邂逅
「どうした、それでこのわしを引き寄せられるつもりなのか」
ロランドゥスが身体に力を込めると、呪糸は引きちぎられ、絨毯の上で生き物のようにのたうった後に消え去った。
「ほう、未だ加護の力は衰えておらぬようじゃな。老いたりとはいえ勇者、というわけか」
ロクサナはさも嬉しそうに微笑んだ。
「当たり前だ。呪糸ごときにおとなしく縛られるようではお前の介護役など務まらん」
「女に呼ばれたらすぐに駆けつけるのが男たるものの心得ではないか」
「魔王を前に気を抜くようでは勇者など名乗れん」
「相変わらずつまらん男じゃのう。まあ、よいわ」
軽口を叩きあった後、二人はしばらく声をあげて笑った。
ロクサナの殺気が収まったのを感じ、ロランドゥスは彼女に歩み寄る。
「三十年ぶりだったかの。娘は息災か?」
「今、王都アルスターの大学で考古学を教えている」
ロランドゥスの娘カタリナは幼い頃から父に魔王領で見かけた珍しい石版の話を聞かされていたため、長じて学問の道へと進んだ。今はひとかどの学者として王都でも名を知られている。
「ということは、あの娘もちょうど三十というわけか。おぬし、身ごもっている妻のためにも負けられぬとか言っておったからのう」
ロクサナは遠くを見るような目つきになった。三十年前のロランドゥス一行との戦いを思い出しているのだろう。
「時が経つのは早いものじゃ。おぬしら人間は世代交代が早いゆえ、我らはおぬしらの生涯をただ見送るだけになる」
「本来なら、お前は老いることなどないんだろうな」
「通常ならば、な。だがどういうわけか、今は満足に立って歩くことすらかなわぬ有様なのだ」
軽く溜息をつくと、ロクサナは床に目を落とした。
「なぜそんなことになったのか、何か心当たりはないか」
「ないのう。本来魔族の王族は不老不死。魔王が老いるなど聞いたこともないわ」
「うむ……そいつは不可解だな」
ロランドゥスは首を傾げた。なぜ不老不死の魔王に老いの影が迫っているのか。
「のう、ロラン。私の老い方は、人に似ておるのじゃろう?」
「ああ、そうだな。それがどうかしたのか」
「そこのミツバに言わせると、どうやら最近の私は物忘れがひどいらしい。このままいけば、私はどうなるのだ」
「それは……」
ロランドゥスは口ごもった。その先を言っていいものか、迷う。
「答えぬということは、答えられぬようなことがこの身に起きるということなのじゃな」
まっすぐにこちらを見つめるハシバミ色の瞳を正視できず、ロランドゥスは目をそらした。
「目は口ほどに物を言う。おぬしは本当に嘘のつけぬ男よの」
そう横顔に言葉を叩きつけられ、ロランドゥスは何も言葉を返すことができなかった。
「のうロラン、人は死んだらどこへゆく?」
びくりと身を震わせるロランドゥスに、さらにロクサナはたたみかける。
「私も、いずれは死ぬのだろう?死んだら、私はどうなるのだ」
「そう言われても、わしも死んだことなどないのでな。それだけはなんとも言えん」
「天神教の連中は、人は生前の行いに応じて生まれ変わると言っておるではないか」
「あいにく、わしはあまり敬虔とは言えん男でな。神などというものがこの世にいるのなら、なぜ魔王などがこの世にはびこる」
「はは、道理じゃな」
ロクサナはどこか自分を突き放したように笑った。
「生まれ変わり、というものがないとまでは言えんがな。お前も知っているだろうが、わしのパーティーにいたムゲンという侍、あれはヤポン人の生まれ変わりらしい。当人の言葉を信じるならだが」
「ほう、
ムゲンという寡黙な男は、前世でヤポン人だった記憶があると語ってくれたことがあった。
しかし、それだけではムゲンがヤポン人の生まれ変わりだとは証明できない。ムゲンが
「天神教の教えによれば、生前に善い行いをしたものは裕福な家に生まれたり、優れた才能を授かったりするのだろう?」
「そう聞いてはいるが、本当にそうだと証明できたものは誰もいないさ」
「仮にそれが本当だとして、だ。私のような生涯を送ったものは、来世はどんな生を送ることになるのだろうな」
「さあな……生まれ変わりというのはあくまで人間の話だ。本来不老不死のお前が死んだら、二度と生まれ変わることはないのかもしれんな」
「それはおぬしの願望か、ロラン?」
問いを向けられ、ロランドゥスはふたたび絶句した。
「な、何を言ってる。そんなわけがあるか」
「魔王に次の人生などあってはならないと、そう思っているのではないのか」
「そうじゃない。魔王のお前に人間の理屈は適用されないだろうと言っているだけだ」
「あまたの人間を殺めた魔族の王が生まわれ変わってほしくないと、勇者のおぬしが思ってもふしぎはないが」
「その魔族にもう人間を襲わないよう呼びかけたのもお前だ。お前がいなければ、人間と魔族が和解することもあり得なかった」
生死を賭した戦いの末、ロクサナを打ち負かしたロランドゥスは魔王にとどめを刺さなかった。この魔王は敵ながら優れた器量の持ち主であると思っていたし、魔王を殺して残党の蜂起を促すくらいなら生かしておいて魔族に人間との和解を呼びかけてもらったほうがよいと判断したからだ。
「もし私に来世があるとして、私の罪は人間と和解したことで帳消しになるだろうか」
「そうなれば良いがな。巨大な罪と功績が打ち消しあって、案外平凡な商家の娘にでも生まれ変わるんじゃないのか」
「平凡な娘の人生とはどんなものなのだ?どんな一生を送ることになる」
ロクサナは興味津々といった様子で問いかける。
「そうだな……まあ、家格の釣り合う商家の男と結婚して二人くらい子供を生み、堅い商売を続けていずれは孫に囲まれ、昔は景気が良かっただの風紀も乱れていなかっただのとこぼす年寄りになるのだろうさ」
「なんだ、つまらん人生じゃのう」
「普通の人間などそんなものだ。だがわしみたいにずっと戦いに明け暮れた暮らしを続けていると、そんなつまらん人生こそが何よりも貴重なものだと気づくんだ」
「私がつまらんと言っておるのはそういう意味ではないぞ、ロラン」
「じゃあ、どういう意味だ?」
首をひねるロランドゥスに、ロクサナはいたずらっぽく微笑みかけた。
「おぬしは勇者じゃ。もし生まれ変わりなどというものがあるとすれば、巨大な功績を持つおぬしは王侯貴族の家にでも生まれ変わるじゃろう。平凡な商家の娘とはちと釣り合いそうにもないのう」
「なっ……」
ロランドゥスは年甲斐もなく顔を赤らめた。
「な、なんでわしがお前と結婚なんぞしなくてはいかんのだ」
「結婚?はて、何のことかの」
「お前はさっき、王侯貴族と商家の娘では釣り合わないと言っただろうが」
「私は商売の話をしていたつもりなのじゃがな。平凡な商家では、王侯貴族をお得意様になどできぬだろうしな」
嵌められていたことに気づき、ロランドゥスはさらに怒りで顔を赤くする。
「お、お前な、釣り合いと言ったら普通、結婚のことだと思うだろうが」
「おぬしの心の中にこの私を娶りたい、という気持ちがあるからそう思うのではないかのう」
「そんなわけがあるか!そうやって人をたぶらかすなど、お前は本当に悪魔のような奴だな」
「だからもともと魔王じゃ」
「やかましいっ!」
ロランドゥスは憮然とした表情で横を向いた。
ちらりと横目を向けると、ロクサナは身をふたつに折り、腹を抱えて笑っている。
「おぬしは本当にわかりやすい男じゃのう」
笑いすぎて、ロクサナの目の端には涙が浮かんでいた。
その様子を見て、さらにロランドゥスの胸に怒りがこみ上げてくる。
「おい、いくらなんでも笑いすぎだぞ」
「ああ、すまんすまん。堅物のお主をからかうのも大概にせねばな」
ほっそりとした指で涙を拭うと、ロクサナはふと笑みを消した。
「しかし、たとえほんのひと時だけでもこの私を娶りたいと思う者がいてくれたのなら、この生もあながち悪いものではなかったのかもしれんな」
ロクサナが妙にしんみりした様子で話すと、ハシバミ色の目に浮かんだ涙がふと別の意味を帯びているようにロランドゥスには思えた。
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