英雄、王にからかわれる

 戦闘部隊一番隊副隊長、鸛銑十郎こうのとりじゅうしろうの案内でキャメロニアの純白の城へと向かう邦牙蓮ほうがれんとアルフエ、そしてウォルト。


 王城の最上階、謁見の間を訪れると、最奥の階段の上にある王座に、誰かが座っていた。


 王でしかありえないのだが、生憎と顔は見えない。

 天井からぶら下がっているカーテンが、王の姿を胸の辺りまで隠しており、実際に見えるのは腰から下だけだった。


「やぁ、君が噂の英雄だね?」

 静かで、とても軽やかな声だ。

 とても一国を治める王の声とは思えない。

 一三代目となる今の王が即位したのはおよそ一四年も前のことなのに、とても若い声をしていた。

 蓮やアルフエとも、そう変わらないように思える。


 彼はその優しく若い声で、蓮に問う。

 しかし蓮は、声を出せない。

 会話が成立するはずもないと、アルフエが進言しようとしたそのとき、国王は突然笑い出した。


「そっかそっか! それは大変だったね! いやはや、それは他でもない我が国の兵団が起こしてしまった弊害だ、心から謝罪するよ」


 蓮は首を横に振る。

 今、この二人の間にどんな意思疎通が行われたのかを知る術はない。

 クレアがいれば知ることもできただろうが、生憎とその彼女はいなかった。


「国王陛下、罪人を前に何笑ってんですか」

「ん? 罪人? 誰がだい、アルト」

「いつですよ! いつ! いつ以外にれもいねぇ!」


 頭文字が抜けた口調。

 ウォルトが興奮しているのがわかる。


 元々血の気も多く、沸点も低い人間だが、今回その沸点をより下げたのは他でもなく、蓮が翼龍の群れを逃がしたことだろうことは明白だった。


「れらの国を焼いたク龍をがしやがった! れら隊長か陛下のメーレーならいいが、よそものこいつがめていいことじゃねぇ! またいつらがそってくるかもしれね! の危険を狩るべきだたんだ! れはいつをるさねぇ……絶対に!」

「アルトさん、そんな言い方しなくても……邦牙さんのお陰で、この国は守られたんですから……」

「れとまえの二人でやりゃあ、んなク龍共ろせただろ?! そだ……つにてめの力借りるまでもかったんだよ! ちゅと半端な正義心でれらの国危険に晒してんじゃねよ!」


 ウォルトの怒りは、決して身勝手でもなんでもない。


 確かに愛する国を思えば、再び襲ってくるかもしれない翼龍を放してしまったのは致命的なミスと言えるかもしれない。

 やっと騒動を治め、その元凶を捕まえたと言うのに、みすみす逃したのは痛い失態とも言える。

 それを、王や戦闘部隊の隊長クラスが判断したのならまだいい。


 だが蓮は余所者。

 国を襲ってきたいわば襲撃者を、どうこうできる権限などありはしない。


 ウォルトが怒っているのは翼龍を逃がしたことよりも、実際その勝手な判断と行動によるところが大きい。

 その勝手で、国が再び危機に襲われるかもしれないのだから。


 だがその怒りを、王はまた静かで優しい声で治めた。


「まぁ待ちなさい、ウォルト・Dディーニュ・アルト。彼にも言い分があるんだ」

「言い分? 言い訳の間違いすよ陛下。こつはただ、ク龍に同情してがしやがったけすから」

「確かに、彼は翼龍らに同情した。が、それだけじゃなかったのさ。ねぇ、英雄くん」


 蓮は静かに頷く。

 それを見たウォルトはフンと鼻を鳴らし、意地悪に笑って見せた。


「何がるってんだよ、英雄気取り。てめの口から聞きてぇなぁあ?」


 蓮は首を横に振る。

 声を出せないことをまだ信じ切っていないウォルトは、何も言えないのだと嘲り笑おうとした

 

 ――が、それは王の言葉によって止められる。


「翼龍の群れが何故この国に飛んできたか。……逃げて来たんだ」

「げてきた? 翼龍はしんじゅですよ? つらに敵うつらなて、余程の――」

「その、神獣すら逃げ出す余程の奴が、こちらに来るのさ」


 ウォルトとアルフエは、思わず息を呑む。

 王はその事態を柔軟過ぎる姿勢で受け止めており、蓮は緊張すべき事態と腹を括っていた。


「英雄くんはその何かの様子を探るために、翼龍を飛ばしたんだよ。今翼龍の一体の視界が、彼の視界と繋がってる。彼は、この国を守る気だ」


 蓮は強く、そして確かに頷く。


 だがウォルトは強く歯を食いしばり、強く自分の脚を蹴った。

 イライラが最高潮に達したときの、彼の悪癖だ。そして叫ぶ。


「ぜだ! 何故てめが、この国を守る! てめにこの国を守る、理由なんてねだろ!」


 蓮は強くウォルトを見つめる。

 その目は実に真っすぐで、蓮に対して疑心の念しか持ち合わせていないウォルトですら、疑うことができないほど真っすぐだった。


 度々色を変える万華鏡の虹彩に、何かしらの魔力が籠っているのかとすら思うほどに、ウォルトは言い返す言葉が見つからない。


 蓮は何も言っていないが、事実、言っていた。


 守ることに、特別な理由が必要なのかと。


 何も言い返せるはずがなかった。そんな自己犠牲の美学でも片付けられない、自暴自棄ですらない英雄の理論に、口出しなどできるはずもなかった。


「そういうわけだよ、アルト。国を思ってくれる君の思いは実に心強いけれど、何も確認せず人を罪人呼ばわりはよくない」


 ウォルトは大きく舌を打ち、その場からいなくなる。


 プライドの高い彼が、貶していた人の前で恥をかかされていることなど耐えられるはずもない。

 実力は伴っていても、まだまだ若輩者というわけだ。


 それを知っている王はウォルトを止めず、代わりに入って来た銑十郎に声を掛けた。


「鸛くん、どうだったかな」

「はい、なんとか見つかりました。英雄殿に相応しく、城にも隊長室にも近い一等地。朝昼晩の三食に、二人のメイド付きとなっております」

「うん、ありがとう」

「あの、陛下……何を?」

「うん? いやね。英雄くんの今後の所在を決めようと思っていてね」


 アルフエの問いに、王はなんともぎこちない返答を返した。

 ほんの少しだけ濁されて、なんとも解釈が難しい。


 そんな様子のアルフエではなく、王は蓮に対して言葉をかける。


「さて英雄くん。アルトの言う罪は君にはない。が、この国の外壁を許可もなく無断で越えたのはいけないな。本来なら、一週間の懲役かある程度の罰則金を課すところなんだけど……この国を守ってくれた上、さらに守ろうとしてくれている英雄に、規則とはいえそれを強いるのはこの国の恥だ。そこで……」


「君にはしばらく、この国に滞在してもらう。いわゆる禁固刑という奴だね」


 蓮の表情が、明らかに変わる。

 そんなばかなと言いたげな、不安が混じった顔だった。


 王はレースの奥でほくそ笑んでいるのか、少し弾んだ声で蓮に問う。


「べつに、どこか行く当てがあるわけでもないんだろう? 君の目的が何かは知らないけれど、しかしを求めるのなら僕らと目標は同じだからね」


 蓮は、すかさず一歩後退する。

 そして自らのうちの力を溢れさせ、その余力で髪や羽織っている獣の皮をはためかせた。


 アルフエは突然蓮が敵意を見せたことに驚きを隠しきれなかったが、しかし今の王の話し方からして、警戒されても無理はないと悟る。


 この異能力世界。腹の内が見透かされる能力などいくらでもある。

 そしてそれは、とても強力な能力にカテゴリーされている。


 人の考えていることを理解し、それを情報として得られるのは実に驚異的だ。

 いくら厳重に守らているトップシークレットですら、ただの情報として流出する。


 故に人の意志を読み取れる、クレアのような能力者は大変貴重な人材。

 国も勢力を上げて守るほど。


 そしてその能力を持つ相手と対峙すれば、警戒するのは必至。

 その能力を持っているとわかれば、戦闘態勢に入ることもまた必至と言えた。


 故にその能力を持つ王は、もっと言葉を選ぶべきだったのだ。

 思えば初めに蓮の意思を読み取った時点で、蓮の警戒レベルはかなり上がっていたはずだ。


 王が意思を読めることを、前もって言っておくべきだった。

 迂闊だった。せっかくの恩人に、不快な思いを。

 アルフエの後悔は、そこに至る。


 だがこうなってしまって、一体なんと言えば蓮の警戒レベルを下げることができるのか、アルフエにはわからなかった。


 だが蓮に声を掛けるのは、その警戒レベルを引き上げている元凶となっている王だった。


「まぁまぁ、落ち着いてほしいな英雄くん。戦闘態勢まで解いてほしいなんて贅沢は言わないから……と、そもそもと呼ばれるのが嫌なご様子だね。しかし参った……僕は君を、なんと呼べばいいんだい?」

「こ、国王陛下……彼の名前は、邦牙蓮さんと――」

わかってるさ。ただそれは、

「それは、どういう……」

「そのままの意味だよ、アルフエ。邦牙蓮というのは誰かが彼に与えた仮名かりのな。彼は真の名を、自ら封印している。方法は僕にもわからない。だけど……」


 レースの奥の王の表情が、見えることはない。

 しかしながら、アルフエは直前の王の声色で想像した。王が、彼を憐れんだ瞬間を。


「まぁいい。今は問わない。いつか君が声を取り戻し、話す気になってくれたときに訊こう。今は君の処遇の話だ。鸛くん」

「はい。邦牙殿、こちらを」


 銑十郎が手渡したのは、三本の鍵。

 一本がオリジナルで、残りの二本はスペアキーらしい。

 蓮が首を傾げると、銑十郎はさらに紙を手渡した。

 そこには上の方に大きく、移住契約書と書かれているのだが、蓮にはそれが読めなかった。


「移住契約書です。文字の読み書きができないとのことですので、ここに拇印ぼいんだけお願いします。あとはこちらで記述しておきますので、どうぞお気になさらず」


 移住と聞いて、蓮はどういうことだと王を睨む。

 絶えず色を変える万華鏡の虹彩が、蓮の怒りと疑心を反射して赤く変わった。


「君を拘留するのも、罰則金を取るのも僕らの正義に反する。だが、君を例外とするわけにもいかない。言っただろう? 禁固刑だって。君には、この国にいてもらうよ。これから、しばらく」


 蓮の能力が浮力となって現出し、髪と皮をはためかせ続ける。目の前にいる銑十郎と王は怯むことなく、蓮と真っすぐ対峙していた。


 すると蓮は徐々に自らの力を抑え、そして王の寛大な処置に感謝するように片膝をつき、こうべを垂れた。

 だが屈服はしていない。そのことはすぐさま上げた目の色を見れば、明白だった。色は青だ。


 それをやはり見ている王は、またそのレースの奥で口角を持ち上げたのではないかと、アルフエは想像させられた。

 王の顔は絶えずレースの奥だが、王の声色が、実に彼の感情を表す。


「理解してくれてありがとう。僕らも君のために、できる限りのことをしよう。君がこの国を救うごとに、僕らは君に助力すると約束するよ」


 なんとも、意地悪な王だろう。


 国民によって選出された王であるが、姿どころか顔すら見せない謎の王。

 声も中性的で掴みどころがなく、やはり謎。

 自身の正体を誰にも掴ませず、誰にも教えず、他人の心には入り込む。

 意思を読み取り、自身と相手の中に同じ目的、目標があればそこに漬け込み、それを利用する。


 まったくもって意地悪――いや、酷い人だ。


 その思考のすべてが、国を思っているからこそいいが、これがもし私利私欲に傾けば――そんな恐怖をそそる予測を、せずにはいられない。


 そんな王との謁見を終え、蓮はアルフエと別れ、銑十郎に連れられて自分の家に辿り着く。


 家と呼ぶには大き過ぎる豪邸で、三階建ての白い外観。

 中もまた豪勢で、中央の階段といい両脇の甲冑といい、なんだか貴族の別荘のようである。


「ここは元々、陛下とも面識あるとある貴族の家だったのですが、先日全員謎の失踪を遂げまして……以来、誰も使っておりません。あぁ大丈夫ですよ、定期的に掃除もしていますので」


 蓮も、王の性格を理解し始めていた。


 英雄くんと呼んでいた人に対して、持ち主が謎の失踪を遂げた家を明け渡すとは。

 銑十郎が選んだと言うが、しかしなんだかすべて王の計らいのような気がして仕方ない。


「「お帰りなさいませ(!)ご主人様(!)」」


 突如階段を駆け下りて来た、二人の少女。

 その姿はメイド服で飾られており、ほとんど同じ容姿をしていた。

 いわゆる一卵性双生児という奴だろう。

 大きく違うのは髪の色と瞳の色。そしてつけている髪留めだった。


 赤い髪に蒼い瞳、横髪を留めるのは金色の翼を模した髪留めをした少女。

 青い髪に紅い瞳、横髪を留めるのは銀色の龍の爪を模した髪留めをした少女。


 二人は互いに蓮に頭を下げ、実に健気で活力ある笑顔を見せてくれた。

 外見から、年齢はまだ子供に近いと思われる。


「私はステラ・シューティングスター!」

「私はコメット・シューティングスター」

「国王陛下の命により!」

「ご主人様のお世話をさせていただきます」

「「どうぞよろしくお願いします(!)」」


 赤い髪の少女ステラと、青い髪の少女コメット。

 二人がまた、小さな頭を下げる。


 この場所を王に紹介したとき、銑十郎もメイドが二人と言っていたが、まさか失踪した貴族関連の何かなのだろうか。


 銑十郎に、思い切り疑いの目を向ける。

 すると銑十郎は清々しいほどの笑顔で応えた。


「ご心配なく。彼女達は貴族失踪事件とは関係ありません。普段は城の雑務をこなしているのですが、今日から英雄殿専属となりました。是非こき使ってやってください」


 こき使ってやれとは酷なことを言う。

 二人に視線をやれば、是非ともと言わんばかりに目を輝かせているのだが、なんだか申し訳なく感じてしまった。


「二人には、英雄殿が喋れないことも文字の読み書きもできないことも言ってあります。生憎と、二人は意思疎通のための能力を持ってはおりませんが、英雄殿にはこれより文字の読み書きを学んでいただく所存です」


(それも、王の命令ということか?)


「はい、もちろん」


 銑十郎もその手の能力者なのか、蓮の意思を簡単に読み取ってくる。

 ならばもう驚かないから、その手の能力者に世話を頼みたいものだが。


「生憎と、元々メイドにその手の能力の有無を求めておりませんので……ご了承ください」


 また読み取られた。気分が悪い。


「ご主人様!」


 ステラが蓮の羽織っている皮を引き、顔を向けさせる。

 そこには何か期待しているかのような、彼女の眩い目が合った。


「ご主人様! そんな皮一枚では風邪を引いてしまわれます! お風呂の支度はできておりますので、どうぞお入りください!」

「すぐに食事も準備します。どうぞごゆっくり」


 そう言われ、引かれるままに大浴場へと赴き皮を脱がされそうになる。

 だが生憎と体が引かれるほどやせ細っているので見られるまえになんとか振り払い、そして食事も自分のはいらないとジェスチャーで伝えることに成功した。


 何か月――いや何年ぶりかの入浴。

 湯の熱が体に沁み渡り、疲れの溜まった体をほぐしていく。

 これを極楽と呼ぶ者もそう少なくはない感覚の中、蓮はまるで違う思考回路をしていた。


 気持ちよくないわけではない。

 ただこれだけの疲労を体に溜め、それを今癒していること。

 それに思うところがある。


 それは、人から見れば罪悪感と呼ばれるものだということを、蓮はまだ知らなかったのである。

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