熊と試合は止まらない
控室は騒然となる。
何せ猛獣黒ボクサーことベアー・ナックルが圧倒的差で負けた上、
相手は村一つの人間全てを喰らうような大食漢。
その気になれば、今この場にいる人間全員をその胃の腑に収められてしまう猛獣が来た事に、勝者も敗者も関係なく、全員が緊張した。
「おい! おまえ! 何連れて来てんだ!」
怒鳴ったのは、リストカット・クラウディウス。
疲弊しているとはいえ、猛獣がすぐ側にいる蓮へとズカズカ迫っていく。
「そいつは動物だ! 戻すのなら檻の中だ! 試合に勝ったからと言って、勝手にされたら困――」
熊の肩に刻まれた
蓮の
つまりもう、ベアー・ナックルは蓮のものとなったと言う事だ。
「てめぇ……強国に、俺達に、喧嘩売ってんのか!」
蓮の目が、ここで初めて感情を示す。
まるで悪魔の魔眼が如く、見つめた全員をその場に留めた蓮の指は真円を描き、召喚のための陣となって輝き、純白の火龍を呼び出したのだ。
まだ子供とはいえ、控室に出すには大き過ぎる。そんな巨体が出て来た事で、混乱は必至。
火龍と大熊は互いの身を寄せ合い、メイドのシューティングスター姉妹を庇おうと動いた。
正確には、蓮がそうさせたのだが、周囲にはそう見えない。
言葉も能力も介さず、ただのアイコンタクトだけで指示するなんていう高等技術を、誰が見抜けるだろうか。
「か……勝手が過ぎるだろてめぇ!」
「何だ何だ、随分と騒ぎになってるみてぇじゃねぇか、リストカット」
「デ……ゾルイシャ兄様」
「今、デブって言おうとしただろてめぇ。潰すぞ、リストカット」
王家次男、ゾルイシャ・ムゥ・クラウディウス。
かなりの肥満体系だが、実力はかなりの物だという噂だ。
ただ残念かな。
豊国でより巨漢のベヒドス・マントンを見た後だと、迫力に欠ける。
「なるほど。ベアー・ナックルを手懐けたのか。確かにすげぇが、勝手な事をされちゃあ困るな。そいつはこの国の罪人を殺す、死刑執行獣の一体。勝手に使役されるのは困るんだよなぁ」
思い切り顔を近付け、威圧して来る。
が、蓮は退かない。
寧ろ真っ直ぐにゾルイシャ・ムゥの目を見つめ、応戦して来る。
彼の実力の底を知らないから出来た芸当とも言えたが、知っていたとしてもやはり退かなかっただろう。新しい傷も多い熊の体を見れば、退く選択など出来なかった。
それを受けて、ゾルイシャ・ムゥは部下らしき男を呼び付け。
「こいつの次の試合の相手は誰だ!」
「小国ライゼの近衛騎士団長ですね」
「そいつの代わりに俺が出る! 手配しろ!」
「畏まりました」
「って訳だ。次のてめぇの相手は俺だ」
「待てよデブ兄! 強国からはオレが出るって――!」
「なぁに。結局俺かおまえが優勝するってだけの話だ。強国は聖杯の欠片を死守すると同時、ベアー・ナックルを取り返す。それだけの事だ。それとも……俺を相手にするのが怖ぇか? ん?」
王女でありながら戦士でもあるリストカットに対して、ゾルイシャ・ムゥのこの発言は抜群に効いた。彼女は撤退も撤回も出来ず、おめおめと引き下がる事も出来ず、その高いプライドから、良しと言うしか出来なかった。
「上等! オレに潰されてブヒブヒ泣くんじゃねぇぞデブ兄!」
「じゃあてめぇが負けたら、俺のダチに紹介すんぜ? くっ殺台詞吐かせてやるよぉ!」
最早、蓮が倒される事前提で話が進んでいる。
だが蓮はそんな事は気にも留めず、二人と二頭を連れてその場からそそくさと撤退。熊の体を洗ってやるため、水場へと連れて行った。
そうして数分後、観客席に放送が流れる。
内容は無論、出場選手の交代。ゾルイシャ・ムゥの出場の件だった。
これにはバリスタン・
「汚いですよ、二人共」
「で、ですが……!」
「ゾルイシャ・ムゥとくれば、クラウディウス家の次男ですよ?!」
二人に対して、
思わず口角が上がり、笑いが止まらなくなる。
「ゾルイシャ・ムゥか。あの重戦車の異名を取ったあの重量で、英雄様を潰そうってか。なるほど……二回戦は正直消化試合かと思ってたが、こりゃあ面白くなって来たなぁ」
「関心してる場合ですか! 重戦車ゾルイシャ・ムゥとくれば、かなりの巨漢! それに見合わぬスピードが武器と有名です! 先程の熊ほど重くはないでしょうが、スピードは確実に上! 何より、能力を使うのですよ!?」
「それがどうした。最初の試合がイレギュラーだっただけで、そもそもそういう試合だろ? 誰が相手だろうと、俺達は見守ってやるしか出来ねぇんだ。心配じゃなくて、応援してやんな」
「心配など無用です。勝つのは蓮様ですから」
一切動揺無し。
過ぎる程の信頼が為せる技。
蓮の従者にして能力制御人形。ピノーキオ・ダルラキオンは真っ直ぐに戦場を見つめ、蓮の登場をただただ待つ。
アルフエもシャナも騒ぐのを止め、最後になる蓮の戦いまで全ての戦いを見届けた。
そして、その時は来た。
『さぁ! 遂にこのカードです! 急遽参戦して来た第二王子ゾルイシャ・ムゥ様! 対するは、
体格差は歴然。背丈も横幅も倍以上に違う。
だが不思議に感じるのは、重戦車と呼ばれるゾルイシャ・ムゥが巨大な鎧兜に包まれているのに対して、蓮は軽装のままである事だ。
周囲はこの装備の差を、どのように考えるか。
そして、当人らは。
「何だてめぇ。俺の噂知らないのか? 重装歩兵を超えた重戦車。このデカい体から出て来る突進力が、俺の武器。それを、その身一つで受け止められるって? 舐められたもんだなぁ」
人の域を超えたピノーキオの聴覚が、ゾルイシャ・ムゥの声を捉えてほくそ笑む。
噂を知らないはずがない。だからといって舐めているはずもない。
彼はいつだって全力だ。全力しか戦い方を知らない。だからこそ、自分と言う彼の上限を設定する人形がいるのだから。
「まぁいいや。てめぇは本気でぶっ壊してやるよ。リストカットにはもったいねぇからなぁ」
~まけない~
「言ってろ! いや、何も言えてねぇか! 相手を脅す文句もねぇとは、寂しい奴だなぁ!」
お互い、位置についた。
後は試合開始を待つだけだ。
だが時間が経つ毎、ゾルイシャ・ムゥは冷や汗を掻き始めていた。
脅す文句がないと言ってから、ずっと感じる圧迫感。
何者かに心臓を握られ、ジワジワと押し潰されている様な感覚に窮屈さを感じて、今すぐにでも鎧を脱ぎたいが、そんな訳にはいかない。
だが徐々に視線が落ちていって、次第に蓮の姿をまともに見られなくなって来た。
恐怖――昔父の逆鱗に触れた時、初めて父の鉄拳制裁を受けた時の記憶がぶり返して来て、思わず怖気付いた。
脅し文句なんて必要なかった。
立っているだけで感じられる、凄まじい威圧感と圧迫感。
臨戦態勢に入った英雄から放たれる気迫に気圧されて、ゾルイシャ・ムゥは全身の鳥肌が立つのを押さえられなかった。
武者震い。
いや、ただの怯えだ。誤魔化せない。
だが同時に歓喜した。
敵に臆して震えるなど、果たしていつ以来か。
父の鉄拳制裁を除けば、一体いつから怯えなくなった。いつから戦いが怖くなくなった。いつから、戦場に立つのに緊張しなくなったのか。
「おめぇ、思ってたより面白そうな奴じゃあねぇかぁ!」
蓮は構える。
今までアルフエにも見せた事の無い構え。
左拳を胸の前に、右拳を側頭部に置いて。わずかに後ろに重心を傾けると、左足のつま先をわずかに地面から浮かせる形で上げた。
「何ですか、あの構え……」
「俺も見た事ねぇなぁ。人形娘、おまえはあるのか?」
「……はい。ただ、蓮様があの型で構えるのは珍しいです。あの構えは蓮様曰く、接近戦専用の構えだそうですので」
「マジか! 重戦車を相手に、接近戦で挑むつもりかよ! 敢えて敵のフィールドで戦うとか、意外と度胸あるじゃあねぇの!」
「……始め!!!」
銅鑼が鳴った瞬間、浮いていた蓮の足が強く地面を踏み締め、一挙に距離を詰める。
そして左拳で兜の下顎を、右拳でゾルイシャ・ムゥの腹を穿ち、衝撃が鎧を貫通。突き抜けた衝撃が巨体を突き飛ばし、向こうの壁まで地面に突く事なく吹き飛ばした。
「なるほど。相手に向けて自分に重力をかけて、突進力と拳とを加速させたのか。まぁ、それだけじゃあなさそうだがな。さすがにそれだけであんなに吹っ飛ばしたなら、どれだけの怪力だよって話だ」
相変わらず早過ぎて、そして、技術力が高過ぎてわからない。
そんな早業にやられたゾルイシャ・ムゥは、下顎を打ち抜かれながら立ち上がった。
震えてはいるが、足腰はしっかりとしている。ダメージはそこまで入っていないか。
ならば、と蓮は後ろに跳び退いた。
同じ構えを取るには距離が近いと跳び退いた蓮だったが、それを追い掛けて来る形でゾルイシャ・ムゥが突進して来た。
文字通り、肩で風を切る突進が肩を突き出し、蓮を狙う。
が、蓮は肩を受ける額の前に小さなほくろサイズの重力球を作り出し、ゾルイシャ・ムゥと自分とを弾き飛ばして距離を取った。
一瞬の事で、ゾルイシャ・ムゥはもちろん、観客席の誰にも何が起きたか悟らせない。
唯一ギリギリ見切れたのは、やはり雪風だけだった。
両者、飛ばされた先で足から着地し、構える。
「てめぇ、何しやがった」
無論、言葉は返って来ない。
事情を知らないゾルイシャ・ムゥは無視されたと思って、怒り心頭の顔を包む兜を脱ぎ捨て、両拳を叩き付けた。
「潰す……!」
指をくいくいと曲げて、来いと促す。
誘われたゾルイシャ・ムゥは自身の誇りと武勇に掛けて、全力で突進した。
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