第10話 人の不幸のうえに成り立っている 3

数週間後、僕は見事に成功例報告者として表彰された。 その数日後、後輩の藤田が近寄ってきてこう言った。 「田中さん、中島係長が『田中の成功例表彰、俺が田中の報告書に少し色を 付けて出してたんだ。俺が取らせたようなものだな』って言ってましたよ。 ホント嫌なやつですねえ。そんなこと、言いますかねえ。信じられません よ」 あの人のことだから陰で何か言っているだろうと想像していたが、まさか そこまで言っているとは、はなはだ呆れてしまう。


「あ〜疲れる! 日報ってホント疲れますよね」 日報を書きながら僕がつぶやいた。 「上司に報告しなければと思って日報を書いていると、そりゃ疲れるわ」 「じゃ、疲れないようにするにはどうすればいいんです?」 「今日一日の行動を振り返るつもりで書くんや。でも反省のためだけに書い ていたらやっぱり疲れるわな。そうやなくて、今日はこんなことができたと か、今日一日の良かったところを見つけるようにするんや。そして、明日は こうすればもっと良くなると思いながら書くと、日報が楽しくなるで」 「でも課長のコメントは、あれができていない、これができていないって悪 いとこ探しばかりですよ」 「そんなコメント、さっさと読んで忘れろ。こんな言葉があるの知ってる か? 〝気分のいい部下は良い仕事をする〟」

「知りませんけど、分かります。気分がいい時は仕事も楽しいですからね」

「そうやろ。好きこそ物の上手なれ、っていうやろ。あれだよ、あれ。徹、できそうか?」

僕は黙ってうなずいた。

「自信のほどは?」

「震度6くらいですかね」

太郎さんが固まっている。

「おい、徹。おれが変温動物ってこと忘れたんか? そんな寒いギャグ言わ

れると動けなくなるやろ」

太郎さんはしばらく固まったままだった。

「今の、なかなかいけた洒落だと思うんですが」

「徹のギャグのレベルは低いなあ。そんなので笑いが取れるとでも思ってんのか?」

「いいんです! 笑いなんか取れなくても」

「MRの格言に〝処方は取れなくても、笑いの取れるMRになれ〟っていうのがあるの知らんか?」

「初めて聞きましたよ、そんなの」

「そりゃそうだろ。俺の格言だから。ドクターはいつも薬の情報がほしいわけじゃないやろ。時には、気分転換したい時なんかもあるわけや。そんな時にドクターが笑えるようなことが言えるMRは重宝されるんやで」

確かに、疲れているドクターに薬の宣伝をするのは気まずいし、たとえ宣伝しても効果はないように思える。笑いを取るかあ。でも、どうしたら笑いのセンスってつくんだろう。


今日は、ドクターと食事だ。俗に言う〝接待〟だ。別にこちらから誘ったわけではない。ドクターから依頼があったのだ。

「あ〜なんか気が進まないなあ。ドクターって給料いいでしょう。美味しい

もの食べたかったら自分で行けばいいのに」

「ドクターをそんなふうにしてしまったのは、メーカーやぞ。メーカーが接待をするからドクターの感覚が狂ってしまったんや。でも、昔に比べたらかわいいもんやけどな」

「メーカーにたかってストレス発散しているんですかね」

「そうかもな。あと、自分のお金では食べられない高いものを食べたいとか。

昔なんか、2次会で高級クラブとかに行ってたんやで。それがステータスなんだって。でもステータスって自分のお金を使って初めてステータスって言うんじゃないかと思ってたけどなあ」

「そう考えると、なんか哀れですね」

「そうやなあ。〝他人の振り見て我が振り直せ〟っていうやろ。徹はそうな らないようにしたらええんや」

課長から、「今月、あと 例使ってほしいとお願いするんだぞ」と言われ ている。 しかし、僕はそう言うつもりはない。なぜなら、接待で処方を買うような ことはしたくないからだ。だから、「いつも薬を使ってくれているお礼に一 席設けさせていただきました」と言うつもりだ。

接待は無事に終了した。ドクターは上機嫌で帰っていった。もちろん帰り のタクシー代はこちら持ちだ。 接待中、「いつも薬を使ってくれているお礼に一席設けさせていただきま した」と言おうか、「今後もっと処方をお願いしたくて一席設けさせていただきました」と言うか悩んだが、結局、前者にした。自分の信念を曲げたくなかったからだ。

月曜日、課長には課長が言ったとおりにお願いしたことにしよう。

少し酔って帰ると、太郎さんの姿が見えない。

「徹、酔っ払ってるね。接待は無事終わったんか?」

上のほうから声がする。声の方向を見ると、太郎さんがカーテンレールに絡まっている。

「そんなとこで何してるんですか?」

「運動不足解消のためや。たまには運動せんとな」

そう言いながら太郎さんはカーテンレールから降りてきた。

「で、接待は無事終わったんか?」

「ええ、無難に終わりました。酔った勢いで、うちの製品使うからって言ってくれましたよ」

「でも、そんなので処方が決まるって患者さんは知らんやろうなあ。まあどの薬使っても大差ない時に、接待されたからとかで処方されるんやから、患者さんには大きな害はないやろうけど」

「そうですよね。接待されたってことで、本来一番効果のある薬が選ばれないってことがないとは言いきれないのが恐いですね」

「そうやなあ。あとはドクターの良心に任せるしかないな」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る