ちょこちょこ日記

汐凛

第1話 なんでだ

  ある冬の朝、七時四十分。玄関の外に出ると、空気があまりにも冷たく、うまく息ができなかった。

「いってきまーす。」

いつも通り、弟と家を出た。


耳に寒さを感じながら、マンションの階段を二人で降りた。

「今日は雪が積もっちょうけん、気をつけんといけんよ。はしゃいでこけんようにね。」

お姉ちゃんぶっているが、はしゃぎたいのは本当は自分の方なのだ。雪と聞くとテンションが上がるからか、いつもよりも体が軽く感じた。


マンションの下では、集団登校のメンバーが待っていた。みんな近所に住んでいる子たちで、学年はばらばらだ。

「おはよー。お待たせ。今日は寒いね。」

私が声をかけるとこちらに目を向けた子たちも、何も言わず黙っている。寒い中で待たせたから怒らせてしまったのだろうか。

よく見ると、まだ全員がそろっているわけではないらしい。


全員がそろうまでそれからしばらく待った。この寒さの中、外で待たされると腹立たしくも感じる。なるほど、みんな怒っていたわけだ。ようやく二人姉妹が合流した頃には、すっかり頬の感覚がなくなってしまっていた。

「じゃあ、行こっか。」


  私が歩き始めると、みんながぞろぞろと後ろに続いた。六年生の私は、この登校班の班長だ。周囲に気を配り、班員を守りながら先頭を歩いた。

途中、コイン精米機の前で雪合戦をしていた男の子二人を拾い、学校へ向かった。


「横断歩道の白いとこは滑りやすいけん気をつけて。」

班長らしいことを言ってみる。


踏切の近くまで来るとちょうど遮断器が降りてきた。電車が一本通過するのを待ち、また歩き始める。

「踏切は滑りやすいけん気をつけて。」


視界の先に、陸橋が見えてきた。今日はなんだかいつもと景色が違う。

陸橋の上にも、下にも、小学生の長蛇の列ができていた。よく見ると、階段に雪が積もり、陸橋が巨大な氷の斜面と化している。みんな、ここを登るのに苦労しているらしい。

ああ、今年も来たか、と私の心は密かに踊った。


登下校のときは陸橋を渡りなさい、と先生からいつもきつく言われている。学校が決めたルールに、いつもなら憂鬱だったが、今日は全く違っていた。

私たちは、突如として現れたこの天然のアスレチックに挑みたくて仕方がなくなっていたのだ。まるで遊園地の入場列に並んでいるかのようだった。ワクワクしながら、まだかまだかと順番が来るのを待った。


陸橋の目の前に立つと、気分がたかぶってきた。

「滑りやすいけん、気をつけて。」

また、班長ぶってみる。

左側の手すりを両手で持った。その手に力を込め、少しずつ、手の力で陸橋を登っていく。もしも手が滑って落ちたら、運が悪いと死ぬのだろうか。想像するほどに、寒気がしてくる。でもその恐ろしさが、より私を興奮させるのだった。


一心不乱に登り続けると、あっという間に頂上に到達した。思ったより時間がかからなかった。昨日早く寝たからだろうか、今日はいつもより調子が良かった。

班のみんなが登りきるまで上で待つことにした。ときどき向けられる不安そうな視線に、私は「がんばれー」と声をかけた。


一人の脱落者もなく、班員が頂上に集まった。まだ低い日の光が美しく感じる。

しかし喜びを分かち合う間もなく、すぐに反対側の階段へ向かった。


「降りるときは滑りやすいけん気をつけて。」

階段の前に立って、また班長らしく声をかけた。

左側の手すりに両手をかけた。体だけ前に滑っていかないように、手の力で支えながらゆっくりと降りていく。登る時のような高揚感はなく、なんだか寂しくて名残惜しかった。帰る頃にはもう、雪も溶けてしまっているのだろうか。


その時、班員の男の子が一人、体勢を崩してしまった。そのまま私を抜かし、お尻で下まで滑っていった。

「だいじょーぶー?!」

班長らしく叫びながら、急いで降りた。男の子はけろっとしていて、一人で大笑いし始めた。私はほっとして、つられて笑っていた。


どうにか全員無事にアスレチックをクリアすることができた。隊列を組み直し、学校までの最後の一本道を歩き始める。

私は達成感に満ち溢れていた。今までこんなに軽やかに通学できたことがあっただろうか。


  清々しい気持ちで歩いていると、いつの間にか裏門に到着した。雪の積もった校庭に足を踏み入れた。まだ踏まれていない雪を探しては踏み、凍った水たまりを見つけては全部割って歩いた。

生徒用玄関は、雪でぐちゃぐちゃになっていて、私たちは滑らないように気をつけて歩いた。それぞれの下駄箱へ向かい、登校班は解散した。


靴を履き替えると、私は三階まで一気に駆け上がった。

いつもよりも身軽で、爽やかな気分だった。


私は上機嫌のまま教室に入った。とても暖かかった。

「おはよー。」

いつもよりちょっと元気に挨拶しすぎただろうか、怪訝そうな顔でこちらをみる男子がいた。


教室の窓側の、一番後ろの席まで歩いた。

席の前で、ランドセルの肩ベルトに手をかける。

スルッ。

いつもの感触がない。

「あれっ?」

肩ベルトに手をかける。

スルッ。

「あれっ??」


突然、体の中に冷たいものが湧き上がる感覚がして、慌てて教室を飛び出した。

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