5-3-2
司書官エステルは王からの命令を文字通りに受け取り“地下書庫の整理”に励んでいた。
「はぁ…。さすが国立図書館の地下書庫。見たことのない書物がいっぱい…!」
恋する乙女のような甘い声が漏れる。見事に散らかった地下書庫の整理は中々終わりが見えてこないが、その原因の一つはエステルにもある気がする。
「エステルさんもユディト様に負けず劣らず本が大好きなようですね」
片付けようと試みては、ついつい読んでしまうという状況にトビトが苦笑を漏らす。
中々進展の兆しの見られなかったことに、やきもきしていたトビトが手伝いを名乗りを上げたのはほんの半刻ほど前のことだ。
「ええ!本は心の栄養ですから!」
はっきりと言いきるエステルに、ただ「そうですか」とだけ言ってトビトは作業を続けた。もしかしたらユディトにも似たような傾向があるのかもしれない。
「しかしながら、エステルさんはまだ懲りてないんですか」
「これが私の仕事なので」
言うまでもないが、これは地下書庫の整理の話ではなくユディトの件である。
「文官というのは中々に難儀な立場ですね。ユディト様はああみえて頑固なので説得は難しいと思いますよ」
「ああ見えても何も、十分実感してます」
トビトはどうにもネヘミヤ以上にユディトに甘いところがあるような気がする。
ちなみにトビトは誰に対しても腰が低い。立場は上のはずなのに、エステルに対しても敬語を使う。ユディトに至っては「様」付けだ。
「例えばネヘミヤさんの術で無理矢理外に出すとかどうでしょうか。陛下にはあまりことを荒立てるなとは言われていますが、最後の手段として」
「それは…無理だと思います」
「どうして?」
聖者の力は普通の人間には対抗することのできない絶対的なものだ。特にネヘミヤは神殿に属する聖者でありながら、ユディトの監視を任されている。おそらくその力は攻撃方面のものだろう。
たとえあの口の悪い悪魔のような男であっても、それは例外でない。というが、悪魔なら聖者の力で尚更払えるのではないだろうか。
「そもそもネヘミヤの持つ力は他者には働かないのです」
「それはどういう意味ですか?」
「普通聖者の力は他者のために存在します。例えば傷や病を癒したり、雨を降らせたり。しかし、ネヘミヤの…”血の聖者”の力は、術者本人にしか効果を示さない」
「それじゃあなぜ、ネヘミヤさんがユディトの監視をしているのです?」
攻撃の術を持たない者に監視を任せることは普通では考えられない。賢王と呼ばれるゼファニアの人選にしては不自然だ。
「あまり詳しいことは私の口からはいえませんが、ユディト様から両腕を奪ったのはネヘミヤなんです。処刑の後、ネヘミヤは自らユディト様の監視を願い出たとか」
「そうだったんですか…」
意外だった。ネヘミヤとユディトを見ていると、過去にそんなことがあったようには到底見えない。
自分だったら、仕事だったとはいえ腕を奪った人間と仲良く暮らすことはできないだろう。
「ネヘミヤなりの気遣いなんでしょう。護衛や監視としてはまったく役に立たなくても、ユディト様の隣にいる。監視役というより保護者ですね」
それはトビトも同じような気がする。監視というにはこの男は本当にユディトに甘い。腰が低いどころか、執事のように何かと身の回りのことを進んで代行している。
「それに、たとえネヘミヤが攻撃性の力を持っていてもきっと無理です。ここには強力な結界が張られていますから、収蔵品を持ち出すことはできないようになっているんです」
「へ・・・?それ初耳なんですけど」
「それはそうです。機密事項ですから。陛下もご存じでないと思います」
「それってまずいでしょ。陛下も知らない結界なんて、どうしようもないじゃないですか!」
もっと早く言ってほしかった。そんな結界があるのなら、エステルがどれだけ頑張ってユディトを説得しても意味がないではないか。
「いえ、神殿にはおそらくこの結界を解くことのできる術者がいるはずです。先王陛下も分かった上で結界を張ったのだと思います」
言外にトビトは結界を張ったのが先王だという。先王が指示したということは、この結界はユディトのために築かれたものだろう。
それならば尚更、ユディトを強制的に引きずり出すのが困難になってしまった。
「陛下に要相談ですね。まあ、神殿に掛け合えばなんとかなるとはおもいますが」
王に入らぬ気苦労を掛ける事案がまた増えてしまった。自分の仕事が増えたということよりも、王の負担が増えたということに苛立つ。
「しかし、そういった事情を抜きにしてもユディトは頑固すぎます。せっかく外で自由に生きられる好機なのに、自分から溝にすてようとするなんて…」
「まあ確かに、ユディト様は頑固で面倒臭がりでかなり大雑把で、でも妙なところでこだわりが強くて、ここぞというときにそういう変な性格を発揮してしまう扱いにくいお方ではありますが、根はやさしくて思慮深いんですよ」
微妙に貶しているような気もするが、トビトはいたって真剣に言う。
(ユディトの性格が捻くれている原因は、この人たちにもありそうだけど)
内心でエステルはこっそり思う。ユディトの性格形成には、この人たちが甘やかしたことも影響しているに違いない。前々から二人には、子煩悩の親のような気配が察されていた。
「口が悪いため、初対面の人にいい印象を抱かれないのも道理です。でもだからこそ私たちは、私たちだけはいつでもあの方の想いを理解しようと思うのです」
どこまでも深い信頼を寄せているからこそ生まれる言葉。その感情に心当たりのあるエステルは、だからこそ疑問を抱いた。
「どうして、どうしてそこまで言い切れるんですか?彼は…大罪人なのに」
ユディトとの欠点を知りながら、それでも側にいたいと思う理由がわからなかった。エステルから見れば、ユディトは罪人であり人生を捧げる対象とはなり得ない。
しかし、トビトは違う。ネヘミヤによれば、『ユディト様が出られないのに』と言ってトビトは地下から一歩も出ようとしないらしい。
それほどまでに、人生を捧げるに値する何かがあの男にあるのだろうか。
エステルの真剣な視線を直に受け、トビトは作業する手を止めて静かに語り始めた。
「私もネヘミヤも、かつてユディト様に救われたことがあるんです。実は私、ラファル家の人間なんですよ」
「ラファル家って、あのシーラ宰相の?」
ラファル家といえば、現王の母方の一族だ。
もとはニーベルク家の分家の一つであり、先王の監視を任されていた。しかし、先の政争の際にニーベルクを離反、ゼファニア側についた。現在ではその功を取り立てられ、当主であるシーラは宰相位に就いている。
「俺は、ユディト様が王として即位される前から守り役としてお傍にいました。しかし、そのせいか自分の一族の内情には疎く、まさか離反しようとしているなんて思いもしませんでした」
そうして、トビトは静かに語り始めた。
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