10-2

 雄吉が居なくなった虚無感や喪失感を重く感じてしまったからといって、いつまでも落ち込んでばかりでは居させてもらえないのが現実であった。次の週からは大学が試験期間に突入したことで、連日の大学への通学とテスト対策に追われる日々が続くこととなった。しかし、却ってこれが雄大の心を落ち着かせてくれるきっかけになったような気もするのだ。雄吉と出会ったことで、雄大の心の中には「大学に行った以上、それ相応の学問を治めなければ、雄吉たちのような学問をしっかり治めたくても途中で諦めさせられた人たちに顔向けできず、生半可な気持ちで適当に単位貰って卒業なんてしてしまっては申し訳なさ過ぎる」という念が芽生えていたのだ。だからこそ、今年の試験はこれまでの大学生活とは比べ物にならないほど念入りに勉強して臨むことにしたのであった。それだけ熱烈に勉強している間は、不思議と喪失感と虚無感を忘れていられたのだ。なんだか、雄吉が背後で勉強を見てくれているような気になったからだ。あの優しい眼差しで、短歌について教えてくれた時のように。


 無事に試験を終えて、雄大も夏休みを迎えて、早速友達が行動を起こす。

高校のときの部活仲間で仲良しだった峰吉みねよし啓太けいた矢吹やぶきたつるだった。

大学の試験が終わって自宅に帰ってきて、なんとなく自室の机に向かい、自分のノートパソコンを開いて音楽を聴いていた。雄吉がこの時代を去った日に聞いた、母の持っていたCDに収録されていた松任谷由実のひこうき雲という曲を、雄大は自分のパソコンにも入れて時々聞いていた。まるで雄吉のことを詠っているような歌詞が流れるひこうき雲を聞き流しては、雄吉のことを偲んでいると、机の上に放り出したスマホがぶるぶると震え出す。

何事かと思ってスマホを手に取ると、それは啓太からの着信だった。通話ボタンを押して、啓太の声を聞くと、彼も自分の大学の試験が終わったみたいでかなり興奮気味に話してくる。雄大にとって啓太は、高校時代の友達でも一、二を争うくらいの親友なのだが、雄大は文系、啓太は理系だったため、当然進路は異なり、彼とは大学も違うところになってしまったのだ。そんな親友との会話で、次の日曜日に早速親しいメンバーを集めてバドミントンをしようということになったのだ。


 久しぶりにバドミントンに熱中し、夢中になってシャトルを追い掛けると、どこか清々しい気持ちが湧いてくる。こういう気持ちは久しぶりだった。啓太と樹、それから聡一そういち孝之たかゆき康介こうすけという仲良しメンバーも参加してのバドミントンは、本当に白熱した試合が出来るので楽しい。ひとしきりバドミントンの試合を堪能して、コート際に座り込んで聡一と康介のシングルスの試合を観戦しているときだった。冷水機へ水を飲みに行っていた啓太と樹が戻ってきて、雄大の隣に座る。

啓太「雄吉さん、元気にしてる?」

雄大「えっ?!」

久しぶりにその名を聞いた。誰かが“雄吉”と呼ぶ声を聞くことも、家の中でも無くなっていたのだ。

樹「夏休みだしよ、雄吉さん、またこっち遊び来たりしないんか?」

雄大「どうだかな。」

適当に誤魔化してみる。まさか「もうこの世には居ないです」とは言えたもんじゃない。

啓太「また遊び来たらさ、一緒に連れて来いよ。」

樹「二人で話してたんだ。雄吉さんも居たらきっともっと楽しめるって。」

 聞いたか、雄吉。おまえが居てくれたらもっと楽しめるって、みんな言ってくれてるぞ。よかったな!

心の中で、雄吉に向けて呟く。しかし・・・。

雄大「ありがたいことだけど、そうそうこっちに遊び来れる訳じゃないんよ。」

と、冷めた口調で言ってやる。

樹「何でだよ?」

雄大「え?」

理由を求められても、あらかじめ何かしらの対応策を立てていた訳じゃない。こういう場合には何といえば無難に逃れられるだろう。

啓太「遠くに住んでる、とか?」

それだ!!

その手で行こう!!

啓太サンキュー! お前は本当良い奴だ! 愛してるぜ親友!

雄大「そ、そうなんだよ! 遠くに住んでるから、そうそう簡単にはこっちへ来れないんだって。」

取り繕うように冷静さを保って話す。

樹「ふ~ん。どこ住んでんだ?」

雄大「えっ・・・。」

そんなこと聞くなよ!!

胸の内で悪態を突く。しかし、どこか適当な遠くの場所を言ってやればいい。遠くであって、横浜まで来るのにも苦労する場所。

大阪! は新幹線で簡単に来れるし・・・、仙台! も新幹線ですぐに東京だ・・・。

えっと、雄吉、どうしようか・・・。

そうだ!!

雄大「たしか、鹿児島県だったと思う。」

樹「鹿児島?」

啓太「あぁ、確かに、遠いな。飛行機乗らないと来れないしな。」

雄大「そ、そうだろ。」

樹「そっか。まぁ、またこっち来ることあったらさ、一緒にやろうぜ。」

雄大「おう、伝えとくよ。」

そのときは、その場で雄吉の話題はおしまいになった。

咄嗟に鹿児島県と言ったのは、何も適当に遠い場所を見つけて言った訳では無かった。雄吉が生前、最後に飛び立った場所を想像したからだった。

九州は、鹿児島県の知覧ちらん飛行場が、雄吉が特攻出撃した場所であった。

 そういえば、俺は知覧がどんな場所なのか、あまり知らないな。

既に別の話題で盛り上がる啓太と樹を他所目にして、そんなことを思う。


 その日、自宅に帰ってから、雄大は久しぶりに仏間へと行き、位牌と遺影が並ぶ仏壇の前に座った。そして、古めかしい白黒写真からカラー写真に変わった笑顔の雄吉が写る遺影を手に取って見詰める。箱根旅行に雄吉を連れて行った際に、父の一眼レフで撮影された写真の一部を切り取ってプリントしたもので、真っ直ぐであどけない笑顔が印象的な雄吉が写っていた。雄吉が旅立ってまもなく、父が差し替えたのだ。それまでは、色褪せて茶色に焼けつつあり、恐らく出征前に撮影したであろう軍装で精悍な顔立ちをして立っている雄吉が写っていた白黒写真が遺影に使われていたのだが、今は優しい笑みを浮かべ、野球帽を被り、現代のカジュアルな服装を纏った愛らしい好青年の雄吉が写ったカラー写真になっている。まるで終戦前に亡くなった人の遺影には見えないのが滑稽だったが。

雄大「雄吉・・・。」

溢れ出しそうになる涙を抑えるため、両目を固く瞑る。

雄大の脳裏に、雄吉との別れの場面が浮かび上がる。

これから旅立とうとしているのに、ニコニコと穏やかな笑顔で、優しい眼差しを向けてレザー製のハードカバーが印象的なノートを託してくる雄吉。

“僕のノート、預かっといてよ。”

そう雄大に囁いてくれた。

 雄吉おまえから受け取ったノート、俺が中を見てもいいのか?

そう念じながら両目を見開き、そして手にしていた雄吉の遺影を見詰める。

「うん、いいよ!」

なんとなく、雄吉が笑いながらそう言ってくれているような気がした。

雄大は遺影をそっと元に戻し、両手を合わせてもう一度目を瞑って祈りを捧げると、すぐに仏間を出て二階の自室へと向かう。そして、雄吉と別れた日からずっと封印してきた机の一番下の引き出しを開ける。そこには、あの日と同じ向きで横たわるレザー製のハードカバーのノートが、開けてくれる日を待つかのようにしている光景があった。そのノートを引き上げて机の上に置くと、雄大は一度深く深呼吸をする。そして、ハードカバーの表紙をめくり、最初のページを開く。

そのページは破り去られており、恐らく知覧飛行場に居た女学生が雄吉へ宛てて書いたという寄せ書きがここにあったのだろう。雄吉と別れる直前、雄吉は寄せ書きのページは破って自分の飛行服の左肩へ縫い付けたと言っていた。いったいいつそんなことをする時間があったのだろう。いや、結構可能な時間はあっただろう。朝はいつも自分よりもかなり早く目覚める雄吉だ。ノートの1ページを破って服に縫い付ける時間なんていくらでもあったはずだ。

 次のページをめくる。

そこから先は、雄吉が書いたであろう字で日付と文章が書き綴られていた。


『7月16日(木)

 2015年 7月16日

 前に書いた日記が、昭和20年の6月3日だったから、70年振りの日記になる。なんてね。

 いったい何が起こったのか、皆目見当が付かない。僕は死んだはずではなかったのか。昭和20年6月6日 13:40に知覧を飛び立ち、16時頃に体当たりを決行した。目の前に敵の駆逐艦が迫って、ぶつかると思って目を閉じた。だけど、次に目を開けると、とても立派で荘厳な寺のような場所にいて、観音様みたいなお方が僕に話してきた。望み通りに未来の故郷を9日間だけ見せて差し上げると。確かに、自分が死んだ後の日本を見てみたいと冗談半分に言った憶えはあるが、それが実現してしまうなんて、本当に世の中とは何がどうやって起こるか知れたものではない。

 ただ、70年後に生きる子孫たちには感謝だ。突然現れて、さぞかし驚き、戸惑わせてしまったであろう僕のことを、温かく迎えてくれた。特攻に往ったことを褒めて下さった。こんなに嬉しいことはないと思う。

 これから八日後まで、この70年後の故郷で、本当に最期のときを過ごす。一つ年下の雄大とは仲良くなれそうだし、この時代を生きる海村家の人々とも上手くやっていけそうで良かった。

 突然お邪魔させてもらいますが、どうぞよろしくお願いします。』


 本当に、突然だったよな。雄吉アイツが来たのって。


『7月17日(金)

 今日は雄大に故郷を案内してもらった。70年後の故郷の姿は、本当にここは自分の故郷なのかと思うほど変わり果てていて、過ぎ去りしときの長さを感じるほどだ。でも、夢のような世界になっていた。家が増えて、この町に住む人々がたくさん居てくれて、みんな自動車を持っている。こんな世の中がやってくるなんて、驚きだ。この町にも省線しょうせんの電車が停まる駅が出来ていて、長い編成の銀色に輝く電車がとても速い速度で走り抜けていく。母校の日大中学の校舎が無くなっていたのは信じられなかったが、別の場所に移転して存続しているらしいから良かったと思う。しかし、この町には憲兵や兵隊の姿が見当たらない。それに、この時代の人々の様子を見るに、なんとなく奔放な気がする。何が奔放な気にさせるのかはっきりとはわからないが、僕の持ち合わせている概念とは違ったもので生きているような感じだろうか。あの戦争は、僕が死んでから間もなく終戦になったと雄大に教えてもらった。敗戦だったらしい。あの状況考えたら、当たり前な結果だと思う。だけど、その後の日本では何が起こったのだろうか。この時代と、僕が生きてた頃の人々の様子がまるで違うように感じるのは、この70年の間に何かが起こり、変遷を繰り返してきたからだろうと思うが、それが何か、知りたい。本来ならば生きてるはずのない人間が、知ってしまっても良いのだろうか。』


 雄吉アイツ、この街案内したときにそんなことを感じながら歩いてたのか。今の時代の人間が、戦時中とどう違うのか、ずっと考えてたんだな。


『7月18日(土)

 今日の朝、雄亮お父さんと将棋を差した。僕からしたら甥っ子にあたるお方だけど、70年後の世界では僕よりも甥っ子の方がすごい年上。年齢的には自分の父親よりも上だから、可愛い甥っ子というよりもお父さんって感じだから、笑える。お父さんに、僕が家族に宛てて書いた遺書とか、遺品とかが残っていないか尋ねると、昔はあったらしいのだが、雄造の遺品を整理したときには見つからなかったと話していた。いったい、僕の手紙とかはどこへ行ってしまったのだろうか。でも、一度はこの家に届けられて、家族に一目見られる機会があったことは間違い無さそうだから、安堵の念が広がった。

 日中には、雄大がみなとみらいと呼ばれる、この時代の桜木町の沿岸部や東横浜貨物駅辺りを案内してくれた。この時代にはもう貨物線の線路やコンテナ置き場や船の接岸用の堤防とかは無くなってしまっていたが、天にも届きそうな高い建物が何棟も建って、そして面白い遊具がたくさんあって、人々でとても賑わった場所になっていた。あの貨物置き場があんなすごい観光地に変貌を遂げるなんて、あの時代の人たちは想像すらしたこと無いだろうな。

 そんな遊具の中には冬の北海道と同じくらい寒くしてある建物もあって、真冬の北海道で過ごすのは大変なことなのだということを、まさか死んだあとに身を以て知ることができるとは。

 夜、海村家の皆さんに特攻出撃したこととその栄誉について祝福されて、お寿司をご馳走になった。こんなにお祝いして下さって、特上寿司まで用意して頂いて、本当に嬉しいことこの上ない。心から感謝してます。

 敗戦してからの日本のことを雄大から聞いて、正直なところ、とても悔しい。とてもやり切れない思いが突き上げるように湧き上がった。しかし、敗戦の屈辱を受けた中で、戦後の日本で生き続けなければならなかった、生き残った人々はもっと苦労しただろうし、想像を超えるほどの辛酸を舐めたに違いない。もしかしたら、あの戦争で命を喪って、終戦直後をすっぽかしてひょっこりと70年後に現れた僕は、ある意味で幸いなことなのかもしれない。雄大が言うには、あの後に連合軍の下で日本が変えられたことで、戦争の無い自由な時代になったみたいだ。それなら、それで良かったんだとも思う。負けたことの悔しさはあるが、戦いを繰り返さなくなって、皆が豊かになれたのであれば、御の字だと思う。戦争で血を流すことなんて、何も幸せなことを生まないのだから。

 こんなこと、あの頃に字にしたら大変なことになってただろうな。もうあの頃とは違う。せっかく最期に70年も先の時代に滞在させてもらっているなら、この時代を思う存分楽しもう。』


 やっぱり、敗戦したことは、悔しかったんだな。それでいろいろ思想とかが変えられてしまったことにもどかしい気持ちになってたんだ。それでも雄吉アイツは、この時代のことを受け入れてくれた。戦争のない平和で自由なこの日本を、受け入れてくれたんだ。雄吉アイツも、いや、戦争で消えていった雄吉アイツだから、戦争の哀しさや虚しさを知っていて、平和への尊さに気付いていたんだな。だから、今の日本を受け入れてくれた。


『7月19日(日)

 今日は海村家の皆さんに、箱根へ連れて行ってもらった。この時代の車に乗せてもらって、高速道路っていう速く走れる車専用の道を走ってくれた。こんなに便利な物が簡単に使える時代なら、遠くへ出掛けるのも当たり前になっているんだろうな。本当に羨ましい。家族で箱根にも、もっと遠くへも行けただろうから。

 他にも、芦ノ湖で海賊船に乗ったり、箱根の関を見学したり、箱根神社を参拝したり、自然薯の蕎麦をご馳走になったりして、箱根の温泉にも連れて行ってくれた。ずっと憧れだった箱根の湯、硫黄の香りが身体に染みて、本当に身体の芯から疲れが抜けていくようだった。

 温泉に入りながら、雄大は僕に、「僕の人生っていったい何だったんだ」って聞いてきた。そのときは上手く答えられなかったけど、たぶん、御国の為にって思うことでどんなことにも耐えてきた人生だったように思う。雄大のように、なんでも自由にできた訳でも無いけど、それでも、これが僕の人生の道だって思えるから。満足しているかって聞かれたら、ちょっと答えにくいけどね。雄大が生きているこの時代を知ってしまって、いろんなことに挑戦できるこの時代の人たちが羨ましく思えたりもするから。

 だけど、その分、自分が何を成すために生きているかってことがはっきりしなくて、途方に迷いながら、自分の軸を作っていかなきゃいけないことをお父さんから聞かされて、きっと雄大たちは大変な世の中を生きているんだって思った。

 いつの時代も僕たち若者は、いろいろ悩みながら一歩ずつ前に進んで行くものなのかもしれない。それなら、もうどんなことも本気出して、どんどん前に進んで行った方が良いよね。それだけは、僕はよくわかっているつもりだ。だから、雄大たち、この時代を生きる人も、そうすれば見えてくるものがあるって、僕は信じたい。』


 自由って、いったい何なんだろうな。雄吉おまえも、迷ったり、見失ったり、落ち込んだりすることも、あったのか?


『7月20日(月)

 今日は雄大の高校のときの友達とバドミントンをした。バドミントンというスポーツがあることは知っていたが、まさか実際に体験できる機会が訪れるとは、夢にも思わなかった。一度もしゃとるという羽根を落としてはならない点は、羽子板同様だが、ラケットが想像以上に軽く、そして羽根を打つとすごく伸び良く高く飛んでいくものだった。久しぶりに思い切り身体を動かすことが出来てとても爽快だったし、雄大ともとても親密になれたような気がした。

 夜には、短歌を調べる大学の課題を雄大と一緒にやった。まだまだ浅い知識だったから申し訳ないほどだが、それでも雄大は大助かりだったみたいで安堵した。

 大学で知り合った友達皆で歌を詠み合った日々が、懐かしい。夜通し好きな歌人の句を吟じ合って、下手くそな歌を作って披露する。そんな奔放な日々が、ずっと昔のことのように思い出され、大学という学びの園へ再び足を運んでみたくなった。もう、叶わぬ夢でもあるのだが。』


 まだまだ、何かに挑戦したり、じっくり勉強に打ち込んだり、やってみたいことだらけだったんだな。満足に大学生活も送れずに、戦争へ連れて行かれて、死んで・・・。

 やれることは、全部やってやるよ。雄吉おまえの分も。


『7月21日(火)

 今日は家でのんびり過ごした。家の縁側に寝そべって、穏やかな気持ちのまま庭に咲く花や、緑鮮やかな木々の葉を眺めて、ただただ時間の過ぎ去りしことを愉しむ時間を得たのは、いったいいつのことだっただろう。


蒼空そうくうの 真夏の庭に 寝転びて

とき思ふ日々 いと懐かしき


 昼前に、庭の木の剪定を始めたお母さんを手伝って、屋根に上がって木の枝を落とした。庭の手入れを手伝ったのは、もう中学生の頃以来だったか。あの頃は、父に無理矢理連れ出されて嫌々やっていたのだが、今日は不思議と自分からやってみたいと感じた。これが庭の手入れを手伝う最後のことになるというのと、美恵子お母さんを通じて自分の両親への恩返しをしたいと思っていたからだろう。実の両親に直接できる訳ではないが、特攻隊に入隊してからずっと心残りだった親への恩返しを果たしたいとの思いを叶えてくれる、最後の機会だったと感じている。今日のことがあったからと言って、何もかもが報われることは無いのも全て承知だ。きっと、僕が死んだことを知らされたとき、父は涙を呑んで万歳三唱したでしょうし、母は人目をはばかんで声を上げて泣いてしまったことでしょう。姉さんと雄造も、誰も見てない部屋の片隅で。そのことを思うと、今でも自分が進んだ道が正しかったのか、惑うこともあるから。向こうへ往ったら、とことん恩返しを果たします。

 

 それと、ぱそこんという機械は本当に素晴らしい。知りたい言葉を機械に打ち込んでみると、すぐさま関連した情報が押し寄せてくる。万葉集の知らない歌も解説付きで載っていたりと、とにかく便利だ。ただ、何でもすぐに解説が手に入ってしまい、自分でどういう背景で詠ったことなのか想像することを忘れてしまいそうだ。それはそれで、悲しいことでもあるように感じる。いろいろ思うところはあるが、このぱそこんのお陰で、僕の遺書がまだ健在であることがわかって、ホッとした。まさか、そんな使い方されるなんて、ちょっと照れるな。』


 俺が居ない間も、のんびりと過ごすことが出来たみたいだな。それに、庭の木の剪定まで手伝ってくれていたのか。

 それにしても、雄吉アイツがパソコン使って検索してたなんてなぁ。

 それより、パソコン使って雄吉アイツの遺書が健在だってわかったって、どういうことだ? あんな使い方されるなんてとか書いているから、何かに使われてしまっているんだろうけど、何だ?


『7月22日(水)

 この時代にやってきて七日目。僕は何故気が付かなかったのだろう。それは、すぐに先祖に帰郷のご報告へ参らなかったことである。いろいろ不可解なことや、時代の違いに戸惑っていたため失念していたが、それだけはきちんと為さねばならぬこと。今日になって、ようやく先祖の墓参りへ行くことが出来た。墓の場所は変わっていたのには驚きだったが、海村の先祖の他、父や母、それから雄造とその奥さんが眠っており、海村の先祖たちが眠っている場所なのは変わらない。墓前で、姿勢を正して両手を合わせたとき、不思議な感覚を覚えた。まさか自分が家族が眠る墓の前に立って、手を合わせているなんて。それどころか、自分自身もこの下に居るのではないか。そんな気がすると、とても不思議な感覚だ。小気味の悪い感じもした。きっと、もうすぐ僕もそこへ還ることになるんだろう。自分が入る墓がどんな場所にあるのか、下見でもしているようなものだろうか。滑稽な話だ。

 墓参りの後は一人でこの70年後の故郷を散歩してみた。見える物の多くが新しい物ばかりで、違和感のような変な感じだったが、そこで暮らす人の営みは、なんとなくだがあまり変わっていないような気がした。せせらぎや広場で子どもたちが楽しそうに遊んでいたり、道端で買い物途中の奥様方が談笑している様子は、あの頃と何一つ変わっていないことだった。きっとこれからも、こんな平穏な日々が続いていくのだろうな。どんな時代でも、きっと同じ姿がそこにあるような気がした。』


『7月23日(木)

 今日は雄大の大学通学に付いていくようにして東京へ行き、雄翔くんに都庁や靖国神社、スカイツリーを案内してもらった。

 本当に、東京には高い建物が増えた。スカイツリーの高さときたら、夢か幻かわからぬほどに高く、ついつい唖然としてしまった。これだけ日本の技術が高くなり、世界からも驚かれるほどに優れた力を持ってくれると知って、本当によかったと思う。世界中からも訪問してくる外国人も多いと聞いて、あの頃のような常に戦いを意識した日々が幻だったように、自由に、平和な日本に変わったのだと実感した。

 ただ、靖国神社へお参りして、遊就館に立ち寄ったとき、気付いた。僕は、死にたくないのだと。既に死んでる身の上、どうしようもないことは重々承知のはずなのに、どうしてこんなにも辛いのか。自分が死んでるという事実を向けられていることに、何故こんなにまで抗いたい気持ちにさせるのか。雄大や雄翔くんは、この時代に生まれ、戦争の緊迫から解放された平和な世の中で、自分のやりたいように自由に生きていること、これからもそんな世の中で生きていけることが、本当に羨ましく見えてしまうことが、何よりの証拠だろう。僕は、死にたくないのだ。特攻出撃して戦死した人生に、悔いを覚え始めている。もっと生きたい。もっともっと、いろいろなことに挑戦して生きていきたい。みんなと一緒に、もっと思う存分生き抜いてみたい。そういう生への憧れや羨望、望みとかの諸々の思いが積もり積もっていく。

 どうしよう。こんな気持ちになるなんて。明日僕は、往かねばならないのに。

 同じだ。あの日も、こんな感じだった。特攻出撃する前日に感じたのと同じ思いだ。結局、というか、やっぱり、僕は二度目の最期の前日にも、生きたいという思いが強くなって、惑ってしまった。


 夜中、雄大にその旨を打ち明けて、思い切り泣かせてもらった。だからなのか、少しすっきりしたよ。

さぁ、最期の一日が始まりだ。』


 雄吉・・・。苦しんでたんだな。やっぱり雄吉アイツは、すごく生きたかったんだ。死にたくなんてなかった。まだまだやりたいこともいっぱい残っていて、それを全部諦めたくなんかなかったんだ。もっともっと、生きたかったんだ。

雄吉と別れる前夜、その思いを雄大の前で爆発させて、雄大の胸の内で号泣した雄吉の震える丸い背中を思い出す。いつまでも泣き続けた雄吉。朝が来るまで泣き通すのかと思うほどに、大泣きしていた。まだまだ若輩とはいえ、立派に成人した男子がここまで泣きじゃくる姿など、雄大は見たことがなかった。終いには声がガラガラに嗄れてしまい、声を出すのも辛そうなくらいであった。だが、そのような号泣をしてしまうのは仕方の無いことだ。雄吉の心の内で蠢いていた生への憧れと、死にゆく宿命の狭間で押し潰されてしまっていたのだから、あれくらいの号泣では足りないのではとも感じるほどだ。


『7月24日(金)

 雄大、雄翔くん、雄亮お父さん、美恵子お母さん

 9日間、本当にありがとうございました。

 突然やってきてしまった僕のことを、本当の家族のように温かく迎えて下さり、そして親切にして頂いたこと、深く感謝しています。お蔭様で、僕の人生において、最期の最期をとても愉しく、明るく、元気に、そして穏やかに飾ることが叶ったと思います。

 このご恩を何かしらお返しできればと思ったのですが、もうそれも出来そうにありません。それだけが、唯一心残りです。もう一つ、僕がやってきてしまったことで、皆さんにも家族をうしなうことと同じような哀しみを与えてしまうのではないかということです。僕が特攻戦死してしまったことを哀しんだであろう自分の家族だけでなく、70年後を生きて、本来ならば感ずる必要のない哀しみを背負ってしまわれることを考えると、本当にいたたまれない気持ちでいっぱいになります。ですから、どうか笑ってやって下さい。僕の魂は、最期に愉しい思い出でいっぱいに包み込まれながら天へと昇っていったと、そう思って、笑って空を見上げてやって下さい。

 どうかいつまでもお元気で。海村の家が永く栄えることを、天から祈っております。


 雄大

 雄翔くん

 最期まで見送ってくれて、ありがとうな。君たちと過ごせたお陰で、本当に素晴らしい時間を過ごすことができたよ。

もっともっと、一緒に、これからもずっと、共に生きていけたらなんて幸せだろうかと、何度も思っては、涙を堪えることがあった。戦争が無くなって、いろんなことが便利になっていて、好きなことも自由にやって生きていけるこの時代が、僕は好きです。だから、ここでお終いなのがとても憎い。雄大や雄翔くんみたいに、まだまだこの時代を生きていけることが、すごく羨ましいと思う。悔しいけど、今は諦めて、次に生まれ変わるのなら、絶対に戦争の無い自由な気風で満ちたこの時代にやってくるぞって、強く願っているよ。悔恨とか、羨望とか、失望とか憎悪じゃなくて、希望を抱いて、天へと向かうよ。

 雄大、雄翔くん。僕の分まで長生きして、満足いく人生にしてくれな。

 最期まで一緒に居てくれて、嬉しかったよ。ありがとう。さようなら。

        海村 雄吉』


雄大「雄吉。」

いつの間にか、雄大の頬に一筋の哀愁が流れ落ちていた。

雄吉は、このノートを託してきた。自分の最期の言葉として、雄大にこのノートを託してきたのだ。

雄大はページをもう一つ捲ってみる。まだまだ雄吉の言葉が続いているような気がしてやまないのだ。それはまるで、雄吉の死を直視したくない気持ちに駆られて、無意識のうちに身体が動き出してしまうようであった。

しかし、次のページは何も書かれていない、白紙のままだった。それでも、次のページへと捲り続けてしまう。何か雄吉の言葉が残っていないのか、探し続けてしまう。

白紙のノートに目を通しながら、ついつい思ってしまう。

 何やってんだろう、俺。

 もう、雄吉は「さよなら」って、言ってたのに・・・。

自分でもそれくらいわかっている。でも止められない。

これから開かれようとしているページの束が薄くなる。もう、残りは2、3枚くらいだろうか。

何も書かれていない、真っさらな虚しさを見詰める。そして一枚、次に微かな期待を込めて捲る。

空虚がそこにあった。

もう一枚、虚しさを捲る。

雄大「はぁ。」

溜め息が出る。次が、本当に最後の一枚になるからだ。

雄大「はぁ・・・。」

捲るのが躊躇われるが、次を見ても見なくても同じ気持ちになるなら、やってしまおうとも思う。

雄大「はぁ。」

意を決して、最後の一枚を捲る。

やはり、想像通りの、何も汚れも異変も混じりっ気もない、純白がそこに広がっていた。

ただ・・・。

雄大「ん?」

そのページに違和感を覚える。

真っ白なページに、コピー用紙のような蛍光材を含んだ異様なほどに白い紙が二つ折りにされて、その存在感を大にするように挟み込まれているのだ。

雄大「何だろ?」

訝しみながらも、挟まれていた紙を手に取ってみる。ボールペンか何かで書いたような文字が型取りのように浮き出ていて、内側に文字が書かれていることはわかった。

その紙を広げてみたとき、間違いなくそこに記された言葉も雄吉が書いたものであることを悟った。筆跡がノートに書かれた日記のものと同じだったからだ。

そこには、何かのメモのようにして書いた文字が並んでいる。

雄大「知覧特攻平和会館?」

知覧と言えば、雄吉が生前、特攻出撃して飛び立っていった基地がある場所だった。雄吉だけじゃない。多くの特攻隊員たちが、知覧から飛び立っていったと聞いている。だからなのか、現在の知覧に特攻隊に因んだ施設があるということなのか。

いったい、雄吉が何を意図して『知覧特攻平和会館』というメモを残したのだろう。加えて、現在に存在する施設について、案内も説明もしたことが無いのに、何故雄吉が知っていたのだろうか。

メモの紙をもう少しよく見てみる。

すると、『知覧特攻平和会館』の文字からうんと下の方に小さく書かれた文字があった。きっと、老眼の入った父や母ならばかなり離して見なければはっきりと読めないのではないかと思うほどだ。


『雄大へ

 ついに見つけたよ。僕の遺書とかが保管されてる場所が、どこなのかを。上に書いた場所が、どうも保管してある施設らしい。

 どおりで、この家からは見つからない訳だよ。ここではない、他所にあるんだから。

 見つからない物が見つかって、僕はもう思い残すことはないよ。

最後に、辞世の句を記す。


いつの世も 雄たる若き 平押しに 

絶えることなく 大和の魂

      海村雄吉』


 “雄たる若き平押しに”

 “絶えることなく大和の魂”

 特攻隊の精神のことを詠っているのかな?

 これからも、そういう武士道的な精神を貫ける若者が続いてくれってこと、言いたいのか?

 雄吉アイツにしては、なかなか荒々しい気持ちが込められた歌だな。

そんなことを思う。

さて、どうやら知覧特攻平和会館という場所に雄吉の遺品が保管されているようなのだが、そもそもその施設はいったいどんな場所なのだろうか。

早速雄大はスマホを手に取り、“知覧特攻平和会館”と検索を掛けてみた。

すると、当然のように検索結果の一番上に知覧特攻平和会館のホームページが出てきたので、躊躇うことなくアクセスする。そして、そこがどういう背景と目的で設立された施設なのか調べる。

 一通りホームページに目を通したところで、雄大は一気に力が抜けたように肩を落とす。

 そういうことだったのか。

納得がいった。

知覧特攻平和会館とは、特攻隊員たちが飛び立っていった飛行場の跡地に建てられた施設で、特攻隊員たちの遺書や遺品などを保管・展示し、特攻が始められる歴史的背景や隊員たちが特攻出撃するまでの生活などを解説して、後世に特攻という事実があったことを伝えて、恒久なる平和への尊さを伝えるために設立された施設だった。

恐らく、雄吉はパソコンを使って、何らかの自分や特攻隊に関する情報を検索して、この知覧特攻平和会館のホームページに辿り着いたのだろう。そして、自分の遺書などがここに収蔵されて展示されていることを知って、雄大に知らせてきたというところだろうか。

 知覧特攻平和会館か。そこには、雄吉の遺書もあるのか?

雄吉が自分の家族に宛てて書いた最期の言葉がそこにある。

そう感じると、どこか心の内がくすぶられるような感覚になり、落ち着きが無くなって居ても立ってもいられなくなる。まるでそこに雄吉が居るかのような気にさせてくるのだ。

 行かないと! 雄吉に会いに、知覧に行かないと!

しきりにそう思い、気が付けばノートパソコンを起動させて、航空会社のホームページにアクセスしていた。羽田空港から鹿児島空港までの航空券の予約サイトが画面いっぱいに表示される。

雄大「高っ?!」

値段を見ると、間もなくお盆シーズンということもあって、直近の航空券の価格は割高になっていたのだ。

往復の運賃だけで六万円を優に越えてしまう。鹿児島へ日帰りで出掛けることは難しいので、鹿児島での滞在先も確保しなければいけないことを考えると、更に費用は増えてしまう。一泊二日の日程で知覧へ行ってくるとしても、一度は宿を取りたいところだが、もう安いホテルとかであれば予約でいっぱいだろうし、残っている場所は比較的高めに設定されたプランを利用しなければ部屋を取れないだろう。更に費用が上がるということだ。

 さすがに、10万近く掛かるのは、ちょっと悩むな。

それでも、くすぶられ続けて焦がされた心は、冷めていく気配を一向に見せようとはしない。それどころか、知覧特攻平和会館までの道筋が示されたことで、より一層の欲求が増した。

雄大「こういうときは!」

飛び出すように自室を出て、階段を駆け下りて、リビングへ直行する。ちょうど出来上がったばかりの鶏の唐揚げを盛った皿をテーブルに置こうとしている美恵子の姿があった。

 リビングへ突然入って来た息子の様子に、美恵子は驚いた表情を見せてくる。それもそうだろう。2階の自室から1階のリビングまでの僅かな距離でも、何かに取り憑かれたように全力で疾走してきたため、雄大は息が上がってしまっていたのだ。

美恵子「ど、どうしたのよ? そんなに慌てて。」

返事をしようと思って口を開けようとするも、荒い呼吸を整えるのに精一杯で言葉が発せない。ただただ、「はぁはぁ」と息をするだけしか出来ない。

美恵子「座ったら? その方が落ち着くでしょ。」

美恵子に言われた通りに、のそのそと重く感じる身体を動かして、椅子の上に座る。いや、崩れた。美恵子も雄大に向かい合うようにして椅子に座る。

美恵子「いったいどうしたの?」

ゆっくりと息を吸い込む。そして、のんびりと吐き出す。

 もう、話せるかな。

そう思い、口を開けてみる。

雄大「あ、あのさ。」

 なんとか、話せそうだぞ。

安心する。このまま言葉にならずに崩れた切り戻れなかったらどうしようかと、恐れを抱くほどに悶絶していたのだ。

雄大「今度のお盆、家族旅行で鹿児島へ行かない?」

美恵子「え?!」

突拍子もないことを切り出しているのはわかっている。でも、退くわけにはいかない。雄吉の最期の言葉が遺されている場所なのだ。なんとしてでも行かなければ。



 このようなことがあって、結局海村家はこの年のお盆休みに鹿児島へ二泊三日の日程で旅行することになったのだ。雄大としては、ただ知覧へ行って、知覧特攻平和会館を訪ねたらそのまま帰るつもりでいたのだが、せっかく鹿児島へ行くのだからという理由で雄亮が積極的に計画を練ってくれて、しっかりとした家族旅行になったのであった。

初日に鹿児島入りしてすぐに知覧特攻平和会館へ向かい、翌日は指宿いぶすき開聞岳かいもんだけなどを見て巡るそうだ。あまりにも知覧特攻平和会館のことが頭にばかりあったため、雄大は二日目以降の行程をほとんど把握していなかった。ただ、今はそれ以外のことを考える余裕がない。二日目以降のことなど、周りの家族に任せておけばいい。

 それにしても、うちの家には突然家族で鹿児島旅行する計画をしても実行できるだけの財力があったなんてな。

羽田空港へ向かう車の中で、ふとそんな皮肉を覚えたものだ。


 いつの間にか、窓の下には陸地が広がっている。本州の陸地ではなく、九州の大地だ。

間もなく機内の放送で、これから着陸態勢に入る旨の案内が入ってきた。

 いよいよ、雄大は雄吉最期の地である鹿児島県に降り立つ。




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