第3話
心霊病棟編
二話 内線
非常扉らしきドアから離れて、少しだけ長い通路を歩き続けた四人は同じ階の倉庫らしい場所の前で座り込んだ。全員が全力疾走によって、荒い呼吸だが最速で息を整えたのは光輝だった。まだ安全とは言えないのを理解しているからこそ、周辺探索のために彼は気持ちを切り替えている。実際は非常扉ではなかったが。
まぁ探索ができるのは、目の前の倉庫らしき場所だけ。全力で走ったせいか、光輝と紗夜は喉が乾いていた。それに気付いたのか、優奈が無言で紗夜に彼女の飲みかけ紅茶のペットボトルを。まだ半分以上も余っていたが、よほど喉が乾いていたのか一気に飲んでいく。
「松井さん、俺にも飲み物ください」
彼は自分も何か飲みたいと言った直後、少しだけ顔を赤くした紗夜が飲みかけを渡してくる。その意図が分からずに顔を見ると、躊躇いながらもちゃんと話した。
「飲み物は可能な限り残しておきたいから、飲み回しですよ。か、間接キスとか気にしません!」
自分が何を言ったのか理解しているのだろう。それ故に言い切った直後に、顔を真っ赤にしたのだ。光輝は遠慮するべきかを考えるものの、紗夜の言葉通りだと判断。少しでも水分は確保しておきたい。ありがとうと伝えて、残っていた量を少しだけ口に含んだ。
少量だけを飲んで、また優奈に返そうとすると彼女は遠慮せず飲み干すように言ってきた。その厚意に甘えて完全に空にする。少しだけ休めたのを認識して、倉庫の探索を始めようと立つ。
「どこへ?」
立ち上がった彼を見上げるのは灯理。問い掛けてきた彼女に、奥を見てくると伝えて倉庫へ。
「こっちも電気は通っているんだな」
照明のスイッチが、点灯していて押されるのを待っているように思えた。カチッとした音の後に、倉庫が照らし出される。
「これ全部、手付かずなのか?」
広さはそんなにないが、大量の段ボール箱が棚に所狭しと詰め込まれていた。等間隔に棚が並んでいるが、重さで倒れるような感じはしない。全てを調べる余裕はない状況。どうしようかと悩んでいると、また黒い人影が視界に。影は倉庫奥へと向かう。何となく後を追うと、小さな机がある。
引き出しの上から二番目を指差した途端に、影は瞬きする間もなく消えてしまう。不気味さを感じつつも、非常扉の開け方も影が教えてくれたようにも。何かの覚悟を決めて、引き出しを開けた。
「古い懐中電灯と、使えるのか分からない単三電池が二本か」
机の照明器具のスイッチを押して、明るくする。その状態で懐中電灯に、別の電池が既に入っていないかの確認。残念な事に空。見付けたばかりの単三電池を入れて、今度は海中電灯のスイッチを操作。電球そのものか、もしくはソケットが汚れているのかは不明だが、あまり明るくない。
一応、電球は力強い光を放っているが、電池がいつ切れるか予想ができない。結局、電池は入れたままでスイッチオフ
に。他の引き出しからは、特に役に立ちそうなもの発見できず。最終的に探索成果は、海中電灯が使えるようになった事くらいか。落胆を隠せずに戻ろうとした。
「ん?これは固定電話の線?」
戻ろうとした彼の視界に、糸のような何かが見えた。近くで確かめると、学校の職員室や企業に設置されるタイプの電話線。よく見ると本棟で使われている固定電話と似たようなものだ。総合受付などで見かけるデザイン。線を追って移動すると、倉庫右奥の棚まで続いていた。
線は棚の三番目の段ボール箱から伸びている。ゴクリと息を飲んで開封。幸いにもガムテープなどがなく、簡単に開ける事ができた。中には電話線が箱の外へ飛び出した、旧型らしい業務用の電話機。それも内線専用に近い。
「これ使えればいいんだが。とりあえず、持っていくか」
箱から取り出した電話機を、三人が待つ倉庫前へと。戻ってきた光輝を見て、最初に話し掛けたのは紗夜。
「お帰りなさい。何かありました?」
「海中電灯と電池があった。もう入れておいたから、いつでも使えるよ。それと、この電話機」
海中電灯を渡して、見付けた内線用と思われる電話機を三人の前に置く。
「コンセントがあれば、使えるかどうか分かるんだけど」
光輝は電話機の有線を見せて、どこかにないかと視線を動かす。倉庫内の机のところでもいいが、あれは一つしか差せない。それに照明を消してしまうと、かなり暗くなる可能性もあった。
「病棟に戻れば病室や、ナースステーションのコンセントが使えるんだけど」
最も簡単な解決方法にも思えるが、また看護師や院長から逃げ続ける事になる。安全に迅速に、何とか方法がないかと考え出す。単純な方法として思い浮かんだのは、武器となり得る何かを振り回す事で威嚇する。だが、その武器代わりになる物はない。
最初にナースステーションで見付けたハサミは、病室に置いたままだ。あれを持ち出す余裕はなかった。仮にあったとしても、長さが全く足りない。
「何も思い付かない」
ガクッと項垂れる彼は急に眠気を覚える。
「妃崎さん、今って何時頃?」
「一日目の午後十時。わたしたちが先に寝かせてもらってから、四時間くらいが過ぎている」
気を張り続けていたせいか、今頃になって光輝は身体に疲れを感じている。自覚しないだけで、危険に対して神経をすり減らしていた。
「数分だけ寝かせ・・・・・・てくれ」
最後まで言い切れたが、あっという間に光輝は寝息を立ててしまう。壁に身体を預けているが、あれでは起きた後で痛くなるだろう。それを思ってか、灯理は特に深く考えずに膝枕。
「妃崎さん、あたしも少し眠るわ」
「はい」
灯理が頷いたのを見届けて、優奈は白衣を脱ぐとそれを枕代わりに寝息を立てる。紗夜は自分と灯理が寝ている間に優奈が見守り、光輝は危険を理解しながらも病棟の探索を行ってくれていたのを何となく察していた。だから、今度は自分が守ろうと考えている。
「雫紅さん」
特に意味のない決意を彼女が抱いたのを感じてか、灯理は優しく声を掛けた。
「何でしょう?」
「天路くんが聞いた院長の言葉なんだけど」
院長の言葉と聞いて、真っ先に二人が思い出したのは生け贄と五人。
「五人って事は、わたしたち以外にもう一人が心霊病棟にいるわよね?」
「そうなりますね」
「その人は今も無事だと思う?」
予想も想定もしていなかった問いに、紗夜の思考は急停止する。それから、十秒ほどで再起動。
「分かりません。でも、あの看護師や院長に見付かっても逃げられていれば」
誰なのかさえ不明な五人目の人物。その人物が今も生存している可能性を信じたい。もしも死んでいたら、院長が張り切って残る自分たちを殺しに来る。本能が最悪の状況を勝手に、脳内で映像化して再生しようとした。だが、頭を左右に何度か振る事で、中止してみせる。
「そうだよね。わたしは、全員無事に脱出したい。そしてすぐにでも、こんな記憶を消したいなって思う」
紗夜だってこんな記憶は消したい。けれども、それは簡単な事ではないのだ。人間にとって、消したり忘れたい記憶とは、負の感情が強ければ難しくなる。特に恐怖心を伴う強烈な経験などは、催眠術や暗示を使っても困難だ。なぜなら記憶を消そうと、忘れようと意識する事で記憶が刺激されるからだ。
「早くこんな場所から出たいです。ちゃんと陽の当たる、暖かいとこに行きたい」
よほどの変わり者でなければ、心霊病棟などという異常な場所にいたいとは思わない。四人は互いに言葉にしていなくても、一分一秒でも早く脱出したいと共通の願いがある。
「そうね。天路くんと、松井さん何時くらいに起こす?」
光輝本人からは、数分間だけ眠らせてくれと言われた灯理だが、一時間くらいは寝かせてあげたいと思っている。けれど自分たちが、どこにいるのかを考えると睡眠時間を確保させてあげられる余裕もない。
「二十三時まで寝かせてあげましょう。私たちの時は三時間近くも、眠らせてもらったんですから。時間が短いのは緊急事態という事で仕方ありませんよ」
一応の起こす時間は決まった。灯理は彼の膝枕を紗夜に任せて、倉庫の中身を確認しに行く。一番左の棚の下から、順番に開封して使える物がないかと、次々と取り出しては落胆して詰め直す。その作業に集中していった。
□ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □
倉庫から戻ってきた灯理は、スマホのアラームが起動したのを確かめて紗夜に頷く。彼女は眠り続ける光輝の髪を撫でるのを中止して、そっと囁くように彼の耳元へ口をそっと近付けた。
「天路さん、そろそろ午後十一時です。起きてください」
くすぐったそうに顔を動かしてから、光輝は眠気に抗って目覚めた。目を開けた彼だが、予想外の事態に困惑してどう対応するべきか真剣に悩んでしまう。起きたら、紗夜の顔が近くにある。何となく気恥ずかしさを覚えつつも、何とか話題の転換を試みた。
「俺って何時に寝たんだ?」
「午後十時です。数分で起こしてくれと言ってましたが、私たちは先に長く眠らせてもらったので。それに、かなり疲れていた様子だったので」
灯理の方は白衣を枕代わりにしていた優奈を、何度か揺すって起こしている。
「俺たちが寝ている間に、何かあったか?看護師や院長たちは?」
「大丈夫です。どうやら、最低限の知能くらいしか残っていないと判断してもいいかと」
どうして、そう思うんだと疑問ではあったが後回しだ。二人が寝ている間に灯理が、倉庫から持ってきた物を見せてくれた。消毒用のアルコールが入った小瓶、新品同様のカッターナイフ二本、かなり古い十円硬貨が三枚。光輝は武器代わりになるカッターを、灯理と紗夜に渡す。
「カッターは妃崎さんと、雫紅さんの二人が武器代わりに持っていてくれ」
「天路くん、あたしは無防備になるんだけど?」
優奈は自分の身を守れる物がないと彼に主張する。
「次に武器が手に入るまでは、俺が松井先生を守ります。とりあえず、病室かナースステーションに行ってみましょう」
確認の意図を込めた提案は、特に断られる理由もなく受け入れられた。ただし、そうとうな危険が付きまとうが、三日以内に病棟から出なければ死ぬだけだ。全員が同じ思考にたどり着いたからこそ、受け入れられたかもしれない。四人はドアの前へと移動して、光輝が灯理、紗夜、優奈の順番で目配せ。頷いたのを確認して、少しだけ開ける。
「いない。行こう」
看護師も院長もいないのを確認して、一時的に立て籠っていた病室へ。ハサミを確保。次にまだ施錠可能な部屋へと入り、灯理が持ってくれていた内線用と思われる電話機のコードをコンセントへ。優奈が本棟の院長室への内線番号を押した。幸いにも呼び出しができた様子で、表情は明るい。
「もしもし、院長ですか?内科の松井優奈です」
無事に繋がったようで、彼女は現状の説明を開始する。
「あたしを含む五人が、心霊病棟内です。既に三人とは会えましたが、まだ最後の一人とは」
普通に話していた優奈は、何かの指示を受けたのか手招きで光輝を呼ぶ。
「どうしたんですか?」
「スピーカーにして話したいから、施錠をしてくれる?」
声には出さずに、行動で返事を示す。それを見届けて彼女は、スピーカーモードに切り替える。
「院長、切り替えました」
そう告げられて、電話機の向こうで院長が頷いたような感覚があった。
『初めまして。のんびり自己紹介などしている時間もないから、苗字だけでいいかな?』
かなり渋味のある声と、ハッキリ感じられる落ち着き。恐らくは七十代も後半か。それでも口調はしっかりしているのだ。
「構いません」
即答したのは、電話機の近くにいた紗夜だった。
『平塚だ。呼び捨てでいい。君たちが気になっているだろう事から教える。天路くん、妃崎さん、雫紅さんと松井のご家族には連絡済みだ』
「警察には?」
この問いは光輝。一度だけ廊下に顔を出して異常がないのを確認した彼は、再度施錠を済ませてベッドにゆっくりと腰掛ける。
『通報したのだが、何せ都市伝説扱い。まともな反応はなかった。ただ、一人の刑事がこちらに向かうそうだ』
無理もないと彼は思った。何せ心霊病棟から、無事に出てこれた人間は、今までに数人だけ。しかも全員が中での体験を語ろうとせず、どんな質問にも沈黙だった。だが、そんな彼らでも実際に医者が死亡を確認した家族を、生き返らせる事に成功している。
「院長、過去に出られた人たちは何か言っていませんでしたか?」
過去と言っても四年前に二人だけだが。それでも、何かのヒントくらいは残してくれていないかと。
『そう言えば、三階で小林に会ったと言っていたな』
聞いた事もない苗字に、聞いていた若者三人は揃った動作で首を傾げてしまう。しかし、優奈にとっては知っていたみたいで雰囲気が変化した。
「院長、小林って警備員をしていた小林大地さんですか?」
彼女は誰が見ても驚いた表情をしていたと、口を揃えて証言するほどだろう。それほどだった。
『どうやら彼は、院内で死亡して三日以上が過ぎても誰かを助けるために留まり続けているらしい。松井、何とか小林と会って事情を説明しろ。死んでも人助けに全力を尽くしてくれるはずだ』
院長からもたらされた情報に、四人全員が互いの顔を見合わせて頷く。闇雲に行動するよりも、ずっと現実的だと判断した結果か。しかし残念ながら、落ち着いた雰囲気はここまでだった。ドアを開けようとした音。どうやら、会話を聞かれてしまったらしい。
「院長、気付かれたみたいです。また連絡ができそうなら内線を鳴らします」
優奈は慌てて事態が悪くなった事を伝えて、通話を終了させた。ドアは既に限界状態になっていて、いつ破壊されるかも分からない。どう対応しようかと、女性三人が光輝へと視線を集中させる。もちろん、彼は黙って状況を見ていた訳ではなかった。
シーツとカーテンを強く結んでベッドの足へ。長さに不安はあったが、窓から下の病室を伺い見る。運よくというかガラスは破片も、一切残っていなかった。つまり、長さが不安な事以外は問題ない。彼の様子から、何を考えているのかを理解できてしまった女性陣。
「降りようか。下の病室が安全だと信じて」
不安にさせないようにと、不器用ながらにも笑顔を浮かべた光輝。誰も動かない状況下で、彼だけは平然と外へと身を出す。
「天路くん、本気?」
灯理が目を丸くした状態で、本当に実行するのかと視線で訴え掛けていた。
「本気だよ。少しでも、その小林さんと会うには手っ取り早いし」
それだけを言い残して、真下の病室へ降下。危なげなく室内に到着して、侵入されないように施錠。窓から上へと視線を向けて、三人にだけ聞き取れる声で言った。
「無事に着いた。三人も早く」
「本当に大丈夫?」
優奈が心配そうに聞き返してきた。だが、いつまでも同じ場所に留まるのは避けるべき。それは正確に認識していたようで、しばしの待ち時間の後に姿が見えた。それを視界に入れないように、ドアの方へと視線を固定。それから十分後に四人が、五階の病室へ到着。
「さて、どうやって小林さんを探す?」
優奈の問いに、三人が一斉に解決方法を考える。時間を掛ける事なく、どうやって三階へ行くか。しかし、最優先するべき事態が。どうやって、四階へ降りるかである。
「もしも五階の看護師たちや、院長が今も上にいるのならすぐに行動すれば降りられるんじゃないか?」
最も確実かもしれない方法、それを考えれば光輝の案が一番だろう。危険を承知で解錠して、彼は廊下へそっと出てみる。
「階段のところを見に行ってみる」
反応を待たずに、足音を立てないように走り出す。もし見付かっても、すぐ戻れるように。どうやら、看護師も院長も六階に集まっているのだろう。五階のナースステーションに忍び込んで、机を物色開始。引き出しを開けていく。最後の引き出しのタイミングで、カツンと階段から足音。
急いで病室へ戻って、何か使えそうな物がないかを探し始める。幸いにもベッド下で、ライターを発見。
「これとアルコールと、ライターを合わせて使えば」
心霊病棟内に徘徊する看護師たちを、何人かは完全に殺す事ができる可能性も。決して無理だったとしても、一時的に相手を引き離す効果は期待が持てるだろう。こうして、下の階へと行ける可能性が出てきたのは、間違いようもない。
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