1-4

 古谷が先に歩き、紅が後に続く。

 古谷は右手に逆手でカランビットを構えたまま、左手を左の壁につきながら歩いている。その少し後ろを紅がついていく形だ。古谷は何かに怯えるように――いや、現実に怯えている――頻繁に背後を振り返っている。

「今回は鎧武者だから幽霊とか出てこないよな……突然襖がバーンと開いて驚かしてくるとかないよな……?」

 そんな風にブツブツつぶやきながら歩き続ける彼だったが、ふとなにかを思い出したように背後の紅を振り返って聞いた。

「そういえば、なにか武器とか持ってない? ライターとスプレーみたいなのでもいいからさ」

 ちょっと声が震えているその質問に、少し悩みながら紅は答える。

「らいたー……すぷれー……持ってない、と思う」

「そこは断言してくれませんかね。まぁ期待してなかったけどさ」

 そう言いながらも古谷はかなり残念がっている様子だった。思わず紅が心配そうになるくらいには。

「あ、あの……古谷、さん?」

 今度は紅が尋ねる。

「ん? どうしたの?」

「なんで左手をついて歩いてるんですか?」

「え」

「え」

 紅にとってはかなり疑問だったようだが、古谷はむしろそんな質問をされていることに驚いているようだった。

 どう説明したものかと少し悩んで、古谷は口を開く。

「えっとだな……こういう迷路を脱出する時に、一番手っ取り早い方法だから、だけど?」

「それって……?」

 前方に視線をやりつつ、周辺視野に紅を収めて歩き続けながら、古谷は続ける。

「どちらか片方の壁に手をついて歩き続ければ、たいていの迷路は脱出できるからね」

 それはごくごく単純な迷路の脱出方法だった。総当りに近いものがある分、力任せ的ともいえたが。

「そうなんですか」

「うん。だけどあくまで二次元的な構造の迷路に限るけどね。階段があったりワープホールがあったり空間が乱れてたりしたらどうしようもないけど。ま、今のところそんな気配は無いけどね」

「わ、わーぷほーる……?」

 突然出てきた異質な言葉に、紅はハテナマークを浮かべる。

 が、気にせず古谷は続ける。

「あとは無敵状態の敵とか出てくると厄介かな。逃げることに集中しないといけないから、こういうやり方が使えなくなることも“あった”し」

 しみじみと昔を思い出すように古谷が言う。

 そこでようやく紅は気づいたようだ。

「ふ、古谷さん……?」

「ん?」

 どこまでも異常なこの状況より、“なお異常な存在”。

「あなたは――」

「――ストップ、ストップ」

 と、古谷がいきなり制止をかけた。

 突然の制止を理解できなかったのかなおも歩き続けようとする紅に、古谷は左手を突き出して制止をかける。

 古谷の足音と紅の足音が止み、そして――ガシャン、という小さな金属音も鳴り止んだ。

 前方にある曲がり角の向こう、その先からその音はしていた。

「ふ、古谷さん……」

「しっ、静かに」

 そうしてしばらく前方をにらみ続けていた古谷だったが――突然、走り出した。

 待ち伏せを感づかれたことに気づいたのか、角の向こうから鎧武者が現れる。だが攻撃態勢に入るよりも早く、古谷が間合いに入っていた。

「…………!」

 慌てて刀を構えようとする鎧武者だったが、そんな暇を古谷が与えるはずもない。

「やらせるかぁっ!」

 気合を入れながら古谷が両足を揃えてジャンプ――ドロップキックを放つ。

 敵が反応するよりも早く大技を決める、明らかに慣れた動きだ。

 その一撃が鎧武者の胸部を穿つ。

「…………!」

 甲冑で衝撃はいくらか吸収されたが、人間一人分の重量が乗ったドロップキックをそれだけで完全に受け切れるはずもない。たたらを踏んで鎧武者が二歩、三歩と後ずさる。

 そこに古谷はすかさず追撃を入れた。

 鎧武者が体勢を崩しているところに、カランビットの大振りな一撃。

 具足の隙間を縫うようにして確実に両腕を切りつける。深く切りつけられたその傷口からやはり血は流れ出なかったが、それでも両腕が下がる。

 そこに手首を返すようにして古谷が再度切りつけた。

 勢いと切れ味が乗ったその強力な一撃は、鎧武者の首を半ば胴体から切り落としかねないほどの威力があった。

「……! …………」

 バタン、と勢いよく鎧武者が倒れる。

 それでも用心深く両膝にカランビットを突き立ててから、ようやく古谷は安堵のため息を漏らした。

「……はぁ……ま、また鎧武者か。和のテイストがたっぷりすぎる」

「あ、あ、あなたは――」

 今度は目を離すことなく一部始終を見ていた紅が、熱に浮かされたような目で古谷を見つめ、つぶやくように問いかける。

「――どうしてそんなに慣れてるんですか?」

 そんな疑問への答えは、古谷にとっては簡単すぎた。

「な、慣れたくなんてなかったんだけどね……」

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