2-5

 再び国道沿いを歩いていると、独特の油の香りが漂う場所に出た。

石油などの工業油の匂いとは違う、肉でも焼いているような香りだ。

食欲旺盛な青年男子が嗅ぎ付ければ、多少の空腹感でも脳裏にその料理の残像が浮かび上がらせるに容易なものだった。

特に、既に昼の時間を過ぎていたのだから、このような香りは落とし穴に嵌めるための誘引剤そのものである。

雄吉「なんだろう。なんか脂っぽい匂いするけど。」

雄大「この匂いは・・・」

まもなく進行方向右手側に大手のハンバーガーショップが見えてきた。

雄大「あそこだよ。」

看板を指差しながら雄大が言う。

雄大「ハンバーガーの店があるんだ。」

雄吉「はんばぁがぁ?」

雄吉の顔を見ると、ハンバーガーを知らないことはすぐに察しがついた。

雄大「まだ70年前には日本に入ってきてなかったみたいだな。」

雄吉「何なの? それ。」

想像通り、雄吉は目を光らせながら聞いてきた。

雄大「牛肉のひき肉をこねたものを平たく円盤状にして焼いて、それをパンに挟んだ料理さ。」

雄吉「ふ~ん。」

雄大「確か、アメリカとかから入ってきたんじゃなかったかな。」

雄吉「えっ、アメリカから?」

アメリカという言葉に抵抗を覚えるのだろうか?

まぁ、そのアメリカを憎き敵として戦ってきた訳だから、それも無理も無いか・・・。

そう雄大は思った。

雄大「おう。アメリカンバーガーって言って、すごいデカいハンバーガーを売ってる店もあったりするしな。」

雄吉「そうなのかぁ。アメリカの食べ物も、この日本で食べられるようになっているんだね。」

感慨深そうに、腕を組みながら話す雄吉だった。

雄大「どっちかというと、今は日本食よりも欧米から来た食事も多く食べられるようになっているんじゃないか? 洋食のレストランの方が手頃な感じだし。なんとなく和食っていうと、敷居が高い感じするしな。」

雄吉「・・・・・」

複雑な思いになっているような顔を見せる雄吉だった。

雄大「戦後は、本当に食文化の面ではかなり多様化が進んだんじゃないかな? 最近は東南アジアの料理を出す店も増えてきたし、インドカレー屋とかもたくさん見られるようになってきた。まぁ、俺たちからしたら、いろんな国の食べ物が簡単に食べられるようになったから、それはそれで良いんだけどな。言ってみたら、食べ物で世界旅行しているような感じ?」

食べ物で世界旅行という言葉で、雄吉の少し曇った表情が消えた。

雄吉「なるほど。食べ物で世界旅行は、面白そうだね。」

雄大「試しに最初の旅行先は、あの憎きアメリカにしてみるか? 奴らがどんなもの食っていたのか知るのも悪くないんじゃねぇか?」

雄吉「確かにな・・・。アイツらがどんなもん食べていたのかは気になるなぁ。」

まだ若干残っていた曇り顔も、話しながら次第に消えていた。そして、またニコニコと笑みを浮かべる雄吉。

雄吉「うん、行ってみよう。」

先ほどまでの訝しんだ口調はどこへやら。楽しそうに話す雄吉だった。

雄大「本当に大丈夫か?」

雄大も心配になるほどの変貌ぶりだ。だから、念のため確認をしておいたのだ。

雄吉「大丈夫。戦争では敵になっただけで、アメリカとかイギリスの文化や歴史には関心があるし、興味も憧れもあったからね。70年後の日本では、アメリカのいろんな文化も吸収しているってことだろうって思ったら、なんだか面白くなってきたよ。元々日本は欧米列強からいろんな技術や文化を取り入れて、大きく成長した国な訳だし、吸収して自分のものにするのに長けている民族だって思うからさ。」

雄大「確かに、そうだな。」

世界中からいろんな文化を取り入れて現代を形作っている。それは食の面でも変わらないだろう。

だから、目の前のハンバーガーショップのような外来の食べ物を販売する店が多く存在するのだ。

雄吉「あ!」

急に雄吉は立ち止まり、両手をズボンのポケットの上にやっていた。まるで忘れものでも確かめるかのように。

雄大「どうした? 何か忘れ物か?」

雄吉「僕、お金持ってない・・・。」

それは別段気にしなくても良いのだが・・・。

そのことは始めから重々承知の上だから。

そう雄大は考えていた。

雄大「俺が払う。」

雄吉「え、でも。」

雄大「そんな高い物じゃないし、気にするなよ。それに、仮に雄吉がお金持ってきてたとしても、あの頃に比べて今は物価がだいぶ高くなってるから、たぶん使えないぞ。」

雄吉「・・・・・」

70年前、当時は1円が2000円~5000円くらいの価値があった頃だ。

その当時を生きていた人に、一個100円のハンバーガーを買えというのは驚愕の一言以外にないかもしれない。

店に入り、適当にメニューの写真を見せながら雄吉の望みの物を聞くと、雄大は慣れた様子で自分の希望のメニューと一緒に注文を終えて、すぐに準備された二人分のハンバーガーとフライドポテト、冷たい飲み物の入ったカップを乗せたトレーを持って二階のイートインエリアへ雄吉を案内した。

窓側の空いてる席に対面しながら座る。

雄大「さ、食べよう。結構歩いたから腹減った。」

雄吉「うん。ありがとうね。」

帽子を外して坊主頭を見せながら雄吉は言ってきていた。

雄大「良いって。雄吉と一緒にこの街歩けて、新しい発見とかもたくさんあったし、70年の間にこの街もだいぶ変わってきたってことが知れて、なんだか楽しかったしな。」

雄吉「そう?」

雄大「大丈夫。これくらいは何てことないって。」

雄吉「本当に、ありがとう、雄大。」

雄吉は頭を下げてきた。

雄大「良いから食べようぜ。冷めたらせっかく頼んだハンバーガーがもったいない。」

言いながら、雄大は自分のハンバーガーの包みを取った。

雄吉「うん、いただきます。」

雄大が自分のハンバーガーを頬張るのを見届けてから、遠慮気味に雄吉は自分のハンバーガーを手に取り、ゆっくりと包み紙を外していた。

焼けた牛肉とチーズの香りが漂ってくる。バンズの間に大きめのハンバーグと黄色いチーズが挟まっている様子が見える。雄吉も雄大の真似をするように、一口ハンバーガーを頬張り、まるで怪しい物でも食すような訝しさを纏わせた表情のまま、じっくり味わいながら咀嚼した。

そんな雄吉の表情を、雄大は興味深く見守っていた。

雄吉の表情が次第に明るくなっていく。そして、笑みが零れてきた。

雄吉「美味いなこれ。」

雄大「なかなかイケるだろ。」

雄吉「うん。たくさん食べたくなる味付けになってるんだね。これは美味いや。」

言い切ると、雄吉は早速二口目に齧りついていた。

雄大「70年前は、あんまり肉を食べることも無かったんか?」

雄吉「うん、そんなにたくさんは無かったよ。本当にお祝い事があるときとかに、少し出てきたくらい。でも、陸軍に入営してからはよく食べたかな。」

雄大「へぇ~。」

また一口、ハンバーガーに噛り付く。

雄吉「身体を作らないといけないってことで、肉や魚はしっかり食べることが出来たよ。」

雄大「そうだったのかぁ。」

雄吉「今は、肉なんて当たり前に食べれるの? さっき商店街通ったときにさ、たくさんお肉が並んでるの見たら、もしかしたらって思って。」

雄大「その通り。今では肉なんて当たり前に食べられてるよ。昨日はちょっと魚とか野菜ばかりのメニューだったけど、普段は鳥の唐揚げとか、豚肉のソテーとかも出てくるしさ。それこそ、このハンバーガーに挟まってるようなハンバーグだって作ってくれることもあるし。」

雄吉「そうだったんだ。」

雄大も二口目を口に含んだ。

雄大「今晩は肉料理にしてもらうか?」

雄吉「あ、うん。」

雄大「じゃ、帰ったら母さんに言っておくよ。」

雄吉「ありがとう。」

そんな昼食は、それほど間を置かずに済んでいった。

雄吉「ごちそうさまでした。」

雄大「満足できたか?」

ペーパーナプキンで口元を拭いながら雄大は言っていた。

雄吉「うん。意外に、アメリカの食事も美味しいもんだな。」

雄大「まぁな。」

雄吉「ありがとうな。」

雄大「どういたしまして。」

使い終えたペーパーナプキンを丸める。そんな雄大の手元を見詰めながら、雄吉は話し出した。

雄吉「物価が上がってるって言ってたのがちょっと気になったけど。」

雄大「あぁ。」

雄吉の視線が雄大の視線とぶつかる。

雄吉「今ってさ、全部円で勘定してるの?」

雄大「そうだけど。」

雄吉「せんは、もう無い?」

そうだな。今じゃ、銭は却って高くつんじゃねぇかな。

そんなことを思いながら、雄大は雄吉の問いに答えてやった。

雄大「最低の貨幣が1円だからなぁ。」

雄吉「そうなのかぁ・・・。それじゃあ、僕がお金持ってきていてもこの時代じゃほとんど手を出せないってことなのかぁ。」

雄吉が項垂れた。まぁ、自分が稼いで持っている金が突然ほとんど価値のないものに成り下がってしまったなら、相当なショックを受けることだろうしな。雄大は雄吉を見詰めながらそう感じていた。

雄大「だからここに居る間は、俺たちに任せろって。」

雄吉「うん・・・。」

力の抜けた雄吉の返事だった。

雄大「一応俺もバイトして自分で稼いでるからさ。多少なら、自由に買い物は出来るし。」

雄吉「うん・・・。」

まだ雄吉の声からは力が抜けていた。

雄大「そういえば、今日の夕方からバイト入れてなかったっけ?」

雄吉と出会ってから自分の予定が吹っ飛んでしまったように忘れていた雄大であった。

慌てて雄大はスマホを取り出して、予定表を確認する。

そんな雄大のことを、これまた雄吉は興味深そうに眺めてくる。

雄吉「それ、何なの?」

雄大「これ?」

手にしたスマホを掲げながら雄大は雄吉に確認した。

雄吉「うん。」

雄大「あぁ。スマートフォンって言う、携帯電話だよ。」

雄吉「携帯電話? それで、電話が掛けられるの?」

雄大が手にするスマホを怪しい物でも睨みつけるようにしてじっと見つめながら、雄吉はもっとも単純な質問を雄大に発してきた。

雄大「そうさ。電話だけじゃない。メールって言って、ここに文字を打って瞬時に手紙みたいなメッセージを出すこともできる。写真を撮ったりすることもできる。」

雄吉「写真も撮れるんだ。」

雄大「他にも昨日見せたパソコンみたいなこともできるしな。予定表に書き込んだり、メモしたり、音楽聞いたり動画を見たり、いろいろ出来るんだぜ。相手の顔を見ながら電話で話すことも出来る機能もあるしな。」

雄吉「すごいな! そんな小さな機械で何でもできるなんて。そんなすごい道具が70年前にもあったら、毎日家族と連絡取り合うことも出来たし、出撃の前に、家族の顔を見ることだって出来たかもしれない。すごいな。」

ただただ驚嘆するしかない雄吉だった。

雄大「確かに、そうだな。最後に両親の顔を見ることも、出来たよな。」

雄吉「でも、そんなことしたら往くに往けなくなっちゃうか。」

苦笑いしてくる雄吉だった。

雄大「何だか、切なくなりそうだな。余計に。」

雄吉「うん。それは思う。見えないから、覚悟出来たってのはあるかもしれないよ。目の前に映っていたら、気持ち揺らいでしまったかも。でも、案外最後に顔見れたから、もう決心付いたって、しっかり覚悟決められるかもしれないとも思うけど。」

雄大「どっちだよ?」

雄吉「う~ん、わかんないよ。そんなこと、やったこと無いし。」

雄大「そりゃそうだ。」

70年前にスマートフォンがあったとしたら。仮に歴史的には同じ結末を迎えるとして、そこに居た人々の繋がりが、史実のものよりも豊かにさせることが出来ていただろうか。

徴兵されて軍隊へ行ってしまった若い兵隊たちが、自分の家族と毎日交信して安否を知らせたり、元気でいることを報告して両親を安心させることができただろうか。それとも、明日出撃するということをリアルタイムで知らせることになり、両親の泣く顔を見て、辛い思いを背負いながら出撃をしていく隊員たちも出てしまっただろうか。

考えても栓の無いことだが、もしも70年前にスマートフォンがあったなら、それはそれでそれぞれの兵隊と家族の間に物語が出来たことには間違いないだろう。

それはきっと、伝える手段が手紙よりも早いことと、伝えられる内容が多いということ以外、本質的にはあまり変わらないのかもしれない。

なんとなく、雄大はそんなふうに思った。

予定表を確認する。

今日は7月17日。

・・・やっぱり。

雄大「16時から22時までバイト入れてたか。」

雄吉「仕事、入ってたの?」

雄大「あぁ。」

言い終えたとき、雄大は無意識のうちに溜息をしてしまった。

これで、雄吉との散歩は終わるのか・・・。

そう思うと、どこか惜しまずにはいられなかった。

なんだかんだ、70年前と現在との違いを知る、知的好奇心を刺激するこの散歩に楽しさを感じていたみたいだった。

できることならまだその楽しい時間を雄吉と共に過ごしたいという気持ちが勝っているのだが、やはりお金を稼ぐという行為を全うする以上、責任を感じてしまう。だから、嫌々でも時間を確認しなければと痛烈に感じてしまい、まるで飢えた胃袋に食べ物を欲するような気分で時計を見たいと感じ始める。

雄吉「今は何時だろう?」

雄大「まだ13時過ぎだから、まだ大丈夫だ。けど、今から家に戻って、一度シャワー浴びたいから、それから準備して、・・・あんまし時間ねぇなぁ。」

雄吉「それじゃあもう行こうか。」

雄大「そだな。」

席を立つ。

ハンバーガー屋を出た雄大は、来た道を戻るようにして歩き出した。

途中で右折して、京急線や東海道線の線路のガード下を通り抜けて進み、しばらく歩いてから、今度は左折した。

正面には、家を出て間もなく見かけた銀ピカの電車が踏切を横切る姿があった。

そんな銀ピカの電車が横切る線路を踏切で越えていく。

雄大「この辺が、雄吉の通ってた中学があった辺りだろ。」

雄吉「うん。まさにこの場所だよ。」

線路の上から左右を見渡す雄吉だった。

右側を見た雄吉は、はっとしたように何か見つけていた。

雄吉「わ! 本当に駅が出来てる。」

右手側には、たった今目の前を横切った電車がホームに停車している様子があった。

既に乗客を乗せ終えた電車は、ゆっくりと奥の方へと動き出して行き、赤く光るテールランプが遠ざかっていく。

雄大「この街の人たちは、みんなあの駅を使っている。」

雄吉「そうなのかぁ。それに、線路も二本になってるし。たくさん人が使う路線になっていたんだね。」

歩き出し、線路沿いに駅の方へと向かう。

駅前まで来る。白塗りの駅舎の正面にはロータリーが出来ており、端の方にバス乗り場が設けられている。そんなロータリーの中央には、雰囲気に合わない南国風の木が植わっており、そのロータリーを囲むように飲食店やコンビニが建っていた。変哲もない都会の駅前の光景だった。

雄吉「校舎のすぐ裏側が駅になったんだな。」

雄大「ふ~ん。」

改札口の前を通り過ぎる。

日中でも、耐えず駅から人が出てきたり、逆に入場していく人の姿があった。

雄吉「本当に、駅だ。なんだか不思議な気分だよ。いつもいつも、ただ目の前を通り過ぎていくだけだったのに、ちゃんと止まってくれる駅が出来たなんて。」

きっと、この駅が開業した日、この地に住まう人々も感じたであろう喜びの眼差しをさせて、雄吉は改札口の奥を見詰めていた。

雄大「明日はここから電車に乗って、横浜へ行こう。」

雄吉「うん。楽しみだなぁ。」

ニッコリと笑う雄吉だった。

駅前を通り過ぎて、自宅へと向かう。

駅前ロータリーを横切るようにして伸びる道路を行く。比較的直線が続く道路で、車どおりはそれほど多い訳でも無く、歩きやすい道だった。どちらかというと、人通りの方が多い道だ。

雄吉「こんなに真っ直ぐ伸びる道が出来ていたなんてなぁ。」

まだ70年の間に変わった出来事があった。

雄大がよく使う道路だった。

雄大「こんな道、70年前には無かったのか?」

雄吉「うん。線路の向こう側には、東海道と農園とを結ぶ長い直線の道路があったけど、こっち側はほとんど大きな道は整備されてなかったよ。向こう側に比べて田んぼとかが多かったから。」

雄大「ふ~ん。」

なるほど。確かに、線路の向こう側の方が栄えている気がしてたけど、元々こっち側は何もなかったからなのかぁ。

雄大「納得だ。今でも線路の向こう側の方が栄えている感じはするしな。大きなスーパーはたくさんあるし。」

雄吉「すーぱーって?」

そうだった。スーパーマーケットなんてもんは、戦前には無かったよな。

雄大「あぁ、食料品とか衣料品とか、まとめて売ってる店のことだよ。」

雄吉「ふ~ん。じゃあ、商店街みたいな個人商店は、なかなか商売しにくいな。」

さすが、大学で流通などに興味を持って勉学に励んだだけのことはある。そういうことについての洞察は鋭いぜ。

そう雄大は思った。

雄大「その通りでさ、現に商店街って、結構衰退している。ここのはまだ大丈夫そうだけど、よそでは商店街の近くや駅前にスーパーが出来て、客を取られて商店街が無くなるっていうこと、よく聞くぞ。」

雄吉「小売りの形態も、だいぶ変わってしまっているようだね。」

身近なものが、70年の間に進化していたり、あるいは衰退していたりと、栄枯盛衰を絶えず繰り返しながら時間が進んでいたことを、雄大はなんとなく感じ始めていた。

たった半日の地元の散歩であったが、雄吉と一緒に歩いたことでこれまであまり気にも留めなかったことが、実は大変誇らしいことであったり、有難みを感じたり、はたまた戦後の時間で大きく形を変えたものや消えてしまった物、新たに登場したものを発見することができた。雄大にとっても、大変刺激的な散歩となった。

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