白銀王国の英雄

 深夜、真白の月は星空の頂点にて眩く輝き、真昼とは違う輝きで王国を白銀に照らす。


 子供達は寝静まり、大人の時間。

 かつて襲撃を受けた時間になっても、人々はいつも通りの活動をすることができるようになっていたことは、平和になりつつある証拠だ。

 物理的な話ではなく、精神的な話。いつ敵が襲い掛かって来て自分達が被害者になるかわからないのに不用心に出掛けられるものかと、王国の夜は数か月もの間、静寂そのものであった。

 故に王国の夜が今までの雰囲気を取り戻したことは、平和になりつつある証拠である。


 ただし未だ多くの外敵からの侵略に怯える、外壁より外の小さな村々では、当然、首都と同じ速度では不安が消えることはない。

 無論、王国もそれを考慮し、村により多くの戦闘部隊を配備していたが、敗北した者達による護衛など気休めにもならず、村の人々は震える夜を過ごしていた。


「ねぇおとうさん、なんでおそとにでちゃいけないの?」


 まだ言葉を覚えたばかりの子供は、父に素朴な疑問を投げかける。現状をほとんど理解できていない少年は、王国が誇る鉄壁と呼んでも過言ではない防衛能力を信じていた。

 外敵の存在が脳裏をチラつき、碌に酒も飲めない父親は、強く子供に言い聞かせる。


「今、お外はとっても危険なんだ。特に夜は、とても怖い怖い人達が来るかもしれないから、夜は絶対にお外に出ちゃダメだよ、わかったかい?」

「うん……わかった」


(でも、ならおかあさんとおにいちゃんは……?)


 少年の母と兄は、王国の首都に出掛けたまま帰って来ていなかった。

 村で養鶏をして生計を立てていた少年の家では毎朝新鮮な卵が取れ、王国でも評判の美味しさを誇っていた。母と兄は今日、その卵を首都に納品しに行ったきり、戻って来ていない。

 いつもなら夕方には帰って来ているのに。


「さぁ、今夜はもう遅いからもう寝なさい。大丈夫、母さんと兄さんはもうすぐ帰ってくるよ」

「うん……おやすみ、なさい」


 少年は一人、ベッドに潜る。

 だがいつもは隣で一緒に寝てくれる兄の姿が無く、少年はなかなか寝付けない。


 少年より一二も年上で、家の仕事を手伝う兄はガタイがよく、いつも大きな手で自分の頭を撫でながら、何かあったら俺が護ってやるからと寝かしつけてくれた。

 あのたくましく太い腕も体も、襲い来る外敵から必ず護ってくれるという安心感を与えてくれていた。


 そんな兄がいない夜は、今までになかった。

 どこかソワソワして、落ち着かなくて、寝付けない。

 いつも自分の頭を撫でてくれる手が無いというだけで、いつも通りに寝付けない。


 時計の秒針。隣を流れる川のせせらぎ。

 普段気にならない物音の一つ一つが気になって、眠ることができない。


 そのとき、少年は震える。


 がたっ、


 何かが倒れたような音が聞こえた。

 外からだ。

 ニワトリさんのいるところのいる小屋の当たりかな、何かあったのかな、少年の不安は募るばかりだ。


 だけど外に出てはいけないと父からの忠告を受け入れ、少年は小さな体を護ろうと一生懸命に布団をかぶって体を丸める。

 扉が開いた音が直後にしたから、父親が様子を見に行ったのだろう。もしもニワトリが逃げ出しているようなことがあれば、今後の家系に係わるから仕方ない。

 だけどそれでも、家には少年一人になってしまった。心細いし、怖い。


 おとうさんは大丈夫かな。

 おかあさんは、おにいちゃんは大丈夫なのかな。

 ようすを、見にいこうかな……。


 がたっ、


 まただ。

 またあの音がする。

 家には一人。とても、怖い。


 こわい、怖い、恐い。

 こわいよ、おとうさん。おかあさん。おにいちゃん。


 少年は祈るように、家族が早く帰ってくるように願う。

 願って、願って、願い続けて、願い疲れて眠ってしまった。


 そのとき扉が開いて、家に誰か上がり込んでくる。

 少年は深く眠ってしまって、目を覚ます気配はない。

 少年の部屋に迷うことなく入ったそれは、寂しさから頬を伝う少年の涙を指先で拭い、優しく布団をかけ直してやった。


れん様、賊はすべて捕らえました。このまま戦闘部隊に引き渡します」


 人形のような――いや、もはや人形に魂を与えたような美しい少女が青年に傅く。

 片膝をついた少女に一瞥を送る青年は、なんの言葉も発しない。発せない。彼の喉には未だ、深い傷跡が残っていた。

 だが少女は青年の一瞥から、彼が問いたい言葉を読み取って的確に答えを返す。


「はい、この子の父親と思われる男性も無事です。賊に囚われていた母と兄も、先ほど解放されました。蓮様のお陰で、みんな無事です」


 よかった、と青年は胸を撫で下ろすように吐息する。

 自らの手で助けたというのに、どこか他人事のような反応なのは、彼自身はほとんど何も手を下していないからだ。

 いや、何もしていないというわけではない。少年の母親と兄を攫った賊の乗る馬車に乗り込んだまではしたが、そこからは何もしていない。

 ただ立っていただけで数十人の賊は一瞬で寝落ち、未だに寝息を立てている。

 蓮はその間に賊を縛り上げ、馬の手綱を握って村へと走らせただけだ。


 簡単に、だが詳しく言えば、蓮の放つEエレメントがそうさせたという話である。

 つまりは蓮の功績なのだが、蓮はそれでも自ら手を下したというつもりはなく、ましてや敵にも人質にも誰にも触れていないため、誰か殺してしまっていないだろうかと心配ばかりしていた。


「ダン! ダン!」


 少年に駆け寄る青年。少年の兄だ。

 真っ先に弟へと駆け寄り、健やかな寝顔で寝息を立てる顔を見て安堵の吐息を漏らす。


「ありがとうございました! 危うく、弟を一人にするところだった……! 本当に、助けてくれてありがとうございました!」


 兄は深々と頭を下げる。

 蓮は兄の肩を叩き、無事でよかったと言わんと微笑んだ。

 そしてそのまま行こうとする彼を、兄は呼び止める。


「待ってくれ――ください! 家族の命を救ってくれたあなたになんのお礼もないんじゃいけない! 何か、何かお礼をさせてください!」


 翌日早朝、双子のメイドは同時に起きる。

 調理担当の妹、コメット・シューティングスターが台所に立つと、見慣れない籠があることに首を傾げた。


「姉様、こちらに見覚えはありますか?」

「え? なんだろ……私は知らないけど……?」


 二人して顔を見合わせ、恐る恐るかけられているナプキンを取って中身を確認する。

 中身は臆する必要もない、ただの卵だった。もっとも、ただの卵と呼ぶにはあまりにも白く、綺麗な色の殻をしていてとても美味しそうにみえる卵だったが。


「こ、これって物凄い高い奴なんじゃ……」

「そう、ですね。でも一体誰が?」


 同時刻、戦闘部隊十番隊隊長バリスタン・Jジング・アルフエも同じ状況にあった。


 起きて見れば台所に見慣れない籠。中身は、とても美味しそうな大量の卵。

 しかし差出人は不明で、いつからそこにあったのかも思い出せない。

 ただ、籠の下に一枚のメモが挟んであるのが見えて、そこには見慣れた字で書かれていた。


~しごと、かんりょう。おれいもらったから、おすそわけ~


「もう……こんなにいっぱい、食べられませんって」


 白銀の王国の首都を囲う巨大な防壁の上に、彼は立っていた。


 彼の名前は、邦牙ほうが蓮。


 王国に敗北の汚名を注いだ帝国の第一皇子であり、王国を救った英雄。

 何も食べず、眠らず、語らず、自らの欲望のすべてを封じた青年。

 世界の平和を願って願望器を求め、人々のために力を振るい、自身の欲望を封じ込めるために自らの喉を掻っ切って声を失った。未だ幼く、若く、文字通りの青い青年。


 しかし彼は今、王国においては英雄だった。


 長いようで短い期間、最初は防壁を勝手に超えた不審者として扱われたが、三度王国を護った彼はもはやこの国を救うため現れた英雄なのだと、王は国民に伝えた。

 故に案ずることはない。怯える夜はない。

 我らには英雄、邦牙蓮がいる。

 王国全土に、英雄の存在は唱えられた。


 そして蓮もまた、英雄として振る舞った。

 王国に牙を剥こうとする魔物を討伐し、王国周辺の村々を回り、事件事故に携わって解決のために尽力した。

 結果、無口で優しい英雄は王国全土に浸透していき、王国は仮初ながらに平穏を取り戻したのだった。


 無論、蓮が王国の民をここまで不安にさせた帝国の皇子であることは伏せている。

 それでも王には、白銀の王国キャメロニアには英雄という存在が必要だった。国を護るため、蓮を利用しなければならなかった。

 故に今までのような関係をやめ、王は改めて蓮を英雄として迎えることで国民の精神的な安定を画策した。


 そしてそれを理解したうえで、蓮は甘んじて受け入れた。

 帝国を敵に回し、兄弟姉妹を敵に回すことは理解している。だがそれでも、王国の人達を見捨てることなんてできない。

 この国でできた大切な友も、自分のことを気にかけてくれる双子のメイドのことも見捨てることなんてできない。


 故に白銀王国の英雄は誕生した。


 彼が英雄で、これから始まる出来事のすべてが彼の身の回りで起こるのなら、それは英雄譚と呼ばれるものとなるだろう。

 ならば書き出しは、こんなところだろうか――


 ――その青年の存在は、ただの伝説の筈だった


 第一章 白銀王国・キャメロニア編 了

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