3-5

 ホームタウンに戻ってきたことから、どこかホッと安堵するような落ち着きを感じながら、雄大と雄吉は歩いていた。

 駅から一度商店街の方へ向かい、商店街を少し先へ行ったところにある雄大が贔屓にしているラーメン屋で遅めの昼食を食べ、それから自宅へ向けて歩いていた。

ラーメンを食べること自体は、雄吉は初めてのことでは無かったようだった。

食事中に、雄大が雄吉に支那そばを食べたことはあるのかと尋ねたところ、南京なんきんまちにある中華料理屋へ行ったときに食べたことがあったそうだ。南京町がどこなのか聞いてみると、現在の横浜中華街のことのようで、雄大も納得した。

 自宅に戻ってきたときには、すでに17時を過ぎていた。

なんだかんだで、半日は出歩いていた。

雄大の部屋に戻り、荷物を置くと、帰宅したという安息からか、一気に疲れが溢れてきたような気がする。

雄吉「今日は、ありがとうな。この時代の横浜の事、たくさん案内してくれて。」

嬉しそうな、無邪気な笑顔を湛えながら、雄吉は雄大に言ってきた。なんとなく、雄大は嬉しさを感じた。

雄大「いいって。俺も、なんだかんだで久しぶりに桜木町を見て回ったし。俺も楽しかった。」

笑顔でそう言ってやる。雄吉も安心してか、嬉しそうな笑みを見せてきた。

雄吉「うん。」

雄大「明日は、どこか行きたいところとかあるか?」

せっかく70年後の横浜にやってきたんだ。行きたいところがあるなら全部巡って見せてやりたい。そう素直に雄大は感じていた。

雄吉「う~ん、そうだなぁ。」

腕を組みながら、雄吉は見てみたいところがあるか考えているようだ。

雄大「まぁまだ明日まで時間あるから、ゆっくり考えるといいさ。」

雄吉「うん、そうするよ。」

言い終えると、雄吉はニッと爽やかに笑った。

雄大「それよか、汗すごい掻いただろ。」

この日は曇り空のためか、気温は30度くらいまで上がっただけで済んだが、それでも蒸し蒸しとした湿った空気が澱んでおり、少し身体を動かしただけですぐに汗が流れるのを感じるほどだった。地元に戻ってきてからは、少しずつ雨が降り始めたこともあり、身体は汗と雨で至る所が濡れていたのだ。

雄大「風呂先入って来いよ。さっき風呂沸いてるの、給湯器のモニターで見たし。」

雄吉「いいの?」

雄大「おう。」

雄吉「うん。ありがとう。それじゃ、先にもらうよ。」

雄吉は部屋着として使わせてもらっているジャージを畳まれた布団の上から取ると、そのまま部屋を出て行こうとした。

雄大「そうだ!」

雄吉「うん?」

廊下への襖の取っ手に手を掛けた雄吉が、何事かと言わんばかりに首だけ後ろに回して雄大のことを見てきた。

雄大「雄吉用に買ったパンツ、持って行けって。」

雄吉「あ、うん・・・。」

横浜で買い物をしているとき、服の他にも雄吉に必要な物を揃えていたのだ。その大部分が下着になったのだが、パンツや靴下など、できれば専用の物を持っておいてほしい衣類については、替えも含めて少し購入しておいたのだ。

雄吉は忙しなく買い物袋の中身を取り出しては、その中からパッケージングされたボクサーブリーフを取り出していた。

2枚入りの袋の中から一枚を取り出して、広げて見つめる雄吉だった。黒字のアウトゴム部分に青い糸で縁取りされた白文字でスポーツブランドの名前が入っていた、黒いボクサーブリーフだった。あまり派手なデザインだと雄吉には抵抗があるかもしれないと思い、雄大が選んでやったのだった。

雄大「やっぱり、褌の方が良かったか?」

雄吉「え? いや、まぁ、いいよ。この時代の男子は、これを使っているんでしょ?」

裏表を確認するように、隈なく見渡す雄吉だった。そんな雄吉を見ているうちに、雄大は笑い出してしまいそうになってきた。

雄大「まぁだいたいはな。」

雄吉「だいたい?」

不思議なことでも聞いているかのように、雄吉は雄大に返してきた。

雄大「おう。そいつみたいな奴を好んで使う人は多いけど、他にも、うちの親父みたいにトランクスとかを履く人もいるしな。中には褌を好んで着用する人もいるらしいぜ。まぁこればかりはかなりの少数派だろうけどな。」

雄吉「そうなのかぁ。男子の下着も、この時代にはすごくたくさんの種類があるんだね。」

もう一度、両手で広げた黒いボクサーブリーフを見詰めながら雄吉は言っていた。

その視線が、今度は雄大に向けられる。

雄吉「僕たちは、大人になったら褌を身に付けるのが習慣だったからなぁ。褌を付けるのが大人になった証ってことだった。」

穏やかに語る雄吉だった。まるで、異文化交流でもしているかのようで、各人が自国の文明・文化を赤裸々に語り合うような温かい雰囲気だ。

雄大「なるほどなぁ。今じゃ大人も子どもも、みんな自由だぜ。」

雄吉「そうなんだ。」

感慨深そうに、雄吉はもう一度現代の下着の形を確かめるようにしながら言っていた。

雄大「やっぱり、慣れないか? それじゃ。」

なんとなく、雄大には罪悪感が涌いてきていた。というのも、どちらかといえば雄大が自分に必要な物が足らなくなるのが困るという理由で、雄吉用の下着を買おうと切り出したからだ。雄吉が使わなくなっても、自分用に転用も可能な物を選べば、自分のために自分のお金を使うことが出来ると思えたのもある。

それ故に、現代の男子の下着に慣れていない雄吉に強制してしまったようにも感じていたのだ。

雄吉「いや、慣れないって言うか・・・。もちろん、最初これを見たときは、この時代の猿股かって思ったから・・・。」

雄吉は雄大のことを見上げてきた。

雄吉「なんていうか、子ども扱いされてんのかって思ったけど。でも、雄大とか雄翔くんが同じようなの履いてるの見たら、きっと僕たちの頃の考え方がこの時代では違くなってるって感じて。」

言い切ると、雄吉はニコッと笑みを見せながら話し続けてきた。

雄吉「それに、褌よりも着けるのが楽だし。」

笑いながらそう雄吉が言ってくれたことで、雄大の罪悪感はかなり軽くなった。

雄大「あぁ。履くだけでいいもんな。褌だと、いろいろ着けるまでに大変そうだもんな。」

雄吉「うん、まぁね。付け方甘いと、寝て起きたときに大変なことになってるよ。」

笑いながら雄吉は言ってきた。

大変なことがどういう状況のことなのか、想像するのに雄大には容易であったので、雄大も大笑いした。

雄大「そんな状態で、おかんに起こされに部屋にやって来られたらヤバいな。」

雄吉「そう!」

お互い興奮しながら話していた。

まさか、雄吉とこういった話題で笑い合いながら盛り上がるなんてなぁ。

雄吉「母親にはなかったけど、姉さんには一回あったかな。」

雄大「え?!」

その現場、朝起きてはだけた浴衣の間から、解けた褌という破廉恥な格好で寝ている所へ異性の家族が入ってくる!

そんな現場を想像するだけで、雄大は背筋がヒヤヒヤするような恐ろしさを感じる。

雄吉「中学校に入学したときに初めて付けたんだけどさ、最初はお父さんから教えられながらやってもらったから良かったんだけど、次の日から自分で締めたら、やっぱり上手く出来てなくて、そのまま浴衣着て寝たら・・・。」

雄大「朝にお姉さんが起こしに来て?」

雄吉「うん。が飛び出してるからちゃんと収めなさいって言われながら起こされて、何のことだろうって下向いたら・・・。」

雄大「のか。」

雄吉「うん・・・。」

恥ずかしそうに笑いながら、雄吉は語ってくれていた。きっとその瞬間は顔から火が吹きだすほど恥ずかしかったに違いなかったろう。だが、もうそれも思春期の頃の酸っぱい思い出の一面だった。だから、過去の幼かった自分を見つめるような気持になって、笑いながら話せるようになっていたのだろう。

雄大「そのボクサーパンツなら、絶対に外れてが飛び出すことは無いから、安心だな。」

雄吉「確かに、そうだね。」

雄大「昔の日本人は、苦労してたんだなぁ。」

雄吉「まったくだよ。」

笑いながら、雄吉は部屋を出て行った。


 その晩の夕飯は出前の寿司であった。

雄亮の計らいで、雄吉の生前の功績について祝いたいとして、寿司を囲んで祝杯を共にすることを提案してきたのだ。

 それはちょうど、雄吉が風呂に入っている間に計画されていたため、事情を知っているのは雄亮と美恵子、それからたまたまリビングに降りた雄大と、部活から帰ってきてリビングで寛ぎ出していた雄翔の、現代の海村家の一員のみであった。

 そんなことがあったとは露知らず、雄吉は雄大と一緒に美恵子からの夕飯を知らせる声に応答するようにリビングへやってきた。

テーブルの上に置かれた寿司桶に並べられた、赤やオレンジ、黄色、緑、白、銀の色とりどりのネタが輝いているように見える。

そこに置かれた料理が何であるのかすぐに気が付いた雄吉は、テーブルの前へ寄って行き、じっと寿司ネタを眺めてから、雄亮と美恵子に向かって話し始めた。

雄吉「これ、どうしたんですか? お寿司なんて、何かお祝い事でもあったんですか?」

まるで誰かの慶事を喜ぶような表情で話す雄吉だった。まるで自分のために用意されていることなどとは気付いていない。

雄亮「そうだな。お祝い事があった。だから今日は寿司を囲んで祝杯を上げようと思ってな。」

雄吉「そうだったんですね!」

美恵子「さぁ、早く二人も座って。始めましょう。」

雄大は笑い出してしまいそうになるのをグッと堪え続けていたため、すでに腹筋が悲鳴を上げそうになっていた。そんな状態で、そそくさと席へ座る。雄吉も席に着いたことを確認すると、早速雄亮は雄吉のコップにビールを注ぐ仕草を見せてきたので、雄吉はコップを手に取って雄亮からのお酌を受けた。

雄吉「ありがとうございます。ところで、いったいどんなお祝い事なのか、聞いても良いですか?」

そんな雄吉の疑問を受けて、現代を生きる海村家一同は互いに顔を見合わせた。

雄亮「そうだな。まぁ、ちょっと待ってくれ。まずは乾杯してからとしようか。」

雄吉「は、はい・・・。」

雄吉は穏やかな表情のまま、どこか納得がいかないというような、困惑した視線を投げかけている。

雄大のコップにもビールが注がれると、一同が一斉に自分のコップを掲げ出した。

雄亮「それじゃあ、始めよう。今日は、特攻隊へ往って、勇気ある突撃を成し遂げた、雄吉くんの偉大なる功績を祝し、その生き様を称えて。」

雄吉「え?」

雄亮「乾杯!」

雄大&雄翔&美恵子「乾杯!!」

雄吉「か、乾杯!!」

5つのグラスが景気の良い音を立てていた。

そして、各々が最初の一口を味わう。雄亮など、一気にコップの半分ほどまでビールが減っていた。

それから、雄吉以外の現代の海村家の4人から拍手が送られた。

雄吉はというと、かなり驚いて困惑している様子だった。

まさか自分のことを祝ってくれるとは、全く予期していなかったことだったようだ。

雄吉「ありがとうございます!」

雄吉はまだ困惑した表情のまま、それでもみんなから拍手を浴びて照れ出したのか、少しばかり頬を紅潮させて礼をしていた。

美恵子「特攻隊に往って、命掛けて戦ってきた人を労うことって、本人を前にしては出来ないじゃない。でも雄吉くんは70年後の日本にやってきた。どうしてかは今も全然わからないけど、それでもすごい覚悟をして戦ってきてくれた身内のことを、しっかりとお祝いすることができるなら、やってあげようって、みんなと話してたのよ。」

雄吉「そうだったんですか。びっくりしちゃいましたよ。突然僕の事を祝してって言われて。」

しっかりと照れているようで、雄吉は頬を赤らめながら笑みを浮かべていた。

雄吉「でも、すごく嬉しいです。こうして、僕がやったことを祝ってくれて、本当に僕は幸せ者です。他の特攻隊の仲間たちはきっと、こんなふうに特攻隊に往ったことを、身内に直接褒めてもらうことも、祝ってもらうこともできなかったでしょうし。」

仲間のことを思い出しているのか、雄吉は寿司ネタをじっと見つめながら話していた。そんな雄吉を見ていた雄亮は、一度黙ったまま頷いてから自分のグラスにビールを注いだ。

雄亮「キミの仲間たちの分も、しっかりと称えて、もう一回乾杯しよう。」

注ぎたてのビールの綺麗な泡を見せびらかすように、雄亮はグラスを手にして掲げながら話してきた。そんな雄亮の言葉に、雄吉はまた「え?」と驚いていた。それでもすぐに雄亮の好意を解すと、自分のことのように嬉しそうな顔を見せていた。

雄吉「はい、ありがとうございます。」

雄亮「それじゃあ、雄吉くんの仲間たちの英霊を称えて、乾杯!」

再び5つのグラスが重ねられた。

美恵子「さ、食べましょ。」

雄亮「特上を頼んだんだ。遠慮しないで、思う存分食べてくれ。」

雄吉「本当に、どうもありがとうございます!」

雄吉は深々と頭を下げていた。

そんな雄吉を見ながら、雄大はどこか尊敬の念と、羨望の念、それから嫉妬の念が同時に流れてきていた。

コイツは本当にすげぇ奴だ。自分の命を亡くすのを承知で、国の為だって言って爆弾背負って敵の艦隊に体当たりしたんだから。そんなこと、簡単にできることじゃないと思うし、俺にやれって言われても、出来るかどうかわからない。だからすげぇ。そんなすごいことして、みんなからよくやったと褒められる。こんなにみんなから褒められることって、俺にも出来たりするのかな? もしみんなから賞賛を受けられるようなことが出来たら、どういう気分なんだろうな。やっぱり、気分いいのかな? そういう気分を、雄吉は味わっているのかな? 俺とほとんど年は違わないのに、それでも雄吉は、みんなから賞賛されて、祝ってくれることをやり遂げたんだ。もう命の無い状態にはなってしまってるけど、それでも、なんだかコイツを羨ましく思う。

俺たちのような若造は、なかなか自分が世の中の役に立っているって感じられることは、あんまり無いよな。バイトで働いてみても、それが世の中のことに比べたらどれくらい役に立っているのかなんて、何もわからないもんな。

雄吉は、間違いなく世のため、国の為に命を捧げてきた。役に立ってきた。

特攻隊に往けって今言われても、往きますだなんて言えないけど、それでも、俺も、何かこの世の中の役に立っているんだって、思えるようなこと、してみてぇなぁ。

嬉しそうにマグロの寿司を食べ始める雄吉のことを眺めながら、雄大はそう思っていた。

雄翔「だいにい?」

心配でもしてくれているような顔をさせながら弟が見てきている。

雄大「おぅ、どうした?」

雄翔「食べねぇの?」

雄大「あ、あぁ。」

じっと考え事をしていた自分のことを見ていた雄翔に、気分でも悪いのかと心配掛けさせてしまっていることに気付くと、雄大はやたら明るい表情を見せて、もっともらしい理由を語って取り繕った。

雄大「先を譲ってたんだって。主賓よりも先にいいネタ取っちゃ悪いだろ。」

そんな雄大の言葉に対し、隣に座る雄吉はすぐに話し出した。

雄吉「あ、そんな遠慮なんてしないでよ。雄大にはこの3日間、ずっと面倒掛けちゃってるし、感謝してるからさ。」

ニコニコと、朗らかな笑顔で話してくる雄吉だった。本当に、自分のことを感謝してくれていると、雄大にはっきりと伝わってくるほどだ。

ただ、雄大は雄吉に益々嫉妬しそうになってきた。

良い奴だよ、お前は。礼儀正しいし、強い意志はあるし、覚悟だって出来て、命差し出せるほどの度胸の持ち主だ。言葉通りの命懸けを全うすることが出来る奴だ。

なんだか、俺がどんどん小さく感じる。

雄吉。俺はお前がすごい奴だと強く感じる。こんなにすごい奴と会ったのなんて、初めてだって思えるくらいだ。でもそれくらい強く、俺はお前が憎くもあるんだぞ。

そう言ってしまいそうになるのを、雄大はグッと堪えていた。

雄大「わかった。それじゃ、俺もいただきます。」

言って、雄大は大トロを取って口に運んだ。


 しばらく談笑が続き、寿司桶の中にあったいろどりがほとんどなくなった頃だった。雄翔が雄吉から、なかなかに興味深いことを聞き出そうとしてきたのだ。

雄翔「雄吉兄さん、特攻隊へ往くことが決まった時って、どんな気分になったんですか?」

雄吉は酒が回ってきたためか、顔を赤く染めていた。雄亮に度々お酌を受けていたため、かなりのハイペースで飲み続けていたのだ。

雄吉「嬉しかったよ。これでお国の為に、この命を使い果たせるって思えて。」

何でもないかのように、サラッと、そして陽気な口調で雄吉は雄翔の問いに答えていた。

雄翔「怖くなかったんですか? 一度行ってしまえば、もう死んでしまう訳だし。」

そこを聞くのか、コイツは。

そう雄大は感じていた。特攻隊に往く人にとって、出撃について怖いかどうかなんて、聞くようなことじゃない、失礼だ。そう雄大は思っていたからだ。

しかし、雄吉は愉快そうな笑顔で雄翔のことを見ると、しっかりと返事を返してきていた。

雄吉「それはね。全く怖くなかったかと言われたら、それは嘘になるよ。でも、それ以上に勇んでいたよ。これから敵の艦隊を沈めるんだって思うと、ウズウズしてた。怖さなんて感じる暇も無かったような気がするよ。」

雄吉はまるでこれから遠くへ旅行にでも出掛けるときのような、これから楽しい時間を過ごせる期待と慣れぬ土地へと赴く微かな不安が滲み出している、弾んだような声で陽気に答えていた。気分を害したりすることもなく、ただ聞かれた質問について誠実に返事を返していたようにも雄大には見えた。

雄翔「すごいっすね。」

そう。雄吉は本当にすごい奴だよ。

そう心の内で呟きながら、雄大はがりを齧っていた。

雄亮「そうだ。」

ずっと腕を組みながら雄吉の話を聞いていた雄亮が、のっそりと声を出していた。

雄翔「どうした父さん?」

テーブルを囲む海村家一同が、雄亮に視線を送るようになっていた。

雄亮「明日、箱根にでも行ってみるか?」

雄大「箱根?」

雄亮「あぁそうだ。日帰りだが、芦ノ湖行って船乗ったり、温泉入ったりしながら観光して、くつろいでみても良いかと思ってな。」

先ほどの雄吉の言葉のような、陽気な感じで話していた雄亮だった。

美恵子「混んでないかしら?」

雄大「それに今は、火山の警戒レベルが上がっていて、大涌谷とかって入れなかったんじゃなかったか?」

2015年5月6日。気象庁は、箱根火山が活発化しているとして、噴火警戒レベルを1から2に引き上げた。そして6月30日にはさらに警戒レベルを2から3へと引き上げられて、入山規制されることとなっていた。このため、箱根の、特に大涌谷などの火山地帯を中心に観光客の足が遠退いていたのである。

雄亮「もちろんそうだ。だが俺はそこが好機だと読むぞ。」

雄亮はビールグラスを手にしながら、怪しい視線を向けてきた。まるで、時代劇の悪代官と越後屋の密会のときの代官のような表情だ。

雄大「は?」

雄亮「普通なら今日あたりから夏休みで、観光地は混雑してくるはずだ。だが今は、箱根は火山の警戒のため、観光客の足が遠退いている。逆を言えば、今の箱根は空いている可能性が大だということだ。」

雄翔「なるほどなぁ。」

雄亮「どうだ。なかなか良いアイデアだろ?」

上半身をテーブル上に迫り出すようにしながら、雄亮は得意そうな顔を見せて言ってきた。よく父は自分の意見が冴えていると自身で感じているとき、このような仕草をしてくるのだ。そして、決まって「良いアイデアだろ?」と、みんなに称賛を求めてくるのだ。

雄大「自分で言うなよな。」

半ば呆れた気持ちで、雄大は返していた。

そんなとき、美恵子は雄吉の顔色を窺うように姿勢を屈めだした。

美恵子「雄吉くんは、どうかしら? 箱根行くの、どう?」

雄吉は穏やかな様子だった。もしかしたら、酔いが回り過ぎて眠くなっているのかもしれない。

雄吉「はい。賛成です。箱根へは、僕は行ったことが無かったので、一度行ってみたいと思っていたんですよ。」

元気のいい声で返事をする雄吉だった。

やはり少し酔いが回っているような感じだ。

雄亮「そうかぁ。それじゃ、明日は箱根へ行くかぁ。」

雄吉「はい! ぜひ、お願いします!」

こんなに気持ちのいい笑顔ってあるのかな。

そう感じるほどの、満面の笑顔を雄亮に見せながら、雄吉は楽しそうに言っていた。

きっと、雄吉はいま、何もかもが楽しくて、嬉しくて、仕方ないんだな。

そんなことを感じながら、雄大は雄吉のことを眺めていた。

美恵子「それじゃあ、明日の支度もしないとね。」

雄翔「温泉かぁ。なんだか久しぶりかも。」

雄大「前に行ったときは、まだ兄貴が家に居た頃だったよな。」

まだ雄大が高校生くらいの頃までは、年に一回、夏休みになると箱根へ家族で旅行に出かけるのが恒例になっていた。だから、雄大にとっても、雄翔にとっても、箱根は馴染み深い観光地であった。

雄亮「そうだったな。あの時は」

思い出話に花が咲きだし、雄亮はまた、ビールを煽りだした。

こうして、翌日に箱根へ日帰り旅行することに決まった。雄吉も交えての箱根旅行だ。いったい、どんな旅行になるのだろうか。



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