これぞ帝国の黄金世代

 かつて人の歴史は、空に挑んだ歴史でもあった。


 空は遥か太古、神々の聖域だと信じられてきた。空の上には神々の国があって、そこから地上の人々を見下ろしているのだと伝えられた。

 人々はそんな空を目指し、幾度となく挑戦し、多くの年月をかけ、多くの犠牲を払って、人々は空へと辿り着いた。

 

 結果として、神々の国など存在はしなかったけれど、しかし人々は制空権を手に入れ、いつしか空もまた、人々の領域と化した。


 しかしどれだけの年月が経ち、人々が空を行き交う術を手に入れたとしても、空は生物の世界に置いて、頂点に存在する者達が支配する領域であることに変わりはなく、空を支配することそれすなわち、生物界の頂点に君臨する力の象徴とも言えた。


 それを自負しているかの如く――いや、確実に自負して、それは、空を悠々と闊歩していた。

 雲という雲を押し退けて、まるで空の皇帝であると自負しているが如く――いや、自負して、それは空を悠然と泳いでいた。


 それは聖杯と同じく、かつて伝説であったもの。

 どこぞの王が、異国の姫に対して贈ったとされる空を飛ぶ庭園を模して作ったと言わんばかりの構造だが、庭園などで収まる大きさではなく、空中要塞と呼んでも相違ない重工的な外観の、空中都市国家――


 ――黄金の帝国テーラ・アル・ジパングであった。


「おっはろぉん! みんな元気ぃっ?!」


 元気溌溂。軽快なトーンが、静かなその場に木霊する。

 二度三度の反響を重ねるが、その場にいる誰もそれに返さない。と言ってもその場にいるのは一人だけで、しかも眠っていた。

 わかりやすく、鼻提灯を膨らませて寝ているのは、漆黒の衣装に身を包んだ男である。


 彼女が指先で鼻提灯を突くと、大きな音で割れて男は跳ね起きる。

 そして地震か火事か、それとも落雷かくらいの大袈裟なテンションで周囲を見回し、彼女の存在に気付いて、事の始終を悟ったのだった。


「ん、あぁ……あんたがここにいるたぁ珍しい。なんだ、何かあったのか?」

「あれ、ダズも何も聞いてないの? 実は私もなんだぁ。私、総団長なのに、酷くない?」

「いや、他国の方は知らんが、うちはいつもそんな感じだろう」


 と、ダズと呼ばれた男が突き放すように言うと、総団長は「私ってそんな頼りない?」と問いただす。

 ダズからしてみて、そして他の団長らからしてみても、彼女は信頼足り得る人物なのだが、彼女が総団長の肩書を背負っていようがいまいが、団長の中にあの人がいる時点で、もうあの人が総団長のようなものだしと思わないこともない。

 なのでそこは彼女が拗ねないよう、また傷付かないように。


「あんたはよくやってるぜ、飛沫夏奈しぶきかな総団長」


 と、あえてフルネームで、そして総団長と呼んで励ました。

 すると彼女もそれで心にゆとりができたか。


「そ、そうだよね! 私、頑張ってるよね! よぉし、これからももっと頑張るぞぉ!」


 と今後に励む。

 ダズはその姿を見て安堵した。


 彼女は一度落ち込むと、それこそ最底辺まで落ち込むので、そうなると励ましても聞きはしない。

 一度戦場で敵の将軍に悪魔と呼ばれたことに傷付き、それから一週間、戦場の片隅で体育座りを決め込んで、座り込んで、そのまま動かなかったほど落ち込んで、結果、彼女が立ち直った頃には、すでに戦いが終わっていた、なんてこともあったくらいだ。

 総団長を任されるほどの実力と実績があるのだが、そこだけが彼女の弱点である。とてつもなく傷付きやすい、ガラスのハートの持ち主だった。


「へぇ、こんな日もあるんだなぁ。俺がこの手の会合にいち早く着くなんざぁ、明日は雨か、それとも雪か」

「あ、梁旬リャンシュンさん!」


 その男は長身で、顔の鼻から上の部分全体を布で覆い隠していた。

 視界はまったく効いてないものの、しかしなんの違和感も感じさせることなく、男、梁旬は自分の席につく。給仕の女性が茶を注ぐとチップを払い、静かにその茶を啜って一言。


「巧い。今俺の茶を淹れた者、名は」

「え、あ……えっと、リコーと申します」

「ウム。ならばリコーよ、おまえを我が第四団体の給仕係に任命す。俺の茶を淹れるのが、このあとからの俺の仕事だ」

「は、はい!」

「というわけだ、飛沫。この娘は俺が貰って行く。この娘の淹れる茶は格別に巧いからな」

「梁旬さん、お茶を淹れる係なら前に寄越しませんでした?」

「あれなら兵団に入れておいたわ。茶も碌に淹れられん奴だったからな。あれは給仕の仕事より、槍を持つ方が向いている」


 夏奈はそれ以上何も言わなかった。

 梁旬は盲目だが、しかし人の才能を見抜く目があった。

 彼が相手に対して、これはできると言えば必ずできるようになるし、またその逆も然り。

 故に給仕の仕事がしたいと言っていたから配属させた自身の采配よりも、梁旬が実際に見て――いや見えないのだが――感じて配属させた采配の方が、実に理に適っていることを、夏奈自身知っていた。

 これに関してはもう、夏奈は落ち込む余地すらなく、ただひたすらに、梁旬の人を見る目に対して、尊敬のまなざしを向けるばかりであった。


「それはそうとだ、飛沫。ケトの奴がまた試し切りをしてたぞ。あれではまた刀をダメにする。すぐさまやめさせてこい」

「あぁ……わかりました。すぐに――」


 と夏奈が行こうとして、そのケトはやって来た。

 その手には、ボロボロに刃こぼれをして、真っ二つに折れている刀が握られていた。

 全身を包む和装の上にもまた、何本もの刀を帯びていたが、彼女は不機嫌そうに折れた刀を握り締め、舌を打つ。


「ケト、それは……」

「K・T・K・O――軽く・使ってただけなのに・こうも容易く・折れた」


 彼女の名はケト、ではない。

 ケトは愛称であり、彼女の本名は誰も知らない。

 ただ名前を訊かれると、必ず決まって彼女は。


「K・T・K・O――刀で・叩き・斬る・女」


 としか答えない。

 なので彼女の名前はK・T・K・O――刀で叩き斬る女、である。

 しかし当然、それでは呼びにくいので、皆でケトという愛称を付けたのだが、愛称より前に、彼女は意思の疎通というものが難しかった。

 なんの制約か、K・T・K・Oの四文字を基本に喋る。無論会話がそれだけで成立するわけもないので、他の言葉もちゃんと使うが、彼女の会話の基本構成は、この四つの頭文字だ。


「ケト。試し切りはやめてっていつも言ってるでしょ?」

「K・T・K・O――この程度の力で・叩き斬ったところで・粉々になるのだから・お粗末だ。やっぱりうちの刀鍛冶は使えない。もっと業物を作って欲しい。自称、刀で叩き斬る女はとても不満足」

「あなたに合う刀なんて、そうも容易く作れないって。とにかくそれを頂戴、捨ててくるから」

「ダメ。K・T・K・O――これを・作った・刀鍛冶・おろす」

「それこそダメだよ。ホラ、いい子だから、頂戴」


 と言い寄られて、ケトは渋々、折れた刀を夏奈に渡す。

 二人は実の姉妹のように仲が良く、ケトも夏奈のことを総団長であるまえに、一人のお姉さんだと思い慕っていた。

 頑なに名前を明かさないケトであるが、ケトという愛称を許しているのも、そう呼び出したのが夏奈であるからだ。他の人が命名したなら、確実に拒絶しただろう。

 というのもまず、ケトを助け出したのが夏奈だったから、懐いているというのが大きいのだろうが。


「ひゃっはぁー! なんだいなんだい、シラケちまって! 会合が始まってるならまだしも、始まるまえからシラケてんじゃねぇっての! ひゃははっ!」


 そもそも会合の場は騒ぐ場所でもないのだが、という皆のそうツッコミを内心に留めてしまうほど、彼のこの文句は定番で、いつものことであった。

 しかし夏奈としては、今回彼がいつものようにうるさいことは、少々予想外でもあった。


 彼は名を涅蜥蜴くろつちとかげ

 以前に白銀の王国キャメロニアを襲撃し、邦牙蓮ほうがれんに打倒された涅さそりの、双子の兄である。

 衣装の意匠こそ違うものの、しかし体躯も顔もまるで同じ。紛れもない一卵性双生児の、お兄様であった。


 彼はとにかく弟思いで、自分の下に置いていても弟が成長しないからと、自分が団長を務める団とは別のところに所属させたり、彼のために愛刀を譲ったりと、彼の弟を思う気持ちは皆が知っている。

 故に弟がやられたと聞いて、例え敵が帝国の皇子であろうとも、許せるはずがないと激怒していると思ったのだが、普段と変わらないその様子に、夏奈は逆に違和感と恐怖を感じてならなかった。


 自分の席にドカッと座り、両足を組んで卓に乗せる蜥蜴に、夏奈は恐る恐る話しかける。


「と、蜥蜴さん……あの、弟さん、大変でしたね。大丈夫でしたか?」

「んー? あぁあいつね! なぁんも、問題なんかねぇさ。蓮様にしてやられたみたいだが、まだまだ半人前ってことよ! まぁ双子なんだ、初めから二人で一人前みたいなところはあるが? しかしまぁ、あれだ。さすがに皇子様相手に、敵討ちを取ろうなんざぁ思ってねぇよ。あの人も大事な身だぁ、殺しなんてできやしねぇ。そだろ?」

「そ、そうですね……」


 夏奈を含め、その場の皆が理解した。

 蜥蜴は復讐する気がないのではなく、復讐すまいと自分を納得させようとしているのだと。

 確かに相手は蓮。もしも殺すようなことがあれば、自国に対する裏切りに他ならない。

 国は皇子達を競わせているものの、誰かが死ぬことまでは良しとしていないのだ。次の皇帝が決まったそのとき、他の四人がその一人を支えることが、一番理想的なのである。


 故に蜥蜴は必死に自分を納得させ、復讐はすまいと思おうとしていたのだった。

 蓮を殺して自分も死ぬことなど恐れることではないが、弟を残して先に逝くには、まだ早すぎる。故にこの場は、堪えるしかなかったのだ。


「ルンルンルンっ。やぁみんな、ご機嫌麗しゅう。僕はとっても元気だよ。蓮も……元気みたいだね」


 邦牙ルンウィスフェルノを最後に、黄金の帝国テーラ・アル・ジパング一三騎士団の団長一三人全員が集結。会合が行われた。

 内容は無論、白銀の王国キャメロニアについてである。

 蓮を味方につけ、さらにろんを捕縛しているかの色国軍の一角。それを今、彼らは敵として見ていたのである。


「今回はいつもの侵略よりも、少数精鋭で行くよ。目的は侵略じゃなくて、皇子二人の奪還だからね。副団長以上の団員でのみ、潜入するからね」

「潜入については、もう敵国にスパイを潜り込ませています。突入隊のうち二名に派手な動きで囮を任せ、残り全員をそのスパイの先導を頼りに潜入すれば、事無く終わるかと」

「ありがとう、飛沫ちゃん。じゃあ今回は、第四、五、六、七、十一。この五つで行きましょう。ルンと笹ちゃんで囮やるから、残りは論の奪還、ヨロピコっ!」


 第四の梁旬。

 第五の蜥蜴。

 第七のダズ。

 そして、第十一のK・T・K・Oは理解した。


 ルンは蓮と戦う気だ。

 ルンが陽動に出れば、必ず蓮がそれに対峙する。

 彼女を止められるのは、実際に蓮だけなのだから。

 ルンはすべてわかったうえで、蓮との対決を望んでいた。蓮となら、いい勝負ができるからだ。


 相手が弟であろうと、それでいい勝負ができるというのなら、構わず対戦相手に選べるほど、好戦的な戦闘狂。

 弟思いの蜥蜴と違って薄情とも捉えられるかもしれないが、しかしルンからしてみれば、それが彼女にとっての愛情表現とも言えた。

 抱き締めるのではなく、突き放す愛。彼女はときどき、自分の愛の形をそう語る。


「さ、そうと決まったらさっさと行こうか。ルンは楽しみができたらそれを真っ先にやらないと、気が済まないタイプなのだ! というわけで、ゴー!」


 四人の団長と五人の副団長を連れ、ルンは天空の帝国から舞い降りた。


 今更であるが、帝国は現在、黄金時代を迎えていると国全体が自負していた。

 それは一三騎士団による地上の侵略の成功率が、ルンが団長となったことで、飛躍的に上昇したことからそう言われている。

 さらにルンと、人の才能を見抜く梁旬の人選によって、今帝国の騎士団は、黄金世代と呼ばれていた。


 黄金の帝国の黄金世代、その刃が、白銀へと迫る。

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