英雄、災害と対峙する

 れんがキャメロニアに住み始めて、二日が経った。


 未だに国を襲った翼龍らが恐れ、逃げて来た何かの正体は掴めていない。

 今も一頭の翼龍と蓮の視界は繋がっており、その正体を調べているところである。


 そんな蓮の格好は、幾分かマシになった。


 伸び放題だった髪は初日に切った。

 背中を覆っていた後ろ髪はバッサリと切り落とし、前髪も幾分かは切った。

 本人の希望で前髪は片目が隠れる感じになっている。

 あまり額を見せたくないらしく、前髪だけは自分で切った。

 さらに見られないよう、額にキャメロニアの国紋が刻まれたバンドを着けていて、そのバンドも前髪の下という徹底ぶりだ。


 そして服装。


 黒を基調として緑のラインが数本入ったシャツに青のジーンズ。

 そしてその上に黒い上着を羽織った、住んでいる豪邸とは似合わずとても安く軽い仕上がりだ。

 唯一ベルトを飾る三本のチェーンに、国産のブラックダイアモンドが煌いているのが豪華なところか。

 双子メイドの姉、ステラが着けさせたものである。


 脚は茶色のロングブーツでまとい、年相応の格好になった。

 住んでいる豪邸とは、少し似合わない雰囲気にはなってしまったが、しかし蓮は気にしていない。

 むしろ頭から足まで揃えてもらえて、申し訳ないと言った様子だ。


 ちなみにずっとまとっていた獣の皮は、いくつかにカットして皮問屋に売った。

 問屋の方も知らない謎の獣の皮で質が良く、お陰で高値で買ってもらえた。


 そのお金で何かおいしいものを食べようと思った双子だったが、しかしそこには問題があった。


邦牙ほうがさんが何も食べない?」

「はい……本当に何も」


 蓮の様子を見に来たアルフエは、双子の妹コメットの報告を受けていた。


 ステラは買い物に出かけていて、蓮は自室に籠っている。

 昨日コメットに教えてもらった基本的な文字を書く練習をしているらしい。

 それも昨日の夜から寝ずにずっとだ。


「朝食も昼食も夜食も、ましてや軽食も取られません。ましてや飲み物すら……故にお手洗いに入っているところなど見たこともなく……」

「それは……心配ですね。アストラピでも何も食べていなかったと言いますし……わかりました、少しお話してみてもよろしいですか?」


 アルフエは蓮の自室となっている部屋の戸を叩く。

 無論、喋れない彼に返事はない。

 だが部屋から何かを三度叩く音が聞こえて来て、恐る恐る入ると蓮が迎えてくれた。


 入って問題はなかったようだ。


「邦牙さん、ここでの暮らしは慣れましたか?」


 蓮は首を傾げる。

 その表情は、少し困った風だ。

 まだ慣れてはいないらしい。

 まぁまだ国に来て三日目、慣れるには少し早すぎるか。


「食事、取られていないのは……まだ環境に慣れていないから、でしょうか。お二人がとても心配していましたよ?」


 蓮はそれこそ困った顔をする。

 なんというか、申し訳ないという顔だ。

 しかしやはり、それでも理由は語れない。


 しかしこのとき、アルフエはその理由を知る方法を一つ思いついた。


「文字、どれくらい書けるようになったんですか? よろしければ、食事されない理由を教えて頂けませんか? 差し支えなければ、でいいので」


 蓮は練習帳を繰り返し一瞥し、少し考える。

 しかしアルフエが困っている蓮を見て諦めかけたのを見たとき、蓮は渋々ながら首を縦に振った。


 机を前に座り、ぎこちない手つきで羽ペンを握る。

 そして余りにも多すぎる量のインクを付けて、ボタボタと練習帳に垂らしながら書き始めた。


 太すぎる上に、もはや紙に染みて広がっている文字は、お世辞でも綺麗とは言えないもので。しかし一度も文字を書いたことのない青年が、たった二日で習得したにしては読める文字を書いた。


 しかしアルフエはそれを見て、理解できなかった。

 何せ蓮が告白したことは今まで彼女の人生上経験のないことで、前例を見聞きしたこともない。

 今まで知らなかったことであり、それを受け入れるには余りにも唐突過ぎた。


「……本当、なんですか?」

 蓮は頷く。

 しかし渋々と言った様子だ。そしてまた、蓮は次のページに書く。

 そこにはたった一言、アルフエに問う言葉が書かれていた。

 

 ~きもちわるいでしよ?~


「そ、そんなこと――!」


 このとき、反論しようとしたアルフエが見たのは、蓮のとても悲しそうな表情だった。


 正直に言っていい。

 嘘なんてつかなくていいと、その表情は言っていた。


 そしてアルフエは、その表情に対して反論できなかった。


 一瞬。

 ほんの一瞬だけ、思ってしまったからだ。


 気持ちが悪い。


 よく考えてみれば、気持ち悪いことなど何もない。

 ただ生命力を得る方法が、常人とは違うだけだ。

 さらに考えれば、蓮は喉を切っている。

 普通に食事できないから、こんな方法でしかできないのかもしれない。


 だから気持ち悪いことなんてない。

 ただ自分達とは違うだけで、これも尊重すべき個性の一つだ。

 気持ち悪いだなんて、思ってはいけなかった。


 なのに――


 アルフエの目から、ボロボロと涙が溢れ出る。


 気持ち悪いと思われることが嫌なはずなのに教えてくれた蓮に対し、蓮の思い通りにそう思ってしまった自分が許せなくて。


 蓮を傷付けてしまった自分が許せなくて。


 勇気を出してくれたのに、それに対する自分の酷い考えが本当に嫌いになった。


 それらを処理するのに、アルフエには泣くという術しかなかった。


 一国の戦場を任される隊長の一人と言っても、まだ一七の子供。

 感情の脳内処理を完全に施せず、パンクしてしまった感情が大粒の雫となって溢れ出した。


 しかしそれは、蓮からしてみれば余りにも唐突。

 目の前で泣き出してしまった少女をどうにか落ち着かせたいと思うが、しかしどうすることもできない。

 青年は泣きじゃくる少女を目の前に、あたふたすることしかできないでいた。


「ごめんなさい……ごめんなさい……私、私……邦牙さんの気持ちも考えられないで、酷いことを……酷いことを思ってしまって……」


 蓮はしきりに首を横に振る。

 そんなことはない当然のことだと、アルフエを許す姿勢を見せるが、それでも自分を許せないアルフエは泣き止んでくれない。

 困り果てた蓮は、自室の机の上にあったベルを鳴らした。

 屋敷にいる双子を呼ぶためのベルである。ステラがいない今、コメットがすかさず飛んできてくれた。

 アルフエの頭に手を添えながら、拙い文字で紅茶を淹れて欲しいと頼む。


 聞き入れたコメットはすぐさま給仕室に入り、熱い紅茶を淹れてくれた。

 そしてまたアルフエを落ち着けるため、二人にしてもらう。


 蓮のベッドに腰かけて、深呼吸の後に紅茶を飲んで落ち着く。

 泣き腫らした頬は赤く、アルフエはその頬を拭いながら鼻を啜った。


「ごめんなさい……お騒がせしました……」

 ~だいじょうぶ?~

「……はい。ごめんなさい……本当に、ごめん、なさい……」


 せっかく泣き止んだのに、また泣きそうになっているアルフエ。

 蓮はまたあたふたと慌てる様子で、なんとか落ち着きを払ってアルフエのカップにもう一度紅茶を淹れた。


 アルフエは再びそれを喉に通して、泣くのを堪える。

 カップと取り換えてもらったティッシュで鼻をかみ、また泣き止んだ。


「本当に、ご迷惑をおかけしました……ごめんなさい」

 ~もういいよ~

「でも、私……」


 いつもよりずっと低くなった頭に手を置いて、指先で軽く叩く。


 その叩く強さとリズムに、どこか懐かしさを感じたアルフエ。

 それはずっと過去の記憶を呼び覚まし、温もりを思い出させた。

 それこそ、アルフエの涙を引かせる。


 そんなアルフエの過去など知らない蓮の指は、アルフエの過去と同じリズムを刻む。


 それが心臓の鼓動と同じだと気付いたときには、アルフエは夢の中にいた。


 ベッドの端で寝てしまったアルフエを抱き上げて、枕が置かれている場所に頭を置く。

 薄手の布団をかけると、再びインクの多すぎるペンで拙い一言を書き上げる。

 ちょっとした能力で即座にインクを乾かすと、そのメモを布団に置く。


 そこまでアルフエの面倒を見た蓮の目つきは、一瞬で変わった。

 予備動作なしで臨戦態勢へと入ると、肩にかけている上着を少し直して部屋を出る。


 玄関でコメットに送り迎えを受けると、外に出た瞬間に強化した脚力で跳躍した。


 人々は、自分達のずっと頭上を通過していく黒と橙の閃光を仰ぐ。

 時速数百キロに近い凄まじい速度で家という家の屋根や屋上を蹴飛ばして跳躍を続ける蓮の姿は、そう映ったことだろう。


 国の中心に近い部分から、ずっと遠くの外壁までおよそ五分。

 およそ二千キロの距離を跳んだ蓮だったが、しかし息切れはしていない。

 悠々と、四五メートルの外壁の上で風に吹かれる。


 そのまま吹かれて待つこと数十秒。

 目の前の方向から、一頭の翼龍が飛んできた。

 蓮が視覚を共有していた、群れの中で小さな龍だ。

 おそらく、まだ子供と思われる。


 だがその子供以外にいたはずの三頭は、姿を見せない。

 だがその理由を、蓮はすぐに知った。


 赤い鱗でもわかるくらいにまで黒い血飛沫を全身に浴びて、翼龍は鉄臭い臭いを放っていたからである。

 さらに翼龍の怯えようから、三頭はこの国に向かってきている災害に殺されたとみて間違いはなさそうだった。


 小さな翼龍はその目に涙を溜めて、蓮に擦り寄る。


 その顔を両腕を広げて受け止めた蓮は、先ほどアルフエにしてやったのと同じリズムで翼龍の頭を優しく叩いてやった。


 だが、翼龍は落ち着けない。

 何せすぐさま、その災害の咆哮が聞こえて来たからだ。

 怯えきった翼龍は、仲間の中では小さくとも人間にとっては大きな体をくねらせ、必死に蓮の後ろに隠れようとする。


 だが蓮は引くこともなく、翼龍の群れが命を散らしてまで得た情報を無駄にすまいと呼吸を整える。

 そしてたった今肉眼でも捉えた災害に対して、自らの能力を発現した。

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