人形少女は英雄を慕う
ピノーキオ・ダルラキオンの話を聞いた一番隊を除く全隊長各位は、自室に戻ってその内容を再確認していた。何人かで集まって、議論を交わす隊長らもいる中で、十番隊隊長、バリスタン・
「要約しますと……蓮さんは
蓮は頷く。
思えばまだ訊いていなかったというのもあるが、アルフエは蓮の家族のことを知らなかった。ましてや王族だとは思わなかった。
その他にも蓮が元の母親に捨てられた孤児で、それを今の母親に拾われたことなど、蓮の詳細を改めてピノーキオから聞くこととなったが、今はそれよりも優先的に確認しなければいけないことがあった。
それを優先しなければいけないことに、アルフエは若干の心苦しさを感じつつ。
「その競争の内容が……聖杯の争奪戦、ということですか。蓮さんが一度聖杯を手にしているということは、実質その時点で決着が着いていたのでは?」
と聞くと、蓮は少し上手くなった字で。
~それはずっとちいさいころだったから、このきょうそうとはかんけいない~
「そうですか……なるほど」
一時間ほどまえの会合では全員、ピノーキオの話を聞くだけだった。蓮は会話ができないために、時間が長引いてしまうと、蓮しか知らないことは後で個人的に質問するようにされている。
故に質問しているのだが、蓮は若干辛そうだ。孤児だった幼少期の記憶が、辛いのかもしれない。そう思うとさらに心苦しいアルフエだったが、隊長として、訊かないわけにはいかなかった。
「そのとき、何か願いませんでしたか? 聖杯は持ち主たる裁定者の願いを叶え、また世界のどこかに消えるという伝承がありますが」
~ねがった、だけどかなわなかった。たぶん、聖杯そのものじゃなくて、かけらだったから~
「なんと、願ったのですか?」
そう訊くと、蓮は少し伝えようかどうか迷ってから、筆を走らせて。
~世界中のひとたちがたべものをたべられるせかいになってほしい、と~
~世界の平和そのものを、ねがえばよかった~などと蓮は続けたが、アルフエはそのときゾッとすらしなかった。ただ冷や汗だけは一筋。
蓮が何歳のときに聖杯の欠片を手に入れ、願いを叶えたのかはわからない。しかしアルフエの幼少期、全世界で穀物の大豊作と家畜の大繁殖が起き、当時世界で問題となっていた食糧の枯渇という大きな問題を、世界の国という国がクリアしたということがあった。
増え続ける人口に合わせて増える作物。増える家畜。まさに飢えることのない世界。まるで星の作りそのものが変質したかのように、世界はそんな代物へと変わってしまった。
それでも蓮が願いが叶わなかったというのは、おそらく貧富の差がなくならなかったことについてだろう。
どれだけの食糧があろうとも、さらなる国の繁栄と国土の拡大を狙って戦争は起きる。弱小国は淘汰され、必要最低限の食事も与えられずに人が死んでいく。
世界中の人々が口にできるだけの食糧はあるのに、それが全世界の人々に供給されていない。権力のある者、力の強い者がますます太っていく世界となってしまった。
蓮が願ったのはそんな世界じゃなかっただろう。だから彼は、叶わなかったと記したのだ。
だがアルフエは今の話を聞いて、聖杯の恐ろしさを知った。
例え一欠片だろうと子供の願いだろうと、それが不出来な願い方でも、歪んだ形だろうと叶えてしまう恐ろしい宝具。使い方を誤れば、世界を滅ぼすことだって充分にあり得てしまう力。
故に太古、聖杯を有していた
その結末は王国の滅亡だったが、それでも長く繁栄し、歴史にも残った大国となったのは、王の技量だけでなく、聖杯の力もあったかのように思える。実際は、知らないが。
だが、ということは。蓮はその聖杯に選ばれた裁定者ということになる。裁定者しか聖杯が使えないこの世界では、貴重な人材。聖杯探知能力者よりも貴重で希少、聖杯を狙う国なら、喉から手を出してまで欲しい人だろう。故に狙われているのか。
アルフエの思考は、そこまでに至る。
「蓮さん。黄金の帝国には今、蓮さん以外の裁定者はいるのですか?」
もしもいないのなら、狙われる理由はわかる。わかるのだが――
~きょうだいぜんいん、さいていしゃ~
嘘だと言ってほしかった。
そんなことなどあり得るのだろうか。もはや伝説上の代物とされている裁定者が、五人もいる国だなんて、今の世界ではあり得ない。
いや元々、
だが聖杯があった当時ならまだしも、聖杯の存在すら見つかっていない現代で、どうやって裁定者か否かと判断するのか。それをわかっていながら質問したアルフエは自分でもおかしいとは思いつつ、しかし驚愕からそれについて考えることを忘れてしまった。
~元々きょうだいのほとんど、ひろわれた子ども。裁定者をはんていできるのうりょくしゃが、あつめた子どもたち。だからとうぜん~
当然で片付けていいのか、それは。
聖杯探索能力者だけでも充分嘘くさい能力だとは思うのだが、裁定者を判定できる能力者なんて、この世界にいてなんのメリットもない。
すでに伝説と化した宝具を見つける能力者と、それを使える人間を見つける能力者。何故未だにそんな能力がこの世にあるのか。シュタイン・
「……最後に一つだけ、よろしいですか? あなた方兄弟姉妹の中で、一番危険なのは誰ですか?」
そう訊くと、蓮は一切の迷いなく答えた。
長女、邦牙
五人きょうだい最年長。最小にして最強の長女。
目的のためなら手段を択ばない性格につき、大胆かつ狡猾。強大過ぎるその力を、なんでもないことにも使ってしまうくらいの大胆さ。そしてその派手な動きの裏にある物事を円滑に進める狡猾さ。その両者を合わせたような人間。
そして何より、今回の競争で一番彼女が脅威だと言わざるを得ないのは、彼女が裁定者であると同時に、聖杯探索能力者であるということだった。
アルフエはそれを聞き、思わず唾を飲む。恐怖からだ。
英雄と呼ばれるに相応しい実力を持った蓮が、自分よりもずっと強い、最強だと推す人物。さらにこの聖杯探索においては最強の、探索能力者かつ裁定者。
一度王国に、部下を回収しに来ているが、そのときも蓮を文字通り一蹴したらしい。
もしもそんな相手が、自分のところにかかって来たら。そう思うと、これほど恐ろしいことはなかった。
そんな不安を表情に滲ませていると、いつの間にか真正面に座っていた蓮はすぐ目の前に立っていて、大丈夫だよと言うようにアルフエの頭に手を置き、梳くように撫で下ろした。
アルフエの頬があっという間に紅潮し、若干潤んだ目が蓮を見上げる。そのまま互いに見つめ合い、互いが互いに何か言いたげにしたそのとき、横から飛んできた力によって、蓮が吹き飛ばされた。
それはピノーキオで、蓮は横から飛んできた彼女を受け止めて、脇腹にうずまる彼女の小さな頭を抱え込む。
「蓮様! ピノーキオ、やっと解放されました! 愛でてください!」
彼女は
故に王や隊長らがそう簡単に開放するはずもなく、今の今まで王と二番隊隊長メイアン・レイブリッツに質問攻めにされていて、ようやく解放されたその心の軽さから、全力疾走で国を駆け抜け、蓮の元へ飛んできた次第。
ずっと蓮に愛でて欲しかった様子で、頭部の猫耳と猫の尾が揺れ動く。猫の尾が揺れるのはストレスを感じているためと聞くが、そのストレスは蓮に対してではなく、ずっと拘束されていたことに関してだろう。
蓮はそんなピノーキオの頭を、優しくそっと撫で下ろす。
以前から、蓮が人を撫でる際の手つきが慣れていることにわずかながらの疑問を感じていたアルフエだったが、ピノーキオが普段から要求してくるために慣れたのだとこのときに察した。女性に慣れていたのは、彼女が要因だろうことも同時に察する。
もっとも彼女は人間ではないという。
ガラスの目玉に明らかな造毛。美しすぎる黄金比の体躯は、柔らかい肉ではない。
ここまでチラホラとその作品と名前が出て来ている、今や聖杯と同じくらいの伝説と化した武装職人、
彼女はさらに異能まで持ち合わせており、戦闘も自立して行える。その精度は二日前のパーティーで邦牙
彼女もまたシュタインからみれば、是非とも解剖して調べ尽くしたい代物だろう。現に彼は彼女の解剖の許可を王から得ようとして、女性陣に手酷く非難され却下されていた。
そういうストレスもあって、ピノーキオはずっと蓮に会いたがっていたに違いない。たったの一時間、されど一時間も離されていたのは、ピノーキオにとって孤独だったようだ。
甘い声で、本当に猫のように甘えるピノーキオ。その姿はやはりどこか獣じみている気配もするし、人形に愛玩されるというなんとも不思議な感覚が、愛らしく見える感じもする。彼女にとって、蓮とは心の拠り所。二人の関係をまだ深くは知らないアルフエでも、それは察することができるくらいに、二人は仲睦まじい姿を見せていた。
「ピノーキオさん。帰って来たところ悪いのですが、私にも聞きたいことがあります。蓮さんと一緒で構いませんので、お話を聞かせていただけませんか?」
彼女ももう二時間くらい話し続けているだろう。質問攻めで、人形とはいえくたびれているはずだ。そんなアルフエの心配が声色に出ていたのを察したか、人形少女はガラスの瞳に一筋の光を反射させて、アルフエの姿をそのガラス玉に映し込んだ。
「あなたは、ピノーを人形だと断じないのですか?」
唐突の問いだった。が、彼女のその言葉である程度察することができた。
誰もが、きっと蓮以外の人間のほとんどが、彼女を人形として扱ったのだと。人形少女。ガラスの武装。獣と人の混合傑作。呼び方はなんでもあった。だがそこに人という呼び方がなかった。
だけど蓮を含むごく少数――もしくは蓮だけが、彼女を人として扱って来た。だからこそ彼女は忠誠を尽くしている。そのガラス玉に鮮明に映し出すのは、彼女を人間として扱う、人間味あふれた人間。そういう設定だ。
その設定を、アルフエは知らない。だが察した。彼女の境遇を。
シュタインのような反応を今まで受けて来て、いやなこともされただろうことも。
だが決して、それだからではない。彼女の中の価値観に素直に従い、彼女の中の感情に嘘をつかなかった結果、それが結果的に、ピノーキオの瞳に反射することとなった。
「あなたは意思を持ち、私に語りかけているのです。蔑ろにできるはずもないでしょう。私はそこまで、あなたを人形だと割り切ることはできません」
アルフエが、まだ一七の未成年と言うこともあるのだろう。彼女はまだ、人形は人形と断じられるほど大人でも冷淡でもない。もっとも、まだと断じるのも早計かもしれないが。
ともかくアルフエが、自身を人格のある生物として――少なくともの話だ――見ているのは、ピノーキオにとってとても嬉しいことだった。猫の耳が小刻みにピクピク、尻尾が大きくユラリと揺れる。
「あなた、お名前は?」
「バリスタン・J・アルフエ。この国の戦闘部隊、十番隊隊長です」
「……そうですか。では十番隊隊長。ピノーはあなたが、ピノーをピノーと呼ぶことを許します。これはピノーという武装を扱う上で大事なコードです。よく記憶しておくように」
「は、はぁ……」
記憶はしているものの、アルフエは理解できていない。ピノーキオが今、蓮にしか教えていない自分を起動するコードを教えたということを。
ピノーキオ・ダルラキオン。例え人間扱いをしようとも、人形少女である事実は変わらない。そして彼女は、倉敷柘榴という武装職人が作った武装の一つ。すなわち彼女を扱う方法が搭載されており、彼女はそれを認識している。
故に彼女がこのコードを教えるのは、絶大なる信頼の証と言っても過言ではない。
だがこのときばかりは、ピノーキオがアルフエにコードを教えた理由としては、信頼というより気まぐれに近い。
まず条件として蓮を慕っていること。これは様子から察することができる。アルフエのそれは、酷く簡単だ。好意があるかどうかなんて、同性ならばすぐに勘付く。
第二に、腕が立つこと。ピノーキオはアルフエの実力を見たことがないため知らないが、白銀の王国戦闘部隊十番隊隊長という肩書は、実力を示すのに十分過ぎる。
そして第三に、ピノーキオ・ダルラキオン。その真の性能を理解していないこと。
理解している方がいいのでは? と思うだろうがそれでは逆効果だ。理解しているといざというとき起動させない。もしくはいざというときでなくても無意味に起動させてくる。どちらも彼女の性能が、実に優れているが故に起こる。
だからこそ、知らないでいてくれればいい。いざというときに何も知らず、起動しろという懇願にただ従順になって起動さえしてくれれば、蓮を護ってくれるならば、それでいい。
それらの理由から(まぁ教えてもいいですかね……いざというときの保険も必要ですし)と思ったから教えただけ。本来この役目は起動に対して躊躇のないハンバルの務めだったが、残念なことに死んでしまっては代役を立てるしかない。
蓮はコードも知っているしいざとなったら起動してくれるだろうが、しかし肝心な起動コードは許可した肉声のみに反応するため、声が出せない蓮では意味がない。
だから本当に本当の理由を尋ねられると、信頼したからでもなく気まぐれでもなく、蓮を護るための保険として、一応教えておこうかくらいの気持ちだった。
「それで、ピノーに何を聞きたいのですか?」
「あ、はい……現在の王位争奪戦となっている聖杯探索。それは現在、どの段階まで進んでいるのですか?」
「どの段階まで……ですか」
それは王にも散々聞かれた。
が、そのときは知らぬ存ぜぬで通した。
だって聖杯を狙っていることが見え見えだったから。わざとかと思うくらいに見え見えだったから。
ピノーキオにとって、聖杯を手に入れるのは蓮でなくてはならないのだ。
そうでなければ王位を継いでくれないし、聖杯で叶えて欲しい願いもある。故に他国の何を願うかわからない、少なくともアルフエより信頼できていない王にすべてを話すのは嫌だった。
何より蓮をこの国に閉じ込めたという王に、正直に話したくなどなかった。王の声音は、それすらも承知で敢えて聞いているように聞こえていたが、関係はなかった。
だから少しだけ迷う。
真実を話せば王に伝わるかもしれない。その懸念。
アルフエの性質はここまでのやり取りで一縷程度は理解できたつもりだが、しかし一縷ではまだ不安要素の方が断然大きい。懸念材料としては、充分過ぎるくらいに。
~話してあげて?~
そう言った――いや、促したのは蓮だった。
それがもしアルフエの催促。もしくはその周囲にいるメイドからの忠告めいた何かだったら、蓮を連れてすぐさま屋敷を出ていたところだった。
そしてこのとき、ピノーキオのアルフエに対する信頼度が跳ね上がった。
我らが王たる人が認めた人間。自分を人間として見てくれる人が、認めている人間。
それで充分だった。アルフエにとっては幸福なことに、ピノーキオの蓮に対する忠誠心と愛情は、聖職者が神を崇め奉ることと同義だった。
故に蓮がアルフエを信じて、話していいと許したことで、ピノーキオのアルフエに対する信頼は、一気に蓮の保証という形で跳ね上がったのだった。
「仰せの通りに。蓮様……十番隊隊長。いえ、アルフエ様。これから申し上げることは、我が国内でも知る者の少ない最高機密。他言無用で、お願い申し上げます」
「……畏まりました」
メイド姉妹のステラとコメットを別室に下げ、三人だけの秘密の会談。
他言無用。話せば一切の酌量の余地なし。故にそれを聞いたアルフエは、酷く熱の引いた冷や汗で、頬を濡らした。
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