彼は無口で感情豊か

 キャメロニアの警察組織、名をアストラピ。


 白銀の王国に光を与える、光明アストラピの名を与えられた組織である。アルフエによって預けられた青年を、一時収監している組織だ。


 収監と言っても牢に入れられているわけではなく、未だ取調室で取調を受けているのだが、担当する警官達は苦戦していた。


「何も聞けない、ですか?」


 青年を預けてから四時間後。

 仮眠を取ったアルフエは、青年を預けたアストラピの小さな支部に迎えに来ていた。


 ちなみに国の自衛軍である戦闘部隊と密接に関係する警察組織の人間は無論、隊長が変わったことも誰になったかも知っている。


 青年の取調を担当していた警官はまだ若い男なのだが、この短時間で随分やつれていた。


「彼、何も喋らない……というか、喋れないんですよ。先ほど医務係を呼んで診てもらったんですが、喉に深い傷があって、おそらく声帯が傷付いているのだと。そのせいで声が出せず……」

「そ、そうなんですね……筆談は試みましたか?」


 警官は吐息交じりに首を横に振る。

 首を振らずとも、その顔で返事を悟った。

「それがどうやら文字の読み書きができないらしく……ペンを渡しても、書くという行為すらしようとしませんでした」

「そ、そうですか……」

「この文明社会で今まで生きていたのが不思議なくらいで……そうだ、不思議と言えば、医者も言ってましたよ。生きてるのが不思議だって」

「喉の傷、そんなに深かったのですか?」

「確かにその傷も致命傷だったんですけど、それじゃなくて……」


 警官は周囲を見渡して人がいないのを確認すると、アルフエに耳を貸すよう促してから耳打ちする程度の声で囁いた。


「彼が着てた皮、脱がせたらもうガリッガリで……衝撃的過ぎて、一緒にいた女性の先輩が引いちゃって……さっきからもう顔真っ青なんですよ」


 警官の指差す方で、グッタリと項垂うなだれている女性警官。

 彼女の目は、まるで見てはいけないものを凝視してしまったかのように――いや実際、見てしまったのだが――酷く血走り、全身には脂汗を掻いていた。


 その様を見て、アルフエは思わず込み上げて来た一縷の恐怖心を唾と共に飲み込む。


「人生で何も食ってないくらいガリガリだったんで、とりあえずさっき医者が点滴打ちました。今は取調室で寝かせてます」

「わかりました。彼の身柄は、一度私が預かりましょう。私も、彼とお話ししたいので」

「ですが、まだ取り調べが……それに、彼は喉を切ってて会話なんて――」

「構わないわ、連れて行きなさい」


 支部全体に響き渡る、ハイヒールの音。


 それを聞いた警察署職員全員が仕事の手を止め、廊下の両脇に整列する。

 これから本部へ帰還する、彼女の見送りのためだ。


 アストラピの制服は上下シンプルなものなのだが、彼女はそれを勝手に改造している。

 女性なら普通は紺のミニスカートなのだが、彼女は大きなスリットが入ったロングスカートにしていて、そこから黒いニーソックスを履いた美脚を出している。

 普通はシャツも青なのだが、しかし彼女が来ているのは白いシャツ。

 さらに青の上着も彼女のはどちらかというと水色で、それも袖に通さず腰に巻いて縛っていた。

 大きな胸部のせいでボタンを閉めるのが億劫なのか胸元のボタンを大きく開けていて、そこから見える白肌の谷間が異性の目のやり場を困らせていた。


 彼女が現在のアストラピのトップ。

 名をクレア・ランス・ケリー。

 見た目二〇代、見る人が見れば十代にすら見える美貌と若々しさを持つ女性である。


 ちなみに実年齢は四九歳だ。


「クレア教官……」

「久し振りね、アルフエ。でも今の私は教官でなくて、アストラピ総督よ」

「は、はいすみません……クレア総督」


 大きな歳の差はあるが、二人は仲のいい間柄だ。

 昔は家族ぐるみでの付き合いもあったし、つい三週間前までは教官と教え子の関係だった。


 アルフエもまた、元はアストラピの所属だったのである。


 クレアのモデル体型は、一見十頭身はあるかと思うほど背が高い。

 さらにそんな彼女がハイヒールを履いているので、平均身長よりも高い背のアルフエもクレアを見上げる形になっていた。


 クレアがアルフエの肩を掴み、その瞳を凝視する。

 アルフエの青色の双眸を見つめたクレアの双眸もまた、グレーホワイトから青へと変化した。


「うんうん、たった三週間でも、充実してたみたいね。Eエレメントがとても充実してるのが見えるわ」

「ありがとうございます。ところで、総督はどうしてここに? わざわざ赴くなんて……」

「あなたが連れて来たボーイフレンドを見に来たのよ。例の英雄倒したの、彼って言うじゃない?」

「ぼ、ボーイフレンドじゃ……!」

「わかってるわかってる。で、彼のことなんだけど……」


 ▽ ▽ ▽


 眠いなんて思ったのは、いつ以来だろう。

 あのときは、眠ってはいけないと思っていた。

 眠る暇も食事する暇も、何かを強請る暇も何もかもを削って、何も願わず祈らず願うしかなかった。


 繰り返すようだが、決して人間としての三大欲求を失ってはいない。

 お腹は減るし眠たいし、綺麗な女性を見れば何かしらを思う。

 今さっき自分を見に来た人も、とても美人だったと思う。


 だがそれでも何も求めない。

 何も願わない。

 ただひたすら、自分の願いが叶うことを祈るのみ、願うのみだ。


 だから今、ここで寝るわけにはいかない。

 取り調べも済んだようだし、今この時間が自由ならば、ひたすら祈ろう。


 自身の願いの成就を、懇願の成立を。


 ただひたすら、願いを込めて。


れんさん」


 不意に、名乗っていないはずの名を呼ばれて青年――蓮は驚く。

 教えてもいない人間にいきなり下の名を呼ばれるのはとてつもない不信感と警戒心を生むことであるが、それは蓮も同じだった。

 自分を呼んだ銀髪少女、アルフエに警戒の眼差しを向ける。


 それを受けたアルフエは、つい下の名前で呼んでしまったことを後悔した。

 出身国が違うために起きる、文化の違いという奴である。


「ご、ごめんなさい……その、先ほどこちらに金髪の女性が来ましたよね? あの方のEエレメントアザーで、系統は透視クレィヴォアンスなんです。あの人のは、生物ならその感情や記憶を見ることができるので、あなたの――邦牙ほうが蓮さんの名前だけを見させていただいたそうです」


 そう訊いて、蓮はおもむろに警戒心を抱いた眼差しを止める。

 という部分をまだ疑っているようだが、しかしアルフエが嘘を言っていないことを見破って静かに頷いた。


「ごめんなさい、勝手な真似をして……でも、名前がわからないと色々不便だったので……大丈夫ですよ? クレアさんはとても優秀な能力者です。見るものを名前だけにすることは問題なくできますから」


 そうは言うものの、その本人がいないので信用もし難い――そんな表情だ。

 喉を切っているせいで蓮は無口だが、意外と感情表現は豊かだ。

 仕草や表情が彼の心の内を表している。


「あなたも、能力者ですよね? 睡眠スリープを使っていたから、Eエレメントダークですか? ガイアアクアファイアウインドライトダークアザービーストサモン、九つの内で一番攻撃力がある属性だと聞きますが、睡眠スリープとはとても平和的でいいと思います。あ、えっと……」


 アルフエは急に俯き、言葉を詰まらせる。

 その顔は恥ずかしいのか赤面で、蓮の隣に座って上目遣いで見つめきた。

 さすがに、これには蓮も警戒を解かざるを得ない。


「ごめんなさい、上から目線で……あの、あまり信じてはもらえないとは思うんですけど……わ、私……その、全属性持ってるんです」


「人間、Eエレメントは基本持っていても三属性です。さらにその力を発現するとなると、一つか二つに絞るのが妥当でしょう。ですが私は生まれながらに八つすべての属性を持ち、ある人の教えですべてを発現できるようにしました。なので、知る人は私のことを呼ぶんです……Eエレメントオールのアルフエって」


 アルフエの言う通り、すべての属性を生まれ持ち、さらにそれらすべてを能力として発現できることは凄いことだ。

 才能と言ってもいい。

 だがアルフエの顔は、まるでそれを疎ましくとでも思っているかのような表情だった。

 話題としては自慢していいものだが、しかしアルフエはまるで自慢ともなんとも思えていない顔だ。


Eエレメントオールなんて……聞こえはいいですけど……戦闘部隊の隊長となる際、隊長として相応しいかどうかを計る試験があるんです。当然私も受けました。ですが用意された相手はとても強く、能力を発現しなくては私は勝てなかった、隊長になれなかった……だから使い、そして見事合格しました」


「なのにそのとき、私が周囲から向けられたのは畏怖と恐怖が流混るこんした視線だけでした。そして私は、対戦相手からこう呼ばれたのです――」


「怪物、と……」


 俯くアルフエの体には力はない。

 蓮に警戒心を解いてもらうつもりが、いつの間にか話が脱線して自らを貶めていることに気付けずにいた。


「確かに、私は怪物なのかもしれません。すべての属性の能力を発現できる私は、普通ではありません……なので、そう言われるのも当然かもしれませんね、すみません、変なことを話してしまって――」


 蓮の手が、アルフエの頭の上に置かれる。

 そしてその小さな頭を揺らすように、おもむろに撫でた。


 アルフエの暗くなっていた顔が、一瞬で沸点を越えて赤くなる。


 熱が籠った顔を上げると、蓮は心配そうに首を傾げた。


 思えば、今の話に出て来たのは目の前の自分。

 相手を安心させるどころか、怖がらせてしまっていたということにようやく気付く。


 しかしながら、その話を聞いていたのも只者ではない。

 何せ一国の英雄を戦闘不能にしてしまうほどの能力者かつ実力者だ。

 目の前の怪物少女など、可愛い方なのかもしれない。


 蓮はとても心配そうな目でアルフエを見つめ、手櫛を銀の流線に絡めて梳かし、頭を撫で下ろした。


 アルフエは、硬直に陥る。

 異性に頭を撫でられた経験がなかったために、こういうときにどうすればいいのかがわからなかった。

 故にまた深く俯き、蓮の手に黙って撫でられる。


 だがそんなアルフエも、次の瞬間に鳴り響いた警報を聞きつけると、すぐさまに顔を上げた。


 蓮を連れて、外へ飛び出す。

 そこには支部の職員全員に直接指示を飛ばす、クレアの姿があった。


「クレア総督! 何があったんですか!」

「ここに、翼龍の群れが飛んできているらしいの」

「翼龍の群れ? 何故こんなところに……生息地から、ずっと離れているはずですが」

「わからないけれど、龍の群れなんて街に入ったら大変よ。すぐに対処しないと」


 クレアの手に力が収束し、光となって可視化する。

 その光が地面に注がれると陣を描き、光束を上げるとその中から純白の白馬を出現させた。


 Eエレメントサモンによる契約獣の召喚だ。

 二メートル以上の高さにある鞍に、クレアは悠々と跨り手綱を握る。


「私はこれから本部に行って、国民に注意を呼び掛けるわ」

「わ、私は……」

「あなたも部隊に戻って、陛下から出撃要請を待って。多分あなたの十番隊か、特攻の四番隊に呼びかけがあるはずよ」


 クレアはアストラピの総督という立場の人間であって、戦闘部隊の人間ではない。

 しかしそれでも彼女が隊長であるはずのアルフエに指示をしているのは、乗り越えて来た場数と経験値の圧倒的差から。


 さらに二人は元々上司と部下の関係。

 教官と教え子という関係だ。


 そしてさらに過去を遡れば、クレアにとってはアルフエは友人の娘。

 部下でなくたって、そこは結局変わらない。


 故にクレアとしてはまだまだ未熟な子が心配であるが故に自然と口を出してしまったわけである。

 突然の事態に対応し切れず、オロオロしているアルフエを放ってはおけなかったのだ。


 そしてその指示は的確に、アルフエの側にいた心配顔の蓮にも飛ぶ。


「あなたはここにいなさい。悪いけど、牢屋の中にいれば龍の攻撃も届かない」

「蓮さん――じゃなかった、邦牙さん。クレアさんの言う通りにして頂けますか? 大丈夫です、牢屋の強度は、私も保障しますから」


 しかし蓮は、まだ心配そうな顔だ。

 繰り返しアルフエが牢屋の安全性を保障しようとすると、蓮の手はアルフエの頭に置かれ、そしてまた梳くように撫で始めた。


 アルフエの顔が徐々に、しかしながらあっという間に赤くなる。

 だがクレアに咳払いされるとすぐに我を取り戻し、頭を振るってその場から逃れた。


「だ、大丈夫ですよ、私は。これでもその……この国の自衛軍の隊長の一人ですから!」


 元気溌剌、とまではいかないが、明るく振る舞って見せる。

 しかしそれでも、蓮の不安そうな顔は消えない。

 何か言ってやりたいが、声を出せないことに歯がゆさを感じているかのようだったが、アルフエは気付けずにいた。


「さぁ、二人共早く――」


 次に続くクレアの言葉は、聞き取れなかった。

 それは二人が不注意だったからではない。

 横から耳をつんざく龍の咆哮が、群衆として現れたからである。


 翼龍の群れが、高さ四五メートルの壁を飛び越えて侵入してくる。


 群れと言ってもたったの四頭。

 しかしそれでも、獣ながらにEエレメントによる能力を発現させる神獣が四頭も侵入すれば、一種の災害と化すだろう。


 翼龍はそれぞれ別の方に向かい、比較的大きな家や教会の屋根に止まる。


 翼を広げて咆哮をすれば、人間達が逃げていく。

 能力も何もまだ使っていないのに、すでに災害となっていた。


「ほら、二人共――?!」


 凄まじい突風が、二人の目の前を駆け抜ける。

 それが蓮だと気付いたときには、すでに蓮は一体の翼龍へと肉薄していた。


 教会の屋根の上で咆哮する翼龍は、蓮に気付いて碧眼で睨む。

 瞬間に色を変える蓮の万華鏡のような虹彩に見つめられると、口の中に灼熱を溜め込んで吐き出そうとした。


 が、蓮の右手がおもむろに翳されると、翼龍は口を閉じ、その口の中で炎を炸裂させてしまった。

 さすがの翼龍も、なんの防壁も敷かれていない口の中で灼熱が炸裂し、その場で力尽きる。


 屋根から滑り落ちて落下した翼龍に飛び乗ると、蓮はその頭に指から出る炎で刻印を焼き描いた。 


 それは、契約の証。

 能力者と獣との間で交わされる、主従契約だった。


 蓮がその頭を叩くと気絶したばかりの翼龍が跳ね起きて、翼を広げて飛翔する。

 そして蓮が頭を軽く叩くと、それを合図に他の翼龍目掛けて突進した。

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