『巨大な友ダチ。』

彩愛

ある日、あの時。

ワタシの名前は、××××。

人間に飼われている。

私の周囲は高い柵で囲まれており、逃げることはできない。

毎日ニコニコして過ごしているが、内心は逃げ出したい気持ちで一杯だ。


私と飼い主との出会いは、3年前に遡る。

当時ペットショップの狭いゲージに閉じ込められていた私は、その時偶然居合わせていた飼い主に目を付けられる。

夏のバーゲンセールで安くなっていた私は、飼い主の懐事情ともマッチしていたようだ。中途半端な色をした雑種の私だが、「端正な顔立ちをしている。」という理由で気に入られ、彼に飼われることになった。


結論から言うと、彼はよくやってくれている。多少がさつな面もあるが、毎日トイレの世話もしてくれるし、エサの補充も忘れない。しいて言うならば、彼自身の物忘れが激しいというのが気になるところだ。前述のように毎日のようにやる習慣なら忘れないのだが、突発的に入った予定などはすぐ忘れる。

この前も私が目を怪我した為に目薬を注すようにと医者に言われたのだが、すぐに忘れた。気がついたのは私の目が治った頃であった。


時々これは嫌がらせなのではないだろうか?ということをしてくる。私の口が利けないことをいいことに、執拗にちょっかいをかけてくる。一応、「止めて下さい。」といった態度はとるのだが、タチの悪いことに彼は、私の一挙一動が面白おかしくて仕方ないらしい。私が飛び跳ねる度に、彼は両手をパチパチと打ち鳴らし大喜びする。

これには私も、目を丸くして呆れ果てる。


何故、そんなにも彼は、私を物珍しい目で見てくるのか。

そして何故、そんなにも、自分と違うものに対し、強い関心を寄せるのか。


私は幼い頃に、両親から引き離されケージの中で生活することを余儀なくされた。その為か、自分以外の何者かが何処で何をしていようが対した関心も示さなくなった。いや、そもそもが最初から誰かに関心を抱くことなどなかったのかもしれない。私はそのように生まれついたのかもしれない。ともかく、自分以外の誰かに自分の大切な時間を割くなんて、私には考えられなかった。だから今、私は非常に驚きを隠せないでいる。


いつの頃からか、私は飼い主のことを「ぽっぽちゃん」と呼ぶようになっていた。もちろん、心の中でだ。慌てた時の挙動が雀に似ているからだ。何をするにも、ぽっぽちゃんには気の抜けた部分がある。それが彼の長所であり、そしてまた短所でもある。

ぽっぽちゃんは、今日もまたどこかに出かけるようだ。私も静かな時間が確保できて、嬉しい限りである。


今日、いきなりぽっぽちゃんが倒れた。ぽっぽちゃんのお母さんが廊下で話しているのを聞いた。私はいつも通り寝床に潜りこむことにした。背中に冷たい汗が伝うのを感じた。


毎日ぽつりぽつりとぽっぽちゃんの近況を断片的に耳にする。今日の顔色はどうだったかとか、何ができて、何ができなかったかとか。未だ私は状況を把握しきれずにいる。自分の感情にも、上手く対応しきれずにいた。


ぽっぽちゃんはどうしたのだろうか?

彼は一体、どこへ行ってしまったのだろうか?


私は不安な感情に襲われることが多くなっていった。こんなことは初めてだ。この気持ちをどこにぶつければ良いのか分からない。飼い主のぽっぽちゃんは帰って来ない。毎日別の誰かが世話しに来る日が続いた。小屋の清潔さは保たれたままだったが、心の中は淀んでいくばかりであった。毎日話しかけてくれる存在の不在。鬱陶しくもこちらの様子を気遣かってくれる優しい視線。いつからか、彼は私の一番の親友と化していたようだ。自分以外の誰にも関心を寄せなかった私が、こんな日が来るとは思いもよらなかった。


しばらくして、彼が家に帰ってきた。長い間見なかった飼い主の姿は、変わり果てたものだった。全体に雰囲気は暗く重く、体も一回り小さくなったようだ。しかし、笑顔だけは相変わらず変わらなかった。私の姿を捉えるやいなや、ヒマワリが咲いたような顔をしてこちらに近寄ってくる。見ると、両手にはランドセル大の袋を抱えているのが分かる。それが何なのか私にはすぐ分かった。私の大好きなチモシーの入った袋である。私は大好きなチモシーに気を取られて気づかなかったが、いつのまにか彼の目には大粒の涙が浮かんでいた。『もうすぐお別れだね。』どこかでそんな言葉が聞こえた気がした。ひとしきりチモシーを食べ終えた頃、私は飼い主の顔を見上げた。その顔はどこか清々しくて、だから今さっきまで瞳に涙を浮かべていたなんて、想像もつかなかった。彼の手が私の頭に触れる。静かに撫で回す。それからは両者無言で、お互いを癒し続けた。また、以前のような日々が戻ってきたのだと思った。まさかこれで最後になるとは、思いもしなかった。


別れ際に、ぽっぽちゃんは私にこう言った。

「××××は、何も心配しなくていいから。」

その言葉の意味が分からずに、ただ、私はその場に突っ立っていた。寂しいとは思っていたが、それを上手く伝える術を私は持たなかった。「もう行くの?」それだけの気持ちを伝える為に、私は飼い主の瞳を見つめた。それを見た彼は、三日月型の目をして微笑んで、「じゃあ、また。」それだけを言って、去って行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

『巨大な友ダチ。』 彩愛 @usakoaai

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ