1-9

「…………くくくっ、なぁお主、どこで気づいたのじゃ?」

 紅の口調がガラリと変わった。

 いや、変わったのは口調だけではない。

 今まで年相応――否、見た目相応だったその雰囲気が、まるで何百年と生き続けてきた存在であるかのような老練さを醸し出している。

 それに対して古谷は――

「……え? マジで人間じゃなかった系? やっぱり最後はそういう展開?」

 ――となぜか驚いていた。

「……は? お主、わらわの正体を見抜いておったんじゃなかったのかえ?」

「いや、こういう状況では一応聞いておかないと思ってさ。ほら、よくあるじゃん、助けたヒロインが実は化け物でしたー、とかそういうの」

「…………」

 紅が、顔を下に向けて震えている。

「くっくっく……ふはははははははっ!」

 笑っていた。

 とてもおかしそうに彼女は笑っていた。

 そして、ブンッと掴まれていた腕を振り払う。

「おっと!?」

 その動きだけで、古谷は数メートルほどの後退を余儀なくされてしまった。明らかに、人間の力ではない。

 半ば吹き飛ばされてしまった古谷は、油断なく腰を落としてカランビットを逆手に構え、戦闘体勢に入る。それを見ても、紅はまだ笑っていた。

「すまんすまん、こんなこすい手に引っかかったことが笑えてしまってのぉ。久方ぶりに笑わせてもらったぞ」

「そんなに強いなら、あいつらと戦って欲しかったなぁ」

 片や戦闘態勢、片やただ立って笑い混じりに話している。

 それだけの違いがあるはずなのに、両者の雰囲気はどこまでも拮抗していた。

「すまんのぉ、あやつらは妙な存在でな。それにあの狭い通路では力を存分に振るえんのじゃ。お主には感謝しておるよ」

「なるほど、お前はここに囚われた存在で、あの迷宮は檻、そして鎧武者たちは番人だった、ってところなのか? あいつらが俺に襲いかかってきたのは、お前を連れ出しかねない存在だったから?」

「万事そのとおりじゃ。しかしわらわの目に狂いはなかったようじゃ、お主であればわらわを連れ出してくれる、そう思っておったからの」

 その言葉に、ピクリと古谷が反応する。

「……まさか、俺をここに“呼んだ”のはお前なのか?」

「そうじゃよ? わらわをここから連れ出してくれる存在を呼び寄せたつもりじゃったが、いやはやなんとも強い存在を呼べたものじゃ。感謝するぞよ」

「一つだけ、聞いていいか?」

 古谷の言葉に、紅は笑って促す。

「なんなりと」

「ここを出たら、どうするつもりだ?」

「もちろん、どこか山の中でひっそりと暮らすつもり――」

 ジッと見つめる古谷に対して、ため息をつきながら彼女は答えた。

「そんなことでは騙されてくれんか。そうじゃな、食って飲んで暴れて寝る、そういう生活をするつもりじゃよ」

「お前が封印された理由が分かったよ。そう聞いたらほうっておくわけにはいかないなぁ」

 古谷が深く腰を落として、飛び掛るような体勢になる。

 それを見ても、彼女はなお笑っていた。

「お主だけは助けてやろうと思ったんじゃが……なら、仕方ないのぉ」

 そして――それは起こった。

 紅の服がひとりでに破れる。いや、膨張した身体に耐え切れずに服が破れたのだ。さらにその身体からいくつもの触手が飛び出して四方八方に飛んでいく。

「くっ!?」

 古谷が慌てて避けるが、触手の狙いは彼ではなかった。

 地面に倒れ伏している鎧武者たち。その死体を彼女は取り込んでいく。

 いつの間にか、彼女の背中からは八本の蜘蛛の足が飛び出していた。

体長と体高は三メートルほど。蜘蛛の体に人間の上半身がくっついたようなその体は、まるで出来損ないの天馬だった。

「うっわ、今回は蜘蛛かよ……」

 どこか他人事のようにそんなことをつぶやく古谷に対して、

「ふんっ!」

 蜘蛛足の一本を紅は――否、紅だった存在は振り下ろした。

 あちこちに節がある蜘蛛足の尖った先端が、地面に突き刺さってクレーターを穿つ。

 古谷は――危ういところでそれを避けていた。

「おや避けるのかえ? おとなしくしておれば、一発で極楽に送ってやるぞよ?」

 嘲笑混じりにそんなことを言う紅――蜘蛛女。

 古谷が言う。

「なぁ、さっき言った話を憶えてるか?」

「……?」

 蜘蛛女の不思議そうな顔も気にせず、古谷は続ける。

「言ったよな? 俺をこんなことに巻き込みやがった黒幕に出会ったら、ぶん殴ってやるって」

 そう言って古谷は、カランビットを一回転させて逆手に構える。

 その行為こそ、彼がこれからやろうとしていることを如実に語っていた。

「ぶん殴ったら手を傷めそうだから言い換える――ぶった切ってやる」

 その言葉に対して蜘蛛女は――嗤った。

「そうか、ならば死ね」

 そして――最後の戦いが始まった。

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