北の雄国2

「ブレステリスは、単に最大の友邦国というだけの国ではございませぬ。

 我らにとって生命線とも称すべき峠を領地する、言わば地理における重要な役割を果たす国。

 多少の融通を利かせておくに如くは無しと心得ます」


 大声で主張したのは、アローマという。内務卿の要職にある貴族だった。

 外交の責任者が口にするのが妥当の内容を、国内の民衆統治を専門とする文官が語ったとあってか、ジークシルトは皮肉気に薄く笑った。


「なるほど。

 アローマの申し条にも一理あるな。

 流石は、内務卿だ」

「恐れ入ります。

 この程度の識見であれば、臣めならずとも心得ておりましょう」

「その一理を振りかざし、彼らをして錯覚させしめるか。

 我がエルンチェアは、ブレステリスの属国であると」


 圭角がありすぎる返答だった。

 内務卿の表情が消えた。


「……属国とはまた。

 殿下の御喩えは、国王陛下に対し奉り、いささか御不敬な仰りようではございますまいか」


 催したのであろう不快感を顔に出すのは、彼はかろうじて堪えた。しかし、声までは隠しおおせなかった。

 ジークシルトは、再び鼻で笑った。


「喩えの是非など、今は措け。

 肝心なのは、塩の件であろうが」

「御意にございます。

 殿下、今一度の御再考を願い奉ります」


 恥をかかされてもなお、内務卿は食い下がるのか。

 その様子を、表向きこそ怒りの態度を取っていながら、実のところは父の言いつけ通り、冷静に観察している彼だった。


 何かある。

 少なくとも、塩の案件は単純な貿易の話では有り得ない。おおよその見当がついた。


(要は、そういう事か)


 得心がいけば、会議の軌道をそれなりに修正も可能である。

 文官とは立場が違う者が座る席へ、素早く視線を流す。

 ほんの一瞬だった。

 同じく、目で応じる者が居た。



「結論は変わらぬと申したであろう。

 本案件は却下が妥当である。

 不満なら試みに問うが、現在のところ、先方に対して我がエルンチェアはどの程度都合しておるか」


「は。

 日常用途、薬用、加工用、備蓄用。併せて五千サハードを輸出しております。殿下」


 答えたのは外商卿だった。

 ジークシルトは答弁相手を見ながら軽く頷き


「五千サハードというだけでも、膨大な量ではないか。

 そもそも日常使用には、三千サハードあれば事足りるのであろう。それを、格別のよしみでかくも大量に輸出しておる。


 そこへ、更に二万サハードもの増加を要求してくるとは何事か。

 非常識すぎるとは思わぬか。まして、当方の益になるというならまだしも、害になる恐れさえあるという。


 産塩能力の問題ではない。

 国交常識の問題として却下すべきだ」


 断固と言い切った。

 今度は、外務卿が手を挙げた。


「恐れながら、申し上げます。

 外交及び外商に関わる折衝において、慣例上は、一方的な却下は前例がございませぬ。

 今後のためにも、若干は交渉の余地を残すのが穏便であろうと愚考致します」

「まさに愚考だな」


 相手の面目など歯牙にもかけない。そういう応答だった。

 発言した貴族がぼう然となるのを、恐らくは、出席者全員が目撃したであろう。

 またもや厳しく撥ねつけた当人は涼しい顔をしている。


 前例に拘るのは、総じて文官の習癖と言ってよい。

 前例主義が一概に悪いわけではないものの、今は状況が甚だ宜しくないのである。

 注目すべきなのは、ブレステリスが塩を大量輸入したがるその動機だと、ジークシルトは考えている。



「今後のためを思うからこそ、引くべき一線は断じて引かねばならぬ。

 確かに、ブレステリスとの関係性は、我がエルンチェアに殊の外重大な影響をもたらす。それは、わたしも認める。


 しかしながら、併せて二万五千サハードにも上る塩の始末が、いったいどうなるのか。


 塩は、戦略物資としても第一級品である。

 用途も判然とせぬままに、ただ求められたから、大事な友邦国の望みだから、などと無差別に聞き入れて良いわけがあるか」


「仰せの通り」


 別の人物が、ジークシルトの発言を支持した。

 文官の席には居ない。立場が違う。


「現状を鑑みた時、ブレステリスの要求をひたすら服む策は、我が方に利非ず。

 王太子殿下が仰せになられた、戦略物資としての塩の価値。これを考慮に入れずして、何を語るものか」


「ツァリース大剣将閣下。

 閣下は武人にあられる。

 文治面についての討議は、我ら文官にお任せあれ。

 それがゆえの我らでありますぞ」


 アローマ内務卿が、すかさず牽制の声を上げた。

 発言者は、王国軍七個師団の総帥だった。王の股肱の臣であり、また王太子の筆頭傅役も務めた、武官の統率者である。


 内務卿の指摘は正しい。武官である以上、軍事会議ではないこの場で発言を求めるのは少し筋が違う。

 王が黙認しているため、誰も正面切って異論を唱えないのだが、アローマだけは別だった。


 逆に、主筋であるジークシルトよりも、ある意味で遠慮はいらないと言える。強硬な姿勢を見せたものだ。

 ツァリースも応戦の構えをとった。


「されば、安んじてお任せするに足るよう、よろしく実のあるご討議を願いたい」

「実のある討議、とは何事ですか。


 我らの討議は実のない空討議、とでも仰せあるか」


「そうは申さぬ。


 さりながら、内務卿閣下。それがし、先刻より拝聴つかまつっておれば、内容が我が方の利益を考慮するというより、先方の便宜を図る点にばかり比重が置かれているかのように思えてならぬ。


 内務卿閣下にお尋ねしたい。

 貴公及び周囲のお歴々は、エルンチェアの閣僚か、それともブレステリス宮廷の役人か」

「誰も先方を優先してはおりますまい。

 一同、あくまで我が国の利益を考慮しておりますぞ」


 老大剣将と内務卿。二人の応酬が始まった。


「ではなぜ、いま少し戦略上の必要性をも加味した上でのご討議をなさらぬ。

 軍事会議で有る無しはどうでもよい。必要な事は討議すべきであろう。


 国交における儀礼や経済的利益、地理上の問題ばかりが先に立ち、王太子殿下が仰せになられた重大論点が置き去りにされているのは如何なる事か」


「戦略にまつわる論議は、我ら文官の与かるところではございませぬ。

 この場は、あくまで塩の案件を討議する場。然るべき期日を選んで、別途にご討議をお願い申し上げたい」


「塩が戦略物資であるからには、そうはゆかぬ」


 その言い合いを、ジークシルトは無言で聞いている。

 今のところツァリースは、目配せの意味を正確に理解しているようだ。論争は老人に任せると決めて、彼は耳が拾う情報について考えを巡らし始めた。


(アローマめ、意地でも商いの話という事で押し通す所存か。

 他の事ならともかく、案件は塩だぞ。

 先日の小競り合いを承知しておらぬのか、判っていてあの態度か。

 もう少し、模様見だな)


 父の様子も伺う。

 口出しの気配は無かった。ジークシルトと同じ考えであろう。


 会議は両者の言い分が平行線のまま紛糾し、長引く様子が見えてきた。

 予定の時間を半刻ばかりも過ぎた頃、王の


「本案件は却下とする」


 一言で、ようやく決着がついた。

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