はじめての入浴介助

「信じられません!ロクサナ様があんなにしっかりお話になるなんて」


 ロランドゥスは魔王との挨拶をすませた後、ミツバにロクサナの部屋と隣合わせの私室へと案内された。

 部屋はロクサナのものと比べて狭いが、ベッドも調度品も清潔に整えられている。

 質素な室内は根っからの庶民であるロランドゥスにはかえって心地よい。


「ふだんはぼうっと窓の外を見ているくらいで、私達ともあまり口をきこうとはなさらなかったんですよ。話すことと言えば食事がまずいとか、この城のメイドは気が利かないとかいう愚痴ばかりで」


 ミツバは声音を弾ませた。ロクサナの変化がよほど嬉しいらしい。


「なにしろ三十年ぶりに会ったんでな。積もる話もあるのだよ」

「認知症が進んでいる方でも、来客があると緊張してしっかりすることがあるんです。やはり、ロランドゥス様の来訪が良い刺激になっているみたいですね」

「しかし、奴はいずれわしがいることにも慣れるだろう。そうなればまた……」


 ロランドゥスはカーテンを開けてガラス窓の外の景色を眺めた。

 遠くに見える山並みはまだ頂に残雪を載せ、目に清涼な光景をみせてくれる。

 この景色は少しでもロクサナの慰めとなってくれるのだろうか。


「そうですね、でもロランドゥス様がおいでになったことは、ロクサナ様にいい影響を与えていることは間違いありません。なにしろ私たちはアンダルス大戦は全く経験していないので、ロクサナ様と共通の話題で話すことができないんです」

「共通の話題、か。奴も話相手に餓えていたんだろうな」

「魔族の方は人間とは異なるでしょうが、それでもロランドゥス様の存在そのものがロクサナ様にとってはよいメンタルケアになっていると思いますよ」

「そうであれば良いんだがな」

「なにしろ、今はロクサナ様は四天王の方々と会うことすらままならないですから。あの方にとって、ロランドゥス様こそが戦いに明け暮れた頃の思い出を語れる唯一の方なんです」

 

 時の国王ロベール2世は、魔族と和平を結ぶかわりにロクサナの部下を王国各地に分封することを約束させた。土地を与えて生活を保証する代わりに、魔族の勢力を分散させることをもくろんだのだ。

 四天王の筆頭である吸血鬼王メテルスにイリスがついているように、四天王にはそれぞれアルバ王国から監察官が派遣され、王国の監視下におかれている。王の巧みな分断策により、ロクサナは手足をもぎ取られた格好になっていた。


「わしにしてやれる最大のことが、奴の話し相手になることなのかもしれんな。それだけ年を取ったということか」

「寂しいことをおっしゃらないでください。勇者様だからこそできるお仕事なんですよ?」


 その言葉にロランドゥスは少々機嫌を直した。ミツバは介護の経験が長いためか、ロランドゥスのような年配の男の機嫌を取るのもうまい。


「さて、無事挨拶も済んだことですので、今後は本格的に仕事を覚えていただきます。私がみっちりとお教えしますので、覚悟しておいてくださいね」

「望むところだ。勇者たるもの、どんな重労働にも耐えてみせるぞ」


 ロランドゥスはこれから戦場におもむく戦士のように、まなじりを決して言った。




 ◇





「しかし、入浴の手伝いをせよと言われてもだな……」


 ロクサナの部屋へ向かう廊下を歩きつつ、ロランドゥスは渋面を作った。

 老いても身体能力のずば抜けて高いロランドゥスはまたたく間に介護に必要な動作を吸収し、今日から本格的にロクサナの介護をはじめることとなったが、魔王とはいえ女であるロクサナの入浴を介助するのにはやはり抵抗がある。


「ミツバ殿が手伝うのではいけないのか?」

「私ではお身体にも触れさせてくれません。ロクサナ様にも魔王としての誇りがあるんでしょう。どうしても自分より強い者でないと触れてはならぬとおっしゃるんです」

「しかし、わしはこれでも男なのでな。やはり奴にわしの前で裸になれというのは、その」

「大丈夫です。ロクサナ様がそれでいいとおっしゃってるんですから」


 穏やかながら有無を言わさぬ調子で言うと、ミツバはロクサナの部屋の扉をノックした。入れ、という声が聞えると、ミツバが扉を開く。


「待ちわびたぞ。今日は久方ぶりの湯浴みじゃからのう」


 車椅子に背をもたせかけつつ微笑むロクサナの表情は、本当にこの日を心待ちにしていたという雰囲気だった。入浴のため、今はゆったりとした夜着に着替えている。


「しかしお前、本当にわしでいいのか」

「よいも何も、おぬしに手伝ってほしいのじゃ」

「後から文句を言うなよ」

「文句など言うものか。私とてこの身体を好きにさせる男くらい選ぶ」

「お、おい、誤解を受けるようなことを言うな」


 ミツバの方を振り向くと、彼女は微笑ましい夫婦でも見るかのような顔をして笑っている。


「では、さっそく浴場まで連れて行ってくれ」


 頷くと、ロランドゥスは車椅子の背を押して歩き出した。

 この車椅子というものも、もともとはヤポン人の来訪者ビジターがもたらしたものなのだという。手先の器用なヤポン人は、アルバ王国の椅子を改良して車輪をつける程度のことは造作もなくやってのけた。


 脱衣場にたどり着くと、ロランドゥスはさっそく難問にぶち当たった。

 

「何をしておる。早く服を脱がせぬか」


 ロクサナはふわりと宙に浮かび、脱がせやすい体勢を作る。

 急かすロクサナを前に、ロランドゥスの視線が泳いだ。


「上半身は自分で脱げるだろう」

「ほう、いきなり下半身から脱がせるか?おぬしにそういう性癖があったとはのう」

「そうじゃないっ!自分で脱げる分は脱げと言っているんだ」


 声を荒げると、ロランドゥスは後ろを向いた。

 自分が役得で服を脱がせているなどと思われては困るのだ。

 衣擦れの音が聴こえ、上半身はすでに裸になった様子だったが、それでもロランドゥスは振り向こうとはしない。


「これ、何をしておる。さっさと下を脱がせてくれ」

「しかしだな……」


 たとえ仕事とはいえ、服を脱がせば見えてしまう。

 ロクサナが納得しているとはいえ、本当にこれでいいのか。


「おぬし、妻以外の身体を見てはいけないだとか、つまらんことを考えておるのではないか?」


 図星を突かれ、ロランドゥスは思わず身を固くした。

 妻のシルヴィアは三年前にすでに他界していたが、それでもつい彼女のことを意識してしまっていたのだ。


「おぬしの妻のことは知らぬが、職務上やむをえず他者の裸を見ることも許さないような女だったのか」

「そういうわけではないんだが……」


 シルヴィアは嫉妬深い性質ではなかったが、できることならロクサナの身体は見ずにすませたかった。


「世話の焼けるやつじゃのう。ほれ、もうこちらを見てよいぞ」


 ゆっくりと振り向くと、ロクサナの上半身は薄靄うすもやがかかったようにぼやけて見えた。幻影魔術で身体を隠したのだ。しかしその靄の向こうに、悩ましい肢体の輪郭が浮かび上がっている。均整の取れた見事な身体つきだ。


「これなら良いじゃろ?さあ、さっさと脱がせい」


 むしろ想像力を掻き立てる分だけ目の毒だ、と心中で呟きながら、ロランドゥスはそろそろとロクサナの腰に手を伸ばした。



「しかし、人間というのは不自由なものじゃな。たかが裸を見せるくらい、なんの問題もないだろうに」


 ロランドゥスに背中を洗わせつつ、ロクサナは首を傾げていた。

 ロランドゥスは石鹸をつけた布で背中をこするが、その背中はまだ幻影魔術の効果でぼやけている。

 その薄靄から透かし見るロクサナの肌は、湯船から漂う湯気の熱気で薄桃色に染まっていた。


「のうロラン、少し魔術を止めていいか」

「しかし、それでは……」

「別に背中くらい見てもよかろう?この魔術はけっこう疲れるのじゃ」


 介助者としては、ロクサナを消耗させることは避けなくてはいけない。

 ロランドゥスは仕方なくそうしてくれ、と声をかけた。


「おぬし、もしかしてぼやけていたほうが興奮するのではないか」

「そんなわけがあるか」


 そう言いつつも、全否定できない自分が情けない。

 くつくつと笑う声が浴室に響くと、ロクサナの背中がはっきりとした形を取り、目が醒めるような白磁の肌をロランドゥスの目の前にさらした。


(これでも、本当に老いているのか……ん、これは何だ?)


 水滴を弾く滑らかな肌に見惚れているうち、ロランドゥスは右の肩口に六芒星の紋様が描かれているのを目に留めた。紋様の中には、細かい文字でびっしりとなんらかの文章が書かれている。


(どうやら何かの術式らしいが、これはちょっと読めんな)


 目の前の文字列にどこか不吉な影を感じつつ、ロランドゥスは気づかないふりをして裸の背を洗い続けた。

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