北の雄国3

「どうにも度し難い男だな」


 執務室に戻った王は、会議でさんざん食い下がった貴族を簡潔に評価した。

 机の前には、二人が佇立している。

 王太子と老臣である。


「現状を把握しておらぬか」

「恐れながら、存じおるものと心得ます。

 先日の東国境紛争における顛末書は、閣僚一同にも写しを届けておりますれば、知らずなどとは言わせませぬ」


 答えたのは老ツァリースだった。

 ジークシルトが肩をすくめた。


「然るに、あのざまか。

 写しのどこをどう読んだものやら、訊いてみるべきだったな」

「大方、流し読みでも致したのでございましょう。

 理解までは及ばなんだものと覚えます」


「では、眺めたのであろうよ。

 一々語って聞かせねば、頭に入らぬらしい。面倒な」

「理解する気が無いのであろう」


 王が苦笑交じりに言った。


「あの者どもには、我がエルンチェアが置かれている現状よりも、大事なものがあると見えるわ。

 文官である点を差し引いて考えても、東の軍事的脅威に対して、あまりに感覚が鈍い」

「御意にございます、陛下」


 ツァリースは素早く同意した。ジークシルトは、やや居心地が悪そうに表情をしかめ、軽く会釈したのみである。

 彼の様子を、バロート王は黙って見ていたが、特に感想は述べなかった。

 代わりに頬杖をつき


「どうやら、我が宮廷には思ったよりも、敵が根深く蔓延っておるようだな。

 反エルンチェアとまでは申さぬが、ブレステリス親和論に染まりすぎておる者ども。存外に多い」

「文治派に多く見受けられまする。

 首班は、むろんあの男でござりましょう」

「考えねばならんな」


 呟くように言った。そして、急にジークシルトを見た。


「ときに。

 そなた、所用があったのではないか」

「私用にございます」

「よい。

 冬も近いゆえ、ほどなく馬場への出入りも不如意となろう。

 あれを、あまり待たせる事もあるまい。

 退出を許す」

「……は」


 父の慧眼、恐るべし。内心で冷や汗をかく思いだった。

 確かに、彼専用の馬場へ行く用事がある。

 父には報告していない、弟との約束が。


 自分が不在の間に何が語られるのか、知りたくもあった。が、これは事実上の人払い、もっと言えば彼を外して老臣とだけ語りたい何かが、王にはあると見なければならない。

 止むなく、ジークシルトは退いた。



 寒白(さむしろ)の林は、例年通り白に染まっている。

 冬の冷気を含んだ北西の風が吹くこの季節、名の由来通りに、深い緑色から一斉に白く葉を染め変える広葉樹である。


 城の広大な敷地には特に寒白が多く、どこからでも白い葉の林が見える。

 王太子の馬場も、林に囲まれていた。


 城の本丸から西に向かって真っすぐ進み、木立を抜ければ、よく整備された埒が見え始める。遠景には六角形の小亭が控え、厩舎もある。

 芝生の本馬場、乗り馬達の訓練に使う坂路、水飲み場。この施設だけでも広大な面積を使用しているのが判る。


 城内敷地の移動に使う小馬車が乗り付けた時、埒の周辺には相当の人数が整列していた。


「王太子殿下の御成<<おな>>り」

 ふれ係が主の到着を告げ、厚手の乗馬服の当人が姿を現すと、人々は深く腰を折って礼を捧げた。

 その中に、一人だけ、軽い会釈で済ませた男性が居た。


「お招きに与かりまして、ありがとう存じます」

「早かったのだな。

 済まん、待たせた」


 ジークシルトは、その青年に対してだけは、別人かと思われる程に愛想が良かった。

 会議の折には臣下を睨み据え、権高に振る舞っていたものが、今は笑顔を見せ、しかも謝罪までしている。


「野暮用でな」

「兄上は御多忙におわします。わたしなど、すぐ体が空くのですよ。

 それよりも、御料馬の御用意は調っております。御乗馬をお楽しみください」


「ああ。

 ブローテンの仔の初乗りだ。健脚ぶりを期待しているぞ」

「もちろんですとも。

 わたしも、楽しみです。兄上の御乗馬を拝見するのは、久しぶりでございますゆえ」

「特等席に陣取っていろ」


 風防を受け取りながら、彼は、本馬場の最も眺めが良い場所に準備されている観覧席を視線で示した。

 若駒が引き出されてくる。充分に慣らされ、訓練を受けたと判る栗毛の馬に、ジークシルトはまたがった。


「行ってらっしゃいませ、兄上。

 どうぞお気をつけて」


 彼を兄上と呼び、馬場へ入っていく姿を見送る青年は、パトリアルス・レオナイト。

 明白に母似であり、美貌と目される兄と違って、父の面影をそっくり引き継いだ第二王子だった。

 二歳違いの弟だが、容姿から受ける印象は、むしろ彼の方が年上に見える。


 栗毛の若駒は、本来はこの青年が持ち主だった。思うところあって、兄に譲ったのだ。

 その馬が馴致訓練を終えて、王太子の厩舎入りし、今日が初乗りだという。見に来るよう誘われ、応じた次第である。


「殿下、御席に御つきあそばされませ」

 侍従に促されたパトリアルスは、一旦は特等席に足を向けたが、すぐ気を変えた。埒へ近寄って行く。

「いや。

 せっかくの機会だ。近くで拝見したい」


「危のうございます」

「危ないものか。

 騎手は馬術の達人におわす。手綱の御捌きに、御不備があろうはずは無い。

 心配は無用だ」


 パトリアルスは上機嫌で着席を拒み、埒内へ視線を転じた。

 既に、馬は駆け出している。瞬く間に速度をあげ、直線から最初の曲線部へと差し掛かるところだった。


 ブローテンの仔は、実に反応が良い。騎手が一鞭当てる毎に成長してゆく観がある。

 芝を蹴散らしつつ馬場を疾駆する姿には、名馬ならではの迫力があった。

 馬を追う掛け声に蹄の音が被さり、重い地響きが立つ。


 乗り手の金髪が、風防の隙間から零れ落ちて、西に傾き始めている赤みの強い日差しを受け、きらめいた。

 美しい。一幅の絵として飾りたいと、パトリアルスは思う。


「いつ拝見しても、兄上の御乗馬をあそばす御姿はお美しい。

 見たまえ、あの駒の動き。

 あれだけ責められても、足色が一向に鈍らぬとは」


 侍従団を振り返りながら、感動を隠さない声で言った。


「やはり、わたしの手元に置くべき馬では無かった。

 兄上の御手に手綱を委ねてこそ、馬めも良血に生まれついた甲斐があったと申すもの」

「御意……ですが、宜しいのでございますか」


 年を経た侍従の一人が、周りを憚るように声を潜めて尋ねた。


「あの若駒は」

「話なら通してある。

 志はありがたく受けたが、健脚を活かすとなると話は別になろう。

 馬は美術品ではない」


 質問を受けた方は、気もそぞろに答えた。馬場を巡る栗毛を追うのに忙しいのである。

 侍従は、同役と顔を見合わせ


「話だけを通せば良い、というものでは無いのだがな」

「うむ。

 親王殿下におかれては、恐らく、根回しなされてはおられまい」


 小声で言葉を交わし、そっと溜め息をつき合った。

 彼らには、心当たりがあったのである。


「後で、揉める」

 と。

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