人の行動の基

第2話 人の行動の基1

──ジャー。

「あ〜すっきりした」

太郎さんがトイレから出てきた。

「おはよう! 徹」

「おはようございます。トイレ使えるんですね」

「流すのは簡単やけど、するのが大変なんや」

「ところで、僕、会社に行きますけど、太郎さんどうします」

「ここにいるよ。安全やしね。ところで徹、朝飯食ったか?」

「食べてないです」

「ダメだぞ、朝飯ぬいちゃ。エンジンがかかるのが遅くなるで」

「そうですね。いつも午前中は、なんか気合いが入らないのは、そのためですかね。でももう習慣になってしまってますから、胃が朝飯を受け付けないんですよ」

「今の若いやつには、徹のようなやつが多いんや。胃が朝飯を受け付けんようになってたら、まず、牛乳や野菜ジュースだけでもいいから、少し何かいれろや」

朝から説教されると気分が悪い。でも、反論するのも面倒だったので、

「そうですね。途中のコンビニで朝飯買っていきます」

そう言うと、僕は太郎さんを残して会社に出かけた。


会社は、製薬会社の本社や営業所が集まっている道修町にある。

会社の主力製品は高血圧治療薬とうつ病治療薬、高血圧治療薬はシェア3

位、うつ病治療薬はトップ製品だ。 僕の課は伊沢課長、中島係長、先輩の加藤さん、川崎さんと後輩の藤田と 僕の6人。伊沢課長はいわゆるワンマン課長で、あだ名は「フセイン」。中 島係長は、伊沢課長の顔色ばかり見て仕事をしている、あだ名は「コバンザ メ」。もちろんふたりとも陰でそう呼ばれていることは知らない。先輩の加 藤さん、川崎さんはいつも会社の愚痴ばっかり言っている。課の雰囲気は決 して良くない。その影響を一番受けているのが最年少の藤田だ。 僕の成績は、平均的だが、課としての成績は下から数えた方が早い順位だ。 そのため、ますます伊沢課長の指示は厳しくなっている。


事務所は課長には個別のデスクがあるが、他の人にはない。大きなテーブ

ルにLAN回線と電源が配置され、好きな場所で事務作業をする。面白いの

はどの場所に座るかで、それぞれの人間関係がよく分かるってことだ。自然といくつかのグループが形成される。仲の良い人たちが自然と集まるからだ。


〝コバンザメ〟中島の周りには誰も座りたがらない。遅れて来た人が仕方なく座るって感じだ。

僕は、会社にいると息苦しいので早々と営業に出た。

今月は課が目標の売り上げに達していないので、得意先の医院や薬局に来月の注文を今月に出してもらえないか、お願いしなくてはならない。気がのらない仕事だ。

というわけで今日は、一日中注文をお願いしに駆けずりまわった。

さすがに疲れた。


「ただいま」

テレビの音がする。見ると、太郎さんが上半身(?)を立ててテレビでニ

ュースを見ている。

「お帰り。今日は大きな事件もなく平和な一日だったな」

僕の不機嫌そうな顔を見て、

「ん? お前は平和そうじゃないな」

「今月の数字が足らないから、薬局を駆けずりまわって注文もらってたんで すよ」

「それくらい、普通やろ?」

「それがうちのゴマすり係長が、『課長の指示だからな、必達だぞ! もし 目標に足らなかったら課長に殺されるぞ!』って。いつも僕たちに指示出す たびに〝課長が、課長が〟ですよ。もう嫌になっちゃいますよ」

「ゴマすり野郎か。そんなのどこにでもおるで。いちいち腹立ててたら、き りがないやんけ」

「それは分かっているんですけど、頭にくるんですよ!」

「そのゴマすり野郎がゴマすることで、お前に何か影響があるんか?」


確かにそう言われれば、

「何もないけど......」

「そうやろ。いちいち気にすんな。気にすることでお前が一番損をしているんやで」

「う〜ん、そう言われればそうですが」

「イライラしながら仕事してたらいい仕事はできへんで。ゴマすり野郎がゴマすってるのを聞くと、ええ気持ちせえへんのはよう分かる。けど徹に影響ないのなら気にせーへんことやな。そう心がけるだけで、ずいぶん気が楽になると思うで」

確かに、太郎さんの言うとおりだ。

「でもなぜ係長、あんなにあからさまにゴマするんでしょうかね。周りの

はみんな分かっているんですよ。課長の顔色ばかり見て仕事してるって。だ から、課長がいる時といない時では態度が全然違うんですよ」

「例えば」 「忙しく仕事していて僕が聞きたいことがあっても、『今、手が離せないか らあとで』って言うのに、課長から『係長、今大丈夫? ちょっといい?』 なんて言われると、『はい、大丈夫です。なんでしょうか?』ですよ。いつ もこんな調子だから嫌になっちゃいますよ」 「それは嫌になるな。ところで、人の行動の〝基〟となっているものは何か 知ってるか?」

「好きか嫌いかですか?」 「ブッブー。人の行動の基となっているのは、2つ。『愛』か『恐れ』かや」 愛か恐れ? ヘビにしては難しいことを言う。 「愛か恐れ? それって、どういうことですか?」

「例えば、その係長。行動の基になっているのは恐れやな。課長を恐れて行動してるんや」

「う〜ん。そう言われれば確かにそうかな。課長の顔色ばかり見てますからね」

「もっと、掘り下げてみると、係長は課長の何を恐れてるんや?」 「怒られることとか? 機嫌を損ねることとか?」 「その裏には何があるんや?」 少し考えてから、「課長からの評価ですか?」と答えた。 「そのとおり。課長に嫌われると評価が下がることを恐れてる。では、なぜ、 評価が下がることを恐れるんや」

「そりゃ、評価下がったら嫌でしょう」

「なぜ、評価下がったら嫌なんや?」

「給料上がらないし......」


「そして昇格しないしな。でも、みんなが昇格しないなら何も恐れることはないんや。自分だけ昇格しないとか、同期が先に昇格したとか、そういう事を恐れるんや」

「ふ〜ん」

「じゃ、なぜそうなっちゃうんや?」

「......」 「人と比べるからだよ。人と比べることを止めると、この手の恐れはなくな るんや」 ややこしくて頭が混乱してきた。人の行動の基となっているものは『愛』 か『恐れ』。そう考えると、会社員の行動って、ほとんど恐れから来ている んじゃないか?

「じゃ、愛から来る行動ってどんなのです?」

「愛から来る行動ってやつは、見返りを期待しない行動やな」

「見返りを期待しない行動?」

「そや。見返りを期待しない行動や。人からよく思われたい、とか考えない行動やな」

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