魔王の介護、引き受けます

 屋外へと出てアルスター大路を歩くと、往来には人並みに混じりオークやゴブリン、ミノタウロス達の姿も目立つ。屈強なオークは資材をかついで工事現場へと急ぐものも多い。

 三十年前にロランドゥスと魔王ロクサナが最終決戦を行い和平を結んで以来、アルバ王国では人間と魔物との宥和政策を進めてきた。

 長きにわたる戦いに倦んでいた人間も魔族もともにこの政策を受け入れ、三十年の時を経てようやく人と魔族はどうにか共存できるようになっていた。


「わしをどこへ連れて行くつもりだ」


 すでに五十代も終わりにさしかかっているが、ロランドゥスの足どりはしっかりとしていて、イリスも気遣って歩幅を狭める必要はないほどだった。

 両脇に露店のひしめき合う中を、イリスは足早に先導する。


「その格好では初夏の日差しはお身体に障りましょう。少し涼しいところへご案内します」

「年寄り扱いするな。勇者たるもの、いつでも戦陣に加わることのできる格好でいなくてはならん」


 参加すべき戦もなく討伐すべき魔物もいないのに、ロランドゥスは今でも現役の勇者のつもりでいる。


「それでこそロランドゥス殿です」


 少しだけ口角を上げると、イリスはいくつか辻を折れ、町外れのこじんまりとした祠へとロランドゥスを連れてきた。

 扉を開け、地下へと続く階段を降りると、ひんやりとした空気がロランドゥスの頬を撫でる。


「こんなところへ連れてきて、どうするつもりだ」


 階段の先には薄暗い洞窟が口を開けていた。

 岩肌に据え付けられた松明が二人を照らし、地に伸びた影が頼りなげにゆらめいた。


「新しい仕事の話は、雇用主から直接してもらったほうがよいと思いまして」


 しばらく歩いて洞窟を抜けると、天井の高い広い部屋へと出た。

 床には豪奢な絨毯が敷かれ、この部屋の主が貴人であることを思わせる。


「先日お話したロランドゥス様がお見えです。姿をお見せください」


 イリスが言い終えると、ロランドゥスの背をぞわりとした冷気が駆けのぼった。


(──上か!)


 30年を経てなお衰えないロランドゥスの戦士の勘がそう告げていた。

 果たして、天井には無数の蝙蝠こうもりがびっしりと張り付いていた。

 蝙蝠たちの目がいっせいに紅く光ると、ロランドゥスは剣の柄に手をかけた。

 慌ただしく飛び立った蝙蝠は部屋の中央に集まり、やがて長身の人の姿を形作る。


「お久しぶりです、ロランドゥス殿」


 漆黒の燕尾服を身にまとった男は、端正な青白い顔に寒気がするような微笑をうかべた。


「お前の死霊軍にはずいぶんと苦労させられたぞ、メテルス」


 そこに立っていたのは他ならぬ魔王の副官、吸血鬼王メテルスだった。

 メテルスは優雅な仕草で一礼すると、玉座と見まごうほどの豪華な椅子に腰掛ける。


「メテルス殿、ここは貴方からロランドゥス殿に仕事の内容を説明していただきたい」

「心得ました。勇者殿のお気に召すといいのですがね」


 血のように紅い色合いの唇を舐めると、メテルスは続けた。


「実を申しますと、ここのところ魔王ロクサナ様の体調がすぐれないのです。少々申し上げにくいのですが、かなり老化が進んでおりまして、最近は歩行もままならぬありさま」

「ほう、あれほどの者でも老いるのか。魔王は不老不死だとばかり思っていたのだがな」

「それだけではありません。今は記憶も怪しくなり、先程食事を摂ったことすらも忘れるほど。時おり三十年前を思い出しては、ロランドゥス様と死力を尽くして戦った頃の自分に戻って部下の名を叫んだりもなさいます」

「なんと……あやつも人のように年を取るのだな」


 ロランドゥスは腕組みをし、額に皺を寄せた。

 頭の中のロクサナは、三十年前の姿で時を止めている。

 魔界の最深奥で決戦に及んだころは、ロクサナは神の筆先が描き出したような絶世の美少女の姿を取っていたが、今は見る影もなく老いさらばえているのだろうか。


「で、わしに何をしてほしいのだ」

「実は、ロクサナ様の介護をお願いしたいのです」

「介護だと?」


 ロランドゥスはさらに額の皺を深くした。

 魔王との最終決戦以来戦争もなく、ここ一世紀ほどは異世界からの来訪者ビジターが国民の健康診断や栄養指導を行うようになったため、アルバ王国民の平均寿命は飛躍的に伸び、その副産物としての高齢化が問題となっていた。

 近年は王都アルスターにも養老院が建設され、多くの身寄りのない老人が生活している。


「介護士も立派な仕事です」


 そう言うイリスには一瞥いちべつも与えず、ロランドゥスは答える。


「そんなことはわかっておるわ。だが、それは勇者の仕事ではあるまい。わしにロクサナの下の世話をせよというのか?」

「いえ、これこそがロランドゥス様にしかできない仕事なのです」


 唇の隙間から鋭い牙をのぞかせつつ、メテルスは言う。


「なぜだ?魔王の世話ならばアルトリス神殿の介護士にでもまかせればいいではないか」

「それが、そういうわけにはいかないのです。近頃はロクサナ様もずいぶん怒りっぽくなり、時に周囲の者を怒鳴りつけることもあるのです。身体は衰えたりとはいえ、今でもロクサナ様の魔力は健在。もし万が一、魔王さまが魔力を解放するようなことが起きれば……」


 メテルスは少しうつむき、声の調子を落とした。


「抑えられるのはわししかいない、ということか」


 ようやく得心し、ロランドゥスは何度も深くうなづいた。


「まだ、魔族と人間の共存は道半ばといったところです。魔族の中には現状に不満を持つものもおりましょう。もしロクサナの意識がかつての自分に戻り、人間への宣戦布告などを行った日には、これに応じる魔族も数多くいるに違いありません。そのような事態は、決して引き起こしてはならないのです」

「なるほど、わしは介護士兼魔王の見張り役というわけか」


 ロランドゥスが脇のイリスを見やると、彼女は無言でうなづいた。


「それに、ロクサナ様はああ見えて誇り高き御方。そこらの介護士には決して自分の世話などさせようとはしないのです。あの方が介護役としてお認めになる人物がいるとすれば、かつて自分を倒したロランドゥス様しかおられません」


 メテルスがわずかに表情を翳らせた。


「おぬしらではそばにも寄れないというのか?」

「先日などは、天雷でデルミナル城の床を焦がしました。あれを食らって無事でいられるのは、ロランドゥス様だけでしょう」


 ロランドゥスの血がたぎってきた。

 やはり自分は戦いに生きる者なのだ、とこの元勇者は強く意識した。

 ただロクサナの面倒を見るだけなら向いている仕事とは思えなかったが、日々いつ殺されるかわからぬ緊張感の中に身を置けるのなら、介護の仕事でも白刃を交えるような充実感を味わえるだろう。


「よし、その役目、引き受けよう」

「本当ですか!さすがは元勇者様、いえ、勇者様です」


 慌てて言い直すイリスを前に、ロランドゥスは胸を張った。


「それでは準備も必要でしょうから、日を改めてこちらからロランドゥス殿のお宅に使者を向かわせます。勤務場所はデルミナル城となりますが、よろしいですね」

「勇者に二言はない」


 念を押すイリスに答えると、ロランドゥスは満足げに顎ひげをしごいた。

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