年古りし勇者よ、魔王の車椅子を押せ
左安倍虎
引退勇者の憂鬱
「おいジジイ、あんたみたいなのが元勇者だって?フカシこいてんじゃねえぞ」
アルバ王国の首都、アルスターの場末の酒場になぶるような声が響いた。
いかにも軽薄そうな若者の挑発に顔をしかめた男は一気に麦酒を飲み干すと、乱雑にジョッキをカウンターに置いた。その顔はすでに酒気を帯びて赤く染まっている。
その様子に、二人のやり取りを見守っていた酔客の間から失笑が湧いた。
「何をいうか若造。かつてこの国を
男は自慢げに腰の剣の柄をたたいた。
大人気なく若者に食ってかかる男の頭髪は豊かに伸び、後ろの肩のあたりで束ねられている。
しかしその髪も眉も口髭も淡雪のように白く、寄る年波に抗えていない。
鋭い眼光も若い日には大いに敵を威圧しただろうが、今は気難しい印象を振りまくばかりだ。
無骨な板金鎧を着こなしている様子はこの男が歴戦の勇士であることを思わせるが、世界が平和となり傭兵も仕事にあぶれるこの時代、こんな武張った格好はもはや老人の懐古趣味となりつつあった。
「ロランドゥスの名くらい知ってるさ。こんなシケた酒場で昼から飲んだくれてるあんたがその勇者だってのは嘘だろと言ってんだよ。先代勇者のザクトは魔王討伐の後は将軍に出世したし、先々代のヘクトルだって軍務大臣だっただろ。アルトリス神殿の加護を受けてる勇者ならそれくらいの地位についてるはずだろうが」
顔を寄せてくる若者を、白髪の男は怒りを込めた目で凝視する。
「それで、
「はぁ?何言ってんだ老いぼれ。ならあんたが証明してみろよ。元勇者だと言い張ってんのはあんたなんだからな」
白髪の男はぐっと詰まった。もとより赤い顔が、怒りでさらに赤く染まる。
「元勇者ではない。勇者だ」
「だからその証拠を見せろと言ってんだよ。あんたがロランドゥスなら退魔十字斬くらい使えんだろ?ほら、さっさと加護剣の一つもみせてみろよ」
「馬鹿をいえ。あんなものを使ったらこの建物がまるごと倒壊するわ」
「それ見ろ、やっぱりあんたは偽物なんじゃねえか」
「うむ……お前ごときに見せるのはもったいないが、仕方があるまい。見よ、これを」
男は腰の革袋からくすんだ緑色の石を取り出し、若者の前に示した。
「これこそが、魔王ロクサナが和平の証に我に託した魔晶石よ」
「はっ、そんな石ころに国ひとつ買えるほどの値打ちがあるってのか?ちょっと見せてみろよ」
若者は少しの間目をすがめてその石を眺めると、無遠慮に手を伸ばしてきた。
「やめよ!これはお主のような下賤の輩が触れてよいものではない」
白髪の男は掌の中に石を握ると、伸びてきた若者の腕を捕らえ、素早く背負って床に叩きつけた。年齢に似合わぬ、流れるような動作だった。
「ぐっ……」
苦しげにあえぐ男が床から身を起こすと、殺気に満ちた男たちが白髪の男を取り巻いていた。男たちの手にはそれぞれ短刀が握られている。
若者の仲間なのだろう。皆一様に柄が悪そうだ。
男たちはじりじりと包囲の輪を縮め、酒場の中に剣呑な空気が満ちた。
「そこまでだ!」
凛とした声が響き、白髪の男と柄の悪そうな男たちの間に白刃がさしのべられた。
「この国の治安を乱すものは、誰であれこのイリスが剣の錆にしてくれる」
声の主は目に鮮やかな紅の甲冑を身に着けていた。両肩に流れるきらびやかな銀色の頭髪が、物見高い酔客の目を釘付けにする。
その胸に光る大鷲の徽章は、彼女が王国騎士であることの証だ。
ざわめく酔客の間から、誰かが口笛を吹く。
「ロランドゥス殿、たとえ貴方であろうと例外ではありません」
女騎士が翠玉の瞳を老いさらばえた勇者に向けると、ロランドゥスはきまり悪そうに目をそらした。
「そんなことはわかっておるわい。わしを斬りたくば斬れ」
「ずいぶんとお酒を過ごされているようですね。昼日中からこのようなところでくだを巻くより、貴方にはふさわしい仕事があると思うのですが」
「イリスよ、仕官の話ならば聞かんぞ。王子の剣の指南役など二度とごめんだ」
ロランドゥスは以前、アルバの第一王子に剣を教えていたことがある。
しかし貴人であろうと一切容赦しないロランドゥスの指導は大貴族たちから非難を浴び、それでも指導方針を変えなかった彼はついに王宮から追放されてしまったのだ。
若き日に魔王討伐の褒美にもらった土地からの収入があるので生活には困っていないが、剣を使う仕事から疎遠な日々がロランドゥスを酒に走らせていた。
「宮仕えよりもよい仕事の話がある、と申し上げたなら聞いていただけますか」
「ふん、この老いぼれに今さらどんな仕事の口があるというのだ」
「これは元勇者たる貴方にしかできない仕事です。──ここでは人目もありますので、外でお話できればと」
イリスは周囲を見渡すと、声を低めた。
「この仕事なら、貴方は己を曲げることも、剣の勢いを鈍らせることもせずにすみます」
その声を背中に聞きつつ、ロランドゥスは勘定をすませた。
心の片隅で、今度こそこの剣を存分に振るえるのか、という期待が頭をもたげていた。
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