北方騒然5

 目算でおよそ五十名から六十名の兵士が、即座に剣を抜き構えた。

 国境巡視の五名は悲鳴を上げて後じさった。

 指揮官は噴き出した。


「おっと、失礼。

 不意打ちに備える訓練につき、当方も予告は致しかねた。

 了解ありたい」


 軽く咳払いして表情を真面目らしく改め、配下の一隊へは東を向くよう指示を飛ばす。

 ブレステリス兵達は仲間内で何かを話し合うと、揃って急に回れ右をし、足早に立ち去って行った。


「小隊長どの。

 ちと脅かしすぎでは」


 副長らしい男も苦笑している。指揮官は涼しい顔で南側を一瞥し


「よいのさ。

 上からお達しが出ている。

 南の連中が腑抜けておるようなら、少し活を入れて遣わせとな」


「ははぁ」

「連中がその気になれば、東の背後を抑えて圧力をかけるくらいは出来るはずだ。

 それをせずして友邦国とは片腹痛い。


 総裁閣下のお言葉だと聞いている。

 まあいい、腑抜けに気を遣うよりも演習だ」


 後は興味を失ったように、顔をそむけた。

 彼の目は、既に東を見ていた。



 北方圏における情勢の関心は、ともすれば東側へ向けられがちになるが、国は西にもある。

 晩秋の一日、西沿岸地方にツェノラ王国の密使を自称する南方系レオス人が現れた。

 彼が訪れたのはヴァルバラス王国という。


 昼すぎ、城の裏門に地味な仕立ての馬車が乗り付けられた。二頭立てで、幌には飾りもついていない。

 門衛が二人、訝しげに様子を伺う。

 すぐ、車内から一人の男性が下りて来た。役目の者達は露骨に困惑した。


「あのう、失礼ながらどちら様で」

「お見かけ申し上げた事がございませんが」


 恐る恐るといった体で、それぞれ誰何する。

 通常、貴族が城を訪れる時は、手順が決まっている。


 特例もあるが、大概はまず使者が立って口上が述べられ、身元確認やら訪問理由やらを厳重に調べられ、城の庶務全般を取り仕切る役人の了解を得て、ようやく当人が入城する運びとなる。


 派遣されるのは、門衛が顔を見知った者である事が原則である。

 ところが、下車した男について、彼らは見覚えが無い様子を明らかにしていた。


 大陸の平民階級ヘリム民族の男である他は、正体不明だった。

 かといって、正門に堂々と馬車を乗り付けたあたりから、車内には貴族が居るとしか思われない。


 門衛達は、突然の客をどう扱えばよいか決めかねているらしく、盛んに顔を見合わせたり、車内を覗き見ようと背伸びしたり、落ち着きを欠いた。


「我が主が、貴国の外務卿閣下にご面談を求めております」


 男はツェノラから来たと言い、約束もあると主張した。門衛はやむなく城役人に判断を仰いだ。

 ひとしきりの騒ぎを経て、彼の主張の通りだと確認された。

 夕刻近くになった頃、客は入城を許された。



 外務卿と顔合わせを果たした、南方訛りの強いレオス人が語った内容は、衝撃の一言に尽きた。


「絶交ですと。

 エルンチェアとヴェールトが」

「左様でございます」

「そのような事が有り得ますかな。

 俄かには信じ難いお話ですが」


 彼が、半ばあ然としながら問い返したのも、しごく当然の反応だったであろう。

 ヴェールト王国は、南方圏というよりも大陸において、圧倒的に広大な森林地帯を有する。

 更には大連峰の通行可能な峠を二つとも領地している。


 北方圏、とりわけエルンチェア王国にとってのこの国は、薪貿易の主要取引先であり、塩権益を支える工業燃料の供給元だった。

 まさしく生命線である。よりにもよってその国と絶交など、自殺行為ではないか。


「如何様に考えましても、可能性は思い当たりませぬ」

「事実です。

 ヴェールトはエルンチェアを見限り、今後はグライアスと誼を結ぶ模様であると、我々は情報を入手致しました」


 ツェノラの自称密使は落ち着き払って答えた。

 しかし、ヴァルバラスの外務卿はますます首を傾げるばかりだった。


「エルンチェアではなく、ヴェールト側からの絶交宣言というわけですか。

 まさか、そのような。


 万が一にも薪の独占体制が崩れれば、かの国は重大な損失を蒙りますぞ。

 北の雄国とまで異称されるかの国が、むざむざかくの如き失態を犯すでしょうか」


「エルンチェアとても、全能の至高者ユピテア大神が治め給う神の国ではございますまい」


 壮年の南方人は、疑問をごく穏やかな声で否定した。


「かの国を支配するは、我らが大神にはおわさず。

 人の子が治める以上、無謬であろうはずがございませぬ。


 北の雄国といえども失態を犯す事はございましょう。

 弊国は、確かな筋から情報を得ております。


 南方圏の情勢については、失礼ながら北方圏に属する貴国より、同じ南方圏に属する弊国の方が、より正確に把握する事が叶うと存じますが」


「……まあ、それはそうでしょうな。

 それで」


 まだ納得しかねる様子ではあったが、南方人の言葉に逆らおうとはせず、おとなしく話の続きを促した。

 自称密使はおもむろに深呼吸し、いかにも重大事を打ち明けるといった態度へ改めた。


「問題となるのは、塩です」

「ほう、塩」

「左様にございます。

 エルンチェアの薪独占体制崩壊は、大陸全土における塩の供給状況にも多大な影響が及びます。


 グライアスが市場へ参入して、ただちに良質な塩を提供叶うというのであれば、いっそ重畳。

 値段の競合が始まって売り値が下がりますゆえ、買い手としては好ましい情勢となりましょう。

 しかし、そうならなかった場合はどうなります」


「ふむ」

「塩の相場が、一時的にせよ混乱するのは避けられないと考えられます。

 市場が受ける影響は、甚大にして深刻。


 先物買いの塩商人達が、暴動を起こしかねない騒ぎに発展する恐れ有り。

 我ら買い手としては、グライアスの性急な市場参入は歓迎あたわざる事態と申せましょう」


「一理ございますが」


 外務卿は首を小刻みに振った。なかなか、同意には至らないものと見える。


「そうだったとして、彼らがただちに塩の市場へ参入するとは限りますまい」

「では、他にどのような理由が考えられますでしょうか」


 南方人は、慎重な姿勢を崩さない先方の関心を引く為に躍起となった。

 こう反問されれば、外務卿としても考え込まざるを得ない。


 自称密使の言葉を事実と仮定する。グライアスの行動の裏には、塩の市場へ新規参入して利潤をあげたいとの動機があると見るのは、特に不自然ではなかった。


 エルンチェアの東隣国であり、領土の北限は海に通じる。

 同じ地理条件の西に出来る事なら、我々にも不可能ではない。そう考えていると言われれば、あながち間違いではないように思われる。


 しばらくの思考を経て、彼は腰を据える気を起こしたと見え真顔になり、軽く咳払いして背筋を伸ばした。



「貴国は、我が国に何をお求めか」

「ご明察、恐れ入ります」


 南方人は喜色を浮かべたが、同時に緊張もしていた。

 これからが、いよいよ密使にとっての正念場なのである。


「我がツェノラはご存知の通り、海産物を主食としている国。しかも、南方圏に位置しております。

 魚介類が腐敗しやすい性質である事は、今更申すまでもない常識。


 それをどのように防腐処理し、長期保存に耐えさせるかは、暑い南方圏においてはまことに重大な問題なのでございます。


 ともかくも、塩が大量に必要となります。

 調味用ではなく、保存食の製造、殺菌用途としての塩。


 これが入手しにくくなるという事態は、弊国が如き海産物で成り立つ南方国家にとりましては、北方国家が暖房用の薪に困窮するのと同じくらい憂慮に値するのです」

「ふむ」


 外務卿は目を細めて、南方人の熱弁に聞き耳をたてている。

 南方系レオス人は、ずいと身を乗り出した。


「むろん、エルンチェア産の塩が入手困難になるという事情についての憂慮は、弊国のみに留まるものではございませぬ。


 我が南方圏に名を馳せるダリアスライス。

 貴国となかなかに親交のお深いかの国とても、事情は同じと存じます」

「ダリアスライス。

 おお」


 その時、不審そうな様子が一変した。

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