英雄、災害を制する

 一三番隊隊長、李隠りいん


 彼女は国王陛下の命を受け、石山を背負った巨大な亀――ピラミッド・タートルの接近を肉眼で捕捉、さらにその状況を報告するために、国を取り囲む四五メートルの外壁を駆け上っていた。


 体内のEエレメントを巧みに操り、砂嵐を起こす怪物。

 自らが住みやすい環境を作るために、周囲の環境を破壊する、まさに災害。

 砂に埋もれた大地は水を奪われ、何日も続く砂嵐に日の光を奪われ、死に絶える。

 大地も、生物も、死に絶える。

 その歩みが遅いがために、あれは世界を滅ぼしながら進んでいく災害。

 だがその体は岩のように硬く、幾数にも重なった岩の皮膚はあらゆる武器を通さない。

 脆弱な攻撃は、砂嵐を前に届くことすら叶わない。


 第一級危険生物、ピラミッド・タートル。

 砂嵐が息吹く遥か遠くに、その影を見た。


 頭から尾までおよそ四〇メートル。

 高さは約五~六〇メートルほど。比較的部類だ。

 親の群れからはぐれた子供かもしれない。


 だがあれは、例え子供だろうと駆逐対象だ。

 国は国を護るために、討ち取る権利がある。


 すぐさま報告せねばと、李隠が跳ぼうとしたそのとき、不意に視界に入った。


 肩に掛けているだけの黒い上着をたなびかせ、擦り寄ってくる子供の翼龍の頭に手を添えながら、災害と対峙する一人の青年。

 風に吹かれて舞う前髪の下で微かに見える瞳は、砂嵐の奥の災害を捉えていた。


「あなたは……一体……」


 青年も、李隠に気付いた。

 光の受け具合によって色を変える虹彩が、李隠の姿を捉えて静かに閉じる。

 そしてその体から、可視化できるほどの光となって力が溢れ出し、開いた瞳は真っ赤になって、災害を射抜いていた。


 災害は真っすぐに、国へと向かって来る。距離はおよそ六〇〇メートル先。

 しかしすでにあれが起こす砂嵐は、わずかながら国に届いている。


 その中で、青年はおもむろに手を伸ばす。

 まるでずっと遠くの災害を撫でるかのように動かすと、おもむろにそれを下ろした。


 するとどうだ。六〇〇メートル先の災害が、脚から崩れ落ちた。

 力なく、意識を失ったかのように。


 しかしそれは実際、災害が意識を失ったのである。

 青年の力は触れることなく、ただその手を動かしただけで、災害の意識を奪ったのだ。


 その光景に、李隠は言葉を失った。

 あの災害が、こんなにも容易く落ちるだなんて思いもしなかったからである。


 災害は人の手には負えないから災害と呼ばれるのであり、こんなにも容易く落ちることはない。

 青年の力にてられただけで陥落するような存在では、決してないはずなのに。


「あなたは……何者なのでござるか」


 額に巻いているバンドにキャメロニアの国紋があるから、国民であることは間違いない。

 しかし戦闘部隊に所属している隊員が、こんな場所に単独で災害を止めに来ようなどとは思わないだろう。

 ましてやこれだけの能力者、隊長になっていてもおかしくないのに、まるでその顔を見たことがない。


 何者か。


 青年を知らない李隠は、自身の中の警戒レベルを上げた。


 額の国紋など、仕入れるのは容易い。

 敵国のスパイという可能性も捨て置けない。

 ならば何故、国を助けるような働きをするのか、そこは疑問だが。


 シュタイン・Bベル・キュリーのような解剖屋がいるのかもしれない。

 その場合は国ではなく、災害が狙いのはずだ。


 ともかく用心せねば。

 子供の翼龍は懐いているようだが、それでその人を優しいなどと判断してはいけない。

 人間など、いくらでも仮面を被れる生き物だ。


 ならば、殺すか。


「名乗っていただけると幸いでござるが……名乗らないと言うのなら敵と見做みなすだけのことにござる。問おう、其方は果たして、何者なるや」


 青年は答えない。

 いや、口をパクパクさせているのだが、そこから声を出そうとはしない。

 返答に困っているのか言い訳を考えているのか、いずれにしても、李隠の中から味方であるという選択肢は消え始めていた。

 ここまでの能力者が達弁でないというのも、いささかおかしい話だとは思っているが。


 ともかくここは疑ってかかる。

 相手は格上、しかも相手は真正面に。

 味方と断じて敵だったと意表を突かれるより、敵と断じて味方だったと思う方がまだ状況はいい方に転がる。


 それがキャメロニア戦闘部隊一三番隊隊長兼暗殺部隊隊長、李隠の考え方。

 若干一三歳という歴代最年少で隊長になった、暗殺少女の心構えだった。


「……名乗らぬならば、敵と断じて殺すまで。其方をどこぞの強敵と見做し、全力で迎えさせていただく所存。お相手仕るのは性が李、名が隠。キャメロニア戦闘部隊一三番隊隊長兼暗殺部隊隊長。冠する称号はアグラヴェイン、李隠にございまする。それではいざ尋常に……」


「勝負!」


 李隠が駆け出す。

 そのための一歩を、踏み出そうとしたそのときだった。


 李隠の体から、力が抜ける。

 脚から、腕から、全身から力が抜けた。

 その場で転び、抜こうとした短剣は手から滑り落ちる。

 そして再び立ち上がろうにも、自身の体重を持ち上げるだけの力が湧かなかった。


 全身に、力が入らない。

 災害のときといい、目の前の青年の能力なのだと理解はしているが、しかしどのような能力なのかがわからなかった。


 今まで経験したこともなければ、見聞きしたこともない能力。

 それを持っているのは違いないのだが、問題はそれがなんなのか、である。


「其方、本当に何者にござるか……」

 何度も聞かれ、青年はまだ困っている。

 これだけ強いのだから、もっと堂々としていてもいいものであるが。


 すると青年は上着の内ポケットからメモ帳を取り出し、さらに取り出したペンを振ってから書き始めた。


 拙く、グチャグチャに変形した文字はとても読みにくい。

 しかしその出来に少し満足した様子の青年は、李隠の手にそれを握らせると、凄まじい脚力で災害へと跳んでいった。子供の翼龍もまた、それを追っていく。


 外壁を蹴り飛ばしただけの運動エネルギーで、青年は砂嵐の中へと飛び込んでいく。

 そして巨大な災害の頭の上に着地すると、その手を押し当てて再び力を光として発現する。


 すると時間が経つにつれて、災害はどんどんとその呼吸を弱くしていく。

 やがて砂嵐も弱くなっていき、ついに数分で砂嵐も災害の呼吸も止まってしまった。


 眠るように死んでいった災害の最期を見て、李隠は恐怖を隠しきれずに冷や汗を流す。

 そして握らされたメモを広げてみると、そこには一文だけ書かれていた。


 ~すぐに終わるから~


 本当に、すぐ終わってしまった。

 しかもこんなにも静かに、何事もなく。


 災害は、本当にただ眠りに誘われる赤子のように静かに眠ってしまった、それも永遠に。


 災害には傷一つなく、本当にただ眠らされたかのようだった。

 そのとき李隠は、一つの噂を思い出す。

 この国に現在滞在しているという、英雄の噂を。


「……人々を眠らせる、英雄……其方が……」


 その後、李隠もまた眠気に襲われ、そのまま眠りについてしまった。

 次に目を覚ました時には、アルフエと同じく会合のあるその日の朝に起きたという。


 ▽ ▽ ▽


「と、いうわけにござる。拙はあのときの驚きが未だ新鮮で、今でも鮮明に覚えているにござるよ」


 会合が終わり、アルフエと李隠は城の庭で話していた。

 春の陽気に誘われて開く花々の甘い香りに包まれて、二人の少女を飾っている。


 一つだけある大きな噴水には、それぞれの方角に存在する獣の石像が置かれていて、二人が座るのはそのうち北を差す、玄武の像に睨まれるベンチであった。

 別段今回の災害と、掛けたわけではないのだが。


「しかしあれがアルフエ殿のいう英雄殿だったとは思わなかったにござる。喉を怪我して声が出せぬと聞いてはいたが、まさかその人とは思わず……まだ謝れてないのが歯がゆいでござるよ」

「なら一緒に行きますか? これから邦牙ほうがくんの家に行くつもりだったので」

「おぉ、それはいいでござるな! では拙もご同行させていただくでござる!」

 

 ▽ ▽ ▽


 そうして二人でれんの屋敷に向かったのだが、そこで二人が見たのは驚愕的な光景だった。


 肩まで伸びる金髪のセミロング。

 ノースリーブの黄色のシャツに、黒のレギンスとスニーカーという格好。

 両耳を覆う鋼の耳当てからは、先がそれぞれ赤と青の黒いコードが伸びている。


 赤と青のオッドアイに蓮の顔を映す彼女は、蓮のことを押し倒していた。

 無抵抗の蓮を見つめ、ただただ見つめ、匂いを嗅ぐ。

 双子のメイドが毎日洗ってくれる服から香る柔軟剤の香りと共に匂う蓮の匂いを嗅いだ彼女は、不思議そうに首を傾げた。


 そして、あまりにも小さな声で蓮の耳元に呟く。


「聖杯に、何を、願ったの?」


 禁じ得ず、蓮の顔に驚愕の色が出る。


 それを見た彼女は微笑を浮かべ、蓮の頬に手を添え撫で下ろした。

 そして妖艶に、唇を舐める。そして蓮の顔に自身のを近付け、絶えず変わり続ける蓮の虹彩を覗き込んだ。


「かっこいいね、君……好きだよ、そういうの」


 甘い声で蓮の頬を染め上げた彼女の吐息と、蓮のとが重なる。

 そして二人の呼吸が完全に重なったとき、彼女の唇がゆっくりと降りてきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る