病は気から、これ事実
シャワーヘッドから降り注ぐ熱湯が、戦いで火照った女の体を清め、染みついた臭いを洗い流していく。
柔く白い肌は水を弾き、青を含んだ銀色の髪は水を浴びると艶と光沢を得て輝く。
細くしなやかな肢体は、同じ年代の女性からして羨望の眼差しで見られるに違いない。流産してしまったものの、子供を産んだなど信じられないくらいに抜群のプロポーションをタオルで包み、彼女は出てきた。
フェイラン・シファーランド。
鍛錬を終えたあとのシャワータイムを終えた彼女に、王城からの無色透明のガラスのようで、ガラスそのものではない得体の知れない何かで出来た鳩が飛んできた。
『フェイラン隊長、そこにいるかい?』
「うん? あぁ、メイアンか」
二番隊隊長。称号、ガウェイン。
メイアン・レイブリッツ。
生物が放つオーラを元にあらゆるものを作りだすことができ、五感を共有できる能力だ。
ただし共有できる五感はオーラの持ち主によって変化を見せ、盲目のメイアンのオーラで作ると、視覚が働かない状態となる。
「おまえでなければ、蹴りを入れているところだった」
『それは困る。君に蹴られたら相当痛いだろうからね。と、冗談を言い合っている場合じゃないか。緊急事態だ、すぐに出て欲しい』
「おまえがオーラを飛ばすとは、余程の事態らしい」
と、素早く自室に戻って服を着る。
着る予定だった部屋着はそのままに、クローゼットから取り出した白銀の軍服を素肌の上から颯爽と着込んだ彼女は、ゆっくりと飲むはずだった珈琲をぐい、と飲み干し、脱いだばかりだった軍帽を被った。
「それでどうした。状況説明を求む」
『豊国に、
「なるほど、それはマズイな」
『君の力が必要だ。すぐに豊国へ向かって欲しい』
「わかった、すぐ行こう。しかし、移動手段がな……十番隊のように飛空艇があるわけでもなし、間に合うかどうか」
フェイラン率いる三番隊は、王国の戦闘部隊の中でも殲滅部隊に位置づけられる。
殲滅部隊はその名前が示す通り、敵を殲滅するための部隊。
戦争においては敵部隊を壊滅させる最強戦力であり、一三ある戦闘部隊の中でも最強を誇る。
ただし戦争においても、あくまでとどめ用の部隊。
最後の最後で出撃する部隊のため、機動力の部分では他の部隊より劣る。
無論、手段がないわけではないのだが。
「躊躇っている場合ではないか……相手は
『焦る気持ちはわかる。だけど落ち着いてくれ、フェイラン隊長。僕がこうして君に伝えたことで、焦りを生じさせてしまったのだろうけれど、ひとまずは落ち着いて欲しい』
落ち着けと言われたところで仲間の危機。延いては国一つの存亡の危機だ。焦燥も仕方ない。
相手はそれだけの怪物なのだ。
以前王国に来た砂嵐の亀など、比べ物にならない。
だがメイアンは、気休めだけで言葉を選ぶような人間ではない。
そこには何かしらの意図がある。
「何か策があるのか、メイアン」
『実は先日、僕の隊で副隊長補佐にまで昇格した男がいるのだけれど、彼の能力が使えるかもしれない。すでに彼は待機させてある。君を含めて三人まで送れるそうだ。連れて行く隊員と共に、王城庭園に来てくれ』
▽ ▽ ▽
焼却しないと土の中で培養された細菌が風に吹かれて宙を舞い、豊国をさらに侵食するので、焼却処理を施して骨だけに変える。
細く小さな骨はまだ子供のそれで、これらがさらに太く伸びることもない。
これだけ幼い少女の遺体を王国に持ち帰ることもできず、遺族に別れの挨拶もさせてやれないだなんて。
部屋で彼女を見つけたティエルティ・ベルベットは、完全に不意打ちを喰らった形で塞ぎこんでしまって、座るとすぐに頭を抱えて俯き、動けなくなってしまっていた。
到着から一日と絶たぬ間に、今の今まで動いていた人間が三人も死んだのだ。精神的に参ってしまうのは仕方ない。
だがずっと参って、動けなくなってもいけない。
すぐに対策を講じなければ、国諸共殺されて終わる。
そんな最悪の結末だけは、阻止しなければならない。
「ご挨拶遅れて、申し訳ない。私が、王国軍防衛部隊第一隊長の、ベヒドス・マントンである」
「王国戦闘部隊、十番隊隊長のバリスタン・
作戦会議の途中、物凄い大男がやって来た。
なんでも今の今まで反乱軍と交戦していて、沈静化させて帰ってきたばかりだという。
その証拠に、丸太の如く太い筋骨隆々とした腕には、応急処置と思われる血の滲んだ包帯が巻かれていた。
アルフエに対し、ベヒドスは小指を握るような感覚で握手を交わす。
「救援、感謝する。しかし、どうやら事態は芳しくないらしい。まずは、貴公らの部下の、冥福を祈ろう」
「ありがとうございます。ベヒドス様も、戦いの直後だというのにわざわざ駆けつけて下さって、申し訳ない限りです」
「構わぬ。我が国の大事に巻き込み、死なせてしまったのだ。礼を尽くす義があろう」
にしても圧倒的に大きい、文字通りの大男だ。
王国にも巨体の持ち主は何人もいるが、ベヒドスを超えるような人はいない。
顔を見るために仰ぐ時間が長すぎて、首が疲れそうである。
「部下から、報告は受けている。帝国が
「たった今、王国に援軍を要請しました。
「うむ……問題は、その間の我々の動きだが――」
(あれ、そういえば蓮さんは……?)
▽ ▽ ▽
ジジの火葬から一人、
ほとんど付き合いがないからと無関心ではないし、そんな薄情な性格の持ち主でもないけれど、城内を散策するために周囲の目を掻い潜るには、そのタイミングしかなかったのだ。
そこまでして城内を散策したい理由としては主に三つ。
一つは城の現状だ。
来た時から思っていたが、反乱軍は帝国の増援が来てから一度もここを襲ってないのだろう。
二つ目は戦いの原因である第二王女の所在。
そもそも、戦いの火種である第二王女の身柄はどこにあるのか。
王グァガラナートも息子の死と第一王女の存在については触れたものの、問題の第二王女については何も語らなかった。
あの場では旧知の仲であった王子の死が、アルフエを不安定にさせていたので言及できなかったものの、それでも王には教える義務があったはずだ。
なのに王は何も言わず、そのまま退席させた。
まるで王子の話でアルフエが狼狽えたことで、話を逸らしたかのよう。そのつもりでなくとも、運良く話が逸れてそのまま行かせたかのような流れだった。
そして三つ目――これにはもはや疑念などなく、確信がある。だから城を散策したかった。
この城の地下に、誰かいる。
問題は、それが誰かだ。
一つ目、二つ目の疑念もそれで解けるかもしれない。
そして何より、地下に一人ぼっちなんて可哀想だから。
「なんだ貴様、止まれ。ここから先、は……」
「な、ん……?」
地下通路に続く階段に、警備兵。
地下通路は逃走経路に使えるという意味合いで重要かもしれないが、常時護る必要はないし、今そこに人員を裂く余裕は国王軍にはないはず。
それだけして守りたい何かがある、と見るのが普通だが。
眠らせた警備兵らを横にして、蓮は階段を下りていく。
灯りはなく、本当に真っ暗闇。
過ぎる静謐と地下ならではの冷たさは、人が生きるには辛すぎる世界だ。蓮自身、闇夜の森を歩いていたときに感じた寂しさは、とても一人で耐えきれるものではなかった。
蓮は夜だけだったし、月明りのある夜だってあったが、この世界の人にそんなものはない。
光のない世界にずっと放り込まれていたら、きっと壊れてしまう。そう思うと、蓮の足は躊躇なく、光のない漆黒の暗闇へと跳び込んだ。
階段を降り、地下通路を走る蓮の足音が反響する。
逆に言えば、蓮の足音意外に音源はない。ずっと静かで、ずっと冷たい。こんな中にずっといたら、心が壊れる前に凍死してしまわないか。
だが気配を感じられる以上、その人は生きている。とんでもない生命力、とでも言うべきなのかそれとも――。
無限に続く暗黒の中進んでいって、その先で見つけた唯一の光源に歩み寄る様は、さも蛾のよう。だが蓮の場合、光以外のもう一つの熱源の方に導かれたと言った方が近かった。
構図としては、永遠の眠りについた姫を救うためやってきた皇子、といったところ――というより、もはやそれそのもの。
体を丸めて眠る少女と自分とを隔てる軟弱な鉄格子を折り曲げて侵入し、後は見るからに柔らかそうな唇に口づけを施して起こせば、絵本通りの再現が完成する。
だが蓮には劣情がなく、ましてや文字もまだ習得し切ってないため、絵本などほとんど読んでいなかったためにこの王道とも呼ばれる展開を知らず、少女の肩を軽く揺するだけで起こしてしまったため、ときめく要素は皆無だった。
「ん、んぅ……?」
寝ぼけまなこをこすりながら起きた少女の青い頭髪の中から、青い狐の耳が立ち上がる。
抱き枕兼、枕兼、掛布団代わりだった三つの尻尾がゆらゆらと怪しげに揺れて、彼女の意識が鮮明になるにつれて落ち着いていった。
「えっと……どちら様、でしょうか」
大人びて整った顔立ちの中に若干残る幼さは、とても可愛げがある。
寝ぼけまなこをこする指先にまで行き届いた仕草は、王族としての教育が見事に施されているのが、同じ王族の蓮は理解できた。
丁度、
声音もまるで鈴のようで透き通るし、見た目から嫌う人間は確かに少ないだろう。
どうか私を護ってくださいと言わんばかりのか弱そうな姿は、きっと多くの男に護りたいと思わせ、恋心を芽生えさせたことだろうが。
~きゃめろにあ、の、えんぐん。ほうこく、の、おひめさま?~
「……きゃめろ、に、あ?」
互いに首を傾げ、しばらく沈黙。
すると首を傾げた方の目から一筋、姫様の頬を涙が通って濡らす。
蓮が指先でぬぐい取ると指先の温もりでさらに刺激された涙腺からボロボロと涙が溢れ出て、お姫様は蓮に抱き着き、泣きじゃくった。
ずっと一人、ずっと暗闇の中で、怖かったろうし、寂しかったと思う。
だから子供にするように、蓮はそっとお姫様の頭を撫でて宥めた。
久しく声など出していなかったのだろう。
少し泣きじゃくっただけで枯れた喉で、お姫様は声を振り絞る。
「助けて、ください……」
姫の求める助けに応じ、蓮は文字通りの御姫様抱っこで抱えあげる。
冷え切って、お姫様の軽い体重を感じ取った蓮から溢れ出た膨大な
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