来訪者ミツバ

 王都からデルミナル城へは、馬車で一週間の行程だった。

 もともとアルバの王族の保養地であったデルミナル城は閑静な森に囲まれ、澄んだ清水をたたえる湖のほとりに建つ小城だ。


「ようこそお越しくださいました。お会い出来て光栄です、勇者様」


 城門の前でロランドゥスを出迎えたのは、メイド服を着た侍女風の娘だった。

 血色の良い顔のうえで、細い目が好奇心に輝いている。


「私はデルミナル介護士長のミツバと申します。勤務に入る前に、仕事の内容について私から一通り説明させていただきます」


 背を折りまげたミツバの黒髪を眺めつつ、この者はどこの出身なのか、とロランドゥスはいぶかしんだ。アルバ王国には純粋な黒髪を持つ者は少ない。

 その疑問を口には出さず、ロランドゥスはミツバの後に続いた。




  ◇




「これからロランドゥス様に担当していただくのは、おもに食事と入浴の介助、外出の支援、そしてメンタルケアということになります」


 客間に通されたロランドゥスは、椅子に腰掛けたままテーブルを挟んでミツバの説明に聞き入っていた。


「めんたるけあ、とは?」

「ああ、すみません。つい向こうの言葉を使ってしまいました!これはロクサナ様のお心をお慰めする、といった意味です」


 悪びれず答えるミツバの笑顔にはなんとも言えない愛嬌がある。

 これは素の性格なのか、介護士を続けるうちに身に着けた態度なのか。


「ミツバ殿は、もしかして来訪者ビジターなのだろうか」

「ええ、そうなんです。ヤポンでもずいぶん高齢化は進んでいて、私は向こうでも介護士をしていたんですけど、神社の裏手の森のなかで空中にぽっかりと黒い穴が開いているのを見かけて……今思うと、あれがゲートだったんですね」


 この世界には、時おり異世界から迷い込んでくる者がいる。

 なぜかヤポンという国からやってくるものが多く、彼等の多くは向こうで身につけた先進的な技術をこちらの世界に持ち込んだ。

 ここ一世紀ほどは特に医療技術を持つものが多くアルバ王国にやってきたため、国民の健康状態は大いに向上している。国民の寿命が伸びたため高齢化も進み、介護士の需要は増える一方だった。


「ところで、下の世話はしなくてもいいのか」


 ロランドゥスは気になっていたことを訊いてみた。

 かつて魔王を討伐した仲間の神官・イリーナはアルトリス神殿の介護士を束ねているが、彼女からは時おり介護士の仕事ぶりについて聞かされている。


「実は、ロクサナ様は排泄はなさらないのです。どういう身体の仕組みになっているのかはわかりませんが、消化した食物は外に出す必要はないようです。質量保存則から言うとありえないことなんですが……」


 ロランドゥスは安堵の息を吐いた。

 ロクサナは魔王であるとはいえ、見かけ上は女だ。

 誇り高いロクサナが、この自分に下の世話などさせるだろうか、と密かに気を揉んでいたのだ。

 それに、かつて刃を交えたあの魔王に襁褓むつきを当てるところなど、正直見たくはなかったのだ。


「それに、よほど皮膚が丈夫なのか、床ずれの心配もありません。魔族というのは人間の想像を超える存在ですね」

「うむ……そうか。では、あといくつか質問したい」

「はい、なんでも質問してください」

「ロクサナは怒りっぽくなっていると聞いたが、周囲の者に乱暴を働いたことはあるか」


 やはりロランドゥスは戦士だ。

 ロクサナがいつ魔力を暴走させるのか、かつて戦った身としてはそこが気になる。


「一度だけ、雷を呼び寄せて床を焦がしたことがあります。食事が気に食わなかったようで介護士から少し離れたところに雷を落としたのですが、介護士には怪我はありませんでした」

「それならば、まだ理性は残っているようだな」

「ええ、でもあの様子では介護士は誰もロクサナ様に近づけないんです。ロランドゥス様に来ていただいたのは、万が一ロクサナ様が自分を抑えられなくなっても身を守れるのは勇者様くらいしかいない、という事情もあるんです」

「なるほど」

「あの、こういう質問が失礼なのはわかっていますが、ロランドゥス様は若い頃のようにお身体は動きますか?この仕事には大きな危険が伴いますので、断るなら今のうちですよ」


 緊張を声音ににじませるミツバを前に、ロランドゥスは頬を緩めた。


「動く、と言っても信じられまい。まずは証拠をお見せしよう」


 やおら立ち上がると、ロランドゥスは机の上に置かれた果物を指さした。


「それをこちらにほうってくれ」


 ミツバは一瞬きょとんとした表情になったが、言われるままに果物籠を持ち上げ、中の果実をロランドゥスに向けてばらまいた。

 途端、ロランドゥスは抜く手も見せずに電光のように剣を宙に舞わせた。

 剣が鞘に収まった後、地に落ちた五つの果実はすべて真ん中から断ち割られていた。 

 軌道すら見えないほどの神速の剣技を前に、ミツバは目を丸くした。


「すごい……何が起きたのか、私には全くわかりませんでした」


 齢六十を目前に、なおロランドゥスの剣技は衰えをみせていなかった。

 安心したのか、ミツバは細い目をさらに細めて微笑む。


「それだけ動ければ、ロクサナ様が万が一暴走しても安心です。魔王の専属介護士として申し分ありません」

「この剣技を用いる日が来なければいいんだがな」

「私もそう願っていますが、楽観視はできません。いつか理性のタガが外れ、ロクサナ様が貴方に襲いかからないとも限らないのです」

「覚悟ならしているさ。そうでなければここまでは来ない」

「本当に、覚悟ができていますか?」

「どういう意味だ」

「ロクサナ様が限度を超えて暴れるようなら、ロランドゥス様には危険排除を最優先して動いてもらわなければいけません。彼女がもし理性を失い、王国民に牙を剥くようなことがあれば、その脅威を断ち切ってしまわなくてはいけないのです」


 ミツバは真剣な眼差しをロランドゥスに注いだ。

 彼女は曖昧な言い方をしたが、言わんとするところはロランドゥスにもわかっている。


「──ロクサナを殺す覚悟があるのか、と言いたいのだな」


 ミツバは無言でうなづいた。

 これこそがこの仕事の本質なのだろう。

 魔王を支える仕事に就きながら、いざという時はその命を絶たねばならない。

 ロランドゥスは、黒く大きな塊を飲み込むような心持ちになった。


「それがおわかりなら問題はありませんね。ロクサナ様も、もし逝くなら勇者様の手にかかって逝くことを望んでおられると思います」


 ミツバは少し声の調子を落とした。その後、沈んだ空気を振り払うように声を励ました。


「さて、ロランドゥス様、今から最初のお仕事に取りかかっていただきます」

「まだ魔王に挨拶もすませていないのに、か?」

「まずはこの果物を片付けてください。ロクサナ様のお部屋の掃除もロランドゥス様のお仕事になりますからね。私達はなかなかそばに寄らせてもらえないので」


 ロランドゥスは軽くため息を吐くと、しぶしぶ果物の残骸を拾い集めた。




 ◇




「では、こちらがロクサナ様の居室になります」


 軋み音を立てながらミツバが扉を開くと、その先は思いのほか広い空間だった。

 部屋の隅には天蓋付きのベッドがしつらえられ、真紅の絨毯の敷かれた床には塵ひとつ落ちていない。カーテン越しに差し込む陽光が、車椅子に腰掛けるかつての仇敵の美しい横顔に淡く降り注いでいた。

 

「久しいのう、ロラン」


 気安くあだ名を呼び、ロクサナは首だけをロランドゥスに向けた。

 軽く波打つ金髪も、可憐な目鼻立ちも王都の宮廷画家が描いたかと思うほどに美しい。

 黒地の布に金糸の刺繍の入ったドレスはしなやかな肢体を包み、匂い立つような色香をあたりに振りまいている。

 しかし、側頭から生えた二本の黒い角が、この絶世の美少女に魔王としての威厳を付け加えていた。


(見かけは、老いてはいないんだな)


 ロランドゥスはその姿には見とれず、冷静にかつての仇敵の姿を観察していた。

 魔族ともなると老い方も人とは違うのか、ロクサナの容姿は三十年前戦った頃と少しも変わってはいない。


「何をしておる?近うよれ」


 どこか蠱惑的な甘さを含む声で、ロクサナは呼んだ。

 しかしロランドゥスは身構えたまま、あえて近づこうとはしない。


「近づく気がないのなら、無理にでも来てもらうとするか」


 ロクサナが素早く左手をかざすと、その指先から禍々しい黒糸がロランドゥスに向かって飛んできた。身をかわす暇もなく、五本の糸がロランドゥスの身体に絡みつき、じりじりと絞め上げる。

 ミツバは思わず悲鳴を上げたが、ロランドゥスは涼しい顔で魔王の攻撃を受け止めていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る