接近戦はできないと誰が言った
(あぁそうさ、そうだとも。誰も言ってねぇさ、奴が接近戦ができねぇなんざ。だがよ、できるとも言わなかっただろうがよ)
(結局はそういうことだろ、てめぇら単にこいつが接近戦なんてやるとこ見たことねぇってだけの話だろうが!)
(この俺様を誰だと思ってやがる!
(なのに、こいつは……!)
彼の
普通の人間がいくら鍛えたところで、反射速度には限界が存在する。それを超えると人間の体の限界が来て、壊れてしまうが故のセーブだ。
だが蠍はこれによる限界が、能力によって著しく大きい。常人の反射速度の限界が十とすれば、蠍は三〇は軽く行く。
つまりは人の三倍速い人間。
後出しで対応できるため、どのような不意打ちも後から対処できるし先出しでも相手の防御を見てから攻撃の軌道を変えられる。
刀と言う直接的な武器を操っているのは、この能力が蠍の中で最も有効に戦闘に使えるからであった。
しかしこのとき、蠍は認識を改めた。
自分が人の三倍速い人間ならば、相手は人間ではない怪物だ。
先に攻撃を出せば防御の縫い目を掻い潜って来るし、先に繰り出されてもその攻撃を突き崩してから反撃してくる。
最初の蓮達がいたカフェから剣撃と手刀がぶつかり続けながら民家の屋根上を駆け抜け続けておよそ二キロ。
お互いに傷付けられず、傷付かない戦いを繰り広げていた。三倍速で動いているために人々の目にはまるで早送りされている映像のようで、その攻防の一部始終を見ることはできなかった。
だが戦闘が起きているということだけはわかっていて、すぐさま国の戦闘部隊に指令が渡る。
出撃するのは戦闘部隊でも特攻に長けた部隊、四番隊。指揮するのは、
「英雄殿はクロと取引中ではなかったか……まぁ、敵に我らの事情など知るわけがないか」
「た・い・ちょぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
シャナのいる隊長室に華麗なるスライディングで駆け込んだ、薄桃色の長髪を二つに結んだ少女。
背丈は小さく小柄だが、比較的長い両脚に白銀の装甲をまとっていた。歩く度、低い金属音が鳴る。
四番隊副隊長、カノン・ライト。
その身体能力と
「カノン・ライトただいま参上いたしました! 戦闘ですよね! 戦闘ですよね! 任せてください! 敵の首、早速取ってきます!」
「今回おまえは待機だ、カノン」
「ゑ?!」
思わず今はもう使われない古語になってしまうほど驚いたカノン。
彼女はまだ十一歳。故にまだ戦闘部隊副隊長という身でありながら、就任以降ずっと待機を言い渡されていた。
街中の戦闘と聞き及び、自分の出番だと張り切って武装までしてきたのだが。
「今は英雄殿が交戦中だ……あの人は周囲の人間を眠らせる能力を持つという。今は使っていないようだが、使えばこの国の機能は一時的とはいえ完全停止。故に我々に求められているのは、英雄殿に能力を使わせることなく勝たせることだ」
「シュタイン隊長の調べてみた結果、英雄殿の能力は個人差はあれ、最低でも八時間は眠る恐ろしい力。その間に敵に攻められれば一瞬の終わり。それが敵の狙いかもしれない以上、下手な手は打てまいよ」
「そんな! なら私が英雄さんの代わりに戦います! 街への被害でも私の能力なら――」
「おまえだと殺しかねない」
シャナはキッパリと言った。
彼女もまだアルフエと同じく一七の少女、子供だ。
しかし隊長という役職をまっとうしている、確かな人物でもある。彼女の推察眼にはなんの能力もないが、しかし人より戦況を見る目はあった。
故に特攻部隊の隊長を任されている。
シャナはカノンが子供であるが故に、まだ全力でしか戦えないと知っていた。全力とは、つまりは殺すという意味で――
「我々は敵の正体を知りたい。陛下もそのおつもりで、我々に出撃を命じたのだろう。ならば殺すのはまずなしだ。最悪の場合は仕方ないが……今は捕縛を第一に考える。そのための部隊はもう送った。とりあえず我々は、報告待ちだ」
カノンが悔しそうに唇を噛むのを見て、シャナは肩を叩く。
本来ならば隊長の自ら行きたいところ、自分ですら殺してしまう可能性を考慮して自分達よりもずっと経験値のある隊員達に行ってもらった。
戦闘経験値というもので見れば、シャナ自身もカノンとそう大差はない。
それをわかっているのかは知らないが、カノンはじゃあと苦し紛れの文句を思いついていた。
「じゃ、じゃあせめて! 戦況を観察させてはいただけませんか?!」
「観察?」
「私はまだ戦場に出たことすらありません! 経験値がないというなら、私は経験値を重ねるべきです! なのでそのための戦況観察の許可を、私にください! お願いします! シャナ隊長!」
なるほど、うまい文句を思いついた。
手出ししないのであれば止める理由もないし、もし仮に何か緊急事態になってもその場にいるカノンに真っ先に指令を下せばいい。
カノンがただ現場に行くだけで、戦況が変化した場合のこちらの対応策も、いくつか増えるわけだ。
当然、隙あらば参戦したいと思っているのも見え見えではあるのだが――
「わかった……通信機を持って行け、いざというときに連絡が取れないのでは意味がない」
「ありがとうございます! 隊長!」
シャナから手渡された通信機を持って、カノンは隊長室の窓から躊躇なく飛び出す。シャナも止めなかったが、そこは地上十メートルの高地だった。
が、問題はない。
カノンの両脚の装甲から翼が生え、大きく広がって羽ばたく。
それはカノンの能力ではなく、装甲そのものに施された機能のようなものであった。
『ウイングブーツ』
まだ国と言うものが機能していなかった時代。北の大地にて、とある村の鍛冶職人が作り上げた
カノンはその両翼を羽ばたかせて飛ぶと、蓮と蠍の戦場へと先に向かった隊員達よりも先に到着する。
上空で待機したカノンは、あくまで観察だと自分を戒めて二人の戦況を目で追おうとしたのだが――
「目、目が回るぅぅ……」
追うどころか、捉えることすら難し過ぎた。
というかそもそもカノンは蓮の顔を知らないため、どちらが蓮かわからない。
だがとにかく英雄だということは知っているので、英雄さん頑張れと胸の中で応援を響かせる。
そんな静かな応援を受けていることなど知らない蓮は、交錯の後に一度距離を取った蠍に対して構えたままで静止した。
ずっと三倍速で動き続けていた蠍は体力的に限界で、息も切れ切れ。対する蓮は息一つ乱さず、それどころか呼吸すらもしていないかのように静かだった。
蠍はもう驚きはしない。
というか、もう自分が蓮の性能に対して驚けないことに驚いていた。
ここまで驚き過ぎて、もう息が切れない程度では驚けなくなってしまったのである。
「いやぁやるなぁ、英雄さんよ。ビックリ仰天ってのを堪能し過ぎて、しばらくはできそうにねぇやこりゃ。困りそうで困らなさそうだからいいけどよ。だけど驚いたぜ? 他人を眠らせるしか能のねぇ奴だと思ってたが、接近戦の方が得意ってんじゃねぇだろうな? っておっと! 喋れねぇんだったっけか!?」
「だが驚くのはまだ早いぜ。俺のこの名刀『止水』様の力はまだまだこんなんじゃねぇのよ! おまえも名前くらい聞いたことあるだろ? この世に知らねぇ者は誰もいねぇが、知ってる奴こそ誰もいねぇ。例のあれと同じくらいの伝説の武装職人、
「“明鏡止水”!!!」
人間戦闘中と言えど、常に百パーセント気を張り続けることはできない。必ずいつか揺らぎが来る。
そのわずかな一瞬を、電光石火の速度で肉薄し切り裂く。
『止水』はそのために、とても軽くて振りやすい代物だ。重さによる攻撃力は少なくなってしまうものの、一瞬のスキを突くという点では、この『止水』に勝る武装はない。
女の赤ちゃんでも振れる軽量と、雀蜂のような殺傷能力を兼ね備えた、誰でも水面の月が割れる刀を目指した作品だ。
その刀で繰り出せる大技、“明鏡止水”は、相手の弱点を相手が弱っているところに繰り出し殺す技。つまり決まれば、一撃必殺なわけだが――
「なんだ……?!」
軽くて鋭い『止水』の刺突を、蓮は指先で受け止めていた。人差し指の腹で切っ先を受け止め、その一点で止めている。
膂力や技術だけの問題ではなく、それを成し遂げているのは間違いなく蓮の
しかし相手を眠らせるとしか聞かされていなかった蠍は、まさか刀相手に手刀で相手できる人間だとは思っていなかったし、さらには“明鏡止水”を指先で受け止めてくるとは思わなかったために驚けるかと思ったが、ここまで驚き過ぎてやっぱり驚けなかった。
当然そうくるだろうなぁと、そんな風に思ってしまう。
それを上空から見ていたカノンは、瞳をランランと輝かせて蓮に見入っていた。
橙色の前髪の下から度々見える色彩を変え続ける虹彩は、敵を睨んで少し赤く変わる。その色がまた美しく、カノンは好きだった。
「英雄様すごいなぁ……! 隊長より強いのかなぁ……!」
次に英雄が何を繰り出すのか、見てみたい。彼女の興味はそこに注がれる。
これはもう戦闘ではないこのやり取りを観察して何か得られるかと聞かれればないのだが、しかし当初の目的よりも蓮の戦闘法に興味が湧いて仕方ない。
(見せてみせて、英雄様! 次は何するの!? 何するの!?)
そんな大きな期待がかかっていることなど知らない蓮と対峙する、このままだと噛ませ犬にしかならない蠍。
名刀『止水』を上段で構えると、そのまま横に払って身を引き、突撃の構えを見せた。
「わかってるさ、わかってるんだぜ、英雄さんよぉ。あんたにとっちゃあ構えを見せるってのは、次の攻撃を見せてるのと同じだろ? さっきの技、聞いたことがあるぜ。力の集中する点を先に押さえ込んじまえば、刀だろうと素手で抑えられるってな。白刃取りより難しいって聞くが、それもてめぇにとっちゃあ簡単なわけかい、大したもんだ」
今更ながら、蠍はまくし立てるように喋るので一度口を開くとなかなか止まらない。
よくもまぁ噛まずにそうスラスラと言葉が出てくるものだと、まったく喋れない蓮は感心しそうになっていた。
蠍は構えを一ミリも動かさない代わり、口がまぁ動く。
「だがなぁ英雄さんよ。世の中には嘘っていうのがある。本心のためにつく嘘。恋人を護るための虚言。自分を護るための虚栄。すべて戯れ言の人間でも、そこには生かしたい真実がある」
「噓から出た実なんて
「“明鏡止水”!」
「え、ちょっと待っ――?!」
上段からの斬り上げで、蠍は上空にいたカノンを狙う。
通常が三倍速のところを七倍速にまで引き上げ、突然の攻撃に戸惑うカノンを狙う蠍だったが、彼の言った通りこれはフェイントであった。
蓮ならばカノンが斬られるよりまえに、追いついてくるだろう。
追いつけなかったとしても、仲間が斬られて冷酷に見捨てるタイプではないはず。
どちらにせよ冷静さを欠き、間に入って来たところを最高速度で叩き斬る。
これは上空にいた少女を斬るための一撃ではなく、すべて英雄を斬るための二段三段の構え。
(どうだ英雄! どんな英雄だって片手間じゃあ敵は倒せねぇ! てめぇと俺の実力差は確かにでけぇが、しかし片手間で倒されるほど落ちぶれちゃあいねぇんだよこっちはぁ!)
「っ……?!」
蠍が理解できなかったのも、無理はない。
目の前にしているカノンもまた、理解などできなかった。
蠍の手に『止水』がなく、蓮の手に握られた『止水』が蠍の肩を貫いている。
蠍の体自体は貫かれたことに気付いておらず、血を噴き出していない。傷口から血が噴き出ず、上空より落下する際にわずかに零れる程度。
体が気付いたのは蠍が路上に落下したときで、そのとき激しい痛みと熱を持って傷口から血を噴き出し、蠍に悶絶させた。
「んだてめぇ! ったい、なにしやがった……! 俺の手からいつの間に、『止水』を……!!!」
カノンもまるで見切れなかった。
自分の方に蠍が跳んできて、その長刀で胸を一突きされて終わると思った矢先、蓮が間に入って来てそのすぐあと――
――蓮が蠍の手から『止水』を奪い、逆に突き返していたのである。
まるで受ける方と突く方が、蓮という鏡を挟んで入れ替わったかのように。
「チキショーが、チキショーめ……奪刀術か? だとしても速すぎるだろうがよぉ……んな、倍速人間の俺が見えねぇなんてあるはずねぇよなぁ? ねぇはずさ! あぁそうさ、なのに、なんで、こいつは……?!」
蠍はそのまま、ようやく驚愕できた眼を見開いて見上げる。
そこにはカノンのように武装の力でもなく自身の能力でもなく、ただ普通に空中に立つ蓮がいた。人間はその気になれば空を歩ける。そう錯覚させるほど、平然として。
「なんなんだよてめぇ……っっ!!!」
「なんなんだてめぇはぁぁぁっ!!!」
絶叫と共に、蠍は再び跳躍する。
最高速度、常人の十倍速で跳んできた蠍はまるで弾かれた球のようにすさまじい速度で飛んできたが、しかし蓮の万華鏡の虹彩は確実に捉えていた。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!」と断末魔と共に血飛沫を上げる蠍が落ちる。一瞬の交錯の後に全身を斬り刻まれた蠍は力なく落下すると、その地上より一歩手前――やはり空中で受け止められた。
受け止めたのは、蠍よりも華奢で細い黒髪の女性。両腕にビッシリと刻まれた文字の
胸部から大量の血を流す蠍を見つめた彼女は蓮の方を見上げると、優しさと冷ややかさを兼ねた目で笑い、小さく唇を動かした。
「強くなったのね、蓮」
「貴様、そこで何をしているか!」
ようやく到着した四番隊の隊員達。
やってきたのは二〇人弱。敵をまず国から追い払い、国外で敵を殲滅することに長けた精鋭達だが、このときの彼らは蠍を抱きかかえる彼女にとって、どれも酷い雑兵に過ぎなかった。
「大人しく投降しろ!」
「どこの国の者か、目的を吐いてもらおうか」
相対して実力差も測れない愚か者達、そう彼女には映っていた。
彼女――
「その程度の実力でよくもまぁ今日まで生きてたわね。今まで運が良かったのか、それとも大した戦場に出たことがないのか。どちらにせよ、私の前に出て来て
「命知らずにもほどがある」
「教えてあげるわ。命知らずと命がいらないのとは、違うわよ……?」
蘭の周囲を囲んでいた二〇人弱が、一瞬で力尽きてしまった。
全員目蓋を閉じて眠ってしまっているが、その体は酷く痩せ細っている。筋骨隆々だったものもいたが、全員等しく飢餓と呼べるくらいにまで痩せこけていた。
それを見たカノンは目を背ける。
蓮は長刀を投げつけると同時に彼女に肉薄、睨んだだけで刀剣を錆びつかせ崩壊させた彼女に手刀を向けて――
――一瞬で蹴り飛ばされた。
「相変わらず接近戦は苦手なのね、蓮。能力に頼ってばかりで全然進歩のない――」
(でも剣士の涅をぶつけて圧勝ね……まぁ当然でしょうけど、一応は成長してるのかしら……)
「あら?」
漆黒の衣装に身を染めて、黄金の装飾で飾り付けられた棺桶を手に、クロ・アルナザークが蘭の上を取る。
開いた棺桶の中から伸びたワイヤーが蘭の肩に絡まると、蘭は急に空中にいれなくなって片膝をついて着地した。まるで彼女の重さが、倍になったかのようである。
「
「余裕だね! 僕は戦闘部隊一二番隊隊長、クロ・アルナザーク! んでもって!」
蘭の背後より、純白の殺戮が降りかかる。
両の拳で連打を叩き込み、蘭を地中に埋めていった。
「その子がシロ・ガンナーヒル。僕らに敵うと思うかい、お姉さん?」
一二番隊隊長クロと、副隊長のシロ。
四番隊副隊長のカノンは手出しできないとして、そこに蓮も加えた三対一。
しかも相手は、人を抱き上げている状態。完全に有利。
しかし自分が不利な状況ながら、蘭はまるで動じない。
降り注がれる連打を受けたはずだが、その肌には一つの掠り傷もついていなかった。
涼しい顔で立ち上がり、落とした蠍の襟を持ち上げて抱える。
「言葉を返すようで悪いけど……あなた達が私達に敵うと思っているの? ねぇ、蓮」
「なに、英雄さんと仲良しなの? ってか知り合いか何か?」
「英雄さん?」
プッと吹いたかと思えば、クスクスと蘭は笑う。
一瞬だけ酷く冷酷に笑んでシロを怯えさせたかと思えば、蓮に向けて優しい笑みを向ける。彼女の感情の起伏についていけているのは、蓮だけであった。
「蓮、よかったわね、英雄になれて。私あなたが一人でやっていけるか心配だったのだけど、これならうまくやれるのかしら。きっと聖杯も、また見つけられるわ……」
蓮が何か言いたそうに口を動かすが、その喉は震えない。
しかしその言いたいことを理解したのか、彼女は首を横に振るとまた優しく微笑んだ。
「覚悟を決めなさい、蓮。今あなたの目の前にいるのは誰? あなたのお姉ちゃん? 違うでしょ? あなたの、敵でしょ」
「……でも今日はこの通りお荷物も抱えてるし、ここで幕引きとさせてもらうわ。
ずっと言いたげにしている蓮のまえで、彼女は悠々と語る。
高く上げた手の指を鳴らすと足元から無数のコウモリが召喚され、彼女と死にかけの剣士を覆い隠す。そしてその声がこだまし始めた次の瞬間には――
「私は
――その姿を、完全に消し去っていた。
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