1-10

 蜘蛛足が次々と振り下ろされる。

 まるで掘削機械のように振り下ろされるそれは地面に次々と突き刺される。その威力は穿たれるクレーターが物語っていた。

 その蜘蛛足を古谷はなんとか避け続けていく。傍から見ればかなりギリギリだ。

「ほれほれほれ! 止まらんと辛いだけじゃぞ!」

 一方の蜘蛛女には余裕があった。

 ここまで一回も戦っていないし、そもそも化け物と人間では体力という概念が違う。息が上がりつつある古谷とはなにもかもが違いすぎるのだ。

「くそっ!」

 振り下ろされる蜘蛛足をまたギリギリで避けたところに、古谷がカランビットを突き立てる。

 だが、ここまで彼の思い通りに動いてきたカランビットがここで裏切った。

 甲高い音を立ててブレードが弾かれたのだ。

「ちっ! 硬すぎる!」

 地面にクレーターを穿つほどの強度がある蜘蛛足に対して、どれだけ切れ味があろうとカランビットが通じるはずもない。

「はっはっは! そんな短刀でわらわの足を傷つけられるはずがないじゃろ!」

「……短刀じゃなくてカランビットなんだがな」

 そんな小さな呟きは、蜘蛛女の耳には届かない。届いたとしても理解されなさそうだが。

 ここで一旦、古谷は距離を離した。蜘蛛足の攻撃範囲の外へと身を置く。

 図体がでかい蜘蛛女は動きが鈍いだろうと予測し、少しばかり休もうと思った彼の考えを、

「ほれほれ逃げるなよぉ!」

 蜘蛛女はあっさりと裏切った。

 蜘蛛足を周囲の地面に突き刺し、力を込めて勢い良く跳躍。

「くっ!?」

 着地点に居た古谷は慌てて走り出す。

 僅かに遅れて蜘蛛女が着地し、また蜘蛛足を振り回し始めた。まるでモグラ叩きのように振り下ろされる蜘蛛足に対して、古谷は逃げることしかできない。

「ほれほれほれぇ! 立ち止まれば楽じゃぞ! そろそろ諦めんか!」

 だがその言葉とは裏腹に、蜘蛛女は内心で焦っていた。

(なぜじゃ、なぜ当たらん!)

 ここまで戦い通しで疲れも残っているはずの古谷に対して、一発も有効打を与えられていないのだ。その焦りも当然のことだった。

 これまで化け物としての本性を現した状態で、ここまで『苦戦』した記憶は彼女にはなかった。

(わらわが、たかが人間ごときにぃ!)

 その焦りが攻撃をさらに苛烈にしていく。

 もはやなりふり構わず振り下ろされていく蜘蛛足。次々と穿たれるクレーター。

 しかし、彼女は手の内を見せすぎてしまった。

「よし……憶えた」

「は?」

 古谷のその小さな呟きを、蜘蛛女は完全には聞き取れなかった。

 思わず呆けた返事をしてしまったところで――蜘蛛女は驚愕に顔を歪めた。

「いっつぅ!?」

 突如、蜘蛛足に痛みが走ったからだ。彼女の中では痛みよりも驚きの方が勝っていた。

(なんじゃ……いったいなんじゃ……!?)

 激痛が走った蜘蛛足に目をこらしてみて――彼女は気づいた。

 蜘蛛足の関節部分、そこからどす黒い体液が流れ出している。

「きさまぁ!」

 怒りの声を上げながら蜘蛛足を振り回す。

 だがもう、その動きは読まれていた。

「ふんっ!」

 目の前に振り押された蜘蛛足を避けざまにカランビットを一閃。関節の比較的柔らかい部分を切り裂くと、そのまま振り抜いて次の足を狙う。

「おのれおのれおのれぇ!」

 さらに攻撃が苛烈になっていく。しかしもう古谷には通用しない。

 右から左へ振り回される蜘蛛足に、姿勢を低くして避けながらカランビットを振り抜く。そこを狙って振り下ろされた蜘蛛足に、テンポ良く二度の斬撃。飛び散った体液が地面に落ちるよりも早く、次の足を狙ってさらに一閃。

「足が、わらわの足がぁ!」

 目に見えて鈍くなってきた蜘蛛足をかいくぐり時に攻撃しながら、古谷は蜘蛛女の本体へと接近していく。

 だがもうあと少しで攻撃圏内に入れるというところで――

「舐めるなぁっ!」

 蜘蛛女が吠えた。

 吠えざまに地面に一斉に蜘蛛足を突き刺して力を込めた。

 そして――跳躍。

 高く飛び上がった蜘蛛女を、油断なく古谷は見据える。どこへ逃げようともすぐに追いつけるような体勢だ。

 だが蜘蛛女はただ逃げたのではなかった。

 彼女の口が大きく膨れ――それを吐き出した。

 大量の蜘蛛糸。

「ちっ!」

 古谷は舌打ちしながら慌てて蜘蛛糸の範囲から逃れる。

 地面にまるで巣のように張り巡らされた蜘蛛糸が、目に見えて彼の行動を制限する。そして、その中央部分に蜘蛛女は降り立った。

「ほれほれどうしたのじゃ! さっさと向かってこんかい!」

 蜘蛛足をなおも振り下ろし続けながら蜘蛛女は挑発する。

 古谷はまたカランビットを振るおうとするが、足元の蜘蛛糸が邪魔でなかなか攻撃できない。もしもまた蜘蛛女が蜘蛛糸を吐き出したら――? 

 そうなったら古谷は移動すらできなくなってしまう。

「くそっ!」

 振り下ろされ、振り回される蜘蛛足をなんとか避けながら古谷が悪態を吐く。

 一方の蜘蛛女は蜘蛛糸のことなど気にせずに動き回る。その動きを観察しながら、古谷はなんとか蜘蛛足を避け続ける。

 だが、それもすぐに限界が来てしまった。

 蜘蛛糸の上に、古谷の足が乗ってしまう。

「っ!?」

「これで終わりじゃぁ!」

 そこに、蜘蛛足が振り下ろされる。

 自分目がけて蜘蛛足の鋭い先端が振り下ろされそうになるのを見ながら、古谷は――

 

 ――蜘蛛女目がけて走り出した。

 

「なんじゃとぉ!?」

 あまりの驚きに、蜘蛛女は一瞬攻撃することさえ忘れてしまった。だがすぐに慌てて残った蜘蛛足を振り回し始める。

 それを避けながら古谷は――蜘蛛糸の上を普通に走り抜けていた。

「どういうことじゃ!?」

 振り下ろされる蜘蛛足。どんどん近づいていく古谷。

 順手に持ち替えたカランビットの間合いに蜘蛛女が収まり――

「きさまぁぁぁぁぁっ!」

 蜘蛛足とカランビットが交錯する。

 そして――カランビットが、蜘蛛女の喉に突き刺さった。

「が、がぼ、ごぽ……」

 口から大量のどす黒い液体を吐き出す蜘蛛女。

 古谷はただ一言、別れの言葉代わりに言ってやる。

「蜘蛛の巣はな、縦糸に粘着性はないんだよ」

 そして、カランビットを振り抜いてやった。

 蜘蛛女の巨体がゆっくりと傾き――そして、倒れた。

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