らく盟友関係にあったエルンチェアの、冷淡に言えば油断に乗じるかたちで、当国宮廷は東から伸びて来た手を握った。
発端は三年前、王の在位五周年記念式典である。
グライアス外務卿は休憩の席上
「リューングレスとツェノラが組んで、海路貿易振興策を推進する」
との情報を流してきた。
現在の常識である
「陸路は海路に比べて安全」
が根底から崩れ、利潤を生みだす宝の道が一転して宝の持ち腐れに変わるとなれば、知らぬ顔でやり過ごせる内容ではなかった。
それだけも十分衝撃だったが、痛手は二段構えで襲ってきた。
「ときに総裁閣下。
貴国のタンバー峠は、相応の評価を得ておいでですかな」
話題の一段落と同時に、東の外交責任者は囁いてきた。政治総裁としては、たとえ内心がどうであったとしても
「むろんの事。
高い評価を得ております」
答えざるを得ない。
僅かながらも確かに揶揄のこもった笑声が立った。
「失礼ながら、かの国は貴国を、未だ属国扱いしてはおられませぬかな」
次に、とんでもない言葉が耳の中を叩いた。
総裁は絶句して体を硬直させた。まさか子供のような率直さで、一国の外務卿ともあろう立場の者が口にするとは、思いもよらなかった。
外務卿は
「ご無礼を。
少々、言葉が過ぎたようです」
慇懃無礼な調子のまま、言葉を続けた。
「しかしながら、総裁閣下。
我らとしては、実に口惜(くちお)しいと考えております。
大国ゆえの傲慢が、貴国の独立国たる矜持に、しばしば水を差している実情」
「……」
「独立国家に対して敬意を払うのであれば、不当なまでの峠通行優遇策を、辞退して然るべきかと」
「……何のことやら。
先方は礼節に則り、弊国を独立国として遇しておられます」
ようやく沈黙を抜け出したが、視界には鋭い微笑があった。
「はて、面妖な。
されば、南方産の薪は一国独占に等しい状態にあるのは、何ゆえでございますか。
かの大国は、貴国における対南方貿易中継地点たる地の利を、何ゆえに専有なさいますのかな」
「専有というわけでは、その」
「貴国のお立場からすれば、せっかくの峠にまつわる利権です。
十全にご活用なさりたいところでございましょうに、最も頻繁にして大量に輸入される薪への課税を、特定の一国だけが不当に低く抑えさせておられますな。
なぜでしょうか」
全く突然に、暗黙の不文律は破られた。
ブレステリスにとって皮肉な事に、宮廷が幾つか用意した「不文律を認め、受け入れる国」への見返りの一つ。外交儀礼の優先度を高くし、要人が親しく意見交換の場に臨む特例が、逆手に取られたのである。
「そのような事実は」
総裁の狼狽を、他国の外務卿は軽々と無視して
「例えば。
弊国が、薪の輸入量拡大を陸路において図れば、若干の交渉の余地は残して頂くとしても、外交上の礼儀を尊重致しますとも。
何よりも、それが独立国への敬意と申すべきもの」
盛んに言葉を送った。
「独立国」や「敬意」は、ブレステリス人には抗い難い引力を備えていると、おそらくは承知の上で。
当国王家は、その血筋を幾ら遡っても王族には繋がらない。
帝国時代も身分は陪臣であって、現代に至ってなお
「成り上がり者」
「自称王家」
との陰口が絶えなかった。
有体に言ってしまえば、エルンチェア王家の直参だったのである。
いっそ開き直って「それがどうした」とばかりの態度を取る事が出来れば、また別の道を拓けたかもしれない。
だが、長年に渡って染み付いた感覚というものは、理屈では如何ともし難い束縛力を有している。
昔の通りではないといった強い意識がある反面で、王を先祖に持たない「血」への劣等感を拭う事も、すぐには致しかね、この国を自縄自縛に陥らせているのだった。
何事も慎重に。その方針を堅守して、いつか成るであろう「真の独立」を夢見る。
今までは、そういう風潮が色濃い国風だった。
しかしながら、根底に渦を巻いているある種の感情を、どうやら東の外務卿には見透かされていたらしい。
終いには共闘を持ちかけられ、国論は割れた。
「性急すぎる。
東の目論見など、知れたものではないぞ。
うかうか乗って良い話ではない」
穏健派が首を横に振れば、強硬派が
「では、いつなら良いのだ。
十年後か、それとも百年後か」
「我が宮廷からは、都合六人もの姫を先方へ送ったが、当方へは一度たりとも王族の姫は送られておらん。
人質をとられるばかりではないか。
いつ是正されるのか。もう待てぬ」
厳しく応じる。
侃々諤々の議論が繰り広げられ、その末に強硬論が通った。
王家の血が一方的に先方へ送られる現状、そして他国から独立した一国家とは認められていない不愉快な事実と、付随する実際上の不利。
これらは穏健論を制圧して余りあった。
グライアスの企図が奈辺にあるかよりも、属国扱いを払拭したい思いが勝ったのである。
当宮廷は共闘相手の要請を受け容れ、彼らから見ての北隣国へ使者を立てた。
いわく
「塩の臨時取引を求む。
二万サハード用立てられたし」
独立への第一歩。あるいは裏切り。
もう引き返せなかった。
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