第9話 人の不幸のうえに成り立っている 2

2軒目の病院は精神科の開業医だ。この医院は、うつ病治療薬の売り上げ

が、大幅にアップしている。 いろいろな患者さんが座って診察を待っている。 そわそわして落ち着かない人、「統合失調症」か? あそこでコーラを持っている、身なりがだらしない患者さんは間違いなく

「統合失調症」だろうな。良くなるといいのに。 手首に多くの傷跡がある女性、「境界型人格障害」俗に言うボーダーライ ンの患者さんだろう。

元気がなく無表情の婦人、うつ病だろうか。 ひとり、全く病気に見えない患者さん(?)がいる。うつの患者さんで、 薬で元気になった患者さんだろうか? うちの薬で良くなったのならいいの になあ。

そんなことを考えながらドクターとの面談を待っていた。

すべての患者さんの診察が終わると、

「セントラルファーマさん」

やっと呼ばれ、ドクターと面談ができた。

ドクターに自社製品の特長を改めて紹介し、面談を終えて医院を出た。

「なんかあっさりしてたな」

「ええ、ここは調子いいんですよ。最近うつの人って増えているでしょう。それで、うちの抗うつ剤もよく売れているんですよ」

僕は少し上機嫌で言った。

「お前、うつの患者が増えて喜んでんのか?」

「いや、別に患者さんが増えて喜んでいるわけじゃないですが......」

「今、うつの患者が増えたから売り上げが上がった、って言ったやんけ!

ええか徹、極端な言い方をすれば、医薬品業界ってのは人の不幸のうえに成り立っているんや。みんなが健康で病気になれへんかったら、医薬品業界は存在せ〜へんのやで」

「でも、患者さんが増えたから売り上げが上がったのは事実ですよ」

「心の中で〝患者がもっと増えろ〟って願ってへんか?」

少し考えてから、

「正直言って、もっと増えたらいいなって思っていました」

と答えた。

「それって、不幸な人が増えることを願っていることにならへんか?」 「そうですが......」

「営業マンだから、売り上げが増えたのを喜ぶのは当然だが、患者が増えた ことを喜ぶのは間違っていると思うな。矛盾するけど」

「そうですね。患者さんが増えて喜ぶってのはよくないですね。気を付けま す。でも、どうして太郎さんはそういうふうに思うようになったのですか?」

「むかしプロパーって呼ばれてたころ、俺は抗がん剤の営業をしてたんや。 数字に追われててなあ。医局にオペ(手術)の予定表(オペ表)というのが あって、そこにがん患者の名前とがんの種類、ステージ(進行度)、術式、 主治医の名が書いてあったんや。ちっさな病院でな、あんまりがんのオペな かったんや。そこに久しぶりにがんのオペが入ったんや。それを見て俺は思 わずガッツポーズをしたよ。この患者に使ってもらおう、ってな」 太郎さんはここまで言うとひと息ついた。

「けど、ふと俺はなんて恐ろしいことを考えてるんだろう、って思ったんや。 だって、当時がんて言うたら、死の病やからな。俺はこれから死ぬ可能性の 高い人が来たことを喜んでたんや。恐ろしくないか?」

「ええ」

「それからオペ表を見ないことにしたんや。見ると、どうしてもそこに書かれている患者に使ってもらおうと考えてしまうからなあ」

僕は反省していた。うつの患者さんが増えて喜んでいたからだ。

「製薬会社ってのは、人の不幸のうえに成り立っているんや。そのことを忘れたらあかんで」

「はい」


会社に戻って日報を書いていると、

「おーい、田中。先月の平成病院での成功、成功例として報告するから、簡単にポイントまとめてメールで送ってくれるか?」

フロア全体に聞こえるくらいの大声で係長が僕に言った。

「はい、分かりました」

「面倒だけど、こういう事の積み重ねでプロセス評価が上がるからな。お前の報告に俺がコメントを書いて課長に提出しておくから。お前のためだからな!」

「ありがとうございます」

(俺のため? よく言うよ。自分のためだろうが! このパフォーマンス野

郎が)

僕は心の中で叫んだ。

「あなたのためだから」

テレビのコマーシャルだ。

「お〜い、徹。このコマーシャル、おまえんとこの係長と同じこと言ってるで」

太郎さんがテレビの前で叫んでいる。

「嫌なこと思い出させないでくださいよ」

「ええやんけ、徹のポイント上がるんやろう」

「でもあの人、僕のこと思ってやっているんじゃないですから」

「そんなこと気にせ〜へんかったらええやんけ。自分に都合ええように考えれば楽やで。気にしない、気にしない」

「そうなんですけどねえ......」

「気にしないを超えて、気にならないってなれば最高やな。あっ、まさみちゃ〜ん」

長澤まさみがテレビでインタビューを受けている。

「長澤さんは、苦手なものってありますか?」

「私、ヘビが大の苦手なんです。見るだけで鳥肌が立ってくるんですよ」

長澤まさみが両手を前に組んで寒そうな仕草をした。

「......」

「太郎さん、自分に都合のいいように考えればいいんでしょう」

僕は笑いながらたずねた。

「嫌い嫌いも好きのうち、って言うやんけ」

太郎さんは力なく答え、仰向けに倒れた。

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