北の雄国4

 乗馬を終えたジークシルトは、弟を伴って休憩所である小亭に向かった。

 専従の執事と小姓数名が常時待機しており、亭主が姿を見せた途端、見事な連携ぶりで世話をするのである。


「躾が行き届いておられますね、いつもながら」


 パトリアルスは盛んに感心している。

 指示されるまでもなく、皆がきびきび動く。


 先導する執事はもちろん、亭主の乗馬に使う小物を預かる者、扉の開閉を行う者、それぞれが素早く仕事をこなす。

 部屋に通され、席についたが早いか飲み物が差し出されるまで、全てが淀み無い。


「おれは無駄が嫌いだ」

 温めた強酒<<こわざけ>>を口にしながら、ジークシルトは言った。

「もたつく小姓は、すぐ交代させる。鈍重<<ぐず>>に用は無い」

「これは、お手厳しい」


「小姓を甘やかしても、良い事は何も無いぞ。

 おまえの事だ、近侍どもに情けをかけているのだろうが、程々にしておけよ」

「はい」


 香茶<<かおりちゃ>>の杯を手に取りながら、パトリアルスはやや困惑の体で返事をした。

 ジークシルトは苦笑した。


「叱っているのではない。

 おまえの気性はよく知っている。


 ただ、甘い顔ばかりすると、おまえの為にならないばかりか、使用人にとっても宜しくないと言いたいのだ。


 人の使い方は難しい。が、おまえもそういう立場にある。

 もしおれに何かあれば、次の王はおまえだ。よくよく心得ておくがいい」


「兄上。

 滅多な事を仰せあそばされますな。


 わたし如き、王座の主には向いておりませぬ。求めてもおりませぬ。

 兄上こそが、次の王におわします」


 真摯な返答だった。

 苦笑が、穏やかな微笑に変わった。


「まあ、よいわ。

 すぐには難しいのも判る。おいおいと変えてゆけ。

 ところで、あの駒の礼だがな。何が良い」

「いえ、特には」


「そう言うな。

 おまえ好みの絵画か、それとも茶会の折に伶人でも遣わそうか。

 どちらか選べ」


 ジークシルトの要求には、相応の理由がある。

 パトリアルスから献上された栗毛は、実は彼が所有する馬の産駒ではなかった。臣下から譲られたものだったのだ。


 単純に献じられた、では済まない話なのである。

 元の持ち主への配慮として、返礼は省略出来ない。まずは親王に施され、然る後に臣下への贈り物が下賜される。その手順を踏まなければ、後日にとんでもない風聞を流されかねないのだ。いわく


「王太子が、弟君への捧げ物を横から奪い取った」


 等々。

 栗毛の最初の所有者は誰だったのか。


 それを思う時、政治上の配慮が要るとは、少なくともジークシルトには自明である。

 しかし、パトリアルスは気づいていないらしい。


「かしこまりました。

 では、御言葉に甘えて、後程ご返答を差し上げたく存じます」

「……うむ。

 早めにな」


 即断を迫りたいところだったであろう兄は、だが仕方なさそうに譲歩した。

 どういうわけか、彼は弟に対してだけは、激しい気性を露わにする事が無い。


 誰からも温和と称される弟はともかく、兄の方は、気が合わないとして遠ざけても不思議は無いのだが、実際はたいそう仲が良かった。


 率直に言えばこの良好な間柄を、父には嫌われている。

 弟と親しくしている様子は、ジークシルトにすれば伏せておきたいのだが、いつのまにか漏れている。


 先程も、会議終了後の話し合い途中に体よく追い出された。

 自分が去った後、老傅役を相手に、父は何を語る積もりなのか。密かな気懸りである。


 体感しているだけに、弟も含んだ自分の身辺には、いくら注意しても足りないと思う。

 判ってはいても、しかし、なぜか厳しい態度が取りづらいのだった。

 パトリアルスは茶を喫してから


「兄上。

 差し出口を御許し下さい。


 重ねて申し上げますが、我がエルンチェアにおける次の王は、兄上を措いて他にはございませぬ。

 大事の御体です。何卒、御流感など召しませぬよう、御留意あそばされませ」


 善良な心配顔で言った。

 ジークシルトは破顔した。


「なに。

 おれに好んで憑りつきたがる病などあるものか」

「でもござりましょうが」

「心配には礼を言っておく。

 だがな、おまえも知っての通り、おれは幼い頃から、やれ剣術だ乗馬だ水練だと、四六時中屋敷の外へ追い立てられていた。


 傅役どもも教授達も、おれが少々風邪気味だと見た程度では、容赦しなかった。

 おかげで頑健そのもの、病知らずで今日まで過ごしている。


 人の体とは剣と同じで、鍛える程に強くなるものだ。

 ことに、男はな」


 せっかくの気遣いを一笑に付す。パトリアルスも、それ以上は言い募るのを諦めて


「兄上が左様に仰せならば、口を出すわけにもゆきませぬ。

 なれど、くれぐれも御留意を。

 母上も御心配あそばされておわします」


 静かに言った。

 途端。ジークシルトは、忙しく目をしばたたかせた。


「母上が、か」

「はい」

「それは――そのう。恐縮の至りだな。

 なるほど、母上は御心配性におわす」


 心配性のあたりをやや強調して、彼は言った。弟は生真面目に頷いた。


「はい。仰せの通りです」


 恐らく、気づかなかったであろう。

 兄が何を思って、その部分だけ口調を強くしたのかについては。

 ジークシルトは少し沈黙したが、理由を話そうとはしなかった。


「心配と言えば、おまえはどうなのだ。

 毎日読書三昧で、ろくに体も動かさず、暗い部屋に閉じこもってばかりだろう。


 少しは日に当たらねば、おまえこそ体を壊すぞ。

 おれにその権限があれば、無理にでも外へ連れ出して、鍛えてやりたいところだ。

 剣術稽古の教授どもは、何も言わぬか」


「ええ、何も。

 わたしも、音沙汰が無いのを良い事に、自分から稽古を求めたり致しませんでしたし。

 不覚ながら、武芸事には疎遠でおります」


「困ったものだ」

「申し訳ございませぬ」


 パトリアルスは恐縮したが、ジークシルトは無言でいた。王太子の美貌からは、闊達な笑みは失われている。


 困ったものだ、という言葉は、実は弟一人に向けられたものではないのである。半ばは、別の人物に対してであった。

 しばらく考え込んでいた彼だったが、やがて酒を口に含み、喉を潤してから


「名前だがな」


 恐ろしく唐突に、話題を変えた。さすがのパトリアルスも驚いて、礼儀を失念したように兄を凝視した。


「と、仰いますのは」

「あれだ、ブローテンの仔だ。

 名を考えあぐねておる。良血の駒がいつまでも名無しでは、決まりも悪い。

 何か、妙案は無いか」

「左様でございますか。そうですね」


 やがて、温和な表情に戻った。兄に勝手に話を変えられるのは、彼にとってこれが初めての経験ではない。


 話題は無難な内容に落ち着いた、というよりも、ジークシルトが強引にそうしたのだったが、ともかく二人は楽しげに名馬の仔の名前をどうするか、ああでもないこうでもない、と相談に没頭し始めた。

 陽は、西空を深い紅色に灼き始めている。

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