3-4

 1時間ほどは買い物をしていただろうか。

再びエレベーターを降りてきたとき、雄大と雄吉はそれぞれ片手に紙袋を携えていた。

雄大「家に帰ったら早速着てみたらどうだ?」

雄吉「う、うん。挑戦してみるよ。」

別段、挑戦すると意気込むほど奇抜な選択をした訳では無い。

夏用の薄手のシャツやポロシャツ、Tシャツも購入し、それに合わせやすそうな短パンを買ったというくらいだ。

ま、こうやって自由に服装を選べることなんて、戦時下じゃなかなか無かったことなんだろうし、多少なりとも自分で選んだ物を着てみるというのは、雄吉にとってはとても大きな挑戦なんだろうな。

そんなことをぼんやりと思いながら雄大は店を出た。

駅へ向かう道中、帷子川かたびらがわに架かる橋の上を歩いているとき、雄大は雄吉に話しかけた。

雄大「次は、桜木町へ行ってみるか?」

雄吉「え? 桜木町? うん。」

桜木町と言っても、まだあまりピンときていなさそうな感じの雄吉だった。この桜木町は、昨日丘の上から望んだ高いビル群があった、みなとみらい地区への最寄りだった。

雄大「昨日見たランドマークタワーとかがある場所だぞ。」

雄吉「あ! そうか。そうだった。なんか、桜木町って聞くと港に行くって感じしちゃってさ。」

苦笑いしながら雄吉は答えてきた。

確かに昔は港があったろうが、今は・・・。

雄大「港ってほどでもねぇけど、船着き場はあるけどな。小さいけど。」

雄吉「ふ~ん。」

みなとみらい地区の海側、パシフィコ横浜に隣接するところに、ぷかり桟橋と言う船着場がある。ここから観光船や横浜駅と山下公園を結ぶ遊覧船も出航するのだが、それは雄吉の想像する港に比べたら圧倒的に規模の小さいものだろう。


 横浜駅まで戻ってきて、JRの改札口を通り抜けると、再び3番線ホームへ上がった。根岸線の電車に乗り込んで、一つ隣の桜木町駅へと向かうのだ。

ドアから雄吉は横浜から桜木町へと向かう車窓を眺めていた。

横浜駅を出たらすぐにカーブしながら高架を上がって行き、川と京急線の線路と幹線道路を跨いで走り抜け、高速道路の高架線と並走するように走る。

雄吉「ここの辺りは橋の上を走るようになっているんだなぁ。」

ドアの前に立ちながら、外の様子を眺め続ける雄吉が呟いた。そんな雄吉に、雄大は声を掛けてやった。

雄大「この先この路線はずっと高架の上を走り続けるぜ。」

雄吉「そうなんだぁ。隣にも道路が橋の上を通っているし、もう貨物線の線路がたくさんあるような光景も無くなっているんだね。」

ドア越しに外の様子を見詰める雄吉に寄り添うように、雄大もドアの窓から外の様子を眺めてみた。

目の前を高速道路の高架線が、ゆっくり降下しながら続き、料金所らしきものが見えた。下には、一本の線路が地平を並走しているが、これも少しずつ今乗っている電車の真下に入り込んでいき、見えなくなっていった。

雄大「この辺に、貨物線の駅があったのか?」

雄吉「うん。それが、港の方まで続いてたはずだけど。」

雄吉が知っている頃の、70年前の遺構でも探し出すかのように、雄吉は窓の外の様子を隈なく、いろんな方向を見渡し始めた。

そんな雄吉が、何かに気付いて声を上げた。

雄吉「あ! 高い建物が近付いてきたよ。」

一緒になって外の様子を眺めていた雄大にも、ビル群がすぐそこまで迫っていることがわかっていた。

雄大「あぁ。もうみなとみらいの街だな。」

電車の行く手を囲む高層ビル群が、まるで雄大や雄吉などの訪れる者を出迎えてくれているように林立していた。

そんなビル群の先に、桜木町駅はあった。


 駅を出た雄吉は、またすぐに空を見上げるようにしながら立ち止まって、目を丸くさせていた。

雄吉「た、高い・・・。」

駅を出ると、正面に高さ296メートルのランドマークタワーが聳えている。圧巻の光景だった。

雄大「上ってみるか?」

雄吉が興味あるって言うなら、上がってみてもいいか。そう雄大が思っての誘いだった。

雄吉「え? 行けるの?」

興味津々ということがはっきりと見て取れるような顔をさせながら、雄大のことを見上げてくる雄吉であった。

雄大「もちろんさ。展望台になってる。もちろん、金は取られるけどな。」

雄吉「あぁ、まぁそうだろうなぁ。」

動く歩道を通り抜けるとき、雄吉は「便利な物があるんだなぁ」とさりげなく零していた。それを聞いた雄大は、思わず笑いが止まらなくなった。

確かに、便利だ。普通に歩くよりも早く移動できるし、立ち止まっていても移動してくれるし。便利な物があるもんだよ。

そう思いながら、笑っていた。

ランドマークタワーの下部まで来て、展望台の入り口へ向かう。

早速チケットを買いに、チケット売り場に並ぶ。

ここに来たのって、もう随分前だったよな。小学生の頃の社会科見学で来て以来か? いや、中学生の頃に友達と遊びに来た時寄ったこともあったっけ。確か、そのとき高所恐怖症の友達が居て、一人で下で待ってたんだったな。アイツ、俺たちが早く降りてこないからって、退屈凌ぎにマック行ってて、ポテトのLサイズを二つも完食してたんだったよな。

懐かしい思い出が顔を出してくるものだから、いつしか雄大はチケット売り場の列に並びながら微笑してしまっていた。それに気が付いた時、急に背筋が冷えるような感触に襲われながら、溢れ出てきてしまった思い出にもう一度蓋をした。

無事にチケットを購入すると、奥にあるエレベーター前のフロアに誘導された。

土曜日の日中だったため、混雑してしまってエレベーターに乗れるまでだいぶ待つだろうかと思っていた雄大であったが、実際には天気の不安定な状態が幸いして、あまり待ち客はいなかった。

そのため、一回だけエレベーターをやり過ごしただけで乗ることが出来た。

高速で上昇するエレベーターのため、乗っている間に気圧の変化で耳に空気が溜まりがちである。

しかし、雄吉はあらかじめそれを想定していたのだろうか。エレベーターに乗り込み、ドアが閉まった後は常に片手で鼻を摘んでいたのだ。

そうか! 飛行機乗りってことは、気圧の変化とか高度の変化とかで身体に掛かる負荷については十分理解していたのか。

雄大はそう彼のことを分析しながら、自身も雄吉に倣って右手で自分の鼻を摘んでいた。


 69階。高度273メートルに位置する、スカイガーデンと呼ばれる展望台へ降り立った。窓の前までやってくると、白い世界がそこに広がっていた。

気持ちばかりは空が近くなったような気がする。

天候は不安定でも、雲で覆われている訳では無いため、階下の様子がよく望めた。

早速横浜駅の方角を雄吉と二人で眺め出す。

横浜駅の他、遠くには新横浜のホテルや武蔵小杉のビル群も眺めることが出来る。また、雄大と雄吉の地元の様子も景色の中に入っていた。天気が良ければ新宿などの東京都心部のビル街も見えるらしいのだが、生憎の天気でそこまで遠くは霞んで見えなかった。

雄吉「この街は、こんなふうに見えるのかぁ。」

横浜の街並みを眼下に収めながら、雄吉は呟いていた。

雄大「飛行機に乗ってるときは、高さとかこんなもんじゃないだろ? もっと高いところ飛んでただろうし、ここからの眺めもすごいけど、もっとすごい景色を知ってるんじゃないのか?」

どこか羨望の念を込めながら、雄大は雄吉に話しかけていた。

雄大は、横浜の街並みについて言えば、この高さよりも高いところから景色を眺めたことがなかったのだ。登山ならば家族と何度か出掛けた経験もあり、この273メートルのスカイガーデンよりも遙かに高い所から景色を眺めたことはあるのだが、自分の住んでる街並みを見下ろせるような所には登山と呼べるような高い山が無く、この場所以外から眺めたことは無かったのだ。特に、山の上からの景色は大抵周りの山々や海、麓の小さな町など自然に囲まれた情景ばかりだ。

飛行機に乗って出掛ける機会も、これまでにはほとんどなく、一度切りの飛行機に乗った高校時代の修学旅行でも、往路は機内の真ん中の座席で窓を見ることができず、復路は運よく窓際から二番目の席に座れたものの、空港周辺で霧が発生しており、羽田空港に戻るまでずっと雲の上を飛び続け、景色を楽しむことすらできなかった。おまけに着陸時には雨雲に何度も接触したために機体がかなり揺れ、初めてのことで動揺してしまい、もはや窓から景色を楽しむ余裕がなくなってしまったのだった。

そんなフライトしか経験したことが無い雄大にとって、高い所から自分たちが住んでるような都会の街並みの景色を望むということ自体希少な経験であり、そういった景色を楽しむという意味での最高高度は273メートルであり、このランドマークタワーのスカイガーデンからのものだったのだ。

雄吉「うん、それはそうだけど。」

雄大の問いかけに、雄吉はそう答えてきた。それから、雄吉はゆっくりと視線をずらしながら、雄大のことを見上げてきた。

雄吉「でも、僕は横浜の上空を飛んだことは無いんだ。」

雄大「あぁ。」

確かに、いくら戦闘機に乗っていたとしても、必ずしも故郷の、横浜の上空を飛ぶことができるとは限らない。

頷いていた。そんな雄大の反応を見た雄吉は、もう一度高度273メートルからの横浜を眺め始めた。

雄吉「だからさ、もしもこの辺りを飛ぶことが出来たら、こんなふうに自分の故郷を見下ろすことが出来たんだって、思ってさ。」

雄大「なるほどな。」

じっと雄吉は地元のある方を見つめ始めた。

雄吉「なんだか、見えるような気がするよ。あの頃の横浜をもし飛んでいたら、見えていたものが。」

雄大も地元のある場所をじっと見つめる。

273メートルのこの展望台からでは、いくら良く知る自分たちの地元の街と言えども、はっきりとはよく見えない。なんとなく丘の上にある高いマンションや中学校の体育館の青い屋根はわかった。丘の形がよく知るものと同じ形をしていることがわかると、ようやく地元の街並みの輪郭をその景色の中に描くことができた。

雄吉は、この街の上空を飛びたかったのかな? 

もし特攻に出撃するとき、九州の最南端の基地じゃなくて、この辺りからの出撃だったら、雄吉は最期に自分の故郷を上空から拝むことができたのかな?

そうしたら、嬉しかったり、するのかな? それとも、故郷に残した家族に思いが募って、苦しいのかな?

それは、特攻出撃した人にしかわからないことだろう。

自分だったら、どっちが良いかな? もう死ぬのがわかっているなら、最後に一目自分の故郷を空からでも見てみたいと思うだろうか。それとも、覚悟が出来ているから、気持ちの揺らぐようなことのないようにしたいと思って、故郷の上空を飛ぶことを忌避するだろうか?

どっちも、選んでしまいそうな気がした。

わからない。どっちを選んでいるんだろう?

これから死にに行くと思った時、人はどんな心境に至るのだろうか?

雄大には途方もないほど遠くにある感触のように感じられた。

雄吉「本当に、地図通りの地形してるんだな。」

雄吉の気持ちに思いを馳せていた雄大にとって、当の本人からの今の発言はかなり間の抜けたものに感じ、思わず笑いだしてしまった。突然笑われたからか、雄吉が雄大のことを見上げてきた。

雄大「それは、そうだろうよ。実際の形に添って書かれているんだし。」

雄吉「それはわかってるよ。」

どこか照れくさそうに、雄吉は答えてきた。

雄吉「でもほら、実際に見てみると、なんだか地図を作った人たちってすごいなって思ってさ。本当に正確に書いてあるんだし。」

言い終えると、雄吉は再び地図通りの地形をした横浜の街並みを眺め出した。

雄大「まぁな。」

頷いてから、雄大ももう一度地元の街並みを見下ろした。

それからも、二人はしばらく景色を眺め続けていた。ずっと見続けてしまいそうな気がして、雄大から先へ行こうと雄吉に提案すると、ようやく次の場所の展望フロアに向かった。

ぐるりと一周回って、最後に横浜港の様子が見える場所まで来た時だ。

正面の窓ガラスの先には、純白のベイブリッジが見えた。

雄吉「あ!」

まず最初にベイブリッジを見つけた雄吉は、まるで引き寄せられるように窓ガラスの前へ歩いていった。雄大も後から雄吉の横まで来て、横浜港の様子を眺め始めた。曇天のため、海は重い灰色をして、とても心が洗われるような清々しい青色とは程遠い印象を醸し出していた。

雄大「こっちは海の様子がよく見えるぞ。」

雄吉「うん。あれって、ベイブリッジだったよね。」

ベイブリッジを指差しながら雄吉は雄大に話してきた。

雄大「そうだぞ。それからあの橋の奥の方に、先が尖った白い塔のようなものが二つあるのが見えるか?」

雄吉は黙ったまま、雄大が示す方向を凝視した。

雄大「あれがつばさ橋だ。」

鶴見つばさ橋。横浜ベイブリッジと同様に、首都高速湾岸線に掛かる海を越える橋梁の一つだった。こちらも純白で二対の橋脚が橋桁を釣り上げるようにして掛けられており、こちらの橋脚は二等辺三角形のような形で頂端部分から天へと伸びるような形で、まるでY字を逆さまにしたような形状をしていた。

雄吉「あれも海を越える橋なの?」

雄大「そうだな。全部新しく出来た埋立地を結ぶようにして架けられた高速道路の橋だよ。」

雄吉「そうなんだ・・・。」

じっとベイブリッジやその先の埋立地の大黒ふ頭を見詰める雄吉だった。

雄吉「そうだな、ベイブリッジが架かる先の島は、70年前には無かったような気がする。あそこだけじゃない。こっち側もまた少し埋め立てられたみたいだし。」

雄大「港機能を拡大したんだろうな。横浜は、今も昔も国際貿易するための港だし、毎日たくさんの船が来てるはずだぞ。」

雄吉「そうだね。」

本当に、いろんなものが変わっていた。

海や港だけじゃない。きっと反対側の山側の光景もまた、この70年間に大きな変化を蓄積していたに違いないのだ。

雄吉「世の中は、どんどん新しくなっている。ここからの景色を見ていたら、そう感じたよ。」

その通りだろう。いつの時代も、必ず前へと進み続ける。その時の流れの中では、必ずものは形を変えて、新しい物を生み出していく。日々何かが変わっていく。だから、雄吉が見てきた横浜市の街並みと、雄大が知る横浜市の街並みには、長い間の蓄積が見えているということになる。横浜市を一望できるランドマークタワーの展望台からは、なおさらそれを感じることが出来たのだろう。


 ランドマークタワーの展望台を満喫したあとは、隣接する遊園地のコスモワールドの園内を歩いた。回転しながら横に揺れるブランコみたいな乗り物や、回転するゴンドラが次第に角度を垂直方向に変えて行く乗り物、上空に配されたレールを走る自転車のような乗り物などが点在してる。

雄吉「こんなところに遊園地が出来ているなんてなぁ。」

辺りの遊具や乗り物を見渡しながら、雄吉は話していた。

雄大「遊園地って言っても、そこまで大きくないけどな。」

歩いていると、白い流氷の塊のような建物が見えてきた。その外壁はまさしく氷を模っており、白熊の像まで設置されている。

雄吉「これは?」

早速、雄吉は目の前の氷の外壁に興味を示していた。

雄大「アイスワールドっていうアトラクションさ。中がマイナス30度くらいになっているから、真夏でも真冬の北海道に居るような体験が出来る。」

雄吉「ふ~ん。」

なるほど、と言っていそうな感じで頷く雄吉だった。

雄大「入ってみるか?」

雄吉がどういう応答をしてくるのか、ちょっと興味があった。

俺がこの二日間見てきた限りじゃ、雄吉はかなりの好奇心旺盛な奴だ。この氷の世界を体感できるアトラクションにも、興味持つんじゃねぇかな。

そんなことを思ったのだった。

雄吉「う、うん。やってみようか。丁度暑いし。北海道に居る気分ってどんなものか知りたいし。」

やっぱりな・・・。そう感じる。

それに、ニコニコと楽しそうに話してくる雄吉だった。

しかし、雄大は苦笑いでしか返すことができなかった。

というのも、雄大は少年時代、何度か学友とこのアトラクションに挑戦して、その都度凍り付くような寒気に襲われて、走って出口を目指したのだ。中に滞在した時間など、1分もなかったのではと思うほどだ。そして、冷え切った身体が出口を出た瞬間に苛まれるのは、気温との約60度の温度差だった。

正直なところ、あまり乗り気ではなかった雄大だが、雄吉が楽しそうに興味を示したので、今更あまり気が乗らないなどと言うのは気が引けた。

特に、自分で雄吉がどういう反応を示すか試そうとしてしまったことも、今更後には引けない理由だった。

チケットを購入し、早速中へ入り込んでみる。

半袖のシャツに短パンという格好の二人だった。マイナス30度の世界は、あっという間に露出した素肌から熱を奪っていく。

雄吉「寒っ!!!」

扉を閉めた瞬間、雄吉は両手で腕を覆いながら叫んでいた。

雄大「だろ? マイナス30度なんて、家の冷凍庫よりも寒いぞ。」

すぐに寒さに反応を示した雄吉に対し、雄大はなるべく冷静を保とうと務めた。案内役をしているということ以上に、何度か入館経験があることがプライドとなって、すぐに寒いと手を挙げるのは気が引けたのだ。

雄吉「これは、じっとしていたら間違いなく死ぬね。」

雄大「まぁそうだろうな。」

てか、お前、これ以上死んだりするのか?

そんな皮肉を思う雄大だった。まだ皮肉や冗談が思い浮かぶだけの余裕がある? ガキの頃に比べて、少しは耐久性上がったんじゃね?

しかし、中をゆっくり歩いてはみたものの、身体から熱を奪われる感触は変わらなかった。

このまま中に長く滞在することなど、危険に身を晒すも同然だと、自然に察知する。

雄吉「ねぇ、もう、僕、・・・走って行ってもいい?」

僅かに身体を震わせながら雄吉は雄大に訴えてきた。

雄大もすぐにでもここから出たいくらいだったので、雄吉の申し出は大歓迎だった。

雄大「おう・・・。」

雄大の返事を聞くや否や、雄吉は全力で走り出した。雄大もそれに続くように走り出した。

出口を出て、外気に晒されたとき、蒸し暑く不快なほどの真夏の日中の太陽がとても尊い存在のように感じる。

雄吉「はぁ、温かい・・・。」

雄大「暑いはずなのに、なんか気持ちいな。」

雄吉「うん。」

二人して顔を見合わせたら、途端に笑い出してしまった。

アイスワールドで身体を涼ませた後は、運河を渡ってジェットコースターや観覧車が目立つエリアへ行った。

続いて雄吉が見かけたのは、ジェットコースターのレールだった。

雄吉「これは?」

レールを指差しながら雄吉は聞く。

そんなとき、指差したレールの上を高速で進むカートが多くの悲鳴を湛えながら通り過ぎていった。

雄吉「何? 今の?」

雄大「これはジェットコースターさ。高速で回転したり落下したり、怖さを味わう乗り物だ。」

雄吉「ふ~ん。」

またまた、ジェットコースターのレールを見ながら頷く雄吉だった。

嫌な予感がするが、一応聞いてみようか。

そう思い、話を切り出してみる。

雄大「乗ってみるか?」

雄吉「うん。やってみよう。」

元気よく、即答してきた雄吉だった。これには、さすがの雄大も肩が下がった。

コイツ、なんでもかんでもやってみようって言ってくるけど、目に映る新しいことで出来ることなら何でも挑戦する気じゃないだろうな?

ふと、雄大はそう感じていた。

ジェットコースターのチケットを購入し、ジェットコースターの待ち行列に並ぶ。さすがに3連休の初日の土曜日は人も多く、順番に誘導されていた。

それでも、10分くらいで順番が回ってきた。

雄大「案外早く乗れそうだぞ。」

雄吉「どんな感じなのかなぁ。」

雄大「身体を激しく振られるのは確かだぜ。」

雄吉「激しく振られる、かぁ。」

間もなく雄大と雄吉はカートに通された。

なんと一番前の席に座らせさせてもらえた。

雄大「特等席だ。」

カートが動き出し、景色と共に一番最初の山を登り始めた。

この瞬間が一番ドキドキするのだ。

はっきり言って、雄大は所謂絶叫マシーンは苦手としていた。本当は冗談のつもりで雄吉に「乗ってみるか?」と尋ねたのだが、雄吉はまるで怖じることもなく「やってみよう」と二つ返事だったので、尋ねた雄大の方が雄吉が冗談だと言ってきてくれたらと思うほどであったのだ。

雄吉を案内するという手前上、いかにもジェットコースターの搭乗にも慣れたかのように振る舞ってきた雄大であったが、さすがにコースターの一番前の特等席に座り、どんよりとした灰色の雲へと続いていそうな最初の上り坂を上がり出した時、腹の底からソワソワと恐怖心が溢れそうになってきた。

ふと隣に座る雄吉のことを見る。

彼は前を向いたまま、別段何かに怯えたり怖気づいたりしている様子は見られなかった。

そんな雄吉も、雄大のことを見てきた。それも、とても楽しそうな表情で。

雄吉「ついにてっぺんまで来たなぁ。」

雄大「・・・・・」

なにがてっぺんまで来たなぁだよ!

冗談じゃないっての!!

そう言ってしまいそうなのを、なんとか腹に力を込めて押し込んでいた雄大だった。

白い雲が一面広がる空が、視界から消えていく。

そしてそのまま、奈落の底へと突き落とされるような錯覚に陥る。

背後から凄まじい悲鳴が響く。

雄大も無意識のうちに声を上げていた。

もう一度落下する場所へ至り、池の中にポカンと開いたブラックホールのような穴の中へと吸い込まれ、左へ右へ揺さぶられながらアップダウンを繰り返していく。

意識が朦朧とし、いったい何が何だか理解不能になってきたとき、ガタガタとコースターが激しく揺れながら停止した。

あっという間だった。

本当に、刹那の出来事な気がする。

肩で大きく呼吸をしていた。

大きな声で叫び過ぎたからだろうか? それとも、恐怖で息も絶え絶えになっていたためだろうか?

とにかく、激しく息をしていた。酸素がほしい。

雄吉がこちらを振り向いてくる。

雄吉「ゆ、雄大・・・、大丈夫?」

雄大「・・・・・」

大きく息をしながら、雄大は渋い表情のまま雄吉に向けて頷いていた。

なんで、コイツはピンピンしてんだ?

そんなことを思いながら、もう一度前を向いた。

コースターが動き出し、スタート地点のプラットホームまでゆっくりと運ばれた。

コースターから降りて、のんびりと歩き出す。

雄吉「大丈夫かい? 少し座って休もうか?」

雄吉の心配そうな顔が視界に入ってくる。その気遣いが嬉しいような気もするが、憎らしい気もした。

雄大「平気平気。とりあえず、少し深呼吸すれば落ち着くから。」

雄吉「そうなの?」

とりあえず、話題を変えて、俺にその心配そうな顔で見上げてこないようにさせたい。

そんなことを腹の底で毒づいていた。

雄大「それよか、雄吉こそ平気なのか?」

雄吉「うん。僕は平気だよ。」

雄大は大きく溜息を吐いていた。そして、改めて雄吉の顔を見る。

雄大「こういう絶叫系の乗り物、問題なさそうだな。」

雄吉「うん、まぁ。飛行訓練とかで、こういう揺れとか急降下とかは、一応慣れさせるように訓練させられるからね。」

なるほど。ジェットコースターの動きは戦闘機乗りにとっては、戦闘機の急旋回とか急降下とかと同じ感覚だったという訳か。それなら、雄吉がジェットコースターに乗ってもピンピンしていられる訳だ。

むしろこんなジェットコースターよりも激しい回転とか旋回、更に早く落下する急降下なども体験しているんじゃないか?

まったく、お手上げだ・・・。

そう思った途端、雄大はまた、大きく溜息をついていた。

雄大「雄吉はやっぱりすげぇな。」

思わず口走っていた。

雄吉「え? なにが?」

突然の雄大の発言に、キョトンと驚く雄吉だった。その間抜けな顔と言ったら、笑ってしまいそうなほどであった。

雄大「何でもねぇよ。さ、もう俺のことは平気だから、次行くか。」

雄吉「うん。」

そうして、コスモワールドを後にした。


 ジェットコースターを体験した二人が続いて向かった先は、赤レンガパークであった。

 元々は横浜港の倉庫であった赤レンガ倉庫を改装した商業施設である。建物の横には、港として機能していた頃に営業していた貨物列車の駅、横浜港駅のプラットホームが復元されている。

赤レンガ倉庫が見えてきたとき、雄吉はハッと思い出したように話し出した。

雄吉「あれって、もしかして保税倉庫?」

雄大「・・・保税?」

知らないことがまた雄吉から出てきた。

雄吉「うん、税関が使っている倉庫じゃない?」

税関が使ってた倉庫だったのか。確かに、すぐそこに横浜税関の建物もあるし、港があって貿易やってるってことは、税関に関係した施設だってあって当然って言えば当然か。

そう思いながらも、そもそも赤レンガ倉庫が税関の倉庫として使用されていたなどということは、雄大は知らなかった。

雄大「そういう用途で使われていたかは知らんけど、確かにあれは倉庫だった場所を観光用に改装した施設だよ。」

雄吉「そうなのかぁ。それじゃあ今はもう、保税倉庫としては使われていないってことだよね?」

雄大「そうだなぁ。俺が知っているのは、昔は何かの倉庫として使われてたレンガ造りの建物を、観光用に使っているってことくらいかな。」

雄吉「そうかぁ。」

まさかなぁ。倉庫と言っても、税関の倉庫だったとはな。

意外だ。

そう雄大は思いながら、えんじ色が生える赤レンガ倉庫の建物を見詰めた。

雄吉「でも、この時代にもあの頃とほとんど同じ形で残ってる建物があって、なんだか嬉しいし、すごく偉大さを感じるよ。」

雄大「雄吉が居た頃にも、ここへ来たことあったのか?」

雄吉「ううん。実際に来たことは無かったよ。新港埠頭にこういうレンガの保税倉庫が二棟建っているってことは、写真とかで見たことがあったから、なんとなくそれっぽいなって思ってさ。」

赤レンガ倉庫の建物周辺は、さすがに夏休み初日の土曜日だけあって観光客でごった返していた。雄大と雄吉は、建物の周囲を見ながら歩くだけに留め、裏手にある横浜港駅だったプラットホームがある場所へ着いた。

アスファルトに埋め込まれた線路に平行になるように設けられた、コンクリート製のプラットホームが突如そこに出来ている。

雄吉「もしかしてさ、これって、横浜港駅?」

雄大「そういう名前の駅だったのかぁ。」

ホームに付けられた線路は、そのまま海から遠ざかるように続いている。今でも列車がここまで入線してきそうな感じだ。そんな線路の先を眺めながら、雄吉はぼんやりとした口調で話し出してきた。

雄吉「線路が延びてるし、このままこの線路伝って行けば、東横浜の貨物駅にも行けるのかな?」

確かに、この線路は先まで続いているように見える。しかし、それはただそう見えるだけで、実際にここまで列車が入ってくることは不可能なのだ。

雄大「残念だけど、この線路は桜木町駅の前辺りで切れてしまってるぞ。」

雄吉「そうなのかぁ。それじゃ、もうここへは列車は来ないってことなのかぁ。」

なんとなく残念そうに話す雄吉だった。

雄大「今じゃ貨物列車は根岸線を走るからな。この辺には来ないさ。もうこの辺り一帯は、完全に観光地か、県庁とかの官庁街になってるし。船がやって来て物を運んだりって言う港らしい姿は残されてないぞ。本牧ほんもくの方まで行けば別だけど。」

雄吉「そうなのかぁ。横浜の港も、だいぶ形が変わっているんだね。」

雄大「お陰で横浜は全国的にも有数の観光都市になっている。」

雄大の言葉で、雄吉の眼に活き活きとした光が戻ったように感じた。

雄吉「そうなんだ。それは、なんだかすごいな。横浜が観光地に。横浜の出身者として、なんだか嬉しいよ。」

雄大「せっかくだから、この線路の先まで行ってみるか?」

雄吉「お! いいねぇ。行こう行こう!」

一組のレールが残る道を追うようにして歩き出す。

まるでパリの凱旋門みたいな建造物であるホテルナビオス横浜の真下を通り抜けると、線路はそのまま汽車道へと続く。元々線路の敷設のために海上に建設された小型の島で、それが三つ続く。島と島の間には鉄橋で渡しており、桜木町との間を直線的に結んでいる。現在は遊歩道として整備されており、桜木町駅と赤レンガパークなどの新港埠頭を結ぶ経路としても重宝されている。

雄吉「まさかなぁ。貨物線が走ってた場所を歩いていくなんてなぁ。」

70年前にも同じ場所に島と鉄橋と線路があり、当時はそこを往来する貨物列車があったという。雄大には、この場所を通る列車など見たことが無かった。生まれた頃には既に廃線になっており、列車の往来などそもそも無かったからだ。汽車道として整備されて開放されたということは知っているものの、“汽車道”という遊歩道の名称と、片側だけが残っているレール、それから鉄道橋の遺構を見かけることだけが、ここを昔列車が通っていたという事実を知り得るものだった。

雄大「俺は逆に、一度もここを走る貨物線を見たことがない。」

雄吉「そうかぁ。まぁ、港の機能が別の場所に移ってしまったなら、こんなところに貨物線通す必要は無くなるしな。」

鉄橋を渡る。線路の上を歩きながら。

まるで、自分たちが電車にでもなったかのような気分だった。

汽車道を通り抜けて、再び桜木町駅の駅前広場に出ると、もう一度ランドマークタワーの方へ向かい、今度はランドマークタワーの下部にある商業施設、ランドマークプラザの中に入り、歩き続けた。

そのまま通り抜けて、隣のビルであるクイーンズスクウェアの中を貫通するように設けられた通路を抜けて、ヨットの帆を思わせる形状が特徴的なパシフィコ横浜の前まで来ていた。ここを通り抜けると臨港パークという公園に出て、海に面した場所に出た。

雄吉「この辺りの海の周りは、公園になっているんだね。」

雄大「あぁ。これがずっと横浜駅の方まで続いてる。」

海に面した欄干に手を掛けながら、雄吉は海を見ながら話し始めた。

雄吉「あの頃は、この辺りは船が着けられる場所だった。」

そこに桟橋があって、貨物船が係留されているかのように、雄吉は70年前の光景を映し出しながら欄干の先を眺めているようであった。

雄大「この付近も、戦後の経済成長期以降に埋め立てがあったらしいからな。70年前に海だったところもたくさんあるだろうよ。」

欄干から手を離して、雄吉は笑みを見せながら雄大の方を見上げてきた。

雄吉「本当に僕は、未来の日本に居るんだなぁ。」

おどけた笑顔で話してくる雄吉だった。あまりにもいろんなものが変わってしまっていたことに、それを受け入れる雄吉のアンテナの許容量が限界を迎えてしまったかのような反応だと、雄大は感じた。

雄大「そうだぜ。雄吉は今、2015年の横浜に居るんだ。」

そう言って笑ってやると、雄吉もニッと笑って見せてきた。

再び歩き出し、海沿いをのんびりと進む。蒸し暑いが、海からの風とビル風があるため心地良い。みなとみらい地区の高層ビル群を抜けても、まだ高い建物は並んでいた。大きな病院や、タワーマンションも出来ている。

ただ、マンションが林立する場所から先は、まだ空き地が目立っていた。これから開発される場所だろうか。

雄大「まだ、この地区は開発が終わってないみたいだ。」

雄吉「これからこの空き地にも建物を建てるってこと?」

雄大「そうだと思う。まだこの街は完全に完成していないし。」

雄吉「そうなんだ。こんなにたくさん、高い建物建てていても、まだ完成じゃないのかぁ。」

まるで恐ろしい物でも見るかのように、雄吉は付近の高層マンションを見上げながら言っていた。

そりゃそうだよな。俺でさえ、まだここに建物が建つってことに驚くぐらいだもんな。ここにはこんなに建物が無かった頃を生きていた雄吉にとっては、それはそれは信じられないことだろうよ。

そう思いながら、雄大は高層マンションの最上階辺りを眺め続ける雄吉のことを見ていた。

さらに歩き続け、横浜駅の東口の駅前広場まで至った。

また横浜駅まで戻ってきた。混雑激しい中央通路を通る。

雄大「さてと、そろそろ帰るか。」

雄吉「うん、そうだね。」

雄大「考えてみたら、昼飯も食べずにずっと歩き続けてたな。」

昼食の時間が来ていても、全く気が付かなかった。お昼時、雄大たちは丁度服選びをしている最中であったため、完全に服選びに気を取られて、考えが昼食のことに至らなかったのだ。

さらにそのままみなとみらいへ行ってしまい、ほとんど食事することを考えぬまま歩き続けていた。

雄大「戻ったら、何か食っていこうか。」

雄大は昼食を食べていないことを思い出した途端、急に空腹感に苛まれていたのだ。だから、とにかく早く何か口にしたい気持ちが勝っていた。

雄吉「うん。けど、雄大の負担が大きくならない? もしそのまま家に帰れば、何かお昼ごはんがあるかもしれないし。」

雄大「まぁそうだけど。」

昨日も昼食を雄大にご馳走になっていた雄吉だ。この日の昼食も面倒掛けてしまうことに後ろめたさがあるのか、雄吉は遠慮気味に聞いてきた。

しかし、そんなことは雄大にとっては気にならなかった。

理由はよくわからないが、70年前から同じくらいの年の親戚がやってきたのだ。それも、戦争に行って、特攻隊員として出撃し、散華したという青年だ。そんな苦労を掛けながら生き抜いてきた親族を思えば、なんとかして、もてなしたくなるというものだ。自腹切ってご馳走するくらいじゃ物足りないくらいだと、雄大は思っていたほどだ。

それに今は、何より自分の空腹を早く満たしたいことの方が強かった。

雄大「何つうか、ラーメン食いたくなってきて。」

雄吉「ラーメンって?」

全く知らない単語を聞いてきているような感じだ。

逆に雄大の方が驚いてしまっていた。

ラーメンって、戦前にはまだ無かった食いもんだったのかよ?

俄かに信じがたいことだった。今では国民食と呼ばれるほど、日本人には親しまれている身近な食べ物だ。好物にしている人も多く、街には多種多様なラーメンを提供してくれる店が多数散在している。

そこまで発達したラーメンの文化は、まだ雄吉が生きていた時代には芽吹いてもいなかったのだろうか。

疑問は多く残っているが、とりあえず雄大は雄吉にラーメンについて説明することにした。

雄大「えっと、ラーメンっていうのは、・・・中華そばとも言って、小麦で作った麺をスープに入れた食べ物のことだよ。」

雄大の言ったことを参考に想像を膨らませているのだろうか。雄吉は難しそうな顔をしながら、じっと一点を見詰めていた。そんな緊張感さえ感じられる表情が緩みだすと、雄吉はハッと気が付いたように話し始めた。

雄吉「もしかして、支那そばのことかな?」

雄大「あぁ、そうとも言うなぁ。」

すると、雄吉は納得したのか3、4回ほど頷きだした。

雄吉「なるほど。この時代の人たちは、支那そばのことをラーメン、って呼ぶんだね。」

雄大「まぁ、そんなとこかな。」

雄吉の時代にも、やっぱりラーメン、・・・支那そばはあったんだな。

雄大「商店街に好きなラーメン屋があるんだ。せっかくだからそこ行こうかって思ってさ。」

雄吉「そうなのかぁ。」

また興味を持ってくれていそうな、楽しいことがこれから起こることを予感している表情を雄吉は見せている。

雄大「行ってみるか?」

何度目だろうか。こうやって、雄吉の好奇心をくすぶってやるのは。

雄吉「うん、行ってみたい。」

またまた、とてもいい笑顔で返事してくる雄吉だった。聞いてる雄大の気持ちまで清々しくなる。

雄大「よし! それじゃ、帰ろう。」

号令を掛けると、雄大は元気よく改札口を抜けた。



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