黄昏のミューステリオン

けものフレンズ大好き

黄昏のミューステリオン

 部室の扉を開けると既に来ていた部員達が一斉に俺を奇異の目で見る。

 そりゃ滅多に来ない幽霊部員だけどさ。

 この扱いはひどい気がする。

「良く来たな実頼さねより!」

 唯一あまり表情を変えなかった内田先輩だけが俺――実頼武雄を満面の笑顔で迎えてくれた。

 高2と学年は上だが背は低く、華奢で、とても可愛らしい先輩。目も大きくくりくりし、いつも外を走り回っているのに肌も白く、美少女と言っても差し支えない先輩。身体の凹凸は無いに等しいがそれもまたこの先輩の魅力。

 実際内田先輩は学園のアイドル的存在で、何をしても大目にみられていた。まああんな可愛らしく愛くるしい外見をしていれば、それも当然だろう。

 そんな内田先輩に初対面で一目惚れし、俺は先輩が部長を務めるこの八百華やおはな高校特別科学調査部に入部したのである。


 この高校が男子校であったこともすっかり忘れて。


 つまりそういうことだ。


「なんだ? 人の顔じろじろ見て? 呪う?」

「しませんよそんなこと」

 ……そうと分かっていても、まだこうして先輩に未練たらたらな自分が恨めしい。おそらくこの性癖は死んでも治らないだろう。

「さて諸君、こうして実頼が来て久しぶりに部員全員揃ったわけだが!」

 内田先輩の話を聞きながら、俺は椅子に座る。

 隣には怖ろしく威圧感があり、筋骨隆々でゴリラのような体型をしている丸山先輩が。というか俺みたいなひょろひょろな人間から見たら、ゴリラそものものだ。

「どうも……」

「・・・・・・」

 いつものように黙殺される挨拶。

 あまり話すどころか、未だ会話した記憶さえ無いが、それでも一応会えば挨拶はしていた。

 だって怖いし。

 丸山先輩は本来なら俺とは住む世界違う、超武闘派の人間で、他に柔道部に在籍し、本来はそちらが本職だ。聞いた話によると県でも5本の指に入る重量級の実力者で、その界隈ではそれなりに有名らしい。

 その丸山先輩が何故この特別科学調査部に入部したのか未だに分からない。

 少なくとも俺のように、内田先輩の色香(?)に惑わされたわけではない。

 内田先輩の方をチラチラ見ているわけでも無く、部室にいるときは妙に青い顔で一点を凝視している。

 本当に謎が多い先輩だ。

 そしてもう一人謎が多い人間が。

「全員……というには幾分足りない気もしますが、高貴なオーラを持つ文也様(内田先輩の名前)が仰るならそうなんでしょうね」

 彼女は内田先輩に対し、それ以外の人間など存在していないかのように上品に楚々と笑う。

 彼女の名前は本宮若菜。

 彼女、という時点で完全に女だ。

 もちろん我が八百華高校の学生ではない。それどころか学年もどこの生徒かさえ分からない。ただ、内田先輩に対して常にへりくだった態度を取っているので、俺もとりあえず同学年の人間として扱っている。

 もっとも、制服を着ているのでそこから調べれば学校ぐらいは分かるだろうが、俺は致命的な機械音痴で、かつて本当にスマホを爆発させたことがある。「まさかー」と言っていた内田先輩の目の前で、先輩のスマホを故障させたりもした。

 そんなわけでなるべく機械に触らないようにし、見事致命的な機械音痴になってしまった。

 閑話休題。

 本宮が度の高校にせよ、底辺の掃きだめ校と言うことは無いだろう。本宮は外見も挙動も全てがお嬢様で、内田先輩とはまた違った方向の美少女である。育ちの良さは間違いが無い。その割に内田先輩とは違い(違って当然だが)、出るところは出ている非常にメリハリのある体型だが、残念ながら俺のタイプじゃない。

 もっとも、向こうも俺なんか相手にしていないが。

 本宮の視界にあるのは内田先輩だけで、オカルト趣味ということもあり、ある意味教祖のように内田先輩を崇拝し、俺では話しかけても反応すらしてくれない。丸山先輩でさえ、声をかければ視線ぐらいは向けてくれるというのに。

 とはいえ、本宮と内田先輩がいるこの部室は八百華高校でダントツに華がある。それが目当てで入部した部員も何人かいるが、皆ほとんど俺と同じような幽霊部員だった。

「いいや! ここにいる部員以外はいてもいなくても同じような連中だからどうでもいい!」

「・・・・・・」

 そんな有象無象の幽霊部員の中で俺のことを評価してくれるのは、正直ちょっと嬉しい。

「……まあ俺にはどうでもいいが」

 丸山先輩が重い口を開く。少し話すだけでもすごみがあった。

「いいや丸山、関係ないこともないぞ。こうして実頼が来たことにより、今まで棚上げしていたあれをようやく始動出来る!」

「それはすみませんでした……。ていうか呼ばれたらさすがに部に行きますよ」

「だってお前授業中どこにいるかわかんないし」

「影が薄くてすみませんね……」

 内田先輩にそう言われて少し凹む。

 実際、授業中教師に刺されることも滅多にないぐらい俺は影が薄い。それは自分でも理解している。内田先輩は「それがお前のウリだろう」とよく分からない慰めをしてくれるが、これはフォローと呼べるのだろうか。

「私的には実頼くんがいようがいまいがまったく関係ないのですが……」

「相変わらずひどいな本宮」

「・・・・・・」

「そして相変わらずのスルーか」

 俺はため息を吐いた。

「実頼もいちいち反応するな、はげるぞ」

「それだけは勘弁です」

 しかしどんなにひどいことを言われても、内田先輩が相手だと腹が立たないからずるい。

 あ、今の俺ホントにキモいわ。

「……まあ実頼さんが禿げたところで、私には全く関係がありませんが」

「いや、これはもう完全にいじめじゃね?」

「――ゴホン!」

 丸山先輩がわざとらしく咳をする。

 どうやら話を早く進めろということらしい。

 こういう口に出ない態度の説得力はさすがだ。誰に対しても傍若無人の内田先輩にはあまり影響を受けないが。

「ああ、あんまり長引かせると丸山が耐えられそうもないから話を進めるぞ。以前から言っているように、我が八百華高校には他の学校の例に漏れず七不思議さ存在する。それを解明するために、この特別科学調査部も何年か前にギャグで作られた」

「本当にひどい理由ですよね……」

「まあ帰宅部の受け皿的な意味もあったんだけどな。うちの学校部活強制加入だし」

「なるほど」

「しかしそんな情けない部でも、今までの努力で七不思議のうち1,2個は解明出来た。少なくとも来年の受験までには一つぐらいは新たに解決しようと思うぞ俺は!」

「素晴らしい志ですわ。オカルトはことごとく解明されるべきです」

 本宮が無駄に感動する。

「それじゃあ夜になるまで待ちます? どうせそんな感じの奴でしょ」

「いや」

 内田先輩は思いっきり首を振る。

 なにかチワワを彷彿とさせる可愛らしい振り方だった。

「この学校の七不思議は全部夕暮れ時に集中してるんだよ。これは噂が誕生したきっかけに由来している。そういえばまだお前たちには話してなかったな。どうだ、聞きたいだろ!?」

「是非!」

 ――と答えた本宮以外、あまり乗り気じゃなかった。

 丸山先輩は更に顔色を悪くし、俺もオカルト話に興味は無い。

 昔から現実的なド理系人間で、将来SEになるんじゃないかと思っている。そして丸山先輩はひょっとしなくても、こういう怖い系の話が苦手だ。この人が特別科学調査部に所属していることが、俺にとっては最も不可解な七不思議だ。

「よしよし、じゃあ話してやろう」

 本宮の反応だけを全面的に採用し、内田先輩はその良く動く可愛らしいお目々をくりくりとさせながら、とても気持ちよさそうに話し始めた。

「お前達、2000年問題って知ってるか?」

 いきなりオカルトとは全く関係なさそうな質問をする。理系人の俺にとっては常識なので、ゆっくりと首を縦に振った。

「2000年に表示形式が問題でシステムエラーが出るって話でしたよね。結局何も起こりませんでしたけど」

「ああ、表面上はな。だが実際は影でエンジニアだのプログラマーだのが死ぬような思いでチェックや修正をしていたらしい。それはこの八百華高校も例外じゃなかった。……というか、とんでもなくひどかった。なにせテストの時点で、学内のデータ全てが外部に流出する可能性が高いと分かったんだからな」

「それは……とんでもない話ですね」

 八百華高校は最近で来た学校で、創立当初から記録の電子化が浸透していた。生徒の記録だけでなく、テストや出勤表、その他学校に関わるあらゆる情報がデータベース化されているらしい。

 その全て流出などしたら、学校の信頼はがた落ち、最悪犯罪に巻き込まれるかもしれない。

 IT化を売りにしている八百華高校当局にとって、それだけは絶対に避けなければならかったことは、部外者の俺にも容易に想像出来た。

「その結果が分かった日から、システムを任されたIT企業は死ぬ気で対応に当たったさ。でもどこに問題があるかさっぱり分からない。というよりシステムが複雑に絡みすぎて、一つを直すとドミノ的に他に問題が出て、もう手に負えない状況だった。そうしている間にもリミットの時間は近づき、気付けば大晦日の夕方。そこで責任者のSEはとんでもない手段に出た」

「・・・・・・」

 ごくりと本宮が唾を飲む。

 こいつは内田先輩の話だけは、いつも真剣に聞いていた。

「ここでまた話は逸れるが、実は八百華高校には悪魔が住む井戸がある。しかも今なおそれは残ってる」

「1年とはいえそんなもの全然知らないんですけど」

「ほら、校舎裏に向日葵が植えられてる円形の花壇みたいな奴あるだろ。アレ埋めた井戸だから」

「あれが!?」

 言われてみれば、あの花壇の石積みは明らかに井戸のそれだった。あの中に土を埋めたとしたらたいした量だ。それだけで普通でないことが俺にも理解出来た。

「ああ。色々あってまもなく埋めたらしい。ただ、俺が今話している時点では水はないものの、ちゃんとそのままの状態で残されていた。で、この井戸には曰くがあって、朝でも夜でもない、つまり夕暮れ時に願いを言うと、その願いが適うらしい。その大きさ分の代償を支払わなければならないけどな。そこらへんはいかにも悪魔って感じだろ」

「話の流れからすると、そのSEの人は井戸にお願いしたんですね」

「ああ、『2000年問題が起こりませんように、起こらなかったらこの学校をあげます!』ってな」

「自分のものじゃなくて学校って言うあたり性格が出てますわね……」

 本宮が呆れた。

「まあな。そして正月、SEが学校にかなりの人数待機していたが、テスト通りの事態は発生せず、無事に2000年を迎えることができた。もしここで話が終われば、めだたしめでたしなんだが……」

 内田先輩はそこで声のトーンを落とす。

 おそらく怖がらせようとしているのだが、先輩の場合どうしても可愛さの方が先行してしまった。

「その責任者は正月の三が日を待たずに突然死してしまった。さらにその年を境に八百華高校で怪奇現象が頻繁に目撃されるようになった。つまり死んだSEは自分の命と学校そのもの、両方悪魔に契約として差し出した、と言われている……」

『・・・・・・』

 その場にいる全員が黙り込んだ。

 先輩の話は本人のキャラクターが強すぎるものの、何とも言えない説得力があった。とりわけ丸山先輩は完全に信じ込んでいるようで、顔が白を通り越して真っ青になっている。

「……また、それと関係してこんな噂もある。「八百華高校に存在する謎を全て解明した者は悪魔に褒美として代償無しで願いを叶えてもらえる、と」」

「先輩はその話を信じているんですか? 何か叶えてもらいたい願いでも?」

「・・・・・・」

 内田先輩は無言でゆっくりと首を振った。

「俺だって欲しい物はあるけど、悪魔の力を借りてまでじゃないし、そんなんでもらっても嬉しくない。ただ、そういう謎があったと信じた方が高校生活も楽しくなるし、あるなら解明したいだろ! ただ何の目的もなくだらだら高校生活送るなんて俺は嫌だね!」

 内田先輩は断言した。

 外見と違って先輩の頭の中はかなり男らしく、しかも結構な無鉄砲だ。

 誰かがセーブ役にならないとどこまでも暴走する。それが幸か不幸か俺の存在理由だった。怪我して命に関わるようなことをする気だったら、それこそ命がけで止めなければならない。

「それで、今日はいったい何をするつもりなんです?」

「『まる見え! 上半身を引きちぎられ腸から汚物垂れ流しの素人ドエロ女子高生』の調査」

「なんですかそのAVとB級映画を最悪の割合で混ぜ合わせたようなタイトルは……」

「仕方ないだろ、そういう題名なんだから。まあ分かりやすく言うと、以前ここが共学だった頃、痩せたいと願っていてぽっちゃり系女子高生が授業中にいきなり発狂して、そのあと何か不思議なパワーで、血をまき散らせながら上下真っ二つにされて体重も半分になりましたとさめでたしめでたし的な話」

「的な……」

 聞いていて色々な意味で頭が痛くなる。

 一方言った内田先輩本人は平然としていて、丸山先輩は心なしか更に顔色が悪くなった気がした。まあ丸山先輩の場合、これ以上悪くなっても分からないほど元から青い顔をしていたが。

「というわけで舞台になった教室に行くぞ者ども! ちなみに出会った人間は身体の一部をもぎ取られるって言われてるけど、まあ人生そんなもんだよネ!」

「あまり聞かない人生の気もしますが、ロマンはありますわ!」 

 内田先輩は我先に駆けだし、それに本宮が続いた。

 俺も仕方なくため息を吐きながら席を立つ。

「丸山先輩はどうします?」

「・・・・・・」

 下らない暇つぶしだ、どう考えても与太話にしか思えない。

 ただ、丸山先輩はそういうわけにもいかないだろう。下手するとカーテンが風が吹かれただけで卒倒するかもしれない。

 本当にどうしてここまで怖い話に弱い人が、この部に入ってしまったのか。

「・・・・・・」

 丸山先輩は無言で立ち上がり、まるで俺の存在など無いかのようにすれすれで横を通り過ぎていった。

「・・・・・・なあ」

 そのまま内田先輩達の後を追うのかと思っていたら、立ち止まり不意に呟く。

「お前は、その……悪い奴か?」

「悪い奴って……」

 珍しく口を開いたと思えば、一体何を言うのか。

 だが、すぐに俺は丸山先輩が内田先輩のことを遠回しに言ってるのだと気付いた。おそらく丸山先輩は、俺が内田先輩のようにことさら怖い話を聞かせ怖がらせようとする、悪い奴かどうか聞いているのだろう。

 自分自身が善人とは到底思えないが、戦えば5秒であの世に送られそうな丸山先輩をからかう度胸は100%ないと断言出来た。

「俺は何もしませんよ」

「……そうか」

 丸山先輩はむしろ自分に言い聞かせるかのようにゆっくりと首を縦に振った。

 そして俺と丸山先輩は、結局とっとと先に進んだ内田先輩の後を追った。


「ここだ!」

 内田先輩がある教室の前で、仁王立ちになった。

 その様子に、中にいた生徒が軽く驚く。

 そりゃまあ、怪談があろうが無かろうが夕方ぐらいなら普通に生徒の一人や二人残っているもんだ。

「え、あ、え?」

「げらうえい!」

 内田先輩は残っていた彼(3年の教室だったからほぼ確実に先輩)を強引に下校させ、ずかずかと教室に入る。

 おそらく相手が内田先輩でなければ、文句どころか喧嘩になっていたかもしれない。

 こういとき、つくづく思う。


 カワイイは正義、と――。


「さあ何か気付いたことはないか!?」

 内田先輩は全員に問いかけた。

「さあ私には何も……」

 本宮が首をかしげる。

 常識的に考えると、男子校なのに制服を着て平然と校舎を歩き回っている彼女こそ、首をかしげたい対象だろう。

「お前には最初から期待してない。お前はもうどうしようもないくらい霊感ないの知ってるから」

「口惜しいですわ……。こんなに超常現象に詳しいのにまだ1回も見たことないなんて……」

「まああってもいいもんじゃないし気にするな」

「・・・・・・」

「せっかくフォローしてやったのに、またスルーかよ」

 俺もいい加減学習した方がいいのかも知れない。

「丸山と実頼は?」

「えっと――」

 俺は教室を見回す。

 特に目に付くような異常は何も無かった。

 まあここで今まで何百人の学生が授業を受け、その内のかなりの人数が夕方頃まで残った経験があるのだ。問題などあるわけが無い。確率論云々を考えなくても分かる話だ。

「平和な教室です」

「つまらん意見だ」

 内田先輩は口を尖らせた。

 やはりカワイイは正義……。

「丸山は?」

「・・・・・・」

 丸山先輩は無言で俺の方を指さす。

 俺は思わず後ろを向くと、そこにはどこから入ったのか黒猫がいた。

 黒猫は「ニャー」と小さく鳴くと、そのままどこかに行ってしまった。

「まあ現実はこんなもんですよね。そもそもここまで目撃者候補がいて今まで誰も気付かなかったわけないですし」

「いやあ、別の噂でがいれば遭遇する確率が高いって聞いたんだけどな」

「いませんよそんな奴。あーあーなんかさっきの猫が漏らしてるし」

 先ほどまで猫がいたところには、水たまりが出来ていた。西日が反射して色はよく分からないが、別に知りたくもない。

 俺はすぐに踵を返そうとしたが、不潔な水たまりに波紋ができたことでその脚を止めた。

 また他の猫が粗相をしているのかと思ったが、どうやら水滴は真上から垂れているらしい。

 猫って天井にへばりつくことができたっけと思いながら、上を見上げる。


「・・・・・・」


「・・・・・・」


 そこで俺は安易に上なんか見たことを痛烈に後悔した。

 ――いや、長い目で見れば気付かなければもっとひどい目に遭ってたのだが。


「逃げて下さい!」

 

 そう叫んで俺が飛び退いたのと同時に、粗相をしていたが天井から落ちる。

 よくある女幽霊を嘲笑うかのようにぶくぶくと太り、元から不細工な顔を更に醜く歪まさせている元女子高生の上半身。断面から血だけではなく千切れた腸まで伸び、醜くてらてらと光っている。

 噂通りの怪物だった。

 それが落ちた拍子に机や椅子をぶちまけ、俺の真後ろに落ちてきたのだ

 我ながらよくここまで冷静に分析出来たものだと思う。

「うああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!」

 丸山先輩がゴリラの断末魔のような声で絶叫した。

 ――と同時に、反射的に教室の窓に身を乗り出して飛び降りる。

 

 ここは3階だというのに。


「あいつ、恐がりを克服するために入部したのに、余計ひどくなったんじゃないか……」

 少し驚いただけで未だ冷静な内田先輩が呟いた。

「そんな理由だったんですね……」

「え、え、なに、何が起こったんですの!?」

 本宮も丸山先輩同様に取り乱しているようだが、どうも勝手が違った。

 自分から進んで、あの化け物に近づいていこうとしたのだ。

 俺は慌てて本宮を止める。

 しかし、掴もうとした本宮の腕は俺の手をするりと抜け、そのまま横を通り過ぎていった。

「なんで独りでに……まさかコレが噂に聞くポルターガイスト!? まさかこんな所で体験出来るなんて興奮を禁じ得ませんわ。そもそもポルターガイストという物は小さな子供が……」

 一人顎に手を当て、ぶつぶつとのたまう女子高生。

 バケモノが自分の真横にいるというのに、全く気にする素振りも見せず本宮は倒れた机や椅子を凝視する。

 あり得ない反応だ。

 現象の中心にいて気付かないわけはないし、一瞥もしないのは異常すぎる。

 これはもう――。

「それが見えないみたいだな、本宮には」

「え?」

 内田先輩の言葉に、本宮は呆気にとられたような顔をした。

「こいつオカルトに興味あるくせに、絶望的に霊感がないんだよ。0感を通り越してマイナス感だな。とはいえ、相手も自分を認識出来ない相手にはどうしようもない、と。なんか量子力学的だ」

 内田先輩が言うように、女子高生のなれの果ては本宮同様お互いを完全に無視していた。

「そんなことが……っていうかそうなると、俺達が危険じゃないですか!?」

「いや――」

 内田先輩は表情を引き締め否定した。

 見れば、確かにあのバケモノは俺達に踵を返し窓の方に向かっていた。

「おそらく落ちた衝撃で丸山は脚を痛めたんだろう。そして与しやすい獲物に標準を定めた――」

「ああもう!」

 普段から疎ましがられているのだ。あの祖父母がゴリラのような先輩を、危険を冒してまで助けてやる義理は無い。

 だが、そうしない理由を数え上げているうちに、身体が反射的に動いていた。

 俺は窓に手をかけていたバケモノに向かって、近くにあった椅子を思い切り投げつけていたのだ。

《・・・・・・》

 椅子をぶつけられたバケモノが、声らしきものをあげる。上半身だけ引き裂かれたときに声帯も完全にイカれたのか風切り落としか聞こえない。

「こっちにこいよデブス! そのまま死んどけ!」

 我が身を省みずこんなことしている俺も、かなりイカれているが。

「お、男の子だねえ。えらいえらい」

 こんなときでも内田先輩に頭を撫でられ少し嬉しくなった自分が情けない。

「はいはい! そんなことより逃げますよ」

「おう!」

 危機感を全く感じさせない満面の笑みで内田先輩は頷くと、俺と一緒に教室を出て走り出した。

 振り返るとバケモノも、床に赤黒い薄汚れた軌跡を描きなら腸を振り乱して追ってくる。幸いにもスピードは遅かったが、どこまで逃げれば助かるという保証もなかった。

 それでも校舎より校庭の方が安全なのは確実だ。

 俺と先輩は1階まで駆け下り、締まっている玄関を開けようとする。


 だが――。


「開かない!? 内側から鍵はかかってないのに!?」

「ちょっと貸してみ」

 内田先輩は俺に変わりガチャガチャと扉のノブを回す。

 扉は少し動いたような気がしたが「なるほどそういうことか……」と内田先輩は言って、ノブから手を離した。

「どうやらここから逃げるのは無理っぽいな」

「じゃ、じゃあ丸山先輩みたいに窓から逃げましょう! 1階だし開いてる窓なんて探せばいくつでも――」

「いや、それも無駄だと思うぞー」

「どうしてですか!?」

「理由はおいおい分かるさ。ま、分からない方が幸せかもしれないけど」

「?」

 内田先輩の訳の分からない答えに、俺は首をひねることしかできなかった。

 俺達がそんなことをしている間に、あのバケモノは階段を這いずり降りてくる。

 その目は憎しみに満ち、まるで目だけで殺そうとしているようだった。

 ここまで恨まれる理由なんて、俺には全くない。あの程度の悪口じゃ割に合わない。

 まああんなバケモノに道理が通じるとは思えないけれど。

 そんなことより問題は、あのバケモノのスピードが上がっていることだ。

 1階まで来るのにかかった時間は予想していたものより明らかに短く、廊下を這うスピードも3階の時とは比べるのも馬鹿馬鹿しいほど速い。

 未だに先輩の言葉を信じ切れなかった俺は、近くにあった開いている窓から身を乗り出す。

 しかし、見えない壁が存在しているかのように、俺の身体は何かにぶち当たり廊下に転がり落ちた。

「……つつ」

「だから言っただろー」

「じゃあどこまで逃げればいいんですか!?」

「とりあえず上に向かうしかないんじゃないか?」

「うう……」

 1階にバケモノがいる以上そこ以外逃げ道がないとは分かっているが、ただ逃げていてもやがて捕まることは明らかだ。捕まった瞬間、噂通りなら身体の一部を引きちぎられるらしいが、髪とか「痛い!」で済む程度の箇所と期待するだけ無駄だろう。

 俺は今回ばかりは冷静で余裕のある先輩が恨めしくなった。

 小柄な割には意外に足が速い先輩の後を追い、俺は階段を上る。

 感覚が麻痺しているのかあまり疲れは感じなかった。

 とりあえず何も考えずに内田先輩の後を追っているが、どこに向かっているのかさっぱり分からない。

 そして俺達は階段を上りきり、ついに屋上入口の扉の前までたどり着いた。

「よし」

 内田先輩は何の迷いもなく鍵を差し込み扉を開ける。いったい何故この人はそんな物を持っているのか。

 こうなったら先輩の言葉にできない説得力と、奇跡的な見た目を信じてついていくしか無い。

 そう腹をくくり、俺も屋上に出る。

 俺が入ったことを確認すると、内田先輩は扉の鍵をかけた。

「とりあえずこれで少し落ち着いたかな」

「状況は全く変わってませんけどね……」

「いやそうでもないぞ」

 内田先輩はその透き通る黒い瞳に自信を込めて言った。

「さっきも話したけど、怪奇現象は全て夕暮れ時に起こるんだ、ほら、向こうの空をみて見ろ」

 言われてそちらに顔を向けると、紅く、今は禍々しささえ覚える夕日が、地平線にその下弦をしまい込んでいた。

「もうすぐ夜!?」

「そういうこと。普通の怪談ならここからが本番だが、八百華じゃここで店じまいだ」

「つまりあと少し耐えきれば――」

 俺がそう言った瞬間、背後の扉からすさまじい音が聞こえた。

 まるで木槌でぶっ叩いたような、暴力的な音だ。

「ちょっとこのままじゃまずいかもだな」

「とりあえず俺達で扉を押さえましょう!」

「りょーかいー」

 俺と内田先輩で扉に寄りかかり体重をかけ、少しでも開けられるのを防ごうとする。それで意味があるかどうか分からないが、何もしないよりは精神衛生上マシだ。

「念のため聞いておきますけど、他に対処法はないんですか?」

「時間が解決してくれるってモン以外は知らないなあ」

「そうですか……」

 そんな話をしている間にも、背中から感じる衝撃が強くなる。

「うげっ!?」

 ――衝撃だけでなく、実際に扉がひしゃげる。

 ここまでの猛威を振るわれると、さすがに無事と分かっていても残してきた本宮が不安になった。

 そんな俺の内心を察してか、内田先輩が俺の手を握る。

 白く小さい手だったが、暖かく力強くもあった。

「まあ何とかなるもんさ」

「そう願います」

 そんな俺の願いが通じたのか、しばらくして扉からの衝撃がぴたりとなくなった。

 俺はほっと胸をなで下ろす。

 このまま何事もなければ助かる。

 ――そう温い希望論にすがりついた俺に、内田先輩は冷水を浴びせた。

「やれやれ、更に面倒なことになったな。実頼、扉が開くかどうか確認しろ」

「え、でも外には……」

「いいからやれ!」

 珍しく強い口調で言われ、俺は反射的にノブを回す。

 だが、先ほどの衝撃でドアバーがひしゃげたのか、ノブは少ししか回らなかった。

「……開きません」

「だろうな。そしてこっちにこい」

 内田先輩は周りのフェンス越しに立つ。その下には教室の窓が連なっていた。

「えっと……」

「覚悟しておけよ。俺の予想通りに事が進めば、な」

「それって――」

 質問しようとする前に、その答えはからもたらされた。


「あ……あ……」


 この下の階の教室、そこから身を乗り出していたあのバケモノと俺の目が完全に合う。

 バケモノの口が勝利を確信したかのように醜く歪んだ気がした。

「扉が開かないと分かって、教室から壁を伝う道を選んだわけか……」

「あ、ど、あ……」

 俺にはそれだけしか言えなかった。

 バケモノはひび割れた爪をコンクリに突き立て、べっとりと血で壁を汚しながら登る。

 想像以上に長い人間の腸がだらりと断面から下がり、風に揺れた。


 万事休す。


 その4文字しか頭に浮かばない。

「なあ実頼。人間の腸って想像以上に長いんだな」

「そ……そんなこと言ってる場合じゃ――!」


「あいつもようやく根性見せたか」


「……え?」

 内田先輩が何を言っているのか、すぐに理解出来なかった。

 だが、バケモノが突然途中でその歩みを止めたことで、ようやく気付く。

「……丸山先輩!?」

 だらしなく垂れ下がったおぞましい腸。

 それを校庭に逃げたあの恐がりの丸山先輩が掴み、下に引っ張っていたのだ。

 バケモノも捕まれたことに気づき、忌々しげに丸山を睨む。

 丸山先輩は顔を逸らしたが、それでも引っ張るのは止めなかった。

「で、でもコレじゃ丸山先輩が――」

「本宮! そこからありったけの机を放り投げろ!」

 内田先輩はいきなりそう叫んだ。

 すると、バケモノの少し下にある窓から突然机が放り投げられ、それが腸に絡まる。矢継ぎ早に第2第3の机も投げられ、バケモノの腸に絡まっていく。

 そしてバケモノはついにその重さに耐えきれず、壁から指を離し、校庭に落ちていった。

「あの、これぐらいで良いですか?」

 本宮が平然とした顔で窓から顔を出す。

「まだだ! 教室にある奴全部放り投げろ!」

「了解ですわ!」

 窓からどんどん机が放り投げられる。ただし、本宮に化け物は見えず、狙いは適当だ。しかし、バケモノに当たらなかった机は丸山先輩が回収し、バケモノにぶつけていった。

「たとえ見えなくてもこの学校にあるものならお互い干渉出来るんだよな。

「な、なるほど……」

 やがて校庭に机の山が築かれる。その下でバケモノが声にならない悲鳴を上げていた。さすがにあそこまでされれば、逃げることは不可能だろう。

「見ろ、日が暮れるぞ」

「これでようやく終わりですか」

「今回はな。あのバケモノを見ろ」

 フェンス越しから様子を見ると、机の山から煙のような物が立ち上る。それは次第に人の顔のような物になり、風音とも断末魔ともとれる声を上げると、霧散して消えた。

「噂によると、7不思議のバケモノはテリトリーから大きく外れて夜を迎えると、契約破棄とみなされ塵に還るらしい。まあ本人からすればしたくてした契約でもないけどな」

「ということは、これでおしまいですか」

 俺は大きく息を吐いた。

「もう金輪際関わりたくないです」

「は、何言ってんだ。まだ4,5個残ってるんだぞ。折り返し地点も迎えてない」

「こんな目に遭ってまでどうしてそこまで拘るんですか? やっぱり叶えたいことでもあるんでしょ?」

「……そうだな」

 内田先輩は顎に手を当てて言った。


「叶えて貰いたいことはないが、知りたいことがあるんだよ。なんであのお調子者があんな契約に縛られて幽霊になったか、ってな。7不思議全部判明させれば、その謎も解けるだろう。そう思って……ってもういないか。それじゃあまた明日学校でな」


                 了

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