伝説級の怪物を従えるのはそれを超える怪物
酷く頭が痛く、体も重い。
まるで何十時間と休憩もなしで労働を強いられていたかのようだ。
果たして自分はそんな奴隷のような人生を歩んだろうかと考えて、いやそんなことはないと、梁旬は頭を振るう。
立ち上がってまずは状況確認。
付近にあった時計の針を触って時間を確認。それほど経っていないと思われる。
そして感じる人の気配は、少ない。
まるで国全体が寝静まってしまったかのようだが、おそらく自分と同じく気を失っているのだろうと見受けられる。
自分と戦っていた王国の隊長達の姿はなく、すでに回収されたと思われるが――
「なるほど、蓮様が力を解放なさったのか。ルン様がやられているとは……しかし、これは……撤退だな」
状況を理解した梁旬はその場から立ち去る。
彼の姿が見えなくなって、完全に気配を感じなくなると、
彼女もまた、全身の脱力感と虚脱感に襲われて体が怠かったが、そんなことを言っている暇もない。
相手は化け物だ。
隊長二人を相手にして、圧倒的強さ。
盲目など、幾ばくかのハンデにもなりはしない。
どんな
ましてや二人を庇いながらとなると、果たして勝機などあるものかどうか。
まさか帝国の団長と呼ばれるクラスの戦闘員が、ここまで強いだなんて。
悔しいことに王国は、隊長のほとんどが新体制になったばかりで、実力者は確かに少ない。
著しい弱体化などとも揶揄されたこともあるし、そのせいで他国が攻めてきたことも何度もある。
だがここまで、弱体化という事実を受け入れざるを得ない状況になったことはない。
敵に奇襲をかける余裕すらなく、仲間二人を担いで逃げることしかできない自分の非力さに、シャナは悔しさから歯を食いしばった。
だが戦いはもう、終わったのだ。
ひたすら走るシャナの目指す城で、メイアン・レイブリッツは黙り込んでしまっていた。
送り込んだ戦闘部隊すべての、敗走が確認できたからだ。
数ある戦場で、勝利を収められた戦闘は英雄、
「まさかここまでとはね」
「メイアン隊長……」
「下がってくれて構わない。国民の避難を完了、安全を確保するんだ」
メイアンの指示で、二番隊員はすべて出払う。
そうして彼一人になったところで、招かれざる来客が一人。
だがメイアン自身は彼女の到来をすでにわかっており、国民の避難というのは部下を引かせるための単なる口実である。
メイアンもまた盲目の身であるが、理解していた。
彼女――邦牙
「初めまして、王国の戦闘部隊長さん。私は凛。帝国第二皇女、邦牙凛よ。ちょっとお話、いいかしら」
(なんという
「どうぞ、なんのお構いもできないけれど」
メイアンは簡単に、凛を迎える。
二人の間隔はそう遠くなく、テーブル一つ挟んだ距離。
手を伸ばせば届くし、能力を使えば攻撃などいとも簡単に通せる。
だというのにメイアンは簡単に通す。
部下がいれば確実に、何を考えているのだと、無駄な緊張を煽られたことだろう。故に彼らを下げたとも言える。
何より一度、メイアンは話をしてみたかったのだ。
未だ若き帝国の皇女。もしかしたら、もう話せる機会などないのかもしれないのだから。
「そういえば、まだあなたのお名前を聞いてなかったわ? 隊長さんのお名前は?」
「これは失礼、自己紹介を欠くとは紳士ではなかったね。僕の名はメイアン・レイブリッツ。この国の戦闘部隊、二番隊の隊長を務めている。して凛皇女、僕に話とは一体何かな」
「ただの報告よ。邦牙
「それはそれは、寛大な処置に感謝するよ。だけど、それだけではないんだろう?」
「お察しの通り。蓮の代わりに、ちょっとこいつらを連れて行くわ」
彼女の言う連中が、例えば部下であったなら、いいですよと軽く言い流しただろう。
彼らの命と国そのものの命を比べれば、迷うことはない決断だ。
だがこのとき彼女が連れてきた面子を並べて、メイアンは冷や汗を浮かべた。
見る必要などない。
彼らの発する
どれもこれも、知っている者が対面すれば震えあがる猛者ばかり。
王殺しの一族末裔――三王殺し、ウォルドレッド・イートレィ。
二者択一の判定者――魔女狩り、バン・ソロ。
隻眼の魔女――禁忌破り、ゴールド・“レディ”・レヴァ。
青髭の再来――連続子供誘拐事件主犯、アクアパッツァ。
殺害の天災――死刑囚、無名の殺人鬼。
世界中から犯罪者のレッテルを張られた者達。
全員が死刑囚、もしくは無期懲役を言い渡された者。
同時、世界中が何年もの間追い続け、多くの犠牲を払ってようやく捕えた者達である。
「今、だったら蓮一人が連れ去られた方がいいって思った? 思ったわね、あなた」
図星だ。
しかし当然の考えである。
聖杯に関する手掛かりが消えることは確かに痛いが、彼らを解き放つことに比べればまだ安い痛手に感じられる。
彼らを解き放つことが、世界にとってどれだけの脅威になることか、彼女とて知らぬわけでもあるまいし、何より彼らを御し切れるなどと思っていることがおかしい。
例えば、淡路島武光。
彼はたった一人で、大国の軍隊を壊滅させるだけに飽き足らず、大国すべての人間を虐殺した挙句、味方まで全滅に追い込んだ大罪人。
それだけの実力者という皮を被った、暴力と言う名の災害である彼らを六人も連れて、御し切れるはずがない。
誰一人、彼らを手懐けられなかったからこそ、彼らは世界的犯罪者にまで落ちたのだから。
だが彼女には秘策でもあるのか、声色から絶対的な自信を感じ取れる。
メイアンはこのとき六人よりも、その自信に満ち溢れた彼女に一種の畏怖に似た何かを感じ取った。
「私も蓮を返して欲しいのよ? でも、これで妥協するのよ。それにその方が、あなた達にとっても都合がいいと思うの」
「そのような者達を引き連れるより、彼を引き取られた方が都合がいいと? 君達は、その人達が世界にどれだけの傷を与えてきて、さらに与えうる存在か、理解していないのかい?」
「あなたこそ、理解できていないのではないかしら。あなたの今目の前で、あなたと喋っている私が、この六人を御し切れないとでも? この
メイアンは盲目である。
盲目とは光の有無の話であり、感覚は鋭敏に過ぎるほど。
そんなメイアンですら見逃していた――いや、見えていなかった。
目の前にいる怪物は六人だけではない。
彼らを従える彼女こそ本物の怪物であることに、今更ながら気付いて、メイアンは臆した。
臆するなど、ましてや怯むなど、一体いつぶりの話だろうか。
凛はメイアンの動揺ぶりにクスクスと笑う。
ケタケタと、かもしれない。
ともかくほんの少し道化師じみて、嘲笑うかのよう――いや、実際に嘲笑であった。
「ごめんなさい? でもあなた達を脅すためにわざわざ力を解放して来たの。お陰で良い顔が見られたわ? でもこれでわかってもらえたでしょう? これが私達姉弟の力なの」
六人など比でもない。
彼らが束になってかかっても、勝てるかどうか――いや、勝てるはずもない。
ともかく、そう感じさせるだけの絶対的な力が、凛から絶えず発せられている。
一時的な力の放出などではなく、無意識下で垂れ流している力の下限が、常人とはかけ離れているのだ。
メイアン自身、他よりもずっと力が強い方だと言われて来たし、自負すらしていたが、今までの自信が過信だったと思えて仕方がない圧倒的な差を見せつけられて、冷や汗が止まらない。
「私達が力を解放したときの実力差は……まぁ
「まさか……君のような人がいるとはね……初めて会ったよ」
「そう、あなたのいる世界は狭いのね。だったら面白いことを教えてあげましょうか――世界には、私達と同じレベルの人間がたくさんいるわ。それこそ有象無象よ。そこらの小国をあしらってる程度でいい気にならないことね。他国が攻め入って来れば、真っ先に崩壊するのはこの国だわ、紛れもなく」
メイアンがそのことを知らないのは、この国が戦争を自ら仕掛けない平和国家であることが影響している。
他国と戦わない方法ばかりを模索している彼らは、戦場についての情報や他国の猛者についての情報など、戦争に関する情報は情報として知っているだけで、実際に相対したことは一度もない。
情報では知り得ない経験というものを、白銀の王国は持ち得ていなかった。
平和故の弊害が、こんな形で現れるとは。
皮肉を感じざるを得ない。
世間はこれをまさしく、平和ボケと呼ぶ。
「あなた達がどれだけ抗おうとも、蓮がいなければこの国の崩壊は必至。なら、足掻いてみるためにもあの子の力はいるでしょう? だからあげるわよ、あの子。その代わり価値観を改めなさい。蓮は、戦犯なんかよりもずっと貴い」
嘲笑から一転、怒りへと声色が変わる。
明らかな声色の変化に戦慄したメイアンは、思わず自身の能力を発動しかけて、やめた。
もしもそのまま安易に発動していれば、正当防衛という正当な理由を得たことにほくそ笑んで、彼女の暴力に沈んでいたことを、直前で察することができたからである。
彼女の声色一つで能力を暴走させられそうになって、止められる。
意のままに操られているような感覚は、メイアンをゆっくり蝕んでいく。
「じゃあ論も取り返したし、もう帰るわ。よかったわね、見逃して貰えて」
瞬間、凛は六人を連れて消え去った。
メイアンはゆっくりと項垂れ、冷や汗を拭う。
静かに自身の無力を思い知って、静謐のままに苦しみ悶える。
そして自信が盲目であったことを呪うと同時、感謝さえした。
彼女を直視していれば失禁すらしていたかもしれないし、直視しなかったからこそ、正体不明の恐怖に襲われた。
つまりどちらにしても、メイアンは彼女が、凛が怖かったのだ。
ただ、ひたすらに。
「とりあえず皆の無事を……無事を祈らなければ」
それしか、今の自分を落ち着かせる方法がない。
蓮は空を仰ぐ。
いつの間にか頭上にまで来ていた帝国が、雲と同じ方向に流れていくのを静かに見送って、ゆっくりと体を起こした。
「蓮様、お気付きになられましたか!」
ピノーキオ・ダルラキオンが表情を明るくして蓮の瞳を覗き込む。
万華鏡の虹彩は赤から青へ、黄色へと変色し、やがて巡って寒色系の色へと落ち着いた。
~アルフエは?~
解毒は無事に成功したようだ。
バリスタン・
そういえばと蘭がいたことを思い出して周囲を見回すも、彼女の姿はどこにもない。
同時、外壁に叩きつけたはずのルンウィスフェルノの姿もなく、綺麗に回収されたようだった。
「ごめんなさい蓮様、蘭様、ルン様の撤退を見逃してしまいました」
見逃したのか、と蓮は即座に理解した。
論はおそらく連れ帰っただろうこと、そして自分に釣り合うだけの何かしらを、代わりにこの国から奪って行ったことをなんとなく察する。
だがそれにしたって、この国も滅ぼさず、自分を連れ去ることもせず、見逃した理由がわからない。
帝国が自分を欲している理由は、わかっているつもりだ。
聖杯を手に入れるためならば、帝国は是が非でも自分が欲しいはずだと、理解しているつもりだったが、どうやらそれは思い違いだったのかもしれない。
現に、彼女達は潔く撤退した。
ただルンウィスフェルノと彼女の部下である副団長が戦闘不能になったというだけの損害で、こうもあっさりと。
何か嫌な予感がする。
自分が遠く離れていた間に、帝国で何かあったのか。
それこそ、ピノーら側付きでさえも知らない根深いところで。
「蓮様、大丈夫ですか? 顔色が優れませんが」
大丈夫、と表情で示そうとする。
だが作った笑顔は無理矢理で、なんともぎこちなく、逆にピノーの心配を煽ったことだろう。
しかしやはり、不安は拭えない。
自分が知らない間に何があったのか。
帝国の脅威は未だ払いきれてなどいないし、ましてや片鱗すら見られていない。
今後、この国を守ることは果たしてできるのか。
蓮は過ぎ去っていく帝国の姿を仰ぎながら、風に吹かれて考える。
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