3-2
寝返りを打った拍子に目が覚め、ゆっくりと瞼を開ける。
そのまま、視線を隣に寝ているはずの雄吉の方へ向ける。
・・・布団が片付けられている。
相変わらず、朝が早いぜ、雄吉は。
ぼんやりとした頭で雄大はそう考え、ゆっくりと上体を起こす。そして、室内を見渡す。どこかに居るはずの雄吉を探すのだ。しかし・・・。
雄吉がいない・・・。
トイレにでも行ってるのか?
偶然そのタイミングで目覚めただけだろう。
しかし、ぼやぼやとする頭を抱えながらじっとしているうちに3分間。
一向に雄吉が戻ってくるような気配が無い。
いったい、今は何時だ?
ようやく頭の中まで目覚めだしてきたような気がして、雄大は枕元に置いたスマホを手に取り、時間の確認をしてみた。
えっと・・・、9時、57分、・・・。
もう、10時かぁ。
10時?
あれ? 今日って、アイツと横浜行くっていう約束していたんじゃなかったっけ?
そろそろ起きないと、時間が無くなるな!
その瞬間、雄大の頭は完全に目覚めた。
布団から飛び出して、部屋を出て、一階に降りてリビングへ向かう。
テーブルの上は既に片付けられており、他の家族の朝食はもう済んでいる様子だった。
そんなリビングだが、テレビを眺める美恵子がソファーに座っていた。
美恵子「おはよ。」
雄大「おはよう。」
視線をテレビから雄大へと移した美恵子がさらに話しかけてくる。
美恵子「ご飯なら台所に置いてあるから、どうぞ。」
それだけ言うと、美恵子は再び視線をテレビの画面へ戻した。
雄大「おう。」
短く返事をする。美恵子はテレビに視線を向けたままだった。テレビの画面には、最近母の中でトレンドになっていた韓国ドラマの一シーンが映し出されており、ハンサムな若い男性が可愛らしくメイクアップして整った顔をした女性と会話している様子だった。どういう事情かは知らないが、女性の方が男性に怒りを露にしているようで、韓国語で女性の荒々しい声がリビングいっぱいに響いていた。
ドラマに大した興味も湧かなかったので、雄大はすぐに美恵子に言われた通り、台所に置かれた自分用の朝ごはんの乗った皿を取りに向かった。
今日の朝飯はナス焼きに目玉焼きに小松菜のお浸しですか。
みそ汁は、豚汁かな。
今日も朝から豪華な献立ですね~。
胸の内で呟きながら、雄大は豚汁と白米を用意し、テーブルへ運んだ。
席に着いて、食事を始めようとした雄大だったが、先に雄吉が今どうしているのかが気になり、ソファーで寛ぎながら韓流ドラマに夢中の美恵子に聞いてみることにした。
雄大「そういや、雄吉は?」
面倒くさそうに、テレビを見詰めたまま美恵子は答えてきた。
美恵子「さっきからお父さんの部屋行ってる。」
雄大「父さんの部屋?」
雄大は驚いていた。よりにもよって、父の部屋に行っているとは。
雄大「父さんと、何してんだよ?」
ゆっくりと姿勢を正しながら、美恵子が雄大の方を見ながら話し出した。
美恵子「さぁ。さっきお茶持って行ったら、二人して将棋を指してたけど。」
雄大「将棋・・・。」
どういう流れで雄吉と父が将棋を指すことになったのだろうか。
朝起きた時点で雄吉が先に目を覚ましていることは想像通りのことであった。しかし、まさかその雄吉が父と二人で将棋を指しているなど、予想もしなかったことだ。
美恵子「早いとこご飯食べて、雄大もお父さんの部屋覗いてみたら?」
雄大「おう、そうする。」
雄大の返事を聞くと、美恵子は改めてソファーにゴロンと横になりながらテレビに夢中になった。
さてさて、雄吉のことだが・・・。意外な状況だった。
しかし、父もまた、特攻隊に往った親族が甦って滞在していることに興味を持っているのは確かだった。いろいろと雄吉と話したいことがあったのかもしれない。それは雄大も同じだった。たまたま雄吉と同世代くらいの年だったため、基本的には雄大が常に雄吉の傍に居て話をしていたが、案外父も母も弟の雄翔も、雄吉に関心があっても何もおかしなことではないのだ。
母さんの言うように、早いとこ朝飯済ませて父さんのとこ行こう。ある程度のところで打ち切ってもらって、横浜行こう。
そう思いながら、雄大はぬるくなった豚汁を啜った。
食後、雄大は父の書斎を覗いた。
この部屋に来るのも、なんだか久々な気がするなぁ。
リビングから比較的離れた場所にあるためか、普段は特に用が無い限り近付くことの無い所だった。なにより、父の書斎へ行くときは、特に小学生くらいの頃までは決まって良くないことがあったときばかりだった。友達とケンカしてしまったことを怒られたとき、弟の雄翔に悪戯してケガをさせてしまったことを怒られたとき、遊び過ぎて成績が不振に陥った時に怒られたとき、などなど。とにかく説教を喰らいに足を運んでばかりの部屋だったため、雄大にはトラウマになっている部屋でもあった。だからできれば近付くことはせず、用も無ければ入ったりしてこなかったのだ。
今は、特に悪いことをした訳じゃない。
それでも、雄大は父の部屋の襖を開ける瞬間に、ここ最近の身の潔白について回顧してしまっていた。
雄亮「お、雄大も来たな。」
襖を開けたらすぐに父が笑顔で言った言葉だった。
この部屋に居る父さんが笑ってるの見るの、初めてかも・・・。
そんな皮肉を思った。
室内には、胡坐を掻いて座る雄亮と、対面するように正座している雄吉の姿があった。二人の間には将棋盤が置かれており、対局は佳境に入っている模様だった。今は雄吉の手のようで、難しそうな表情の雄吉が熱心に盤上の駒を見回していた。
雄大はまるで審判でもするのかのように、対局中の将棋盤の前に座った。丁度両側に対戦者同士が並ぶ配置だ。
雄大「どっちが優勢?」
父に尋ねてみる。
すると、雄亮は苦笑いしながら盤上を見詰めてきた。
雄亮「いやぁ、雄吉くんは強いよ。あの手この手といろいろ小細工しても、すぐに看破される。今も、気が付いたらかなり追い込まれてる状態になってたしな。」
雄吉が手を動かした。持ち駒の金将を盤上に配置させたのだ。それも、相手の王将の真横だった。
その場所を見たとき、雄大も雄吉がとどめの一手を打ったことがわかった。
既に雄亮の王将を取り囲むように、雄吉の駒が配されていたのだ。このときの金将が、王将の逃げ場を大きく減らし、もはや逃げ場など無いも同然な状態になりつつあった。
雄吉「王手。」
雄亮「いやいやいや・・・。またこのパターンか。」
王将の隣に置かれた金将から逃げるため、王将を動かす他に道はない。
しかし、動かせる場所のいずれに移動させても、周りに置かれた雄吉側の駒の攻撃圏内になっている。
雄亮「まだ行けるぞ。」
王将が金将から避けるように動かされた。
しかし、雄吉はほとんど瞬間的に持ち駒の一つを手に取り、また王将の隣に配した。
今度は雄亮の王将の右斜め前の位置に銀将を置かれていた。
雄吉「王手。」
このときまで見たこともない、自信に満ちた眼差しで雄吉は父のことを見上げていた。雄吉は勝負師の顔になっていた。
雄大「父さん、もう詰んだね。」
雄大が敗北を知らせるように話すと、雄亮は溜息をついた。
雄亮「・・・そのようだな。参りました。」
雄亮が会釈すると、雄吉も会釈して試合が投了した。
そしてまた、豪快な笑みで雄吉のことを見てくる雄亮だった。
雄亮「雄吉くん、強いね。」
雄吉「いえ、僕なんか大したことないですよ。」
遠慮しながら言葉を紡ぐ雄吉だったが、その言葉の陰には勝者としての自信に満ちているように雄大は感じた。
雄大「何回試合したの?」
雄亮「3回やって、3回とも雄吉くんに勝ちを持って行かれた。」
わはははと笑う雄亮だった。
雄吉「恐れ入ります。」
雄亮「キミのお父さんは強かったから、きっとすごく仕込まれたんじゃないか?」
すると、雄吉の表情が綻びだした。
雄吉「はい、その通りです。小学生に上がった頃から、よく父に教えられました。時々感情的になって教えられるんで、怖くなって泣きながら打つこともあったくらいで。」
なかなか激しい指導だったようだな。
雄大はそう思いながら雄吉の顔を眺めていた。
雄亮「我が子に教えるのと、孫に教えるのではだいぶ雰囲気も違っていたみたいだな。俺に教えてくれた時は、それはまぁ優しく丁寧に教えてくれてたからなぁ。」
また、わはははと豪快に笑う雄亮だった。
雄吉「そうだったんですか。父が、将棋を優しく教えてるなんて、あまり僕の目からは想像できないことでしたよ。」
苦笑いしながら雄吉は話していた。
雄大「けど、その結果、同じ人から教わったのに技術的には随分差が付いたってことだろ? 厳しく教え込まれた雄吉が、優しく教えてもらった父さんに圧勝してる訳だし。」
雄亮「それもそうか。」
また雄亮は豪快に笑い出した。
雄大「そういえば父さん。」
雄亮「なんだ、どうした?」
雄亮が雄大のことを見てくるのと同じようにして、雄吉も雄大のことを見てきた。
雄大「今日これから雄吉と横浜行く約束してたんだけど。もう連れて行ってもいいか?」
雄大の言葉に、雄吉がハッと何かに気付いたような敏感な動きを見せていた。
将棋に夢中になって、横浜行くの忘れてたんかい・・・。
そう雄大は心の中で雄吉に語り掛けた。
雄亮「お! 横浜行く約束なんてしてたのかぁ。」
雄吉「はい。」
雄亮「それなら、行っておいで。70年後の横浜はすごいことになってるぞぉ。」
雄亮は雄吉へ、まるで自分の本当の息子を見るかのような眼差しを向けた。
将棋の相手をして、父も雄吉に親近感が涌いてきたことの表れだろうか。
雄吉「そうですね。昨日丘の上から横浜の方角を見ましたけど、もう僕の知ってる横浜とは全然違くて、高い建物がたくさん建っていたんで、びっくりでした。」
雄大「実際に行ったらもっと驚くと思うぞ。」
雄吉「うん、楽しみだよ。」
昨日の日中に見せてきた、無邪気な笑みを見せながら雄吉は話してきた。
本当に雄吉は、今日の横浜へ行くことを楽しみにしてくれていたんだな。
そう感じる。
雄亮「天気が崩れる前に、早く行った方がいいな。俺に構わず行ってくれ。」
この日の天気は、昨日の予報では午後から下り坂だと言っていた。出かけるのであれば、なるべく午前中から昼過ぎまでを目途にして、雨が降り出す前までに帰宅しておきたかった。ただでさえ、この夏は夕方が近付くとゲリラ豪雨に襲われて、大惨事になる可能性だって孕んでいるのだから。
雄亮「将棋に付き合ってくれてありがとな。楽しかったぞ。」
雄吉「こちらこそ、ありがとうございました。いろいろお話できて、僕も楽しかったです。また、お願いします。」
雄亮「おう。」
雄吉は一度深く礼をすると立ち上がった。それを見て雄大も立ち上がり、雄吉と一緒に書斎を出た。
リビングに戻ってきたとき、雄大は雄吉に言った。
雄大「父さんに付き合ってくれて、ありがとな。」
雄吉「ううん、付き合ってくれてなんて。こっちからいろいろ話をしてもらっていたんだ。それで、将棋をしようってことになって、将棋してたんだ。」
雄大「ふ~ん。」
雄吉から父にいろいろ話をしようとしていたとはなぁ。
その流れで将棋を指すことになった。まぁ、特段変わったことでもないか。
そんなことを考えながら、雄大は自室へ向かって歩いていた。
雄吉「雄大は、将棋とかはしないの?」
リビングを出て、廊下に差し掛かった時、雄吉が聞いてきた。
雄大「あんまりしないなぁ。ルールくらいは知ってるけど、あんまりやったことは無いからなぁ。一時期囲碁が流行ったことはあったけどな。」
雄吉「囲碁ならできるの?」
雄大「まぁ将棋よりかは多少ね。」
先ほどの雄吉と父との対局を見た後で、将棋がど素人な自分が、“将棋ができる”なんて言えたもんじゃなかった。一方の囲碁については、雄大が小学生の頃に、ある囲碁を題材にした漫画がアニメ化されて、それを視聴したことをきっかけに始め、祖父に教えを乞うたり、初心者用の囲碁教室などに参加したことがあった。だから、将棋に比べれば、たしなみ程度であるが、囲碁を打つことはできると言える自信はあった。
そのため、囲碁ができるのかという雄吉の問いかけに対し、ほとんど無意識のうちに“将棋よりかは”と答えてしまっていた。
雄吉「それなら、後でやってみようか?」
雄吉がさらに食い掛ってきたことに、雄大は驚いていた。全く防衛策を立てていない場所へ奇襲攻撃をされたような感覚に似ているものだろう。
雄大「ん? 雄吉は将棋だけじゃなくて碁も打てるのか?」
雄吉「うん。」
ニコニコと良い笑顔を見せながら、雄吉は頷いてきた。
これは、囲碁でもコテンパンにされそうだな・・・。
率直に、そう感じられた。
雄大「碁も、雄吉のお父さんから?」
雄吉「ううん。碁は僕のおじいさんから。でも、孫相手でも厳しかったけどね。」
雄大「そうなんだ・・・。」
雄大は苦笑いして返していた。
ダメだ。将棋や囲碁じゃ、雄吉には一寸の隙もなさそうだぞ。
昔の日本人は碁と将棋は当たり前に出来るたしなみだったのかな?
雄大「周りの人も、だいたい将棋や囲碁は出来たのか?」
雄吉「そうだね、だいたいは出来る人だったよ。陸軍に入営してからは、よく同期の仲間と時間があったら将棋を指したり、囲碁を打ったりして遊んでたし。」
雄大「そうなのか。」
現代の人々が携帯ゲームして遊んでいるのと同じようなことだろうか。
しかし、将棋や囲碁ができるという言葉が持つ響きは、たとえ携帯ゲームでいい成績を上げられるという肩書よりもどこか重みと凄み、尊さを感じた。なんというか、格好良く聞こえるのだ。
俺も真面目に将棋や囲碁を習っておけば良かったかな。爺臭いとか思って投げ出さないで、しっかりスキルとして、たしなみとして、それなりにできるレベルまで腕を磨いておけばよかった。
しきりにそう雄大は感じていた。
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