北方騒然2

 翌朝、王城で鎮魂式典が行われていた頃。

 街の至るところで国境紛争の発生が大きく報じられ、殉職者達への追悼が呼びかけられた。


 広場や辻には専門の役人が姿を現し、下働き達が立札を設置してゆく。

 宮廷からの達しを民衆に伝える読み上げ係がいるのである。


 この時代、一般平民の識字率は悪くはないが、同一文書を大量かつ迅速に用意する手段は無い。

 緊急の告知は、立札周辺に下級役人を配置して、文書を読み上げさせる。


 場合によっては事務調子ではなく、人々を煽り立てるような言葉遣いも用いられる。

 劇的に語られた護衛兵士の殉職ぶりに涙する者、怒気を発する者、様々な市民の姿が見られた。

 昼過ぎには遺族達が続々と城に呼び出され、棺の引き渡しを受けた。


「陛下より特にお褒めの御言葉を賜る。

 弔い料も遣わすとの、格別の御慈悲も下された」


 一家族につき、葬式代を支払っても一月はゆとりが持てる貨幣が添えられている。

 この処置の噂はすぐに広まり、夕暮れ時には


「陛下は慈悲深い」

「エルンチェア許すまじ」


 の声が、王都に満ちる事になったのである。



「民衆の怒りは西側に向かい、討伐の機運が急速に盛り上がりつつあります」


 翌日の会議が始まる直前、議場で報告を受けた王は深く頷いた。

 彼は椅子を蹴倒す勢いで立ち上がり、集めた閣僚達を等しく見やると


「聞いての通りだ、諸君。

 予の方針は決しておる。

 

 いつまでも、エルンチェアに我が世の春を謳歌させてはおかぬ。

 今一度、気を引き締めよ」


 拳を突き上げて檄を飛ばした。


「応」


 まるで軍隊のような返答が一斉に上がる。

 それも道理で、当宮廷は外交と外商以外のほぼ全員が武官を兼ねている。


 剛毅な主君に柔弱な臣下は無用という気風があると見えて、こういった雰囲気にはたいそう過熱しやすかった。


「陛下、我らは命を惜しみませぬ」

「祖国の為に、戦いましょう」


 極めて好戦的な声も聞こえる。王は身を乗り出し


「戦う。

 やつらとの軍事衝突は、もはや必至と心得よ。

 武力の行使無くして、状況は改善されぬ」


 我が意を得たりとばかりに言った。

 彼は当初から腹案を固めていたのである。



 閣僚の中には早くに意を含められ、その通りに動いていた者がいる。

 武官を兼務しない文治派貴族だったが、主君を見やる目の鋭さは、軍人にも劣らない。


 策を授けられてから既に三年が経っていた。

 最初の接触先として選ばれたのは、ブレステリス王国だった。


 真夏の某日、当代国王の在位五周年を記念する催しが開かれ、グライアス王国外務卿も招かれて出席した。

 その休憩中


「政治総裁<<首相>>閣下。

 先程の茶菓子、非常に美味でした。生乳を精製の上ほどよく練って甘味を加え、薄く焼いたクエラで挟んだものだとか。

 我ら北方諸国は、とかく武骨を尊ぶ風潮がございますが、なかなかに洗練された逸品と感じ入りました」


 彼は、先方の上位貴族へと声をかけた。


「南国にも引けを取らない華麗な見た目といい、故国<<くに>>に持ち帰りたい程です」

「恐れ入ります、外務卿閣下」


 そつのない対応が返された。

 むろん、相手にも純粋に雑談を楽しむ積もりなど毛頭無いに違いなく、外交における駆け引きの始まりと見做すのが常識というものだった。

 しばらくは菓子にまつわる無難な話題が続いた。


「それにしても、優秀な技術ですな。

 豊富な生乳があればこその品とお見受け致します。さすが、酪農に秀でておられる。


 弊国如きは、見習いたくとも酪農事業を起こす事がまず困難。

 ご存知の通り、我らが領土は海岸線に沿っており、内陸側には伸びておりませぬ。

 かのエルンチェア王国よりも、一層海に近い国と申せましょう」


 当たり障りのない会話が、ある方向へと、徐々に変貌しつつあった。

 それと感じ取ったらしく、会話相手の表情にも笑顔は保たれているものの、緊張の色合いが上り始めている。


「仄聞するところによれば、貴国ではリューングレス王国を通じて、南方の海で捕れる魚がよく流通しておられるとか。

 我らは山国につき、魚料理など滅多に食卓には上りませぬ。羨ましく存じます」


 あくまで茶話に限定したいと見えて、菓子や料理の話題から動こうとしない。

 式典の休憩にあてられている茶話室には、このような雑談、あるいは雑談を装った本音の探り合いをしている者が、至るところに座している。


 とはいえ、一国の外交責任者と宮廷政治の統括者のそれとなれば、重要度には格段の差がある。

 総裁の周囲には、配下にある役人や護衛が複数居る。対する外務卿は単身である。


 自分に有利ではない雰囲気の中、彼は話の主導権を握らなければならなかった。

 無理は禁物。年経た男は知っている。


「弊国とても、魚料理は珍味と称すべきもの。

 どちらかと申せば、リューングレス王国の得意分野ではあるまいかと存じます」

「ほほう」


 相手は、なかなか思惑に乗ってこない。

 外務卿は、あえてとぼけた表情を作り


「かの王国と申せば、近頃はとみに国力を蓄えておられ、隆盛目覚ましいものがございます」

 しれっと言ってのけた。

 総裁は不意を突かれて露骨に失笑しかけ、かなり苦労して態勢を立て直した。


「まあその。なるほど、見るべき点はございましょうとも」

「国が若いだけに、王家は申すに及ばず民の心意気も、それはそれは揚がっております」


「めでたい事ではありませんか」

「仰せの通り。

 かの王国は、我が王家の親戚筋にあたられる連枝が治める。いわば身内でございます。


 幸い、南方のツェノラ王国と親しく交流しているお陰で、船による行き来も盛大になる一方。

 身内の隆盛は、まさにめでたく存ずるところ」


「……ほう」

「このまま親交が深まってゆけば、いずれは海路開拓の偉業達成も、あながち夢ではなくなるのでは、と。

 弊国も関心を寄せております次第」

「……なるほど」


 総裁の表情が、俄かに改まった。

 この時、外務卿は内心で勝利を確信した。



 先方は静かに席を立ち、付いてくるよう手招きしてきた。一方で、付き従う部下には留まるよう、同じく身振りで指示している。


 ようやく、望みの状況が整った。

 二人は連れ立って休憩室のとある窓際へ移動した。


 玻璃越しに、山麓の広大な緑が広がっている。遥か視線の先には大連峰がそびえたち、夏だというのに姿の大半が銀色に染められていた。

 ブレステリスは、この峻険に二か所しか無い通行可能な峠の一つを領地している。


「海は荒れます」


 総裁が口火を切った。


「海路開拓は大いに結構、成れば大陸の歴史に残る大事業であろう事は確かながら。

 対南方貿易において、現在の陸路に比肩する成果が上がるのは、果たしていつの事になりましょうか」

「仰せの通りとは存じます。


 峠にも、山賊どもが跋扈している事実はございますが、貴重な物産が海底へ沈む危険性に比べれば、護衛の兵士が役に立つだけ遥かに安全です。


 やはり陸路、峠通行が良策でしょうな。

 あくまでも、今のところは」


 語尾を意図して強めた時、総裁は風景を眺める姿勢ではなくなった。


「海路振興策が進んでいる――相違ございますまいか」


 ブレステリスにとって聞き流すわけにはいかない重大事だった。

 タンバ―峠と称する南方圏へ至る陸路の一つを、北方圏の東沿岸地域エルンチェア、リューングレス、そしてグライアス。三つの国家群が絶えず通行している。


 この時、各種税が徴収される。当国の貴重な収入である。

 もう一つの峠は西の端にあって、東沿岸の国々には距離がありすぎる。海路も船が未発達であり、遠距離や沖の航海術も覚束ず、ごく一部を除いて利用される事はほとんど無い。


 従って、現在は安泰だった。

 だが、船は安全ではないという前提が覆り、海技の発達が見られた場合は。


「リューングレスとツェノラが手を組む」

「確かです」


 耳打ちで、外務卿は答えた。


「彼らの宮廷内情を一番良く知る立場にあるのは、我々です」


 情報の精度について、自信が色濃く浮かぶ断言だった。

 総裁も納得顔で頷いた。


 リューングレスは、グライアスの誰が見ても歴然とした属国である事を、承知しているのである。

 峠通行に絡む利益の侵害には、目を瞑れない。その事情が、彼に決断させた。


「お話を詳しくお聞かせ願いましょう」

 外務卿の勝利は、確信から確定に変わった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る