北の雄国5
懸念は、果たして正鵠を射ていた。
老臣と二人きりを望んだバロート王は、執務室に対話の席を作り、対面に腰かけて
「何を思っての事はかは知らぬが、あれは弟に目をかけすぎる。
ツァリース、そちは如何に思う」
「さて。難問にございまする」
「予に言わせれば、パトリアルスのどこがそれ程に目覚ましいのか、甚だ理解に苦しむ。
人は、己に無いものに惹かれると申すが、無能が魅力に思えるとでも言うのか」
少し不愉快気に言った。仕えて長い股肱の臣も、がっかりと肩を落とした。
「若君におかれては、弟君殿下を長らくお気に召しておわす。
こればかりは、どうにも矯<<ただ>>し奉るはあたわず」
「無能が好みと申すのであれば、アローマも気に入りとなっておらねば理屈に合うまい。
内務卿には、正しい態度で臨んだのだがな」
「まことに仰せの通り」
「我が子ながら、掴みかねるところがあるわ。
まあよい。そう長い事でもない」
王の目つきがある種の鋭さを帯びた。
「ジークシルトには、内々ながら縁談の打診がある」
「おお。
して、陛下の御意向は」
応じる老臣は、いずこの姫かとの問い返しはしない。
王は真面目な顔で
「もう、予は美人には懲りておる」
重々しく言い、対話相手を苦笑させた。
「なるほど」
「とは申せ、あれも二十三だ。正室どころか、子の二人ばかり居てもおかしくはない。
考えねばならん」
「御意にございます」
主君のこの口癖が出る時、臣下は察しを付けなければならない。
ツァリースには理解出来ている。
エルンチェア王国における世子が婚姻する際、長く慣習としてきた一件を改めよ。主君は暗にそう言っているのだ。
さらに諸般の事情を加味して思案をまとめれば、おのずから一つの流れに行き着く。
バロート王の第二子パトリアルスを、主君は決して認めない。王座に就ける意思は
無い。
ツァリースは、そう見た。
王城の朝は、南刻の二課<<午前七時>>をもって執り行われる諸神礼賛の儀から始まる。
ガロア大陸全土に浸透しているユピテア教において、最も重要とされている神々への拝礼である。
大陸を守護する万物創造の主神ユピテア大神。並びに御子神とされている火・風・土・水を司る四神は、帝国建国以前の時代から人々に信じられてきた。
エルンチェア王国でも国教に指定されており、バロート王からして熱心な信者であった。
王族と、主だった身分の臣下達は、城の内部に造られている神々を祭る神殿へ赴き、毎朝欠かさず祈りを捧げる。
ジークシルトも、敷地内に持っている王太子の屋敷から本丸へ出向いていた。
鮮やな青い色をあしらった拝礼用の礼服を着、長衣もはおって、専用控え室に陣取っている。
が、する事が無いのですぐ暇を持て余してしまい、伝令を走らせて弟を自室へ呼びつけた。
昨日の夕方、結局決めかねて棚上げにしてしまった若駒の名について、再び案を出し合っていたそのとき。王太子付きではない伝令の少年が、目通りを願い出てきた。
「恐れながら、王太子殿下に申し上げます」
恭しく片膝をついた姿勢のままで、伝令使は言上を始めた。
その少年を、ジークシルトは目を瞠って見つめていた。
正しく言えば、少年本人ではなく、服装の一部を凝視しているのである。
宮廷の勤め人が着るお仕着せの粗末な服装自体はともかくとして、目を引かれたのは、腕に巻かれた深紅の腕章なのだった。
王后付きを表す小道具である。王太子付きは青、親王付きは緑、国王付きは黒を用いる。
驚いている王太子に、伝令使は事務的な口調で、伝達事項を述べた。
「王后陛下のお召しにございます。
どうぞ陛下の御居間まで、御成りあそばしますよう」
「ほう、陛下が」
ジークシルトはつと目を細めた。伝令使は震え上がった。
このような仕草が出る時、若い第一王子の機嫌が良い状態にあった事は、かつて一度も無いのだった。
「それは意外。
その方が、言上するべき相手を間違えておらぬとしたら、これ程の椿事は、まず今
年中には他に起きぬであろうな。
聞いたか、パトリアルス。
なんと光栄な事に、母上は、このおれをお呼びだそうだ」
「兄上」
パトリアルスは眉をひそめた。聞こえた言葉には、明確にとげがあった。
母と兄。
この二人の間柄を思う時、胸は鈍く痛む。
ひどく機嫌を損ねていると傍目からも判る彼を、伝令の少年はろくに見る事も出来ないようだった。
拒否されて、おめおめ復命するわけにはいかない。さりとて、重ねて出向を促す勇気も出て来ないのであろう。
少年は優しい親王に、視線で救いを求めてきた。
パトリアルスは頷いた。
「時間がございませぬ。兄上、参りましょう」
「呼ばれたのはおれ一人だぞ。
おまえはここで待っているがいい」
「いえ、ご一緒致します」
静かに言った。
ジークシルトは、弟の意図を察したか、やや苦い表情をしたが、やがて勢いよく立ち上がった。
「では、好きに致せ。
その方、先触れせよ。王后陛下の御前に参る」
兄弟は連れ立って部屋を出、廊下を北に歩いて王后の控え室に参上した。
取り次ぎを請うのももどかしく、ジークシルトは足早に部屋へと入って行った。気が進む進まぬはさておき、彼は待たされるのを嫌うのだった。
豪華な調度品に囲まれ、居間の中央に置かれた安楽椅子に腰掛けて、その美しい彼女は居た。
国王正室、クレスティルテ・フローレン王后である。
どかどかと靴音も高く入室して来た息子を、彼女は椅子に座ったまま睨みつけた。
最初から冷ややかだった。
「ジークシルト。
そなたは作法というものを心得ておらぬのかえ。
女性の部屋へ渡るに、そうも気忙しいとは何事ですか、無礼な。
立ち止まって会釈する気遣いも出来ませぬか。
二十三にもなろう、大の男が」
「これは御無礼仕りました、母上」
ジークシルトは軽く応じた。
美貌には、薄ら笑いが浮かんでいる。冷ややかさ、という点では、彼も母に劣ってはいなかった。
「お急ぎかと存じましたもので、つい」
「それが、母への朝の挨拶ですか」
「重ねて御無礼。
おはようございます――これでよろしうございましょうか」
どう見ても、母の機嫌を直させ得るとは、到底思えぬ態度である。
パトリアルスは顔を悲痛にゆがめて、天井を仰いだ。
やはり、こうなってしまった。
何とか、少しでも状況を改善したい。そう思ったが、時間のゆとりはなかった。
「そなた、パトリアルスより栗毛の若駒を取り上げたであろう」
糾弾が始まったのである。
ジークシルトは冷笑を止めた。
「取り上げた。わたしが、あの駒を」
「お待ち下さいませ、母上。
そのような事実はございません」
母と兄、はっきりと不仲な両者の会話に、彼はすかさず長身ごと割り込んだ。
気に入りの息子を見て、一瞬ながら彼女は表情を和ませた。
その機を捉え
「お聞き下さいませ。
わたくしは馬術が不得手。それは母上も御存知におわしましょう。
されば、あれ程の駒を我が手元に置くのは馬の為にならず。
兄上の御料馬と成す方が幸せであろうと考えて、わたくしからお願い申し上げたのです。
引き取って頂けますように、と」
懸命に事情を語った。
もちろん事実である。しかし、母を納得させるには足りなかった。
「わらわは聞いたのじゃ」
ジークシルトによく似た、より女性的な美貌が再び強張る。
「そなたに絵をくれてやると申して、無体にも取り上げたと」
「何と」
パトリアルスはぼう然とした。
その時。
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