3日目 ~70年後の憧憬と70年前の意地~

3-1

 飛行機が前にある。

知っている顔が5つほど近くにある。

整備を実際に行っているのか、5つある中の一番貫禄のついた顔がしきりに大声で指示を出してくる。お世話になったことのある教官の顔だ。

残るのは、自分と同じくらいの年のころの若い男たちであり、皆必死な形相を呈してる。

自分も同じで、どこか急いていた。

「早く整備しないとアメ公が攻めてくるぞ! 全員で乗れるだけの出力高めて、早いとこ攻めかかるぞ!」

そんな教官からの言葉に、教習生5人はとにかく急いで無茶苦茶な命令に従っていた。

「ダメです! このまま出力上げると、エンジンが爆発します!!」

同期の仲間の一人が叫び出す!

「バカ言え! もっと上げろ!」

教官の罵声が轟く。

「ヤバい!!!」

その瞬間、身体を伏せた。

地面の様子が見えてきた。そんな地面の様子が、凸凹になっていく。

そして、目に見えていた景色が急変して、訳が分からなくなる。

再び、なんとなく見たことがある景色に変わった。

そのとき、はっきりとわかったことがあった。

なんだ、夢か・・・。

そのままゆっくりと上体を起こし、辺りを見渡す。

そして、部屋の壁に掛けられている時計を見つけて、じっと見つめる。短針が5と6の間くらいにあり、長針も短針とだいたい同じ位置に来ていた。

5時半前。

もうこの時間に一度目が覚めてしまうのは、完全に癖になっていた。一年ほど前の頃、まだ飛行機乗りを目指して必死に毎日訓練に明け暮れていた、あの特別操縦見習士官とくべつそうじゅうみならいしかんをしていた頃、毎朝5時半に起床していた。起床後すぐ、建物の外に出て点呼敬礼が義務付けられていたため、寝坊して点呼に間に合わなかったりしたら、考えただけでも恐ろしい体罰が待っていたため、半ば強迫観念に苛まれながら目を覚ましていた。しかし、それが身体に染み付き出した頃、見事特別操縦見習士官の訓練課程を修了した。それからは、これほどまで起床時間に厳しいと言うことは無かった。特攻隊に入隊してからは、早朝の出動が無い限りはやたらのんびり過ごせたため、特に起床時間を気にしたことは無かった。

それでも、雄吉ゆうきちは必ず毎朝5時半頃に目を覚まし、大抵の場合はそのまま起床していた。特攻隊に志願してからは、一度目が覚めたら二度寝などしなかった。二度寝してしまう時間が惜しいと感じるようになったのだ。もっとやれることがあるし、やりたいことをやれる時間を削るなどもったいない。そう感じていたからだ。

今から考えると、それは自分の寿命が間もなく尽きてしまう事を無意識のうちに意識して生活するようになっていたことの表れでもあったのだろうと思う。

つい先ほどまで見ていた夢の残像を思い返してみる。思い出そうとすればするほど、夢の残像は記憶から消えていくものだが、この晩の夢はそうそう簡単には記憶から抹消していかない。

特操のときの同期の仲間と教官が出てきていた。よく訓練で使った訓練用飛行機も登場していた。まるで現実を見ているかのようであった。だから、あまり寝た気がしない。それでも、夢だと言うことがはっきりとわかる節もたくさんあった。

訓練用の飛行機で出撃するなんて、教官殿が言うことなんてないよ。

実際は、訓練機でしたっていう話も聞くけど、あの教官の口から「この訓練機で出撃する」なんてこと、言われなかったし。

それに、同期5人と教官の6人であの飛行機に乗ろうって話も可笑しいよな。

そのためにエンジンの出力を上げるなんて、笑っちゃうよ。

第一、エンジンの出力を上げる整備なんてやったこと無いし。

まったく、変な夢だなぁ。

そう思いながら、雄吉は一人で笑っていた。

隣の布団を見下ろすと、雄大ゆうだいがまだ気持ち良さそうな寝顔を見せながら眠っていた。もし必要に迫られて起こさなければならなかったら、とても難儀な気分にさせられることだろう。もちろん、今はそのような彼を叩き起こさなければならない事情もないので、そんな酷なことをする気はないが、そのような気持ちにさせるくらいの、情けないほどの幸せそうな寝顔だったのだ。

昨晩は一度も雄大と会わずに雄吉は就寝してしまった。

夕方にバイトと言っていた仕事に出掛けた雄大だったが、帰宅したのは23時を過ぎてからだったような気がする。

既に眠気を感じていた雄吉は早くも布団に入っており、結局バイトへ出掛けた雄大を見送ったきり、昨日は雄大とは会えなかったのだ。

遅い時間まで働いて来てたんだなぁ。

お疲れ様。

そう胸の内で雄大に労いの言葉を送った。

雄吉は一足先に寝床を上げて、雄大所有の漫画本を借りて読んで時間を過ごすことにした。

今日も曇り空が広がる。

あまり気持ちのいい天気ではないようだ。

それでも、夏の朝は明るい。

もう朝5時半に起きても点呼することも無ければ、朝練や教練に出ることも無い。のんびりと時間が流れるのを楽しむだけだ。


 7時半くらいになった頃だった。

部屋のふすまを叩く音と共に、美恵子みえこの声がした。

美恵子「雄大。雄吉くん。起きてる?」

朝ご飯の支度が出来たので、報せに来てくれたのだろうか?

一瞬雄大の方を見た雄吉だったが、雄大はまだとても起き出しそうにない。

とりあえず、雄吉は美恵子に返事しようと思った。

雄吉「はい! おはようございます。」

美恵子「あら、雄吉くんは起きてるのね。おはよう。雄大は? まだ寝てる?」

また一瞬だけ、雄大の寝顔を確認する。

そして、見えるはずもない美恵子の顔を見上げるように襖の方を向いた。

雄吉「はい。まだ寝てますね。昨日遅くまで仕事してきて、疲れてるんじゃないでしょうか?」

襖の向こうから「フフフ」と微笑する美恵子の声が聞こえる。

美恵子「ううん。これはいつものことだから。大学で朝から授業無いといつまでも寝ているんだから。」

雄吉「そうなんですかぁ。」

雄大は、寝坊助なのかな?

そんなことを考えていると、また襖の向こうから美恵子が語りかけてきた。

美恵子「朝ごはん出来たけど、雄吉くんだけでも食べる?」

どうしようか。

正直、朝目が覚めてから2時間ほど起きていたので、空腹と言えば空腹であった。

雄大には悪いけど、先にご飯食べていても良いよね。

そう雄大の寝顔を横目で見ながら雄吉は結論を出した。

襖の方を向いて返事をする。

雄吉「はい。お願いします。」

美恵子「わかった。それじゃ、ぼちぼち降りてきてね。」

雄吉「了解です。」

美恵子が襖の前から立ち去っていくのを感じ取る。

一度雄大の布団の前へ寄ってみる。

相変わらず雄大は気持ち良さそうに眠ったままだ。起こすのは心苦しいが、一応先に朝食を食べに行くことくらいは告げていきたい。

そう思い、雄吉は言った。

雄吉「雄大。朝飯出来たってよ。」

身体を軽く揺さぶってみる。

それでも、そんな揺さぶりではびくともせず、雄大は落ち着いた寝息を立てたままだった。

雄吉「これじゃあ、起こさない方が良いかな。」

まぁいいや。

そう思った。

雄吉「先に下降りて、ご飯食べてるよ。」

雄大「・・・・・・」

聞こえていないだろうな。

無反応な雄大を見下ろしながら、雄吉はそんな虚しさを感じ始める。

そこで踏ん切りをつけてから雄吉は歩き出し、雄大の部屋を出て一階に降りることにした。

洗面所へ顔を洗いに入ると、入れ替わりに雄大の弟の雄翔ゆうとが出てきた。白いワイシャツに濃紺のスラックスを着た格好をしていることから、雄吉は雄翔が学校の制服を着ているのではないかと想像した。

雄吉「おはよう、雄翔くん。」

雄翔「あ、おはようございます。大兄だいにいは、まだ寝てますか?」

雄吉「うん。ぐっすりだよ。」

雄翔「相変わらずですね。」

苦笑いしながら雄翔が言ってきた。

雄吉「雄翔君は、これから学校なの?」

雄翔「はい。部活があるんで。」

雄吉「ふ~ん。頑張って。」

雄翔「あざっす。」

そんなあっさりとしたやり取りをした。

思えば、雄翔と一対一で会話したのは、これが初めてかもしれない。

水で顔を洗いながら、雄吉はそう思った。

リビングのテーブルには、雄吉の分の朝食も並んでいた。

雄大の父親で間柄としては自分の甥にあたる雄亮ゆうすけが新聞に目を通している様子と、洗面所の前ですれ違った雄翔が先に食事を始めている様子がそこにあった。

雄翔は学生服姿だが、雄亮は部屋着の恰好だったことからこの日は仕事へ出掛ける用事は無さそうな感じだ。

雄吉「おはようございます。」

雄吉の声で雄亮は新聞をテーブルの上に置くと、豪快な笑顔で雄吉のことを迎えてきた。

雄亮「おう、おはよう。雄大は、まだ寝てるか?」

朝から元気の良い、勢いのある声で雄亮は言ってきた。

雄吉「あ、はい。きっと疲れているんでしょう。」

すると、雄亮もまた雄翔のように苦笑いしてきた。

雄翔君は、どちらかというとお父さん似なんだなぁ。笑ったときの顔は本当によく似てるや。

そう感じる。

雄亮「いや、アイツは疲れていようとも疲れていなくても、休みの日はうんと寝ているぞ。」

雄吉「そうなんですか。」

やっぱり、雄大は寝坊助みたいだなぁ。

休みの日にうんと寝てるなんて、そんなこと僕がしてたら、父さんからこっぴどく叱られたもんなぁ。

しみじみと少年時代の思い出を懐かしみながら、そんなことを思っていた。

雄亮「それに比べて、雄吉くんは毎朝ちゃんと起きてくるねぇ。」

雄吉「ずっと、見習士官のときは5時半起きでしたから。」

雄吉の言葉に、雄亮は興味深そうに二、三度頷いていた。

雄亮「なるほど。訓練の賜物ってことか。」

雄吉「そうですね。お陰で早寝早起きの習慣が身に付きました。」

雄亮の皮肉に、笑いながら雄吉は答えていた。

雄吉「お父さんは、今日はお休みなんですか?」

雄吉が雄亮に質問すると、雄亮はニコッと、とても良い笑顔を見せてきた。

その表情から、雄亮が今日は休暇だと言おうとしていることを察した。

雄亮「土日は休めるからなぁ。今日と明日はお休みだ。」

雄吉も雄亮に負けないくらいの温かな笑みを浮かべて話した。

雄吉「そうでしたか。」

それなら、僕が出した遺書とか日記とかのこと、聞いてみても平気かな?

昨日の朝に聞いてみようとしたことを、この際聞き出しても良いかもしれないと、雄吉は思った。

雄吉「あの、話しは変わるんですが、ちょっとお聞きしたいことがありまして。」

改まった表情で話しかける雄吉を見て、雄亮は若干表情が強張った。

雄吉「雄造は生前、僕が特攻出撃する前に出した手紙とか、持っていませんでしたか?」

雄亮「キミの手紙を? 親父が?」

雄吉「はい。」

雄亮は両腕を組みながら、じっとテーブルの上に置いた新聞紙を見詰めながら思い出しているようだった。何か思い出してくれるだろうか。

しかし、自分が生前書いた手紙や遺書があるかどうかの確認を、まさか自分自身で行うことになろうとは、その手紙や遺書を書いていた時には全く想像できなかった。

当たり前だよな。

もう死ぬって思っていたから書いたことだし。

家族の下へ届いてくれて、読んでくれさえすればそれで良いって、思ってたことだし。

けど、もしここにあの時書いた手紙とか、遺書とかが残ってたとして、それをどうしようか。まさか自分で改めて読んでも、仕方ないし・・・。むしろ、自分で書いた遺書をもう一度読むなんて、恥ずかしくてできないよ。

今更ながら、雄吉はかつて家族に宛てて書いた手紙や遺書の所在を、自分自身で尋ねてしまったことに後ろめたさを感じていた。

美恵子が茶碗に山盛りのご飯をよそって運んできてくれたので、雄吉はそれを口に運び始めた。

スライスしたナスを焼いて醤油をかけたものを口に運んでいたときだった。雄亮がゆっくりと雄吉のことを見てきた。

雄亮「確かに、キミから受け取った手紙とかがあったような気もする。」

口元にまで運んだナス焼きを、一旦茶碗の白米の上に戻す。

雄吉「本当ですか?!」

思わず、叫ぶようにして一気に言葉が出てしまっていた。

良かった。途中で何か都合の悪いことが起きて、家族に届かなかった訳ではなさそうである。

雄亮「しかし、今それがここにあるかどうかは、よくわからん。如何せん、キミからの手紙があったことを記憶しているのは、俺が小学生くらいの頃のことだったからなぁ。もう45年くらいも前のことになる。」

雄吉「はぁ。」

上がっていた両肩から少しずつ力が抜けていくのを感じる。

雄亮は、再びテーブルの上の新聞紙を見詰めながらゆっくりと話し始めた。

雄亮「親父が亡くなった時、親父の持っていた思い出の品については整理させてもらった。いろいろと古いアルバムや、昔もらった手紙とか、写真とかもあったな。ただ、その中にキミからの手紙は、無かったような気もする。」

雄吉「はい・・・。」

視線を雄亮へと改めて向けて、雄吉は話しを続けた。

雄吉「もしかして、その、雄造の思い出の品っていうのは、仏壇のある部屋の押し入れに入れてある箱の中身ですか?」

そんな雄吉の問い掛けに対し、雄亮は雄吉に視線だけ向けながら頷いてきた。

雄亮「その通りだ。あれで全部だな。」

雄吉「そうですか・・・。」

雄吉は思わず、左手で握り締めていた茶碗へ視線を落とした。

ナス焼きに絡んでいた醤油がふっくらと炊けた白米の上に染み込み、旨そうな香ばしい色が広がっているのに気が付く。

雄亮「美恵子から聞いたが、昨日の朝に雄大と二人で中を探していたそうだな?」

雄吉はしっかりと雄亮のことを見上げながら解答した。

雄吉「はい。勝手なことをしてしまいました。申し訳ありません。」

少しだけ頭を下げて話していたためか、そんな雄吉のことを見ていた雄亮は穏やかな顔で首を横に振ってきた。

雄亮「いや、別に怒っている訳でも無いし、謝ることでもないさ。ただ、あの中に無かったということは、今ここにキミから届いた手紙は、無いのかもしれないと思ってな。」

なんとなく、切ない気持ちになる。

しかし、それも仕方のないことだった。70年経っているのだ。受け取ってからこの日までに、紛失することなんて可能性としては大きいはずだ。

ただ一つ、70年前の自分の家族の人たちが、自分の最期の言葉を読んでくれさえすれば、それでもう十分だ。

そう雄吉は思うことにした。

雄亮「ただ、俺が小学生くらいの頃にはあったと思うからなぁ。親父がそんな大切なものを捨てたりするとは思えないし、どうしたものかとも思ってな。」

そうだよ!

お父さんが小学生くらいの頃までは、僕の手紙がこの家にあったんだよ!

それなら、もう、良いよ。

しっかりと届いていたことさえわかれば、それで十分だよ。

そう思えた。だから、どこかホッと安心する気持ちが芽生えだしたように感じ、心の中の荒波もだいぶ穏やかになった。

雄吉「けど、少なくともその頃まではあったのでしょう。それなら、それでもう十分です。僕の最期の言葉は、雄造や両親、それから姉や弟や妹たちに伝わっていたってことが知れて、嬉しいです。」

雄亮「なんだか、気の毒な思いをさせてしまって、すまなかったな。」

雄吉は首を横に振った。

雄翔「それじゃあよ、父さんは責任もって、雄吉兄さんの手紙を探してやらないとなぁ。」

黙って雄吉と雄亮のやり取りを聞いていた雄翔が話に入ってきた。

雄吉「い、いや、そんな。」

雄吉は遠慮気味に話していたが、雄亮はしっかりと首を縦に振って頷いていた。

雄亮「そうだな。どこかにあるはずだから、案外探せばすぐに見つかったりするかもしれないしな。」

わっはっはっはっはっと笑い出す雄亮だった。

もし手紙と遺書が見つかったら、どうしようか。昨日のことのように、書いた記憶が鮮明に残っているその手紙と遺書を、70年経った世界で再び自分で読む。

なんだか、それも可笑しなことだけどなぁ。

まぁ、見つかったら少し眺めてみるかな。まさかとは思うけど、誤字脱字とか、文章構成が変じゃないか、確認でもしておこうか。

自分でも可笑しくて笑い出しそうになりそうなことを考えながら、雄吉は茶碗に盛られた白米をナス焼きと一緒に口いっぱいに押し込んだ。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る